日光東照宮のある栃木県、
日光を開山したのは勝道上人で、彼の父母は、
今の群馬県高崎市の片岡町辺りから、
日光を開山したのは勝道上人で、彼の父母は、
今の群馬県高崎市の片岡町辺りから、
栃木県芳賀辺りに移り住み、
この一帯の国司になった方。
この一帯の国司になった方。
子宝に恵まれなかった母は、
栃木市の満願寺の奥の院にお参りし、
授かったのが勝道上人・・735年に生まれ、
栃木市の満願寺の奥の院にお参りし、
授かったのが勝道上人・・735年に生まれ、
幼いころから寺修行、山伏修行の場は、
ここ出流山・満願寺・・・のちの坂東札所17番。
ここ出流山・満願寺・・・のちの坂東札所17番。
上人となって、18歳・762年で具足戎を受け、
栃木市出流山・満願寺を開創した765年、
日光輪王寺を開山したのは、その翌年。
栃木市出流山・満願寺を開創した765年、
日光輪王寺を開山したのは、その翌年。
今でも、日光の開山が勝道上人ということで、
日光の修験者は年中行事の一つとして、
必ずここで入峰の修行を行なうという。
日光の修験者は年中行事の一つとして、
必ずここで入峰の修行を行なうという。
👇山門は、1700年中ごろのデザインで、
茅葺の屋根も、今は修復していて金属板にしてるけど、
仁王像は1330年頃の鬼気迫る形相・・
茅葺の屋根も、今は修復していて金属板にしてるけど、
仁王像は1330年頃の鬼気迫る形相・・
蟇股に
七福神さんたちも
👇門をくぐって、なだらかな坂道に、
祈れば眼病に効くという、1715年の薬師堂です。
祈れば眼病に効くという、1715年の薬師堂です。
👇社務所・満願寺はここ本坊に有ったという・・。
満願寺も、幾度かの火災に遭い、
鐘楼も…また明治の初めに鐘も失い、
100年ぶりに再建したという・・。
鐘楼も…また明治の初めに鐘も失い、
100年ぶりに再建したという・・。
大御堂👇の石段を下には
手水舎👇シンプルですが柱のデザインがいい・・・
👇1675年から続く歌舞伎役者、澤村宗十郎さんの名が、
中村吉右衛門さんの名が・・
中村吉右衛門さんの名が・・
大御堂の、建築構造上
棟梁の腕に唸らされた
三手先竜・みてさきりゅう・の
彫刻などは
次回に
棟梁の腕に唸らされた
三手先竜・みてさきりゅう・の
彫刻などは
次回に
栃木県の山岳宗教で、時期が来れば山伏姿の修験者が、沢山訪れると聞きますが、
その状況に出会ったことが無いです。一度みたいです。
会津へ行くのには、少し外れているので、
無理もない事です。
宣伝もあまりしませんしね・・・‼
群馬県から栃木県へ。お寺を開創されたのは群馬県から栃木県へ移住してきた方が「坂東札所十七番」を・・
鬱蒼とした森に中にこのような素晴らしい札所があるのですね。
歌舞伎役者のお墓も素晴らしく、しっとりした雰囲気が素晴らしいですね。
主人の故郷、会津へ帰る時には必ず立ち寄った、日光東照宮とその近辺ですが、満願寺にはお参りしていない💦😅
とよ様の深い知識に脱帽。