ビデオで録画しておいた「やしきたかじんプロデュース雀々十八番」を昨夕観た。
夕食のひととき。
落語を見ながらリラックスタイムを満喫しようと思ったのだ。
しかし、その目論見は見事に潰えた。
というのも、雀々の演目のひとつに私は笑うと言うよりも、むしろ緊張してしまったのだ。
私はその勇気ある演目選びに感動して、同時に「なんて無謀なことするんや」と批判もした。
その演目は「代書」だった。
「代書」または「代書屋」とも呼ぶ演目は雀々の師匠故桂枝雀が得意中の得意としていた演目だ。
その代書の主人公「松本留五郎」と言えば、上方落語ファンでは知らぬものはいないほど有名で、
「大阪市浪速区日本橋三丁目二四番地、となりが風呂屋で向かいが駄菓子屋」
と主人公の住所まで諳んじている人も少なくない。
枝雀演じる「代書」は上方落語の金字塔、伝説に残る一番だった。
その「代書」を弟子が演じる。
これは「見物」であると同時に、失敗すれば「目もあてられない」事態に発展する。
私はこれまで八人居る枝雀の弟子が「代書」を演じるのを観たことがなかった。
きっと弟子たちには師匠の十八番を超える自身がなかったのに違いない。
そういう題目だけに「雀々の代書?」
と私は「面白そう」と思う前に、「失敗するに違いない」と緊張したのだった。
結果は最後まで見る勇気が出ず、停止のボタンを押してしまったというのが、本心というところ。
勇気は認める。
しかし、師匠の芸には遥かに及ばない。
それは師匠の枝雀が米朝の得意とする「百年目」などの演目をあまり演じなかったことにも言えるだろう。
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ちょっとネチっこすぎるような気が・・・。
枝雀師匠の「代書屋」を聞くと春團治師匠の「代書」すら多少頼りなく聞こえてしまうぐらい。
あの「と~め~」が耳について離れませんな。
米朝師匠の「百年目」。あれこそ至芸と言えましょう。小僧から芸妓、商家の旦那と老若男女を見事に演じ分けます。話自体もええ話です。
雀々の「代書屋」は幸か不幸か聞きませんでしたが、かつて、停止のボタンを押すどころやない、怒りが沸々とわき上がってきた落語に遭遇したことがあります。
え?何かって??
・・・ざこばの「一文笛」。
「己を知ること」
と、コンタロウ作の漫画「1.2のアッホ!!」でも波目君が言っとりました。
その一言に演出家気取りのカントクは退散したのでしたが、そんな漫画知らんわ、という人も多いことと思います。
そういう意味では雀々は「己を知らんかった」ことになります。
「手水まわし」でもすりゃよかったのに。
ということで、朝太郎の手品は笑って済みますが、雀々の「代書」は笑えませんでした。