現役が最終に近い選手にとっては、通算打率3割維持に弊害となるのが、積み重ねでの通算記録が区切りに迫っている場合です。例えば2000本安打を狙いながらも、衰えが目立ち始め3割を割る可能性のある晩年の打者は、どちらを選択するのか興味のあるものです。実際には殆どその時の状況は知らないのですが、数字上昭和33,34年の大下弘はこのケースに近いものかと思います。33年、打率は前年の3割を大きく切り、規定打席にも遥かに達せず、1本塁打しか打てなかった大下弘は、その時点で通算打率0.303、198本塁打でした。その33年並みの数字であるなら、二兎追うもの一兎も得ずの可能性は十分ありました。しかし翌34年流石に天才打者と言われた大下弘なのでしょうか、規定打席には矢張り大きく達しないものの、打率も0.303を記録し、3本塁打を放ち通算打率も3割を維持すると共に、当時としては稀な200本塁打も達成しました。彼はその34年に引退しましたが、3割、200本塁打に固執していたのかどうか興味深いものです。通算打率3割とは関係ないものの、比較的最近の選手では2000本安打達成イコール引退への花道という傾向は強い様に思えます。