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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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不肖・宮嶋 メディアのウソ、教えたる!

2007年10月06日 15時44分57秒 | 書評
ミャンマーの前首都ヤンゴンのスーレーパゴダ近くで日本人報道カメラマンの長井氏が射殺された事故。
本人の遺体が戻ってきてから、国内の報道はますます熱を帯びてくるのかと思ったら、すっかり萎んでしまった。

普段でも写真を撮るのは注意しなければならないミャンマーで、デモの群衆の中で堂々とビデオカメラを回しながら歩いているのだから常識外でることぐらいわかるはず。
素人カメラマンの私でさえ「アホかいな」と感じたくらいだ。

メディアは一斉にミャンマー政府を非難したが、死んだ方も死んだ方だから、同情が集まりにくかったというのがホントのところかもわからない。

長井氏が所属する通信社の名前もいかがわしい。
APF通信社。
はじめ私はフランスのAFP通信社の日本人カメラマンだと思っていたら、違ってた。
(ベトナム戦争の時はAFPやAP通信社で活躍した日本人カメラマンたちがいたので勘違いするところだった)

新聞社やテレビ局に記事を間違って買わせるのが目的のような社名なので、苦笑してしまう。
赤塚不二夫の天才バカボンだったかに登場した「宝島」のまがい物「宝鳥」、「老人と海」のまがいもの「老人とウニ」なんかと同じじゃないかと思えてもきてしまう。

ミャンマー軍事政権によるデモ鎮圧もおかしなあんばいであったが、それを報道するジャーナリストも変な報道であったことは間違いない。
ヤンゴン市内は普通にバスが運行され、国内線、国際線の航空路も時間を変更はしているが欠航していないというのだから、混乱の程度は報道とはかなり違うようだ。
(ちなみに現地ではインターネットは不通ですが読売新聞衛星版も手に入るようです)

先週以来、私は会う人ごとに「○○さん(私の名前)、もうミャンマーへ行けませんね」と言われるので迷惑だ。
しかもどいつもこいつも嬉しそうに言うので腹立たしい。
「ホントにそんなに危険かどうか、自分の目で確かめてやりますよ」
というのが私の返答。

メディアには多かれ少なかれウソがあるから、私はいつもそう答える。

河出書房新社刊「不肖・宮嶋 メディアのウソ、教えたる!」は中学生向けに書かれた文春の名物カメラマン宮嶋茂樹氏の最新刊。
メディアの世界で20年以上報道写真家として経験を積んできた不肖宮嶋ならではの「考え方」が詰まっており、中学生ではない私でも大変楽しめる内容だった。
14歳、という年齢をターゲットに、インターネットなどに頼らず「自分の目で確かめろ」というのが本書のテーマで、まさに現在の全てのマスメディアに対して言いたいセリフだ。

ミャンマーの事例を思い出すたび、不肖宮嶋は「一見際物」、しかし実は「正統派」であることを確認し、嬉しくなる。

~「不肖・宮嶋 メディアのウソ、教えたる!」宮嶋茂樹著 河出書房新社刊



ビビリアン・ナイト~やっぱり不肖は面白い!

2007年09月15日 19時58分11秒 | 書評
日本では新聞やテレビなどがそのジャーナリズムとしての機能を失ってからずいぶんと久しくなった。
例えば、今、世間が大騒ぎしている安倍首相の突然の辞任劇や新総裁選びもその下地には軽薄なマスメディアが作り出した中身のない世界が広がっている。
従ってオピニオン無き「下ネタ」「悪言雑言」「無知低能」のみが目立つばかりで愚民政治を益々煽っているのが現状だ。。

一見このような一般的なマスメディアよりランクが下のように見えて、その実中身があり、マンガのような独特のふざけた文章に笑いながらも時に感動までさせてくれるドキュメントエッセイがフリー写真ジャーナリストの宮嶋茂樹の一連の著作品だ。

処女作である「嗚呼、堂々の自衛隊」に始まった宮嶋茂樹のその体当たり的な取材に基づくノンフィクション作品は、娯楽と報道という二つの顔を持ち続け、私のようなノホホーン読者の好奇心を魅了して止むことがない。
カンボジアの自衛隊基地の門前にニッパヤシの小屋を建てクメールリュージュの残党や夜盗などにおびえながら、そこに小さな日の丸を掲げて取材するする姿は、当時、自衛隊の海外派兵に反対した朝日新聞やNHKを始めとする「革新派報道機関」の報道に対する一般国民の言い知れぬ苛立たしさを綺麗サッパリ吹き飛ばしてくれるほどの爽快感を与えてくれたのだ。

以来、南極取材や金正日のモスクワ行き追いかけ取材、北朝鮮潜入取材、阪神淡路大震災、アフガニスタンなど、世界を駆け巡りる独特の視線で世界情勢を伝える著作の数々はいつまでも輝きを失うことはない。

フォトジャーナリズムに興味を持つ場合、普通の人は「ロバート・キャパ」や「マーガレット・ホワイト」「沢田教一」などとを先に知り、「ちょっとピンボケ(キャパ著)」あたりから入るものだ。
ところが私の場合は宮嶋茂樹の著作からフォトジャーナリズムに興味を持ちはじめたと言っても過言ではないくらい、すべての作品で楽しませていただいているのだ。
(ホントはマグナムの展覧会をデパートで観たのがきっかけですが)

ただ残念なのは、フォトジャーナリストという本業の写真には有名な作品がほとんどなく、文章による著作品の方が圧倒的に有名であることが、この宮嶋茂樹が「不肖宮嶋」と言われる所以なのかもわかならい。

ところで先月と先々月に刊行された「ビビリアン・ナイト上下巻」はイラク戦争を扱った最新作だ。
米軍によるバクダット陥落のその瞬間が採上げられ、これまた新聞やテレビでは知ることのなかった事実が多く記され今回もまた笑いの中に多くの驚きと感動が溢れていた。
しかも本作では、なぜイラク戦争で崩壊したイラク社会が現在もなおテロが頻繁に起こり軍隊ばかりでなく市民までが巻き込まれるという混とんとした状態が続いているのか。
その理由が新聞の論説やテレビのドキュメンタリーを見るよりも、とてもよく理解できる凄みまで持つに至った。

いずれにせよ、毎回新刊が出版されるたびにワクワクしながらページを捲る。
そんな楽しみがある作品だ。

~「ビビリアン・ナイト 上・下巻」宮嶋茂樹著 祥伝社刊~

雷帝と呼ばれた男/鈴木敬司

2007年09月10日 20時17分49秒 | 書評
「ボ・モージョって人知ってます?」
「ボ・モージョですか?」
「そうです」
「日本人なんですけど.......本名を鈴木さんっていう人で」

そこまで言いかけるとガイドのTさんは、

「ボって軍人に付く称号なんです。モージョって雷って意味ですね」

と解説を始めた。
話しぶりからすると「ボ・モージョのことはちゃんと知ってますよ」という感じだったがニコニコしたまま詳しい話を本人がすることはなかった。
多分、微妙な時代に生きた人の話だからだろう。

ボ・モージョ。
本名鈴木敬司。
階級大佐。
第2次世界大戦中にミャンマー(旧ビルマ)へ工作員として侵入し、スーチーさんの父であるアウンサン将軍や後に独裁政治を展開したネ・ウィン大統領などを極秘裏に日本へ送り込み日本流の軍事教練を施してビルマ独立義勇軍を編成。
ミャンマーのイギリスからの独立を支援した帝国日本陸軍軍人だ。

私はこの鈴木敬司という人にかなり以前から興味を持っていた。
「ミャンマーにはミャンマー人を名乗って活躍した日本人がいた」
ということはかなり以前から耳にしていた。
初めてのミャンマー旅行へ行くことになる1年ほど前に読んだ「ビルマの夜明け」というバー・モウ博士(日本がミャンマーを独立させた1943年時点の首相)が戦後記した著書のなかに「ボ・モージョ」の名前が頻繁に登場し、興味はますます募ったのであった。

ボ・モージョは日本軍人でありながらミャンマーを愛し過ぎ、英国を追い出した後、日本軍が軍政を敷いたことにも否定的な意見を持ち、常にミャンマー人の立場になって日本陸軍と交渉にあたっていた、ある意味ユニークな人物だ。
最終的には更迭され東京へ連れ戻されるのだが、ミャンマーと日本に及ぼしたこの鈴木大佐の影響は少なくない。

どういうことか、この鈴木大佐に関する書物が少なく、探していたところ本書に出会い若干高価ではあったものの思いきって購入した。
ただ内容は私の期待に沿うものではなかった。
タイトルに鈴木敬司の名前があるにも関わらずボ・モージョに関する記述があまりにも少なかったのだ。

私自身、ミャンマーへは幾度となく足を運んでいるので風景や人心の描写は自然に感じるのだが、いかにせんドキュメンタリーとして詰めが甘い上、タイトルと内容の一致が少ない。

筆者はまだまだ書き進んで行くつもりのようだが、第2巻が出たとしても多分買わないと思う。

良いテーマなのに非常な物足りなさを感じる残念な作品だといえるだろう。

~「ビルマの大東亜戦争 雷帝と呼ばれた男/鈴木敬司」伊地知良雄著 元就出版社刊~

アメリカはアジアに介入するな!

2007年09月06日 04時25分30秒 | 書評
イラク戦争の後処理が、次から次に現れるテロリストというか反社会的イスラム原理主義的烏合の衆のために終りの見えない状態に陥っている。

「ベトナム戦争の再来だ」

などと叫ぶ反戦主義者や政治評論家、ジャーナリストも次から次へと現れて、混迷の度合いを深めている。
しかしイラク戦争の後処理とベトナム戦争の違いは、イラク戦争が戦国時代に外国勢力が介入したような状態なのに対して、ベトナム戦争は植民地時代からの独立運動の一端であり、また東西冷戦の対決の一端であったという違いがある。
ベトナム戦争でアメリカの直接闘うべき相手は北ベトナム政府とその支援を受けていた南ベトナム解放戦線だった。
イラク戦争処理でアメリカの闘うべき相手は、無数のイスラム武装勢力と世論である。

このイラク戦争処理でアメリカの陥っている状況とそっくりそのままの状態が1930年代に始まった日中戦争。
イラクを中国、アメリカを日本に当てはめれば、そのまま状況を理解することができるのだ。

当時の中国は現在のイラクと同じ、ほぼ無政府状態。
アメリカがイラクの平和のために、という理由で軍事活動を展開しているのと同じように、日本も中国の平和のために「したくもない」軍事活動を行っていたというのが、真実のようだ。

ただ20世紀初頭と21世紀初頭の時代的背景と、アメリカという強国と日本というアジアの新興国家(世界史上でという意味において)という違いが、二つの戦いの相似点に人々を気付かせていないのかもしれない。

中国はよく政治カードとして歴史問題を取り上げ「日本は悪い国」「日本は侵略者」と宣うことが多い。
このアジテーションの根拠は先の日中戦争にあるわけだが、その日中戦争の実態を戦後の歴史教育は見事に歪曲し、事実を握りつぶし「日本は悪い国だった」感を植え付けてきたという背景が、その日本悪約説を支えてきたという事実もある。
その主張がいかに偏向されたものであるかを証明している文献の一つが、ラルフ・タウンゼント著の「アメリカはアジアに介入するな!」だ。

タウンゼントは1930年代に在中国アメリカ大使館領事を務めた人で、退官後真珠湾攻撃まで日本と中国の真の姿を伝えつつ、アメリカメディアの理由のない偏向報道による戦争介入に反対する著述業を行った学者である。
彼が著書の中での述べる数々の事実は、現在の我々にとっても驚くことばかりである。

「満州国が建国されてから、同地域へのアメリカ製品の輸出は増えている。しかし、マスコミは軍国主義日本の圧制によりアメリカ製品の販売が激減しているとウソをついている。」
「日本はできる限り衝突を回避しようと努めている。にも関わらず、中国国内にはびこる無数の軍閥が人民を苦しめ、多くの惨状を呼び起こしている。」
「アメリカのマスコミは中国が民主主義の代表者で、日本が独裁国家だと喧伝しているが、日本はイギリスと同じ立憲君主国で議会をいただいているが、中国国民党の蒋介石は選挙をしたこともなければ世界で最たる独裁者でもある。共産党は言うに及ばない」
「日本ほど、借りた金をきちんと返す国はない。ヨーロッパの国々は借りた金は、色んな理由をつけて返すことはない」

などなど。
領事であった著者ならではの冷静な洞察眼が興味深く、同時に最近出て来た多くの証言や資料と合致するのも面白い。

国々の立場を変えて歴史は常に繰り返す。
この本を読むと、1930年代からの日本とアメリカの新聞に目を通したくなってきた。

~「アメリカはアジアに介入するな!」ラルフ・タウンゼント著 田中秀夫・先田賢紀智訳 芙蓉書房出版刊~

ひとり旅~吉村昭最後のエッセイ集

2007年08月25日 18時21分50秒 | 書評
作家の吉村昭が亡くなって早くも一年。
その最後のエッセイ集が発刊された。
そのタイトルは「ひとり旅」。

綿密な取材に基づいて小説を書いていた吉村昭の取材旅行がひとり旅だったということで最後のエッセイ集は「ひとり旅」というタイトルが付けられた、というわけらしい。
さすが選者が奥さんの津村節子だ。

それにしても吉村昭の小説は本当に面白いものが多かった。
正直に言ってハズレ作品は非常にすくなく、私の好みに合わなかった作品はほとんどない。
逆に吉村昭の小説に接することによって「ドキュメントノベル」という世界の面白さを教わった。

先日「カポーティ」という映画をビデオで観て、その感想をここに記したが、その主人公トルーマン・カポーティが米国のノンフィクションノベルというジャンルを切り開いた作家ということになれば、吉村昭は日本でノンフィクションノベルというジャンルを切り開いた作家だと思う。

作家人生前半の戦記物は今の作家にはとても書けないだろう迫真のリアル感のあるドラマが並んでいた。
たとえば今、戦争を描く小説はとかくその残虐さや悲惨さを前面に押し出し「憲法第九条を守ろう、改悪反対!」みたいな軽薄さと胡散臭さに溢れているが、吉村昭の作品にはそういう押しつけがましい平和主義は一切なかった。
その代わりに後半生の時代小説と共通の吉村ワールド独特のエッセンスが込められていて、そこから私たち読者は人間というものの泥臭さや醜さ、妙に汗臭く血の匂いがするところなどを感じとっていた。
その結果、
「ああ、戦争は恐ろしいな」
という感想を持ったり、
「これは素晴らしいが悲しい先人の業績だ」
なんて感想を持つに至る。

最も印象深い話の一つに東京大空襲の時、一機の敵戦闘機が低空飛行で吉村昭の頭上を飛び越える時、そのパイロットの姿形、表情までがくっきりと見えたというのがある。
そういう、ちょっと耳にしたことのないような実話をさりげなく教えてくれる。
そんな読む者に対する、とりわけ私たちのような若年の者に対する心配りがあったように思えるのだ。

で、それらエッセンスの素が取材旅行なのだ。

そういう意味で吉村作品のエピローグとして「ひとり旅」ほど相応しい題材はなかったに違いない。


~「ひとり旅」吉村昭著 文藝春秋社刊~

創作の狂気ウォルト・ディズニー

2007年08月12日 19時00分27秒 | 書評
「ミッキーマウスのどこが良いのだろう?」

ディズニーのミッキーグッズを鞄にぶら下げたり、自動車の車内に飾ったり、ミッキーが描かれたTシャツを着て、ミッキ柄のトラベルバックを引きずって歩いている女性達を空港で見るたびに、私はいつもそう思っていた。
最近めったに現れなくなったが、替え歌シンガー嘉門達夫はかつてこういう女性のことを「ミッキーマウス女」と呼び世間の恐怖を煽っていた。
反対意見もあるだろうが私も同意見だ。

以前勤めていた会社のある女子社員(20代後半=30前)の愛車はオートザムのキャロル。
色はピンク。
自動車のシートカバーは前後共にミッキーマウスで、運転席の前にはミッキーマウスやグーフィー、ドナルドダックなどのお馴染のディズニーキャラクターが所狭しと並べられていた。
バックミラーにももちろんミッキーマウスのストラップ。
リアガラスには東京ディズニーランドのステッカー。
で、本人の容姿はというと顔も体形も漂白したてのミニ小錦。
縦横奥行き共に一定の数値で小錦を縮尺した感じで身長の設定値は150cmというところ。
「なんか.........危ない」
正直彼女からある種の危険性を感じとっていたのは私だけではなかった。
当時私と一緒に仕事をしていた社長の娘婿も顔を思いっきりしかめて「.....なんやねん。アレ」と苦言を呈していたのを今も生々しく思い出す。

このようなディズニー狂いは彼女だけではない。
JR京葉線に乗るとディズニーランドへ行ってきます。はい、行ってきました、というようなお上りさんが休日平日の区別なく見られるのだ。

この一種の狂気とも言えるセンスの欠片もなく、悪趣味の権化ともいえる人々の背後にはやはり狂気のクリエーターがいたわけだ。
その背景になる世界最強のキャラクター王国を作り上げたのがウォルト・ディズニー。
もはや「ディズニー」なんて名前を耳にしても「え?人の名前だったの?」なんて惚けたことを言うミッキーマウス女も多い筈だ。

ダイヤモンド社刊「創造の狂気ウォルト・ディズニー」はディズニーの生い立ちから亡くなるまでを善きも悪きも描き出した興味溢れるバイオグラフィーであった。
わずか二十歳そこそこで興したアニメーション会社が徐々に大きくなり、映画からテレビ、そしてアミューズメント施設にまで手を広げていく様は壮大なサクセスストーリーである。
しかし、そのサクセスストーリーのウラには独裁者ウォルト・ディズニーの姿が垣間見える。
優しく人間味に溢れた数々のディズニー作品はディズニー自身の極めて特異な個性と狂気、そして彼の一挙手一投足に戦々恐々としている数百人のスタッフたちの血と汗と感情の衝突によって生まれていたという事実には、タイトルの通り狂気を感じずにはいられない。

それにしても、トーキーアニメーション作品を世界で初めて制作し、1930年代からテレビ放送の可能性に言及し、史上初のテーマーパークを創り上げるなど、ディズニーのビジネスマンとしての着眼点には感服する。
物事を進めてゆくというウォルト・ディズニーの膨大なエネルギーが本書の最大の魅力であった。

~「創造の狂気ウォルト・ディズニー」ダイヤモンド社刊 ニール・グライブラー著 中谷和男訳~

環境問題はなぜウソがまかり通るのか

2007年08月03日 21時47分05秒 | 書評
「ペットボトルの再利用はそのまま捨てるよりも七倍のエネルギーが必要だ。」
「ダイオキシンは人間にとっては毒でも害でも何でもなかった。」
「N700系のぞみ号は航空機の10分の1のエネルギー、というのは大嘘でせいぜい1.5分の1というのが関の山だ。」

どれもこれも常識を打ち壊す。
正直言って、かなりショックな内容だ。

洋泉社ペパーバック「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」は現在流行りの環境問題を一刀両断。
信頼できるデータや科学的な説明でウソをばしっと暴いている。

なんと言っても前半の最大のショックは、
「日本ではリサイクルと称して回収したゴミのほとんどを焼却して捨てている」
という事実だった。
なんでも税金を使って回収作業をさせた膨大なペットボトルなどのリサイクルゴミは「業者に渡した後は責任ない」というのが役所の主張だとか。
「だからゴミを外国に持ち出すのも、焼いて捨てるのも知りません」
ということらしい。

このバカげた現実の背景には政官財にマスコミがグルになった癒着と利権体質が蠢いており、腐りきった日本社会の現状を見事なまでに環境問題が具現化しているのだ。

筆者はこの利権にまみれた日本社会に警告を発する。

ペットボトルをリサイクルするには膨大な回収費と処理費(焼却費用)がかかっている。
その量、単に燃やして処理するのに要するエネルギーの7倍の資源を使っている。
たった全石油使用量の0.1%しか原料として使っていないのに、こういうものに目くじらを立て、ほとんどを占める産業用エネルギーや燃料としての石油に対してはなんら規制をかけていない。

埼玉県で発生したダイオキシン問題も今になっては誰も叫ばなくなってしまった。
なぜならダイオキシンは小動物には影響のある化学物質であったとしても人間には無害そのもの。
もしダイオキシンが猛毒であればベトナム戦争でつかれた枯葉剤の何倍ものダイオキシンを含む農薬を使って育てられていた米を食べてた日本人は全滅していても不思議はない。
でもダイオキシン公害で死んだものはおろか病気になったものもまったくいない。

新幹線の環境に優しいも嘘っぱち。
東京大阪間は飛行機は空を飛ぶだけ。途中の「空」のメンテナンスはまったく要らない。
でも新幹線は線路の建設、保守メンテナンスに膨大なエネルギーが必要だ。

結局、人々の視線を目先の環境に注目させて、「儲けるために」企業や政府、マスコミまでがウソをつく。

本書を読むと、ペットボトル専用のごみ箱の存在や、京都議定書のバカさ加減、二酸化炭素ガス発生権の買い取りビジネスなど。
どれもこれもバカらしく見えて仕方がなくなる。

~「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」武田邦彦著 洋泉社刊~

ちなみに本書の帯に「たかじんのそこまで言って委員会」で話題騒然!とありました。
やしきたかじんがなんと言ったのか、聞いてみたい気がします。

線路にバスを走らせろ

2007年08月02日 19時45分14秒 | 書評
この新書のタイトルを見た時、私は懐かしの「レールバス」を扱った書籍かと思った。

「レールバス」というのは現在のJRが国鉄時代にデビューさせた特殊でちょっぴりショボイ気動車のことだ。
当時、大赤字の国鉄の、そのまた大赤字のローカル線をなんとか活用しようと編み出されたのが「レールバス」。
たった一両のワンマン運転。
自動車のような四輪車輪。
全長が短く背の低い車体。
まさにレールの上を走るバスだった。

しかしレールバスは結果的に成功しなかった。
ひと捻りアイデアが足りなかったのだ。
その不足していたアイデアとは「レール『バス』」なんていう名前なのに道路の上を走れなかったというところだ。

朝日選書「線路にバスを走らせろ」はレールの上も道路の上も走らせることができる「バス&列車」の開発に情熱注ぎ込み、ついに営業運転にこぎ着けたJR北海道とそれを支えた男たちの物語なのだ。

それにしても本書は朝日新聞の記者が書いた「朝日板プロジェクトX」だった。
読み始めてすぐに鉄道マンたちの熱い心意気が伝わってきて夢中になってしまった。
もし私が技術開発を職業にしていたら、涙する箇所は一つや二つではなかっただろう。

分離民営化されたJRグループ。
本州の3社は安泰だが、3つの島をそれぞれ受け持つ四国、九州、北海道のJRはその経営に悪戦苦闘を繰り広げている。
正直、知識に乏しい私は本書を読むまでこれらJR3社が民営化の時に設立された基金の利子で赤字を補填して経営を健全化しているのを知らなかった。
ましてJR北海道の全路線の70%以上が今もなお赤字路線であることに驚きさえ感じたのだ。

「赤字だからという理由で路線を廃止するのはたやすいが、失うものは限りなく大きい」

その「失いたくない」という気持ちがDMVという特殊車両の計画を立案した鉄道マンはおろか、数々の企業や、果ては国土交通省の役人までを動かしてしまう。
日本人の物づくり精神と情熱とチームワークがこの実在の物語の最大の魅力なのだ。

道路を走り、自宅の近くで乗客をピックアップ。
駅へ付いたら鉄輪を出して線路の上をすいすい走る。
過疎化地域や地方空港のアクセスで期待されるハイテク車両。

先頃、宮崎県のそのまんま知事も試乗したDMV(デュアル・モード・ビーグル)誕生の物語。
読み終わってすぐの感想は「嗚呼、私もDMVに乗ってみたい!」と言ったところか。

~「線路にバスを走らせろ 『北の車両屋』奮闘記」畑川剛毅著 朝日新書~

JR北海道 DMV「世界初。道路とレールを自在に走行」

キャッチセールス潜入ルポ ついていったら、こうなった

2007年07月23日 20時53分45秒 | 書評
英会話を習いはじめて16年。
習いはじめたきっかけは「キャッチセールス」だった。

初めて通った英会話スクールは大阪駅前第三ビルの2階にあった「アメリカンプラザ」という名前の英会話サロン。
大阪駅前ビルというのがすでに怪しい。

ある日、インテックス大阪で開かれていた展示会(内容は忘れた)に行って、
「すいません、海外旅行のあたるアンケートに参加しませんか」
という綺麗なコンパニオンのおねえさんがさし出したアンケート用紙に住所氏名などを書き込んだのがキャッチセールスの種になった。

当時私はとある会社で企画の仕事をやっていて、仕上げなければならないプロジェクトを大小様々に抱えていた。
もちろんメチャクチャ忙しく休みは日曜日しかなかった。
若かったこともあり忙しすぎる毎日に何か釈然としないものを感じていて嫌気が差しはじめたところにかかってきたのがこの英会話サロンを運営する会社からの電話だった。

「一度お越しいただけませんか?」
という女性の声につられたからかどうかは分らないが、大阪駅前まで出かけてこのサロンを訪問した。
で、電話の女性を期待したのだが実際に内容の説明に出て来たのは男の社員だった。
なにやらオカシイなと感じたが、仕事のしすぎで感覚が狂っていたのか、グイグイグイと営業トークに乗せられて気がついたら契約書にサインしてローン契約を結んでいた。

そう、繰り返すがここは大阪駅前ビルにあった会社。
会長が刺殺された豊田商事のあったビルだ。

2年間で200レッスン。
1レッスン90分。
30分間の個人レッスン兼カウンセリングが24回付き。
1クラス8名までの生徒で講師はすべてネイティブな「外国人」。
カリキュラムは各レベルごとの色の紙に印刷され掲示板に貼られている。
その異なるテーマ、異なる時間のクラスを自由に選べる仕組みになっていた。
テキストなし。
テストなし。
授業料は〆て80万円と少しだった。

今の私なら、
「英会話に80万?アホちゃうか」
となるところであるが当時はうぶな若手社会人。
思わずサインしてしまったのだった。

結果的に支払い金額は高額だったがそれなりの効果はあった。
まず、まったく話すことのできなかった英会話がカタコトだけだができるようになった。
そして数多くの友人ができた。
時々このブログにも登場するSさん(注意:一部の読者へ。Sさんは神経質男ショウジさんのことではありません)もその時からの親友だ。
このキャッチセールス式英会話サロンに通わなければ今の自分の生活や地位はないわけで、そういう意味では「価値のあったキャッチセールス」ということができるだろう。

なお、この授業料のバカ高かったアメリカンプラザはもう無い。

多田文明著「キャッチセールス潜入ルポ ついていったら、こうなった」は巷に溢れる「いかがわしい」キャッチセールスやカルトの勧誘に自ら飛び込み、その体験を綴ったノンフィクションだ。
正直この本を書店の棚に見つけたときは興奮した。
こういう書籍をずっとまえから読みたいと思っていたのだが、テーマがキワモノ過ぎるためか、危ないからか、なかなか登場してこなかった。
内容は私の好奇心を十分に満足させるものだったが「もうちょっと突込んでもらいたかった」と思える部分も少なくなかった。
しかし筆者が調査のために時にはその勧誘の犠牲にまでなっていることを考えると、そういう弱点は大目にみてもいいんじゃないかと思えてくるくらい面白かったのだ。

なお、巻末のおまけ「訴えられたら、こうなった」も実に面白い。
裁判の経過もさることながら、こういうキャッチセールスまがいのいかがわしいビジネスを展開する会社がいったいどういうものであるのか。
その本性の一部を理解することのできる、とっても役に立つ一篇であった。

~「キャッチセールス潜入ルポ ついていったら、こうなった」多田文明著 彩図社刊~

歴史の嘘を見破る

2007年07月19日 06時11分58秒 | 書評
世の中、嘘とまやかしが多いが、中国と韓国の歴史認識ほど嘘とまやかしに彩られたものはない。

ところが日本人はといえば自国の近代史が学校では選択科目になっていることもあり、ホントは何があったのかまったく知らない人が多いため、ヤクザな中韓に、
「謝れ!」
と恫喝されると、
「スイマセン」
と言ってしまうのが現状だ。
日本の常識では「とりあえず言っておいたつもり」だろうが、国際社会では「ごめんなさい」と言ったものが負けなのだ。

文春新書「歴史の嘘を見破る」は近代の日本史と東アジア史の関わる知識に乏しい現代人のための必読書だ。

一昨年に中国各地で発生した反日デモは記憶に新しいが、「なんであんなに騒ぐのよ」と思った人も多い筈。
マスコミの多くはどういうわけか自国民の立場に立たず、中韓の立場になって一緒に日本を責めるので「中韓の言ってることは正しい」なんて誤った結論に達した人も多いだろう。
頭の中は空っぽなのに、たまたま大企業のトップに立った経済同友会のお偉いさんも「日本が悪くて中韓が正しい」と宣う体たらく。
ホントは歴史認識などどうでも良く、中韓とういう顧客のお金だけが目当ての言動かも分らない。
分らないが、金のためなら何でもいいなどと言うのは、肉まんに段ボールを混ぜて平気で売ってるかの国の国民と変わらない。
そのあたりにちっとも気付かない経済人の多いこと。

本書ではテーマごとに分けられた中国から散々言われ続けている「歴史の嘘」に対する明快な回答と真実が語られている。
中国の言うことなんか、ご覧のようにデマカセだよ、ということを説明してくれているのだ。

例えば、中国の多くの指導者は日本で学び、日本人の加護を受けて近代国家建設に望んだこと。
それでも失敗したこと。
第2次大戦中、中国は内戦状態であったこと。
南京事件は根も葉もないデッチ上げであること。
満州国は当時の国際社会で認められた立派な国家であったこと。
賠償問題未決着という嘘や日本が世界のリーダーになる資格はないという暴言に対する明確な反論など。

最近、工業製品のコピーだけではなく食品や薬品の安全性で信じられない事実が次々に明るみになる中国とそれに追従する経済発展が凍りつき連合赤軍のような連中が政権をとっている韓国。
嘘で塗り固められているのは現在だけでないことを十分に認識する必要がある国々だ。

言われっぱなしや言い負かされないためにも、是非読んでおきたい一冊だ。

~「歴史の嘘を見破る 日中近現代史の争点35」中嶋峯雄編 文春新書刊~