とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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昔の名前で出ています

2006年12月21日 21時43分05秒 | 音楽・演劇・演芸
ヒット曲にも恵まれず、時には犯罪者として告訴され、周囲の声は「気持ち悪い」。

告訴されたり、気持ち悪いと言われたりするまでには到らないかも知れないが、こういう歌手が数多く出演しているテレビの歌番組が大晦日に放送されている紅白歌合戦。
年に一度、この番組ぐらいでしか見かけない歌手がぞろぞろ出てくるのが特徴だが、情けないことに若手シンガー(アーティストとも言うらしい)にメガヒットがまったくなく、テレビを見ながら老若男女が口ずさめる歌がないというのも実情だ。

このマンネリの神様「紅白歌合戦」はさておいて、アメリカにも何か勘違いしている「アーティスト」がいるようだ。

その人の名前を「マイケル・ジャクソン」という。

このマイケル・ジャクソン氏。
昔は黒人であったらしいが、今では故鈴木その子もビックリな真っ白な肌をしている。
白は美しさの象徴らしい。
でも美しいはずのこの顔をテレビはめったにアップで映さない。
写すとウルトラセブンに登場していた宇宙人「ダダ」と間違えるかも知れないからだ。

このマイケル。
故国アメリカでは狂人扱いで財産も差し押さえられ、興業するところもないものだから。まだまだ知名度の使えそうな日本で稼ごうと画策していた。
その企画「マイケルを囲む会(だったか)」は、なんと入場料40万円。
マイケルと一緒に「集団写真が撮影できる」という趣向が含まれているらしいが、買うヤツはいるのか。

そんな心配をよそに、開催寸前に企画が延期されることになったとラジオ番組が報じていた。

「マイケルが意図していた企画が間に合わなくなったから」

というのが表向きの理由。
でも、客が集まらなかったから、というのが真相らしい。

マイケル・ジャクソン。
昔の名前で出ています。

私にとってはマイケルがマイナーになっていくと、やがて桂小枝の「マイケル・ピョン」も見られなくなるのではと思えて残念でならない。

ザ・ホテル

2006年12月20日 22時46分11秒 | 書評
人生40年ほど生きてきたが、未だに5つ星のホテルには宿泊をしたことがない。
せいぜい4つ星が止まりである。

かといって1つ星のホテルになんぞ泊まったことはまったくないし、だいたい1つ星のホテルがあるのかどうか知らないが、バンコク・カオサンのドミトリーにも泊まったことはない(キッパリ)。

この「なんとか星」というホテルのグレードはいったい誰がどのようにランク付けしているのか正直、私は知らない。
きっと宿泊料金の高低で決めているのだろうと思っていたのだが、それだけでもないようだ。
第一、宿泊料金の高いホテルと安いホテルはどのように異なるのか。
そのへんもはっきりとしていなかった。

この春にミャンマーを訪れた時、私はヤンゴンで1泊10ドルの安ホテルに泊まることになった。
これは旅費をケチッタための措置であったが、ホテルそのものは悪くなかった。
ホテルのスタッフは気が利くし、清潔だし、街の繁華街の近くに位置しているし、戸締まりもしっかりとしていたのだ。
ところが、この10ドルのホテルに宿泊し、私は猛烈に疲れたのだった。
まず、エアコンが家庭用ルームクーラーなのは結構だが、ミャンマー名物の停電の度に停止するのには参った。
そのつどリセットボタンを押して再起動をかけなければ成らないのだ。
これでは漢字トーク時代のマッキントッシュ・コンピューターである。
それにベッドが狭い。
シングル用(シングル・ルームだから当たり前だが)の病院で使用しているようなパイプベッド。
おまけに繁華街に位置するため夜遅くまでガヤガヤ喧しいし、朝も早くから喧しい。

すっかり参ってしまったのだ。

この時のホテルでの宿泊が私に「バックパッカー卒業」を意識させた原因の1つにもなった。

で、これに懲りた私はビザを取得した日本ミャンマー友好協会のおじさんの「もう、バックパッカーなんて歳じゃないでしょ」との忠告も聞き入れ、先月のミャンマー旅行ではオール4つ星ホテルに予約を入れたのであった。
とりわけヤンゴンのホテルは快適で、日本にいる以上にリラックスした時間を過ごすことができた。

もちろん自家発があるので停電しない。
エアコンは埋め込み式。
ドアのキーはカード式の電子錠。
ベッドはセミダブル。
ボーイは礼儀正しく気さくであった。

つまり、ホテルのグレード付けというものは、いかに自宅にいるのと同じように、またそれ以上に過ごすことが出来るかどうか、ということに大きく左右されているのだ、と気づいたのだ。

ジェフリー・ロビンソン著の「ザ・ホテル ~扉の向こうに隠された世界~」はロンドンにあるクラリッジホテルに著者が半年も泊まり込んで取材したホテルの裏側ドキュメンタリーだ。
クラリッジホテルは世界でも最高級のホテルで1泊日本円で最低5万円。
ここに2泊するだけで私の一週間のタイ旅行の全額予算と同じになってしまうくらい凄いのだ。
ともかく宿泊料が凄いだけに、その豪華さも半端じゃない。
半端ではないがホテルの豪華さとはいったい何ぞい、と考えると、これも実はよく分らなかった。

本書では高級ホテルで展開されるホテルマンたちと客たちの様々な人間模様は映画を越えた面白さがあった。
しかしその面白さよりも、シンプルな一言が、私を大きく感動させてくれたのであった。

「よいホテルとは、ゆっくりと安心して眠れる場所のことだ」

この一見単純で簡単なように思えることが、なかなか実現できないのが普通だろう。
ホテルの一番重要な機能は「よく眠れる」ことなのだ。

マニュアルだけでは商売のできないホテル。
そのホテルの運営を、いったい誰が、どうやってこなしているのか。
ビジネスの神髄をのぞき見するような、そんなタメになる一冊だった。

~「ザ・ホテル ~扉の向こうに隠された世界~」ジェフリー・ロビンソン著 春日倫子訳 文春文庫~

巨大ショッピングセンターの盲点

2006年12月19日 21時13分23秒 | 経済
ここ数年というもの北米型のショッピングセンターの林立が著しい。
ダイエーを代表とする従来の総合スーパーの衰退に逆らうように広大な駐車場を擁した巨大ショッピングセンターが全国各地に店開きをして、その都度話題を提供している。

これらの巨大商業施設の特徴は前述したように、鉄道の駅前に展開する、いわゆるターミナル型のショッピングゾーンではなく、自動車で買い物客が出向く郊外型というところにある。

したがってこの種の超大型ショッピングセンターは東京や大阪といった地価の高い都心部には絶対なく、これら大都市の郊外に展開しているのが普通なのだ。

今や一家に1台以上の自動車は珍しくなく、主婦は買い物カゴを下げて近所の市場に出かけるというスタイルはもはや存在しない。
主婦や主夫は自家用車を運転して、駐車場が広くて停めやすい、できるだけ大きなショッピングセンターへ出向くのだ。

この買い物空間の条件は、スーパーマーケットがあるだけでは満足できない。
DIYショップに、家電量販店、大型書店、カジュアル衣料の大型店、アウトレット専門店、レストラン街、それにシネコンが一体になっているという贅沢さが必要だ。
つまり、ここを訪れるだけで、買い物も、食事も、エンタテーメントも楽しめるという場所でなければならないのだ。
だから、最近はこれをショッピングセンターとは呼ばず、ショッピングコンプレックスと呼ぶのである。

ところで、こういう巨大コンプレックスを建設するには、それ相応の土地が必要になる。
畢竟、こういう類いの商業施設は郊外、それもすこしばかり田舎の土地に建てられることになる。

実はここに深刻かつ大きな問題が存在する。

田舎町は防災体制が都市部に比べて脆弱なのが一般的だ。
したがって、消防施設も「消防組合」といった小さな組織であったり、二三十人しか職員がいない消防署であったりする。
だから所有している消防車や救急車の台数も限られて、個人宅の火事ぐらいなら対応は大丈夫だが、数万人。時には数十万人が一度に集まるショッピング・コンプレックスには対応していないのが、普通なのだ。

「日本最大のショッピング・モール。堂々誕生!」

なんて気軽にCMなんぞを流したりしているが、実際のところ、万一の時は命の保障もまったくないのが実情だ。

これぞ、郊外型ショッピングセンターの盲点。
ショッピングを楽しむには、まずは避難経路を確認しておくことが大切だ。

ミャンマー大冒険(115)

2006年12月18日 21時24分12秒 | 旅(海外・国内)
「朝日を見に行きましょう」

昨夜、熱気球イベントが催されたパゴダの夕日見学から戻る途中、自動車の中でTさんが言った。
間違う人はいないと思うが「朝日を見に行きましょう」と言っても、私の大嫌いな似非文化人向けイエローペーパー「朝日新聞」を読みに行きましょうという意味ではない。

そんな三流紙はミャンマーでは入手できない。
だいたい反体制民主活動家スーチーさんを応援している朝日新聞をミャンマーで読むことなど出来ないであろう。
どうしても日本の新聞が読みたいという稀代な人は、ヤンゴン市内で読売新聞衛星版を購入することができる。
そのことは1年ぐらい前にここに書いた。
しかし雑誌1冊分ぐらいもの値段のする読売新聞など読む価値に値しないのは明らか。
記事の内容も日本のものと代わり映えせず、面白みもなんにもない。
ナベツネ新聞なぞ面白いはずがない。

さて、いきなり話が寄り道をしてしまったが、つまりここバガンでは夕日を見る旅行者は多いが、朝日を見に行く旅行者は少ない。
だからTさんは、そのレアな朝日を見に行こうと言ってくれているのだった。

もちろん私はTさんのオファーを快諾した。
というのも、これから拝むことになる旭日が今回のミャンマー旅行で迎える最後の日の出になるからであった。
今日、私は午前の便でバガン近郊にあるニャンウー空港から飛行機でヤンゴンへ戻り、夕方、タイ国際航空のバンコクへ行きに乗りミャンマーを出国する。

私はTさんと午前5時にフロントで会おうと約束して自室に戻った。
部屋へ戻ってからシャワーを浴び、1日の疲れを洗い流し、ベッドに戻ってきて写してきた写真をiBookにダウンロードした。
iBookの画面に映し出される今回の旅の数々のシーンを眺めているうちに、言い知れぬ感動と、明日、ミャンマーを去らなければならないという寂しさが私の心を包み込んできたのであった。

ダゴンマン列車からの景色。
タウンジー駅の物売りの少年。
タッコン駅の近所の子供たち。
石山さんにデイビット夫妻。
マンダレーのフクロウとキツツキ。
きらきら輝くエヤワディ川の流れ。

そんなこんなで、午前5時という早朝に果たして起きられるのか?
と思っていた心配も、まったく不要なものになった。
なぜなら、旅で疲れているにも関わらず頭がギンギンに冴えていて、午前4時過ぎにはすでに目が覚めていたのであった。

Tさん、寝坊してるかな?

と思ってフロントへ歩いていくと、玄関には2台の自転車が用意されていて、Tさんはホテルの女主人とニコニコと話をしていた。
なんと彼女はいつものロンジー姿ではなくラフなジーンズ姿なのであった。
さすがにロンジーでは自転車に乗ることはできまい。

「おはようございます」
と私。
「おはようございます」
とTさん。
そして、
「グッドモーニング!」
と女主人。

朝が早いので車は来ていない。
いや、来ていないというよりも呼んでいなかったのだ。

「自転車で行きましょうか?」

という、これまたTさんのオファーに私も即座に同意。
ホテルのレンタサイクルで朝日を拝むことのできるダーマヤジカ・パゴダまで早朝サイクリングするという趣向だったのだ。

つづく

ジェット機はなぜか、安心だ

2006年12月17日 22時09分36秒 | エトセトラ
昨日の東京日帰り出張では久しぶりにANAを利用した。

「こちら操縦席です」

日本の航空会社。
差別だよ、なんて非難されることをあえて覚悟すれば、日本人が操縦しているというのは、安心だ。

タイ航空やシンガポール航空を利用しているとパイロットは英語と自国語のアナウンスだし、スカイマークエアラインズなんかは国内線でもパイロットはお雇い外国人。
そういう意味で、ANAやJALは落ち着ける。

ところで、日本のエアラインは一部の短距離路線を除いてほとんどがジェット機。
それも政治的な要因か、アメリカのボーイング社のものが多い。

私が最近ちょくちょく行っているミャンマーの国内線はプロペラ機がまだまだ主流。
地方の滑走路が短かったり、飛行機を利用できるほどの高額所得利用者がそんなに多くないことが原因じゃないかと思われる。

この11月。
ミャンマーの国内線で初めてジェット機に搭乗した。
もともとプロペラ機のボンバルディアに乗る予定だったのが、搭乗する日の明け方の濃霧のためにダイヤがめちゃくちゃ乱れていて、機種が変更になった結果、ジェット機に乗ることになったのだ。

「わー、ジェット機だ」

と、おんぼろプロペラ機に一抹の不安を抱えてきた私はジェット機が来ると聞いて喜んだ。
ジェット機ならば中型機だし安心だ。
と、思い込んだのだ。

で、やって来たのはフォッカー100という機種のジェット機。
DC-9のように機体後部に3つのエンジンが搭載されているタイプの飛行機だ。

ミャンマーの民間航空「エアーバガン」が運行するこの飛行機は美しく、機体も大きく、安心感が漂う。

乗ってみるとやはりジェットで離陸も快調。
飛行中もあまり揺れない(プロペラ機に比べて)。
室内が広い。
力強さを感じる。
などのメリットがあった。

それにしてもフォッカーというのも珍しい。
第1次世界大戦で活躍した戦闘機のメーカーでそんな名前があったな、と考えていた。
ボーイングやエアバスの飛行機ばかり乗っているので、他社の飛行機はワクワクする。

帰国してから「フォッカー」という会社を調べてみたら、なんと10年前以上に倒産していた。

ミャンマーのジェット機。
メンテの部品はどうしているのか。
ジェット機は必ずしも安全ではないといことか?

ノロウィリス

2006年12月16日 23時39分21秒 | 社会
「すいません。腹具合が悪くて、今日は休ませて下さい」
と会社の連中が情けない声で電話をかけてくるのが「ノロウィリス」。

「どうも~、どっきりでした」
とどっきりカメラのプラカードを持って赤いヘルメットを被って出てくるのが野呂圭介。

いまや全国に数十万人の患者がいるといわれているノロウィリス。
このウィリスの名称を聞くたびに、どういうわけか私は往年の人気テレビバラエティ「どっきりカメラ」を思い出してしまうのだ。

「ううううううう~、お腹痛い~」
とトイレで気張っているところに、野呂圭介が「どっきりでした」と、トイレの空気取り窓から顔を出して笑っていたりなんかすると、面白いが、そんなシチュエーションはあり得ない。

と、今日のとりがらブログは軽いショートネタでした。

六本木駅前ビル

2006年12月15日 21時30分22秒 | 社会
バース、掛布、岡田という主砲三人を擁した阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝を果たしたその年。
大阪市内のあるマンションに日本刀を持った男二人が押し入って、中にいた会社経営者を刺殺した事件があった。
殺された男の名前は永野一男。
この殺人事件が特異だったのは、二人の男が押し入るところも、二人が血だらけの日本刀を持ってでてきたところも数多くの報道陣が目撃していたことだった。
いや、目撃ではない。
その瞬間は取材中で、ほとんどのテレビカメラがこの一部始終を収録し、
「これから生々しい映像をお見せします」
とわざわざ断って、ニュース番組で流したテレビ局もあったくらいだ。

「豊田事件」

この一見、自動車産業の王様トヨタ自動車の関連会社と思わせるような「豊田商事」という名の会社は、「ファミリーなんとか証券」という架空の金取引の証券を数多くの人々に販売し、多額の金を搾取していた。
被害者の多くはちょっと惚けかけた老人や、退職金を注ぎ込んだ定年世代の人々だった。
この豊田商事を経営していたのが永野一男。
永野を殺した二人は正義のためと嘯いたが、世間に及ぼした影響は小さくなく、重い刑罰が科せられた。

ところで、この豊田商事の入居していたビルが「大阪駅前ビル」。
名前の通り、JR大阪駅前南側に立地するオフィスビルだ。

大阪駅前ビルは戦後闇市の置かれていた場所を再開発して立てられたビル群で、もとが闇市だっただけに用地買収に難航するわ、梅田(大阪駅前)はもともと湿地帯であったため、基礎工事をしていると大量出水事故は発生するわで、メチャクチャだった。
おまけに大阪駅前は当時は駅の北側に広がる阪急村(阪急百貨店や阪急ファイブなどなど)が中心で、北新地という飲み屋街に近い駅前ビルは、都会の中の僻地だった。

そんな場所のオフィスビルなので、中に入居していた会社はロクデモナイ会社が少なくなかった。(もちろん立派な会社もあります。)

「豊田商事」もその1社。

ほかに粗悪な英語教材を高値で売りつける通販会社や、ビックリするような授業料を取る英会話クラブ、胡散臭い先物取引の会社、得体のしれない外資系企業、などなど。
つまり魑魅魍魎が巣くう「鬼ケ島」の感があった。

そういう大阪駅前ビルにそっくり(形は似てない)なビルが今の東京にある。
六本木ヒルズ。
ここには注目されたがその実態は反社会的だ、胡散臭い、という企業が目白押し。

いっそ「六本木駅前ビル」に名前を変えたらしっくりするかもわからない。

松坂がレッドソックスなら、北京でクリスマスでも良い

2006年12月14日 21時29分26秒 | スポーツ
アホです。
ヒル国務次官補。

我々タイガースファンにもアホが多いのだが、そのタイガースファンの気質と酷似した米国の人気野球チーム「ボストン・レッドソックス」にも多くのアホ・ファン(ポジティブな意味ですよ)が存在することが証明された。

今日のとりがらコラムの表題は定例記者会見でヒルズ次官補が記者たちに発した言葉の一部。

彼は北朝鮮にからむ重要な記者会見でおもむろに、
「松坂はどうした? 契約したのか?」
と話だし、
「非常に重要な話なんだ。」
と続ければ、居合わせた記者たちは、
「.................」
それでも次官補はまったく雰囲気に構わず、
「彼がレッドソックスに来るのであれば最高のクリスマスプレゼントだ」
とまで宣言した。

それにしても野球は日米外交の最高の潤滑油だ。
このまま松坂がメジャーで活躍を続ければ、政権与党が民主党に代わっても、日本が攻撃の的にされる恐れはなんじゃないかと思ってしまう。

かつて日本が輸出した単品商品の中でも最も高価な「商品」と言える、プロスポーツプレーヤー。
複数年契約で60億円はやはり凄いというしかない。

しかし、松坂。
私も言いたい。
「松坂がレッドソックスなら、井川がヤンキーズでもよい」

「ボストンよりもニューヨークの方が賢かった」と言われれば、それはそれで面白いのだが。

もう、何も言うまい大阪府

2006年12月13日 21時27分15秒 | 政治
「赤信号、皆で渡れば怖くない」
四半世紀前に一世を風靡したツービートの漫才ネタ。
ビートたけしがしたり顔で宣えば、
「やめなさいって」
とビートきよしがツッコミを入れたもの。
(ところでビートきよしさんはどこへ消えた?)

この漫才ネタを地で行く公務員が大阪府職員。
「横領も、みんなでやれば怖くない」
というわけだ。

ところが大阪府職員の場合、検察や大阪府民をはじめとする一般の日本国民が、
「やめなさい」
と言っても止めなかった。

ふつう、犬でも厳しい裁きを食らうと二度と同じような悪さはしない(例外もある)。
裁きを食らってさらに悪いことをしようとするのは北朝鮮くらいか。

つまり、数年前に裏金作りを咎められ、返金させられ処分もされた、大阪府職員の連中はそれに懲りずにまだ裏金作りと備蓄に精を出していたのだ。
クビでは済まされない背反行為というしかない。

腹は立つし、呆れるし、自分たちの自治体が北朝鮮程度の脳みそしか持ちえない人の集団であることは悲しいばかり。

もう、何も言うまい大阪府。

なんて皮肉な有機農法とエシカルフード

2006年12月12日 21時09分00秒 | 社会
「漬物に明太子に生姜は食わん方がええ、て言いますよ」
と部下のH君。
なんでもこれらは食品添加物が大量に含まれている代表的な食品だそうで、食うことイコール腐食防止処理、ということなので健康によろしくないこと間違いない。

中学時代からの親友Wは、大阪の放出(←読めるかな。この地名)にあるO製薬の研究員だが、ここは食品添加物のメーカーで、現代的価値観から述べると反社会的食材の提供者。つまり食のテロリストと言うわけだ。
ある日Wがやって来て「この薬、うちで作ってんねんけど、これを刺し身にかけたら、なんと常温で一週間も保存できるんや」と宣った。

世も末とは、ホントはこういうのを言うのだろう。

ところで、今日も新聞からの引用になるけれども、有機野菜が叫ばれ出して久しいが、最近英国では有機農法も飛び越えてエシカルフードというのが広まりつつあるのだという。
(フジサンケイ・ビジネスi 第一面のコラム(東谷暁著))
有機農法では十分ではない。
その作物が作られる場所は消費される場所の近くで、輸送などの環境にも配慮したものでなければならないのだ、という考え方らしい。

コラムは有機農法ばかりに頼ると単位面積あたりの収穫高が減少し、食料難に陥るとも記していた。

なるほど。
有機農法を超越し、農産品を運ぶ手段や消費する地域までも限定してしまおうというエシカルフード。
何を今更、と言わんところだ。

江戸時代の日本はまさにエシカルフードの国だった。
米などを除く江戸で消費される農産品の多くは、江戸の周辺で収穫されたものだった。
その収穫物を食した江戸市民100万人(当時世界最大の街、今も世界最大)の出す排泄物は周辺の農民が金を出してまで購入した貴重な肥料となった。
長屋ごとに肥汲み権という権利まであったくらいなのだ。
これは100万都市江戸だけではなく大阪も、京都も名古屋も博多も同じだった。

この見事なリサイクルシステムを崩壊に追いやったのは、何を隠そう英国などのヨーロッパ。

帝国主義の武力で圧力を掛けてきた結果、「工業化」だとか「文明開化」だとか「富国強兵」だとか言ってるうちに、現在の状況に陥ってしまったというわけだ。

結局、はじめの方法が一番良かったということだ。