トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

環境植生と言ったところで…

2023-05-31 | 水辺環境の保全
 水稲は古来、稲作として日本の重要な穀物生産種だったが農水省が「減反だ・減産だ!」等々猫の目農政でどう評価しようが真価は変らないだろう。それと共に水域栽培種である事から使い方によっては穀物栽培だけでない温暖化や水資源にかかわる環境評価が潜在する。それはともかく姥捨て山で水稲を植えるのは稲作等の農事でもなんでもなく「環境植生」としてなのだ。稲作の長い歴史に育まれた国土や風土とは切っても切る事の出来ない間柄にもなっている「水域と水稲」の環境で生きながらえてきた生物はあまたある。

 それだからこそフイールドの水域に水稲を植えつけてきたのだけれど一般的には「棚田の稲作」と受け止められている。説明も煩わしいのでそのままにしているがさすがに昨今、顔見知りの入域者からは「田植えですか」とか「お米は美味しいでしょう」とか言われることが無くなった。稔りまでおくと威之志士様の跋扈蹂躙に遭い後始末が余分な手間なのでお盆の頃には刈り取ってしまう、いわゆる「青刈り」である。端的に言えば「正月飾り用」でしかない。その短い期間を環境植生として棚田に生い茂らせているのであった。

 昨年は会の希望で稲作として提供してみたのだがこれがとんでもない結果をもたらしてしまった。「田植え」と「稲刈り」がイベントとして計上された結果、その都度、周囲をも含め坊主刈りと踏圧被害で何年も手を掛けて来た植生が一掃されたのである。更に「土用干し」とかで堰まで破壊された結果泥土の流出まで発生して泥の層が半減した。水生生物も流亡してしまったはずである。この様に「甚大な被害」をもたらされたので今期から再スタートせざるを得ないのが棚田部の環境保全である。
 初めに述べたように「環境植生」なんて自覚も意識も無い多勢が集まればそういう結果であることは自明の理でもある判りきった事だったが「現実水準を露わに」しておかないと断り口上としても説得力が薄れる。稲作としては一期だけだったものの蓄積してきた植生は破壊されたし、何よりもギンヤンマの空域・水域として環境設定して来た棚田部の条件は消えたので昨季のギンヤンマの記録は出来ず当然産卵個体も目撃する事も出来なかったのだ。こういう実態を把握できる範囲は世間広しと言えど片手指に満たない。それが生物多様性保全や環境保全等々の認知度である。

 明確に断言すれば環境や生物の大きな損失をもたらした「イベント稲作」を排除した事で少なくとも「ギンヤンマの飛翔空間・水域」は保たれる。植生環境は再スタートである。
 この日、青刈り用の早苗を2ケース植えた。水深があるから早苗が没する場所もあるものの「育っても育たなくても」の植生でもある訳で「稲作」とは異なる理がそこにある。大繁殖して水域を占有してしまうチゴザサなどの野草は抜き取ったが水域内の他のイネ科の草本や水際のミソハギなどは残してある。昆虫の発生期間には水域内でも必要な植生なのである。
 夏本番の頃、刈り取られた後に残る切株はこれもまた大切な水域の三次元構造物となり水生生物の寄る辺となるのだ。泥田に入れば水面と距離が近くなる。一見、ゴミの様に見える浮遊物はユスリカなどの抜け殻だ。「生物生産緑地」への打撃は甚大だったけれど食物連鎖の土台を支える縁の下の力持ちは健全なようでホッとする。