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春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

伊八行脚で・・・ ‼ 鴨川薬王院。

2022-02-04 23:23:26 | 房総の彫り物師



鴨川市に行けば、
車で5分、10分の距離の社寺のいたるところに、
波の伊八さんの彫刻を見れるのですが、
残念なことに、無人のまま、

朽ち果てるのではないか、と
気がかりの、後味の悪さが、
付きまといます。

鴨川市薬王院、

留守を守っている女性の仕事は、
地蔵さんに花で、献ること




鍵は掛かって、住職は亡くなってからは、
このままです・・と。


歴史の文化財は、
1780年29歳の伊八さんが彫った、
虎と龍のはっけよぃのにらみ合い、
この竜虎の戦いを、

一枚の樟の木に彫った作品は、
伊八さんの唯一のモチーフ、
他では見られない。


笹、梅の木の枝と花、
波に霞、それぞれのモチーフの重なりは
木材の厚み以上のボリュウムで、
彼の技量の深さを感じます。
この作品は千葉県が管理してるもの、
もっと、
たくさんの人たちの目に触れる、
手立てはないものでしょうか。










薬王院薬師堂だって、
1642年の墨書が残ってるくらいなのですから・・。











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男だ、男だ、波の伊八 。金乗院 ②-② 千葉県鴨川市。

2022-01-17 19:20:50 | 房総の彫り物師





👇金剛山・金乗院大日堂の内部に入ります。


が、その前に  👇  波の伊八の龍。
1779年、伊八28歳の時の彫刻。






👇向拝裏の龍。
ここに、刻銘、6月に彫り終えてます。










住職許可のもとで撮ってます。
👇手入れの行き届いた、綺麗な厨子でした。








👇須美壇・誰が彫ったのでしょう?





👇正面の欄間彫刻・・
彫物師・武志伊八郎信吉、
波の伊八と異名をとった男が、
1779年28歳で完成した欄間。



👇日本では縁起のいいと言われる、
鶴を2羽と亀1匹を構成して、
7人の男たちが酒の入った大甕の傍で、
陽気に歌い踊る様子を彫っている。

晩年の研ぎ澄まされた、
波の彫り物を見た後です。
案外、若いころの伊八の性格は、
陽気で、豪快、多彩な思考を持ってた、
性分なのでは・・・?

漫画やアニメがない、
説法じみた欄間彫刻が多い江戸中期、
自由を渇望している人々が、
踊る彫刻を見てて、日々の、
暗い気分を吹き飛ばさせる、

構成力を持ってた・・・・
人間、伊八が大きく見えます。







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金乘院 ① 山門をぐるぐる。千葉県鴨川市。

2022-01-16 19:59:43 | 房総の彫り物師

昭和7年に再建した、鴨川市金乗院 こんじょういん
山号・金剛山・真言宗智山派を宗派に
本尊は不動明王。
駐車場は小高い、
山門と大日堂までの境内に停める。
周りは田んぼ、見晴らしがいい。



寺社巡りの醍醐味は、
あらかじめの知識を持たないとき、
知識を持って訪れると、
その知識の範囲内で、見学しようとしてしまう。
驚きも、感動も、疑問も、ちッつという感覚も、
半減以下になってしまい、高揚の余韻が失せてしまう。

超美人で近寄りがたい女性に、
1000分の1の、間抜けさを見た時の、
あの歓喜に近い、嬉しさは何とも言えない。

柳宗悦さんは語る。
完全な物を造る上げるのは美であるけど、
完全を造ろうとしないで、造るものには、
侘びがあり、人の心を惹きつける。

寺社の訪れに、いいのは、
全部見て、その見た対象の後で、知識を得る。
そして、また時を経てからも一度、見学する。
そんな時、新たな感動の余韻が、
寺社への愛着、寺社が自分を許してくれる、

親近感で満ち溢れる・・。

👇金乗院・大日堂に行く前に、


👇彫り物いっぱいの、山門から、






大日堂を見学した帰りしな、山門の彫刻は、誰?
答えは、伊八さん・・と。

今でも、そうかなと・・。















山門から見えたのは、
今は、見学に開放していない
もとは瓦葺の不動堂、
台風19号ですっかり吹き飛ばされ・・・
もとの茅葺の姿に。





向拝に、初代波の伊八さんの彫り物がありました。



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毘沙門天、大黒さんの耳を引っ張る、鏡忍寺。千葉県鴨川市。

2022-01-15 21:58:33 | 房総の彫り物師

鴨川の漁師の子が、十六歳で出家し、後、
日蓮聖人と呼ばれ日蓮宗を立ち上げる。
敵も多かった。

凶刃に倒れた門下鏡忍坊を弔って、
この地、小松原に鏡忍寺を開いた。


👇前回、楼門から、老夫婦が見ていたのは、
戦争で亡くなった忠死者の墓石でした。
身内の方がいたのでしょうか・・。



👇鬼子母神堂。


👇鏡忍寺・本堂。


👇凶刃に殉死した鏡忍坊の墓標にした
松の木が、明治の台風で倒れ、
その松で、日蓮聖人を尊像にして、
下部には写経を安置して、永らく供養する塔、
御法難堂。







👇祖師堂。








「波の伊八」宮彫師、武志伊八郎信由 さんは
10代で鑿を手にして、
躍動感を絹のような滑らかさで、
透かしの、人物を浮き出させる構成力は、
五代続いた鴨川の名主の子ながら、
彫り物師で生きる、30歳代の
物を見極める、いさぎよさが、伝わります。



👇欄間中央に、
鯛を釣り上げた恵比寿が、
弁財天の弾く琵琶の音にあわせて楽しげに踊り、
福禄寿が唐子の戯れる姿。


👇飲み足りない毘沙門天が、
酔いが回って眠り込んでしまった大黒天の耳を引っ張って、
起こそうとする、茶目。

ここで波を彫ってますが、
まだ30代、波だけで勝負できるものではなく・・。



👇寿老人と布袋お酌のやりとり。


孝行を題材にする二十四孝もいいのですが、
七福神、身近な出来事に楽しんでる題材には、

小松原法難といわれた、
凶刃場面を思い描いてる自分、
陽の差す堂の中、
つい、ほんわか緊張も解けてました。

1月3日の鏡忍寺、そろそろお暇します。

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鏡忍寺・朝日のあたる老夫婦。千葉県鴨川市。

2022-01-14 19:58:00 | 房総の彫り物師

宿なしを覚悟して、コンビニストアーの、
お嬢さんに紹介していただいた、2日の鴨川市、
民宿の、閉めた玄関を開けてもらい、
ひとり占め、
千葉に来たならもう一泊、欲が突っ張った、

宿の女将、来る時刻は自由、出るのも自由、
わしゃ、布団で寝てる・・
私は、たった一言この言葉に、鯉 、恋?をして・・?
1月3日、肌切る寒さ。

波の伊八さん、足跡の追体験に、
👇訪れたのは、鴨川市広場の、
小松原山・鏡忍寺きょうにんじ




鴨川に生まれた、日蓮聖人が、
32歳で日蓮宗の開祖となって、10年後、
母の病を気遣い、見舞いの道中、
まもなく、母に会える近場、小松原で、
イデオロギーの違い抗争で、待ち伏せした
地頭の刃に殉死した、

同行した門下の鏡忍坊・・・、

1281年落成の折、59歳日蓮聖人の命のもと、
弔いを意を残したのが
鏡忍寺



朝陽に木の影を、ケンケンパーっ‼
門をくぐり、手入れ整った景色を撮り、





楼門にカメラを構えた、朝8時の光景
👇寒いのに、急ぐでなし、
楼門の右奥から姿を見せた老夫婦。
主導する旦那をしり目に、丸太の椅子に・・
ここまでかなりの間があったのに、
私の目は夫婦の動きに、時間が止まってた。

私の生涯に、こんな光景は無かった、
今も・・。
これからは、作れるだろうか・・・?
羨望にざわめく、鼓動に朝陽がまぶしい・・。



彼らの背中が、見えなくなるまで、は、
心の自画像を、靴で描いた同じ場所で・・。
時間が動いたのは、
この光景は、自分では作れない、と思った時・・。






👇広い敷地に、一際の存在感は槇の大木。
日蓮聖人が襲撃された時、

彼を救ったのはこの木の上に、
鬼子母神が降臨して、地頭たちを、

睨みつけ蹴散らしたという・・。





👇鐘楼前の白い石碑には、
雉鳴くや背丈にそろふ小松原  正岡子規








👇鐘楼から祖師堂、
ここの欄間に伊八さんの彫刻がある。
住職さんの計らいは、カメラもどうぞ・・でした。

きょうの体調は、クラクラ、から、ク ~程度 ‼
けど、波の伊八さんの欄間は・・
明日のページで ‼


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波は馬の背に乗って伊八。河童・高松又八さんと会う。千葉県いすみ市。

2022-01-11 20:22:54 | 房総の彫り物師


平衡感覚は酔っぱらったような・・、
いい気分の足取りで、
踏み出した足が、おっとっと、後ろに戻って
しまいには、へたっと腰が抜け、ペタン、
小石の突起に、飛び上がる気力も無く・・・。
大変ご心配をおかけしました。

耳石が三半規管でコロコロ遊び歩き、
その都度、酔っぱらいの症状、
いっそ一斗樽平らげる豪気で、意識不明になるなら、
こちらの方が、理由もわかって気も楽。

耳石この不愉快な正体は、
黙ってても2~3週間で、溶けるという、
ながら、頭を動かすたびの、腹の辺りのむかつきに、
耐えられず、薬嫌いの一徹・・

負けた・・・三粒の錠剤の効果に、
どてっと寝つきにぐるぐる回る天井が、
昨日は一回りしないで、ピントが合えようになって、
ポケットの中の薬は掌、ぎゅっと握りしめて、

無くさないようにと
後、2~3日と・・・。

3軒隣の畑から、
いつまでも、若い気でいるんじゃねぇ~
グサッと
風が運んだ言葉はばあさんの声・。
婆さん、きっと、同じ経験してる・・な、ニタ~ 



正月三が日、午後1時から3時まで、
千葉の彫刻家の欄間の作品を披露したのは、
いすみ市行元寺
ぎょうがんじ

日光東照宮の彫刻を施したのは、
島村八郎右衛門俊元さん、
その弟子になって腕を磨いたのは、
群馬県沼田市で生まれ、
江戸神田九軒町に住んだのち、
真田家の家臣を捨て、
わたらせ渓谷の花輪村に移った、
高松又八さん、武士の頃の名は、蜷川
けんかわ佐平太。
又八さんの肩書は、公儀彫物師、
日光東照宮の修復を手掛け、やがて、
11人の彫り物師を育て、花輪彫刻集団の礎を。
徳川家綱の霊廟・巌有院霊廟では、
徳川綱吉の霊廟・常憲院霊廟では
彼の彫刻がふんだんに施されたものの、
憎っくき、二次大戦で焼失、
又八さんの彫刻の現物を見れるのは、
桐生の大雄院の須弥壇と
多分ここ、行元寺の欄間と、向拝の木鼻だけ。




11人の彫刻集団を育て

2代目高松又八郎頼直
3代目高松又八頼品は、
代々江戸幕府お抱えの、御用彫り物師で、
彫り物師最高位を占める、技術を残し、
今日も、群馬県みどり市の祥禅寺で、
1716年から、
写真、左の小さなお墓の中で眠ってます。

2018年8月1日、河童の墓参り。






波の伊八こと武志伊八郎信由さん、
高松又八さんの二人の彫刻を、
見ることができたのに不思議、なぜ高松さん?

18世、亮運僧は、天台教学に通じ博学多才、
弁舌にすぐれていて、家康公、家光公の講師であったと、
知ったのはごくごく最近、高松さんの、
彫刻を見れたことに納得、なつとく♬

波の伊八さんの彫刻は、👇客殿の中に、




























👇みどり市祥禅寺で・・。

こんなポスターを見ました。
秩父、坂東札所満願の後です。
行ってみようかと・・。




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美法丸から行元寺へ・・ 千葉県勝浦市・いすみ市

2022-01-07 22:15:40 | 房総の彫り物師

勝浦市豊浦港、
釣り人たちをもてなす、美法丸の船長を頭に、
子供たちと、船長の親御さんの日々の記事は、
なぜか、ほんわり  ‼


思い出す言葉をできるだけ浮かべながら、
停泊している生活を支える美法丸を見て、
豊浦港のふ頭👆まで・・・。

閉店した朝市で食いそびれた、まぐろづけ丼の、
代わりは持参したビニール袋の ♪ むすび ♬ 
取っ手をひょいと肩に、対岸では、
テーブルにビール缶を並べ、
埠頭で釣りする若者たちや家族、
幼い子供たちの走しっては
しゃがんでは、飛び跳ねては、
海の向こうまで届きそうな嬉し声。
防寒着を車に置いたままの、
念願叶った正月2日。










のほほん時間に満喫した後は、
いすみ市まで40分ばかり、

群馬県花輪町に住んでた、
関口文次郎の師匠、石原吟八郎の師、
公儀彫物師、高松又八さんの残っている
唯一の彫刻があるという、
葛飾北斎に影響を与えたという、
波の伊八の、波に宝珠の3が日、特別公開に
行元寺へ



葛飾北斎が描がいた唯一の彫刻画 " 唐獅子図 "
異名、波の伊八を北斎が訪れてた、
証になるのでしょうか・・。
弟子久八が、唐獅子の荒堀に木槌を打ち、
手前で、鑿?を股に挟んで細部を彫る・・。
・・・どんな鑿だろうか・・‼
👇個人蔵

疲れやストレスがあると、
三半規管に耳石が入って、立ち眩み、
横になると天井が廻る・・と、
医師は休め、休め・・水を飲め飲め、
最終は薬で平衡感覚を正常に・・これを飲むと、
1日~3日くらいでふらつきが無くなります。
で、記事の続きは後にして、
水をゲップが出るまで飲んで、今日は寝ます ‼

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名画の原点、ここに。東頭山 行元寺。千葉県いすみ市。

2022-01-03 21:21:46 | 房総の彫り物師


おまいさん、明日から仕事はじめなんよ・・
のに、また今夜もかい?・・


あたぼうよ、波の伊八は寺にしか彫らねぇ~
今夜も今年も、寺、てら、Tera・・
まあ、その、なんだね、で、成りゆ・・き・・
ウン、成り行きが、なっ! なっ ! ウン  

何時になったら、わっちの相手してくれるん?

正月1日、2日、3日、
波の伊八の異名をとった、武志伊八郎信由さん、
千葉県いすみ市の行元寺で、
欄間の彫り物を公開。
葛飾北斎さんが、この彫り物をもとに
オマージュして、
彫らせた版木の、仕上がりが 👇


伊八さんの彫った波は、
欄間で、大きさは、1800×600ほどが、2枚、
くすの木に、滑らかに、それはそれはでした。
👇現物の部分で、写真は不可・・不可~。


宿探しに一苦労し、
伊八さんの作品がある寺巡りは、
伊八さんの生まれた、鴨川市辺りをうろうろ、
先ほど渋滞を避けて帰宅したばかり、
今日はこの辺りで・・

しかしまぁ~、正月くらい、

酒かっ食らって寝てりぁ~、いいのに、
なんて奇特な河童なんでしょう~ね  ‼

引いたみくじは、いい事ばっかし・・、
欄間くらい、いつでも見てもらえば、いいのに・・

ケチ! 心は広く、世の中のために・・・。


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