昨年9月の終わり、坂東札所の結願寺、
千葉県館山の那古寺の帰り、
鋸南町、鋸山(330m)日本寺に寄りました。
山頂の地獄覗きで、地獄が見えるかどうか、
一度は見てみたい地獄。
案内看板に天明3年に完成したという大仏。
この年1783年は、青森では岩木山が、
この年1783年は、青森では岩木山が、
群馬では浅間山が噴火し、全国的に飢饉が続き、
江戸や大阪でも米屋、商家への打ちこわしが、
頻繁に行われていた時代。
江戸や大阪でも米屋、商家への打ちこわしが、
頻繁に行われていた時代。
👇自然の風化で修復した痕が、
何とも、強者アウトロー渡世人の風情に似て・・。
何とも、強者アウトロー渡世人の風情に似て・・。
👇鋸山、コースもいくつかあり
夏の終わりを感じさせた石段
👇お願い地蔵尊の周りを見て、
こんなに願いを掛ける人たちがいる、
坂東札所33カ所をようやく巡り終えた後、
感慨も深く・・・。
坂東札所33カ所をようやく巡り終えた後、
感慨も深く・・・。
👇鎌倉時代の禅宗様式の薬師本殿ですが、
昭和初めの火災で、再建したのは、
平成19年だといいます。
平成19年だといいます。
阿羅漢の
鉢の中より
雲雀かな
庶民が親しめる句を詠んだ、
小林一茶の句碑もあり・・
小林一茶の句碑もあり・・
息は、ぜぃぜぃ、ハァ~。
👇突飛の柵から見下ろして、
地獄ではなかったけど、
👇海には板子一枚下は地獄、
👇海には板子一枚下は地獄、
無事に波止場に着いた遊覧船、
桟橋に移るまで気は抜けない・・ウン ‼
山頂の、地獄のぞきを経験して
下山は、1500羅漢のコース
宝篋印塔を見て、
朝お参りした結願寺・那古寺の
1759年奉納された、欄間彫刻
1759年奉納された、欄間彫刻
彫工・島村源蔵さん
波の伊八・武志伊八郎さんとの関係
波の伊八・武志伊八郎さんとの関係
ここで
正月は、波の伊八巡りと決めた
正月は、波の伊八巡りと決めた
昨年9月30日のことでした
パソコンで息を吞んで拝見しました。犇めくお願い地蔵尊の魂を、言葉にできない位感じました。
静かに佇む苔むした仏さま、じっと見入りました。
一度は拝観したいと思いますが、、、遠方で残念です。
少しは足の痛みがとれましたか。あきらめていたとよ様のblog 拝見出来て嬉しい。(*^^*)
懐かしい房総のお寺・地獄のぞき・大佛・
千葉へ引っ越ししてきて先ず行ったのですが、
深く考えていないで、観光気分でした。
とよ様の、素晴らしいblogで改めて良さが分
地獄覗きだけは思いで深いです。アメリカ人を
連れて行ったら、興味深々、我々は下で待つ。
彼は上から手を振りました。
とても思い出が詰まった日本寺。とよ様も体験さ
れてうれしい(*^^*)
景色を見るだけなら、感動もありますが、
山になるほどの願いを思うと、
なんか・・切羽詰まるものがありますね。
最もここは日本寺と言われてるわけで、
チャラチャラするところではありませんでした。
遠方ですので、今回は写真だけでこんな所があるんだねぇ・・と。
祈りが届きました・
医師が回復の速さを驚いて、昨日ギブスを取りました。
体重をかけると杖は欲しいのですが、
運転は平気です、痛みが走りません。
ありがとうございました。
鋸山のファイルが、燻ってました。
次も鋸山ですが、それが終えたらどうしましょう・・。
いい案を練ってるところです。
(*^^*)
でも、でも、運転して長距離ドライブは・・
心配です。すこ~しおとなしく家籠りで完治して欲しいな。
早速のジャブ・おとなしく家籠りと・・・‼
右足の骨折の時で懲りてますが・・当時はギブスを撮った日からリハビリと言って、高尾山に毎日、
過ぎたのか、炎症が出て骨髄炎寸前、
歩くのは一日30分という過酷なドクターストップに遭い、悲惨な日々を経験しました。
で、今回・・・ちょっとだけドライブは河口湖まで昨日・・・・また叱られますね‼
今日は
家籠りです・・。