春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

森田愛子さん、越前三国から鎌倉に・・。

2019-04-17 22:11:19 | Extra


漁火街道、国道305号を南条郡波越前町から、
75キロばかりあたりに、坂井市みくに龍翔館が、
日本屋敷とはかけ離れた、建物が高台に見えてきます。
明治6年、大阪から、三国港へとの日本の土木に貢献した、
日本が雇ったオランダから雇った土木技師、
ジョージ・アーノルド・エッセルが、
日本を離れる、5年間の間の最後の年に、
デザイン、建築技術を指導して、
明治12年に完成させた龍翔小学校、
今は復元をして、
板井市三国の自然風土、文化の遺産を展示する、
貴重な博物館でもあります。



 

一階には、北前船(地元の方は、きたまえぶねと呼びます)の模型が、


2階に三国の古代遺跡の出土品を、
👇は絵画で遺跡物ではなく、


3階に、高見順、三好達治、森田愛子各氏の文学者の、
資料が、陳列しています。
どこの博物館、資料館に出かけても、
撮影禁止のお札が張られ、
いつもガッカリするわけで、
『文化遺産大いに広めて、
貰えばいいのに度量がない』などと、

余計な腹を立てるわけです!
実際、実際学芸員に呟いたことはありますが・・。


ここで私は、森田愛子さんの存在を初めて知りました。
東尋坊、👇三者の俳句の碑に、
寝待月・・八月の眠れない日に、
雪国の風景を
浮かべた森田愛子さんの姿、

越前町『北前船、右近家資料館』に時間を取られて、

駆け込みで入館した、みくに龍翔館の学芸員の誘いで、
訪れた、東尋坊の石碑。
それ以来、この句がどうも頭から離れません。


森田愛子の写真


我が家の 対岸に来て 春惜しむ   愛子

菜洗うも濯ぐも一つ桟橋に    愛子

九頭竜の空ゆく鴨の見ゆる窓  愛子

美しき布団に病みて死ぬ気なく    愛子

写真

※森田愛子さんのファイルは借用したものです。
虹の俳句は、高浜虚子氏の作。

森田愛子さん、北前船の廻船業で財を築いた、
森田三郎右衛門と、生え抜きの芸者、田中よし子さんを、
両親に持ち、
東京女子大学で学んで・・・結核に!
鎌倉の七里ガ浜、結核療養所に送られ、
俳人・高浜虚子の弟子伊藤伯翠氏に俳句を学び、
身近な風景を、透き通った水のように、
しみこむ、
句を詠み、
二九歳の高浜虚子氏との会話、
虹を渡ることなく、

三国、九頭竜川の見える部屋で二九歳の生涯を閉じた方。

高浜虚子、虚子二女、星野立子さん、
そして、お墓の立ち位置まで、
涙を誘う、森田愛子さんは、
鎌倉、市街地を離れた『寿福寺』で・・・。

帰り、七里ガ浜の療養所からも、
見たであろう江の島からの夕焼けの景色に、
ひと時を過ごしました。




森田愛子さんのお墓はこんど・・。

 


コメント
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