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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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おいしいハンバーガーのこわい話

2007年07月17日 19時32分36秒 | 書評
小学生の頃、マクドナルドのハンバーガーのことを「猫肉バーガー」とよく噂したものだ。
この猫肉説は私の周囲(大阪)だけの話ではなく、全国的な都市伝説となっていたようだ。
今はその出所を是非とも知りたいと思っているところなのだが、ま、無理だろう。
テレビで「マクドナルドは100%ビーフ」なんてコマーシャルが流されるようになったのも、きっとその都市伝説が原因なのかもわからない。

猫肉バーガー説はともかく、マクドナルドに代表されるファーストフードの評判は千差万別だ。
「店が清潔」
「おいしい」
「早い」
「機能的で健康的」
「安い」
などなど。

しかし、これらの評価のうち、どれが本当でどれが本当でないのか。
私たち消費者はホントのところをまったく知らない。

草思社刊「おいしいハンバーガーのこわい話」はファーストフードの誕生とビジネススタイル、そして普段は目に見えていない深刻な問題点をさらけ出したノンフィクション。
かなり衝撃的な内容だ。

マクドナルドの創業にまつわる話は前半の最も興味をそそる部分だが、後半の巨大ファーストフードチェーンが世界に及ぼした影響は面白い、というよりも恐ろしく、そして腹立たしくもある。
そしてビジネス優先の経営方針がいかに消費者と生産者をバカにしたフィロソフィを含んでいるのか、めまいがしてきそうになってしまう。

超劣悪な環境で飼育される家畜。
なかでもチキンナゲットになるために生まれ、そして死んで行く鶏が、短期間で超肥満に育てられるため毎日のように「肥満性心臓麻痺」で死んでしまうというエピソードは思わず本を伏せたくなるほど衝撃的だ。
残酷な処刑方法で処理される家畜たち。
そして危険と隣り合わせのその職場で低賃金で働かされている労働者。

どれもこれも巨大チェーンが生み出した暗黒世界で、私たちはそのような裏面を知らずに低栄養価で高カロリーのハンバーガーやポテトに舌鼓を打っているわけだ。

そういば、今年私がシカゴへの短い出張から戻ってきて間もなくアメリカ南部の農園労働者がシカゴにあるマクドナルド本社にデモンストレーションをしたという報道を思い出した。
なんと、彼らの栽培するトマトの値段は百キロ以上でビッグマック一個分なのだという。

大好きなシンガーソングライターでピアノ弾きの谷村有美のライブへ行くとロビーでは日本ロナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティ基金の募集をしている。
実は彼女の旦那さんは日本マクドナルド会長の原田永幸氏なのだ。
しかし、本書を読むと、マクドナルドの社会福祉基金なんていうものは、ちゃんちゃらおかしいことに思えてしまい悲しい気分になってくるのだった。

~「おいしいハンバーガーのこわい話」エリック・シュローサー、チャールズ・ウィルソン著 宇丹貴代実訳 草思社刊~

アメリカ車はなぜ日本で売れないのか

2007年07月02日 20時59分07秒 | 書評
前に勤めていた会社の社長の愛車はリンカーン・コンチネンタル。
広くて長いボディ。
柔らかなクッション。
広々とした室内。
「さすがアメリカ車だ」
と思ったものだ。

しかし、この高級車「リンカーンコンチネンタル」は「困った君」だった。
まず、夏場は必ず月に一回はオーバーヒートした。
で、季節に限らずバッテリーも頻繁にあがった。
自慢の電子ロックは作動せず、故障のたびにディーラーさんに来ていただいた。
「良く故障しますね、このボロアメ車」
とは、さすがに相手が社長なので私も言えなかったが「なんでベンツやBMWにせんのですか?」と訊いてみたところ、
「ワシ、アメ車、好きやねん」
との答えが戻ってきた。
社長は若い頃からやんちゃ坊主でアメ車が好きだったのだ。
ただやんちゃが過ぎて、私が退職して半年後に会社は倒産してしまった。

そういうこともあって、社長の愛車は会社の駐車場にあるよりも近鉄モータースの修理工場にある時間のほうが長かったのではないかという印象が今でも残っていて「やっぱ、アメ車はダメだな」という刷り込みになってしまった。

アマゾンドットコムで「なぜアメリカ車は日本で売れないのか」という書籍を見つけたとき、社長のアメ車を思い出したのは言うまでもない。

本書はハーレーダビッドソン日本法人の社長が著したとっても勉強になるビジネス読み物でだった。
というのも、本書ではアメリカの自動車メーカーが日本で成功しない理由を論理的に分りやすく解説してくれているのだが、その内容は自動車販売だけではなく、あらゆる業種に当てはまるように感じられるからであった。

本書で著者はアメリカは「Teach型」。日本は「Learn型」。
この二つのビジネスに対する取り組み方が業績の明暗をわけていると共に、文化の違いも表していると述べている。
つまり、自分の考えを押し付けるTeach 型は「お客様の立場に立った」考え方がなされていないのだ、ということなのだ。
また「お客の囲い込みをする」といった、どこの会社でも営業部長が会議で声高に叫ぶスローガンも「囲い込みをされた顧客が製品や会社に対して満足することはない」という鋭い指摘をされており、的を射ていて実に面白い。
うちの会社のアホ営業部課長さんたち着させてやりたいくらいだ。

日本で唯一成功しているアメ車(二輪だが)ハーレーの実績という背景があるものの、その取り組み方と考え方はビジネス書を飛び越えて比較文化論の領域にも入っていて、読んでいると夢中になる。

ただ、本書の文章がいただけない。
日本語の文中に「英単語」が頻繁に登場するのだ。
これは目障りでなんとかして欲しかった。
読みにくい上に、赤塚不二夫のイヤミが時々カタカナ英語を挟んで話をするのを思いだし、ちょっぴり不快だった。

~「アメリカ車はなぜ日本で売れないのか」奥井俊史著 光文社刊~

累犯障害者

2007年06月26日 19時55分46秒 | 書評
もう10年くらい前になるが、大阪市営地下鉄御堂筋線の動物園前駅で一人の女性が列車に轢かれて亡くなった。
原因はプラットホームから知的障害者の少年によって突き落とされ、そこへ電車が入線して来てしまったからだった。
「怖いよ~、怖いよ~」
と当の犯人の少年はおびえていたらしいが、本当に怖かったのは、何も悪いことはしていないのにホームから突然突き落とされ、目の前に電車が迫ってきて惹き殺された被害者本人であろう。

この事件は、その事実のみが一回だけ報道され、後はどうなったのか知る由もない。
マスコミすべてがまったく報道しなかったのだ。
きっと犯人の少年が知的障害者ということで報道機関は事件の追跡取材をしなかったのだろう。
しかし、殺人事件である本件について誰が責任を取り、遺族にはどのような賠償が為されたのか。
大いに関心を払わねばならなかったのは間違いない。

元衆議院議員の山本譲司が秘書給与詐欺事件で有罪判決を受け、刑務所に服役したことはもしかすると天命でだったのではないだろうか。
本書「累犯障害者 獄の中の不条理」を読んでいると、なんとなくそう思えてくるのだ。

地下鉄で女性を死なせた少年のケースに限らず障害を持った人々が犯罪を犯した場合、現在の日本ではそれを報道することはタブーとされている。
新聞やテレビは絶対に記事にしない。
週刊誌でも一部のマイナーな雑誌が取り上げる程度だ。
これはいったいどういうことなのか。
刑法第39条が原因しているというが、それでいいのだろうか。
「心身薄弱者の行為は罰しない」との条文が常に物議を醸すが、殺人や強盗などの重大犯罪を犯す者に正常な者などほとんどいないに違いない。
また罰することはできないとしても、報道することまで否定してしまっていいのだろうか。

本書では加害者が障害者であることを良いことに、それを食い物にする養父や警察、弁護士などの姿が描かれている。
もし、こういう事件をきっちりと報道する姿勢がマスコミ側にあったとしたら、もっと違った展開になっているのかもわからない、
筆者はこれを福祉行政の不備を誘因するものとして捉えているようだが、私は違った面から考えたい。
つまり、報道することによって健常者の権利が守られる真当な世の中になるのだと。

「報道しないことが、障害者の現実に一般の人々の目を向けさせない原因になっている」
という意味合いのことを筆者は語っているが、まさにそれは正論だと思う。
しかし「それではいったいどうすれば良いのか」という疑問に対する解答は筆者自身も示していない。
それでも社会のタブーに目を向けた本書の存在意味は決して小さくはない。

~「累犯障害者 獄の中の不条理」山本譲司著 新潮社刊~

責任転嫁×本末転倒=中華人民共和国

2007年06月24日 19時40分09秒 | 書評
「環境問題については先進諸国が責任を持つべきだ」とドイツのハイリングダム・サミット前に語ったのは中国国家発展改革委員会の馬凱主任。
本末転倒、責任転嫁とはこのことだ。

九州から関西にかけて多発している「光化学スモッグ」の犯人は中国大陸から流れてくる汚染物質だということで、ついに隣国は留学生や観光客を騙る殺人者を送り込むだけでは物足りなくなり、ついに汚染物質で日本列島に攻撃をしかけたというわけか。

中国やインドの急激な経済発展に伴う大気汚染や水質汚染、土壌汚染は世界経済に深刻な影響を与えはじめている。
なかでもインドと異なり中国は環境汚染ぐらい悪いことなどとちっとも思っていないところが恐ろしい。
環境破壊は無意識のうちに発生している、いわば「自然現象」で、自分たちが先進諸国と同じ水準の生活をするためには、そんなささいなことは目をつぶるのが当然だ、というのが彼らの考え。
歯磨き粉や家畜用飼料に毒物を混ぜて販売しても悪いという観念がまったく生まれない国民だから、知らずに出している汚染物質のことなんか「知るもんか」というのも当然だ。

環境問題が先進国の責任であるのであれば、早い話、欧米日本の先進諸国は中国製品の購入を取り止めこぞって経済上の国交を断絶すれば済む話。
でも、それは人類史上で二回も経験した悲劇を再来させることに繋がることにもなるかもしれないので、できないことでもある。

こういう、困った国家が世界にどういう影響を与え、どういう現実を生み出しているかを冷徹に分析し取材しているのが本書「中国は世界をメチャクチャにする」だ。

フィナンシャル・タイムズの元北京特派員の著者は中国の世界経済への台頭を冷静な目で見つめている。
中国国民の貧困から築き上げてきた現在の力については時に称賛さえしている。
しかし、その中国的サクセスストーリーの裏側には、無数の矛盾が存在し、中国国内だけでなく世界中に混乱と不幸を生み出していることを実例を上げて指摘している。

産業革命当時と替わらない超低賃金で働く無保証の中国人労働者。
中国人労働者の侵入により息絶えたイタリアの伝統産業。
俄成金に設備ごと買収されたドイツの製鉄所。
偽ブランドでシェアの3分の2をかすめ取られた日本のバイクメーカー。
などなど。

本書の最後で著者は中国と世界の明るい未来を無理やり示唆しているが、
「世界中のマンホールの蓋が盗まれた」
という事件ではじまる本書の中身は、過去数世紀にわたって築かれてきた世界の標準ルールが中国という独特の価値観を持つデストロイヤーにより破壊されつつある事実と、次期大戦に繋がる資源と環境にまつわる暗い未来を暗示していると感じざるを得ない。
数多くの事例が示されているのでなおさらだ。

~「中国が世界をめちゃくちゃにする」ジェームズ・キング著 栗原百代訳 草思社刊~

ミャンマーの日本人パゴダ

2007年06月13日 07時29分55秒 | 書評
写真:サガインヒルにて撮影



ミャンマーの旧都マンダレー郊外にサガインという街がある。
マンダレーから大河エヤワディ川に架かる自動車鉄道併用橋「インワ鉄橋」を渡ると、まもなくその街の入り口にひかえるサガインヒルという観光地に到着する。

ここはエヤワディ川を見下ろす小高い丘になっていて、頂上の一番眺めの良いところにはサンウポンニャーシンパゴダというお寺がり、多くの人々が参拝に訪れている。
パゴダを参拝していると、小さな子供たちが花を持って寄ってくる。
「この上に日本人のお墓があるんですよ」
とガイドのTさん。
子供たちは参拝客が日本人だとわかると、私たちが必ずお参りすることを予想し、お供えの花を売りに来るのだ。

第2次世界大戦中このミャンマー(ビルマ)の地で無くなった日本軍将兵(台湾籍、朝鮮籍を含む)は17万人。
ミャンマーの各地を訪れると、どこにでも日本人の墓があることに驚かされる。
さらに、その墓を地元ミャンマーの人々が大切にお世話してくれていることにも感動することになるのだ。

日本人パゴダと名付けられているミャンマー様式だが、白い色をしたそのパゴダには大勢の戦死者の名前が刻まれている。
順に部隊や兵隊さんたちの名前を見ていると、パゴダの一番下に、兵隊さんではない人々の名前が刻まれているのを発見した。
しかも女性の名前。
ミャンマー(ビルマ)戦役で殉職した日赤の看護婦さんたちの名前であった。

私はこの日本人パゴダを訪れて以来、従軍看護婦という存在に興味を惹かれるようになったが、なかなか読み物らしい読み物を見つけることができなかった。
浦沢直樹のコミック「パイナップルアーミー」の中で、亡くなった従軍看護婦であった妻の復讐に燃える医師が描かれているエピソードがあり、その彼の妻のイメージが従軍看護婦のイメージとなって、ながらく現代人の私には焼き付いてた。
しかし、それあくまでもマンガ。
新実の従軍看護婦さんたちの姿。それも日本人の従軍看護婦さんの姿を知りたかった。

「従軍慰安婦たちの大東亜戦争」(祥伝社刊)は、そういう私の好奇心(あまり適切な表現ではないが)を満たしてくれる感動の一冊であった。
本書は日本赤十字社の元従軍看護婦さんたちの手記をまとめて1970年代に発行された「ほづつのあとに」という小冊子の復刻版だ。
ここには戦場で看護婦さんたちはどのような気持ちで、そしてどのような心構えで戦線に出征していったのか、また勤務に励んだのかが誇り高い文章で綴られている。
そして、当時の20歳前後の日本人女性の勇気あるその働きに強く感動するこおとになるのだ。
そこには現代日本女性に見られることの少ない気高さと美しさ、そして優しさと力強さがある。

歴史のなかで人々の目に触れられにくい従軍看護婦という影の功労者にスポットを当てた、必読の一冊である。

~「従軍看護婦たちの大東亜戦争」祥伝社刊 同書発行委員会編~

お寺さんはビジネスだ

2007年06月06日 21時14分59秒 | 書評
もうかなり前になるが、大伯父が脳溢血で急に亡くなった。
まだ50代の若さだった。
大伯父は祖母の一番下の弟で、実のところ私の叔父、つまり祖母の長男より年下の年齢逆転の若さだったのだ。

大伯父ぐらいになると親類といってもそんなにつき合いの深い方ではない。
でも親戚なのでお通夜やお葬式といったイベントには真摯に付き合わなければならない。

通夜の席、お坊さんがやってきた。
もちろん酒を飲みにやって来たのではなく、お経を上げるためにやってきたのだ。

仏前へおもむろに腰を降ろしたお坊さんは慇懃に経を読みはじめた。
田舎のお葬式のことである。
みんな座敷に正座して、手に数珠を持ちお経を聞いている。
但し、そのお経の意味が分る者は、いない。
焼香の盆が一巡し、そろそろお坊さんの元へ戻ろうとしたとき、お坊さんは経を読み上げながら腕時計で時間をチェックした。
時間をチェック。
そう、お坊さんは時間を区切ってお通夜のハシゴをして銭儲けに励んでいたのであった。

日本のお寺さんは「葬式屋」と一蓮托生。
宗教ではないと確信したのはその時で、以来自分が死んだら絶対に「クソ坊主を呼ばないで」とい両親にお願いしたところ、「お父さんとお母さんが死んだときも、お坊さん呼ばん気か?」と叱られた。

本来宗教というものは人の生き方や疑問に対して、答えを導き出すためのヒントを与えてくれたり、考える術を授けてくれたり、あるいは人間として生きるために必要な道徳観や常識性を教えてくれるものであるはずだ。
ところが日本の仏教界は「戒名販売」「お経の読経」「永代供養と称する不動産」でビジネスを展開している営利法人に成り下がっている。
先述した「人の道」についてはキリスト教のような外来の宗教か、数多く出現している新興宗教に委ねてしまっている感さえある。

しかし、もともと仏教がそういう「お寺ビジネス」を奨励するような宗教でないことは明らかだ。
むしろ唯一神の存在を訴えない「自分自身で考えること」を奨励する、非常に哲学的な宗教なのだ。
そして釈迦の教えにしたがって、穏やかな人間社会を形成するよう、僧侶が中心となってよりよい社会作りを心がけている宗教でもある。
例えばタイやミャンマーのような上座部仏教国ではお寺が子供たちの教育を請け負ったり、貧困層のための頼母子講を主催したりもしている。
僧侶はもちろん仏に仕え、講話でもって人々に心の安らぎを与え、常に社会の中心であり続けているのだ。

どうして日本の仏教界はこうも堕落した「ビジネスオンリー」になってしまったのだろう。

その疑問に対する一つの解答が記されているのが新書「お坊さんが困る仏教の話」だ。
そこでは奈良時代から現在に至るまでの日本仏教の変遷が分かりやすく描かれており、「ほー、なるほど。だから戒名ってあるのか」といった面白い話で一杯だ。
読み進んで行くうちに、本書がもしベストセラーになったらお寺さんは困るだろう、と書名の意味を痛切に感じとったのであった。

~「お坊さんが困る仏教の話」村井幸三著 新潮新書~

後藤新平

2007年06月02日 20時05分56秒 | 書評
三週間ほど前、米国共和党の大統領候補であるルドルフ・ジュリアーニ氏が来日した。
ジュリアーニ氏は犯罪の街から安全な大都会にニューヨーク市を変貌させた辣腕の前NY市長として知られている。

このジュリアーニ氏が東京のホテルで開いた講演会で、
「これからの社会は(会社や組織への)忠誠心ではなく、正義感が求められる時代になる」
と主張したそうだ。
「私は日本の皆さんなら、私の言っていることが理解できると思っている」
とも言ったそうで
「さすが辣腕政治家。おっしゃることが日本の政治家とはワンランク違うわい」とその小さな新聞記事を読んで私はいたく感心した。

小賢しい小細工で私腹を肥やし、一度それが顕になったら首を括って死んでしまうような卑怯者を具現化したインチキ政治家しか注目されない昨今の我が国だが、そんな我が国でも、戦前の政治家には公共の精神のなんたるかをわきまえ、普通の考えと倫理観をもったエネルギッシュな人々がすくなくなかった。

後藤新平はそういう政治家の一人だろう。

折しも、台湾の前総統李登輝先生がビザなし渡航(クドイか)で来日中だが、その李先生の今回の大きな訪日の要件の一つは「第1回後藤新平賞」の受賞式に出席するため。
先生はその受賞者に選ばれていたのだ。

こんな時事話題があることなど、一向に意識しないまま、私は先々週「山岡淳一郎著 後藤新平 日本の羅針盤となった男(草思社刊)」を購入し、「はあはあ、なるほど」と読んでいたのであった。

学生時代、歴史の時間が大嫌いでろくすっぱ勉強をしなかった私なので後藤新平と言われても何をやった人なのか、詳しいことは知らなかった。
台湾に関係する人であることは知っていた。
もちろん阪神タイガースの元監督後藤の熊さんとも関係ないこともわかっていた。
しかし、気になる人であったことは間違いなく、ジュンク堂書店梅田店の歴史書コーナーで本書を見つけた時は、迷わず購入してしまったのだった。

結果的に、明治時代後期から第2次大戦に突入する少し前までの日本の近代史を興味深い視線で眺めることができ、知識欲にも美味でなかなか面白いバイオグラフィーではあった。
とりわけ、台湾行政庁長官時代の後藤が、台湾のインフラ整備、衛生、医療に熱意を注ぐと同時に、「あたらしい」市民の文化に対して敬意を払うその態度は、現在もなお台湾に息づく日本精神の原点になったのではないかと思われる。

また、日本という国に組込まれた台湾の人々を「新日本人」と読んでいたことも、知識としてとても新鮮であった。

ただ、著者と私の近代歴史観に少しく相違があり、部分的に「それは偏見や間違いでは」と思えるような部分があったのが残念である。

~「後藤新平 日本の羅針盤となった男」山岡淳一郎著 草思社刊~

2000年間で最大の発明は何か

2007年05月16日 20時59分43秒 | 書評
私が過去2000年間で最も大きな発明は何かと問われれば、間違いなく米テレビシリーズ「スタートレック」をあげるだろう。

人は時として現実を受け入れることができず、妄想や想像の世界に生きることを見いだそうとする。
それには様々な原因が考えられるが、それらは過酷な競争社会であったり、受験のプレッシャーであったり、営業ノルマへのプレッシャーであったり、失恋や片思いといった性的な悩みかも分らない。
これら様々な要因が人の心を押しつぶそうとした時、家庭の居間でのんびりと観賞のできるテレビ番組が「心の救世主」となり、そのドラマの世界にどっぷり浸かり現実世界から逃避することにより自己の救済を図るようになるのだ。

逃避するために、テレビの中の虚実の世界が人間の想像と妄想の世界を大きく膨らませ、やがて「これは、現実ではないのか」と錯覚させるがごとき様相を呈するに到る力があることを証明したのが「スタートレック」なのだ。

番組のファンは番組の熱烈な信者として「トレッキー」という称号を与えられる。
このトレッキーのユニークさは映画「ギャラクシークエスト」にもパロディとして描かれるくらい個性に富んでいる。

トレッキーは公衆の面前で宇宙船エンタープライズ号のユニホームを恥じらうことなく纏う。
また別のトレッキーは映画の撮影でもないのに、しらふで特殊メイクを施して、異星人のユニホームを纏い「カリマー!」などと叫んだりする。
さらに別のトレッキーは人がマジメに話をしているのに、「船長、それは非論理的です」などと相づちを打ったりするのだ。

周囲が思わず引いてしまうその光景は、まさしく「ある種の宗教」を彷彿させるオーラを持つ。

この状況が40年も持続される姿は、世界三大宗教が創造された初期の光景と酷似していることだろう。

なお、筆者も過去に番組のユニホームを纏い街中で仲間とアホをしたこことがあるが、それは今では秘事である。

ということでネット上で「キリスト生誕から2000年の間に成し遂げた人類の一番大きな発明は何ですか?」と質問を投げ掛け、主に科学界に席を置く著名人が答えた返答集が本書である。

多くの人々が「グーテンベルグ式の印刷機」を挙げているが、編者があとがきで述べているように、発明とは事実の積み重ねの結果生まれてきたものであって、忽然と姿を現すものでもないわけだ。
その積み重ねと条件を備えた人材の出現が、発明品を生み出す。
そしてそれは確実に人々の生活や、考え方を変化させ、人類の歴史を形作っていっている。
このれは否定することのできない事実でもある。

読み進むうちに「この人、何が言いたいの?」という意見もないではないが、思わず相づちを打ったり、自分ならこういう考えがある、と考え、そして想像しながら読み進んで行ける楽しい一冊であることは間違いない。

~「2000年間で最大の発明は何か」ジョン・ブロックマン編 高橋健次訳 草思社刊~

台湾のいもっ子

2007年05月08日 23時01分56秒 | 書評
以下、今年1月末のある日の我が家での会話。

「この間、台北の2.28紀念館へ行ってきたよ」と私。
「2.26記念館?」と父。
「違う違う。台湾の2.28事件の博物館や」と私。
「2.26事件と違うんか?」と父。

1947年(昭和22)2月28日。
中国国民党が台湾人を徹底的に弾圧することになった事件の発生した日付をとって2.28事件と名付けられた。
この事件をきっかけに台湾全土に戒厳令が敷かれ、1993年まで継続した。
凄惨で悪夢の始まりを告げるこの重大事件を、当時16歳であった私の父は、はっきりと記憶していなかった。
父だけではない。
私も含めて日本人の多くは、もともと同国民であった台湾の戦後について、その実態をほとんど知らずに過ごしてきたのだ。

蔡徳本著「台湾のいもっ子」は、そんな台湾の暗黒の時代を描いたドキュメンタリーノベルだ。
その中には、台湾の人々の大歓迎を受け日本に代わり台湾統治にやってきた中国国民党の見事なまでの裏切り、そして狂気が描かれている。

本書を読んでいて、やはり思い出したのは2.28紀念館に展示されていたある医師の遺書だ。
医師は事件後の弾圧で捕らえられ、処刑を宣告される。
その処刑を翌日に控えて医師が妻に宛てた手紙が2階のケースに遺影と共に展示されていたのだが。私はその遺書を目にし、目頭が熱くなった。
達筆の日本語で書かれたその遺書は、妻や子供への愛情に溢れており、かつ、その毅然とした態度は台湾の人々が尊び、肝心の私たちが失ってしまった日本精神そのものなのであった。

日本人にとって同胞である台湾の歴史を知ると共に、民主主義と自由と、そして権利と責任を改めて考えさせてくれる良書である。

~「(新版)台湾のいもっ子」蔡徳本著 角川学芸出版発行~

リットン報告書

2007年02月18日 20時17分42秒 | 書評
「大量破壊兵器があるので調査させよ」

と調査団が土足で踏み込んだイラクには大量破壊兵器は存在せず、

「どこに隠してるんだよ。ナメンナヨ」

と武力に訴えて是が非にでも兵器を掘り返そうと爆撃を始めて大統領を捕まえてみたが、結局化学兵器も核兵器も出てこなかった。
で、赤っ恥をかかされた腹いせに、村人の何百人か殺した事件を盾にとり、

「あんたは人道に反した罪を犯した。よって、あんたは死刑である」

と昨年末に首を括られたのがサダム・フセインで、首を括らせたのがアメリカ合衆国。
軍事行動を伴う方法で村人を虐殺したと言う理由でその時の政権首脳が死刑になるのなら、「ソンミ村大虐殺」(1968年3月 ベルナム)を起こした時のジョンソン大統領も当然死刑になるべき存在だろう。
でもフセインは死刑になったが、ジョンソンは死刑にもならず1973年まで存命し、実行犯の米軍将校も軍事法廷で無罪になったから、世の中どうなっているのか分らない。

この「調査団」というものがいかに役立たずで用無しで能無しか、ということを実証した20世紀最初の実例がリットン調査団だった。

リットン調査団と耳にして、あまり売れていないお笑いコンビを思い出したあなた。あなたはテレビの見過ぎだ。
リットン調査団とは、そんな付属高校よりもレベルが劣ると(関西では周知の)言われる桃山学院大学出身のお笑いコンビのことではなく、歴史教科書に登場することでも有名な満州事変を調査するために国際連盟から編成された調査団の名称だ。

お笑い芸人のコンビ名に使われるほど知名度高きリットン調査団。
しかしその存在は歴史教科書にも記されている通り、彼らがまとめた調査書が日本の国際連盟脱退という事態を招き、やがて第2次世界大戦、三国同盟、大東亜戦争、敗戦と悪夢の歴史につながっていくことになる原因の1つと思われている。

でも、本書の前書きにも記されている通り、日本人のほとんど全てが「リットン調査団」の名称は知っていても、その調査団がまとめた報告書についてはほとんど知らないというのが実情ではないだろうか。
もちろん私も知らなかった。

本書はそのリットン調査団報告書の全文を邦訳した戦後始めての書籍である。

リットン調査団報告書は日本の悪口ばかりが記されているのではないかと想像していたのだが、そこにはかなり多くの日本の主張も取り入れられていたのだった。
そして日本と支那、双方の意見をできるだけ客観的な目で捉えようとしていることに、少しく驚きを新たにしたのだ。
惜しむらくは、リットン卿をはじめとする調査団の白人先生諸兄が東アジアの文化や歴史、情勢にもっと精通していただけていたら報告書提出後の歴史は変わっていたかも知れないということだ。
そして日本側全権代表であった松岡洋右外相がもうちょっと勉強をしておれば国際連盟脱退など宣言しなかったかもわかない。

そういう気持ちを抱かせてくれるたのは、やはり今回リットン報告書を読むことのできる機会を得られたことに他ならない。(本書は和文と英文の双方を収録)

でも、本書の一番恐ろしく凄みのある要素はこの1930年代初めの日本と支那の関係に今現在の日中関係を彷彿させる部分が少なくないところだと言えるだろう。

~「全文 リットン報告書」渡部昇一解説 ビジネス社刊~