週刊朝日にこの連載が載ったのは、多分昭和60年と思う。とすれば、主宰の細見綾子78歳、夫の沢木欣一(昭和21年金沢において「風」創刊)は66歳であった。
日まはりより高き喜び白布(はくふ)干す 細見綾子
日まわりは太陽の炎にもたとえられるが、夏の花として最も強く明るい花。私の句は濯いだ白い布を日まわりより高く干した喜びをうたった。
濤(なみ)見えてひまはりへまで音の来ず 西村公鳳
海辺の風景。白い大きな濤が見えているが、その音は日まわりへまでとどかないという広い明るさをうたったもの。
向日葵の天の明るさ頭(ず)をあげよ 滝沢伊代次
日まわりの咲いている日の空の明るさを強調している。天の明るさに頭をあげようではないか、自分にも言い聞かせ、また他にも呼びかけている。
向日葵の幹のたしかさ校庭に 上野 燎
校庭の日まわりが日に日に成長して幹も強くなった。その強さを「たしかさ}といっているところが教師としての自負に通ずる。
ひまはりの根元を掃(は)きて倉庫番 大西八州雄
観察の眼がゆきとどいている。倉庫番と日まわりとのかかわり方が場景を通して表現されている。即物写生というべきであろう。
向日葵の倒れて種を投げ出せり 大坪景章
思い切り伸びて大きくなった日まわりが、ある日倒れて、重そうに支えていた種をばらばらに投げ出した。強さをほこっていた日まわりの倒れた姿が印象的である。
向日葵を抜きし大きな穴に雨 斉藤 節
夏も終わりになって日まわりを引き抜いたあとの穴は意外に大穴だった。その大穴に雨が降りたまる。着眼点がおもしろい。
向日葵や厨子甕売りの多弁なり 呉屋菜々
沖縄の情景。厨子甕は骨壷で、沖縄では模様や色付けをした立派な骨壺を使う。那覇に壺屋という窯場があり、現在も続いている。厨子甕売りが多弁に客寄せをしているところ。明るい日まわりがそこに咲いて沖縄の風景そのものである。
向日葵や暗(くら)がりに置く火縄銃 大信田梢月
雀おどしに使う火縄銃、時々発砲して稲雀を追い払う。銃は目につかない暗がりに置いておく。明るさと暗さの対比がおもしろい。
向日葵の見ゆる部屋にて逝(ゆ)きにけり 鷲尾不群
単純そのものでいさぎよい。死を悼む心が凝縮的に表れている。(“評”は、すべて細見綾子による)
“風”の消息をネットで調べてみた。終刊は、平成14年で、その理念や目標を踏襲する「万象}が、平成14年4月1日、滝沢伊代次主宰で横浜より発刊。
2010年、滝沢伊代次が逝去、主宰は大坪景章に引き継がれ現在に至る。
「万象」平成26年6月号の句が10句ネットに掲載されていたなかに“呉屋菜々”さんの句があった。
山がらす島橘の花散らす 呉屋菜々