とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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実践ビジネス英会話、その顛末

2006年12月06日 21時24分11秒 | エトセトラ
先週の東京出張中、同じく出張で上京していたうちの会社の他の社員と共に、欧州のある国の大使館主催のパーティに招待された。
「面倒くさいですね」
と私は言ったが、
「その国の名物料理がでるそうだよ」
とか、
「綺麗な白人のオネエサンたちも、わんさとやって来ているんですと」
の言葉に騙され
「せっかくだから」
とお邪魔した。

こういうパーティの席で要求されるのはやはり英語力と話題力。
いかにオモロイ話題をかき集め、それを英語で表現し伝えられるかというところが勝負どころなのだ、と思う。
もちろん下ネタはご法度だ。

実のところ、私は過去十数年間、英会話スクール通いをしており、今では海外旅行で使う会話程度の会話では、まったく不自由しないくらいまでに上達している。
つまり飲み屋のネエチャンとの会話や、露天商との価格のやり取りでは困らないレベルぐらいには達しているのだ。
しかし、私が訪れる国はご存知の通りタイ、ベトナム、ミャンマーなどといった英語を母国語としない所ばかりなので、実際のところ、上記以外のところではホテルや空港、簡単なオプションツアーに参加した時ぐらいしか英語を使う機会はなかったのだ。

例外は公用語が英語のシンガポール。
しかしシンガポールの英語はシングリッシュと言われるように英語とはまったく別物と言っていいような代物で、とりわけタクシーの運転手などが話している英語は聞き取れないばかりか、中国語であったりするのだ。

思い起こせば、シンガポールへの二度目の旅に出かけたのは「駅前留学」で有名なスクールで主にテキサス出身のジョージ(ブッシュではない)から英会話を習っていたところであった。
私の英会話の基礎はオーストラリア人の悪友から受取ったものであるため、当時、私の英語力はとんでもない状態に陥っていたのであった。

テキサス訛りのの米語。
オーストラリア訛りの豪語。
そしてシングリッシュ。
しかも駅前留学のスクールにはテキサス出身の講師の他にスコットランド人、イスラエル人がいたため、もうメチャクチャなのであった。

シンガポールがこうだからタイやベトナム、ミャンマーなどは語るまでもない。

渡航回数の一番多いタイでは、あまりに英語が役に立たないため、ついに片言のタイ語を覚える決意に到った。
というのも、タイはアジアで唯一、日本と同じで植民地になった歴史を持っていないこともあり一般タイ人は外国語が大の苦手なのであった。
ホテルや空港などでは英語は通じるが、デパートやコンビニ、市場、バス、電車などではまったくと言っていいほど通じない。
もしも英語で話しかけたりすると、相手の取るリアクションは日本人とほとんど同じで「笑ってごまかす」「逃げる」などの行動に出る。
むしろ日本語で話しかけた方がましなくらいなのだ。

ベトナムは一度しか訪れたことがないが、ここはベトナム戦争(ベトナムでは「アメリカ戦争」と呼ぶ)の影響で英語を話す人は少なくないが、年配の人などは英語よりもフランス語なので困ったもんだ。
そう、ベトナムはフランスの植民地なのであった。

ミャンマーはみなさんご存知のように日本語ガイド、というよりも友人のTさんという強い味方がいるので言葉に不自由しない。
でも英語ではなく日本語で話すので、実際にミャンマーで英語を使うのは空港とホテル、たまに船などで乗り合わせた他の欧米人旅行者と話をするときぐらいなのだ。

ということで、非常に怪しい私の英語力が、突如としてイレギュラーな大使館主催パーティという公式な席で試されることになった。

果たして私の英語はビジネスの実用に供するのか。
比較的高いTOEICポイントは、本当に点数の示す通り「現地駐在員レベル」なのか。
私はドキドキしていたのだ。

ふと見ると、ビュッフェになっているポーチでは、うちの会社の社員と出入りの業者がグループを作り話し込んでいるのであった。
アホか、こいつら。
日本人同士、しかも内輪で集まって話をしている場合か。
私はその状況を情けなく、かつ途方に暮れて見つめていたのだった。

会場は各国大使館のひしめく港区内、六本木に近い某レストラン。
仕事上のパーティなので会場にはライバル社のエクゼクティブも来場しており、ヨーロッパのバイヤーやメーカーとワイングラス片手に談笑をしている。
このような状態では、競合他社に勝てるはずはない。

ワイングラスを片手に呆然としていると、うちの会社の者で一人だけ外国人のメーカーを相手に気炎を吐いているオッサンMに私は気がついた。
おお!頼もしい。
と思って近づくと、オッサンMは、知っている限りの英単語を繋ぎ合わせ顔を真っ赤にして外人と話しているのであった。
はっきり言って、オッサンMの英語に文法は無い。
過去形も現在形もない。
しかし、「フンフン」と外人メーカーが相づちを打っているところを見ると通じているのだろう。
情熱が彼をしてインターナショナルにしているのだな、と私はいたく感動したのだった。

でも、よくよく見るとオッサンが顔を真っ赤にしている理由は、必死に語りかけようとして努力していることが原因ではなく、ワインにビール、シャンパンなど短時間でちゃんぽんした結果、グルグルと酔っぱらってしまい、真っ赤になっているのであった。

つまり、外人のメーカーさんは酔っ払いに絡まれて困っている、というのが真相のようだ。
ここは東京都港区の六本木ではなく大阪市西成区の新世界か、ちゅうねん。

とは言うものの、このオッサンMこそうちの会社でナンバー1。
たった一人で年間数億を売り上げるすご腕の営業マンなのだ。
私はこの真っ赤な顔をした酔っ払いに、その営業力の源を見たような気がしたのだった。

「どうしたんですか?」
と私が英語で話しかけると、オッサンの相手をしていた外国人のメーカーさんは実に嬉しそうな顔をしたのだった。
どうしてか分らないが、メーカーさんはオッサンMから瞬時に私に話す相手を切り替えて、
「今日のパーティは楽しいですね」
とか、
「日本の市場はどうですか」
とか
「もっと私たちの商品を買って下さい」
などと、話し出したのだった。

ともかく私は観光旅行でしか使ったことのない英語を駆使し、メーカーさんと話していたが、不思議と通じているのか、話しはますます友好的かつ仕事に有効的となり、楽しいひとときを作り出していったのであった。

しかし、果たして私の英語がちゃんと通じていたのかどうかは定かではない。
というのも、私が名刺を交換し、談笑した外国人メーカーやバイヤーの方々はポーランド人、ドイツ人、デンマーク人などといった英語が母国語ではない人々ばかりであったからだ。
なんとなくこれでは、タイ人やベトナム人、ミャンマー人相手の英会話と代わらないかも知れない、とも思えたのであった。