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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

飛行機に乗るのがおもしろくなる本

2008年01月13日 17時02分56秒 | 書評
万年筆ブームだ。
ねこも杓子も万年筆。
ついに昨年暮れ、会社での私の部下のW君まで万年筆を購入した。
私のお株を奪ったわけではないだろうが、最近技術の進歩と筆記具の見直しが進められて万年筆に注目が集まっている。

私は大学生の頃から万年筆を愛用している。
その理由はボールペンは途中でインクが出なくなり最後まで使い切ったことが一度もないのに対して、万年筆はインクを補充するだけで何度も使うことができるからだ。
意外にもボールペンは私の筆圧に耐えきれず壊れるが、華奢に見える万年筆の方が遥かに長持ちするというわけだ。
つまり、書き味が違う。

この書き味抜群、時代をとらえたエコでおしゃれな万年筆に困ったことが一つだけある。
それはヒコーキに乗るとインク漏れを起こすことがある、ということだ。

飛行機に乗ると、地上では体験できない色んなことに遭遇する。
気圧差で生じる万年筆のインク漏れもその一つ。
その他、酒のまわりが異様に速い。
どっちに向いて飛んでいるのか分からなくなることがある。
シンガポール航空の液晶ビジョンの任天堂ゴルフゲームは1ホールで飽きてしまうくらい詰まらない。
などなど。

扶桑社刊の「飛行機に乗るのがたのしくなる本」は、以上のようなことは全然書いていないが飛行機にまつわる数々の謎が解説されている文字通り「楽しい」一冊だ。

飛行機の速度はどうやって測っているの?
翼の先端のランプの色はどんな意味?
客室乗務員の給料はいくら?
上空はマイナス50度なのにどうして飛行機は凍りつかないのか?

と言った聞けば「ん~~~なるほど」というようなことが104篇も書かれている。

私はヒコーキに乗ると「ヒコーキ事故」に関係する本を読んではドキドキすることがちょっと好きという悪趣味を持っているが、この本はそういうブラック名と頃は全くなく、本当に楽しくなることができる。
蘊蓄系の本なのでイライラせずにざっと読めてしまうところが、また楽しかった。

なお、コテコテのヒコーキマニアの方には頼りない内容だと思うので念のため。

~「飛行機に乗るのがおもしろくなる本」扶桑社刊 エアライン研究会著~

本年度書籍ベストワン!

2007年12月30日 11時00分35秒 | 書評
まず、お断りとして、例によって「本年度書籍ベストワン」と言っても「今年読んだ本のベストワン」なので、古本も含まれる。
毎年、書籍は主に通勤途中に電車の中で読むことを日課にしていたが、昨年の10月に本社勤務になってからというもの自動車通勤になってしまっため、通勤時に本を読むことができなくなってしまった。

自動車通勤は環境に優しくないばかりか楽しい読書の時間も奪ったわけで、転勤の罪は限りなく深い。

とはいえ、ほとんど週1に近かった主に首都圏を中心とする出張時に新幹線や飛行機の中で読書をすることができた。
このため最終的には昨年までの冊数には遠く及ばなかったもののマンガや雑誌を除いて50冊ほどを読了することができた。

読むのは相変わらずノンフィクションが中心だ。

小説の類いで楽しめることが少なくなってきており、これは映画の分野でもその傾向があらわれてきている。
「しょせん、作り話やんけ」
という気持ちがどうしても強くなってきている。
こうなってくると小説は何を読んでも面白くなく、とりわけSF関係やミステリなどは阿呆らしく読めない。
こういうフィクション作品は小説で読むよりマンガで読んだ方が楽しめるような気がしている。
「絵がついている方が簡単だ」
というような要は私自身のイマジネーション力の欠落で小説が楽しめないようになっているのかも知れないが、それとは別に上手い書き手が少なくなったことにも原因があるのではないかと思われて仕方がないこともある。

それが証拠に小説を読まないと言いながら今年の1月には「藤沢周平未刊行初期短編集」を喜々として買い求め、あっという間に読了している。
藤沢周平の小説ならば良いのか。
ということだ。

もともと大好きなジャンルであった時代小説に上手い書き手がとりわけいなくなったことが私を小説の世界から遠ざけた一番大きな原因なのかもわからない。

それはともかく、今年のベストワンを挙げるすれば、
「創造の狂気 ウォルト・ディズニー」
だろうか。
「だろうか」というのは今年読んだ書籍でとりわけ強烈な印象を残した作品はなかったからだ。
印象深い作品が少なくはなかったのだったが、「おおおおおおお~!!!!!」と感嘆符を五つも付けたくなるような作品はなかった。

この原因も、もしかするとイマジネーション力に加えて感動力も欠如してきているのが原因なのかもわからない。

でもなぜウォルト・ディズニーの伝記を選んだのかというと、成功者につきまとうある種の不幸を遠慮会釈なく描き出していたからだ。
おとぎの国の裏には狂気の世界が存在した。
よく言われるようなセリフだが、それを描き出すのがいかに難しいことか。
ホントのことを書くことは世界中、どこの国でも難しい。
とりわけそれが個人に関わることであればあるほど書くことができないのだ。

その狂気を描けるようになるまでディズニー本人の死から40年を必要とした。

裏を描くことの難しさにチャレンジしたその著者の精神にベストワンを贈る!
(と私が言ったところで、何の感動もありませんけど......)

なぜ、詐欺師の話に耳を傾けてしまうのか?

2007年12月18日 06時25分35秒 | 書評
「こんど一緒に行って聞いて欲しいんですけど」
「いいですよ」

と英会話スクールのクラスメイトに返答して連れて行かれたのは「かもめサービス」なる独自ネットサービスのビジネス説明会。

「私共のネットビジネスは必ず儲かります」
と言っていたかどうかは忘れてしまったが、原価数千円くらいのファックスマシンに毛の生えたような機械を一台数十万円で買わせることが目的の説明会だった。
もちろん、もう説明を開始した途端に「ねずみ講」しかも「新型のねずみ講」と分かるインチキ商売。

「これ、止めといた方がええわ」
と彼女に助言したのは言うまでもない。

世の中、人を騙すことで生計を立てている人は多い。
政治家の多くはそうであるし、宜保愛子や江原啓之といった霊媒師もきっとその類いに違いない。
ちなみに「インチキ霊媒師」でググってみたら「霊媒師そのものがインチキ商売だろう」と主張するサイトが引っかかった。
至極もっともなことだと思った。
とは言うものの私も以前タイのバンコクでインチキギャンブルに引っかかりそうになったことがあり偉そうなことは言えない。(当ブログ内で「バンコクのトランプ詐欺」で検索ください)

その詐欺師のテクニックを潜入取材などを通じてレポートしているのが多田文明著「なぜ、詐欺師の話に耳を傾けてしまうのか?」。
ホントになぜ人は詐欺師の話を真剣に聞いてしまうのだろうか。

詐欺師というのは一種の話術師と言えるのかも知れない。
噺家や漫才師、政治家など話すことを商売にする人は数多いが、リアルに人をフィクションの世界に導いてゆくテクニックは詐欺師の右に出る者はいないのではないか。
毎年詐欺に関わる犯罪がクローズアップされるが、同じようなケースに人は幾度となく引っかかっている。

「どうしたんですか?」
「もう、何度も同じ詐欺に引っかかるバカな老人にあきれ返って事務所を閉じるんだ」

とはいしいひさいちの4コマ漫画「バイト君」だったかのバイト君と弁護士の会話。

ともかく、今回もドドドと一気に読み切ってしまうくらい面白いレポートであった。
なお、著者の多田さん。
身体を張ったレポート、非常に感銘を受けますが殺されんように注意してください。

~「なぜ、詐欺師の話に耳を傾けてしまうのか?」多田文明著 彩図社刊~

シャクルトンに消された男達

2007年12月13日 07時55分06秒 | 書評
数年前にアルフレッド・ランシング著「エンデュアランス号漂流」(新潮社刊)を読んだことがある。
その時、アーネスト・シャクルトン隊長の判断力と決して冷静を失わない隊員達の冷静さに感銘を受け、実話としての冒険ドラマに心底魅了されてしまった感覚を今も鮮明に思い出すことができる。

史上最大級の失敗の成功。

南極大陸横断に失敗し2年近くも氷に閉ざされた南極海を漂流し、誰一人として死者を出さずに生還を果たしたシャクルトンの探検隊。
その「失敗の成功」という素晴らしさの裏側にシャクルトン達を支えようとした別の男達のドラマが存在していたことを、私は本書を読むまでまったく知らなかった。

「シャクルトンに消された男達」は「エンデュアランス号漂流」と対を為す南極大陸横断を試みた男達の物語だ。
シャクルトン隊のみのことを記した「エンデュアランス号漂流」を読み、その希代な物語に感銘を受けた読者は、かならず次はそのシャクルトン隊を支えることを任務とした本書の主人公たち「ロス支隊」の物語にも触れなければ、壮大な失敗のドラマは完結することはないと言えるだろう。
少なくとも私はロス支隊という後方支援部隊のことはまったく知らなかった。
さらに本隊であるシャクルトンの部隊が南極大陸にさえ上陸できなかったのに対し、三人の死者を出しながらも予定任務を「支隊」が完貫していたということは衝撃ですらあるのだ。

今や南極大陸は観光旅行でも訪れることのできる場所になった。
NHKが昭和基地やみずほ基地からテレビの生中継をしてから20年以上が経過する。
今や大掛かりな冒険と言えるものは宇宙探査しか思いつかない時代になったが、宇宙探査には手作りの冒険という感覚はまったくなく、科学とテクノロジーによる99%の下準備がすすめる「結末が推測可能な」マニュアルのある冒険に過ぎない。

それに比べて20世紀初頭に繰り広げられた南極大陸を舞台にする冒険ドラマは、果てしなく魅力的で、限りなく幻想的で、そしてあくまでも主人公が人間というダイナミックさを秘めているのだ。

~「シャクルトンに消された男たち 南極横断隊の悲劇」ケリー・テイラー=ルイス著、奥田裕士訳 文藝春秋社刊~

新聞社~破綻したビジネスモデル

2007年12月10日 06時10分48秒 | 書評
今日は朝刊休刊日。

新聞という報道機関に休みがあって良いものかどうか、以前から疑いを抱いている。
販売店や印刷所の従業員に休みを与えるのが目的だというが、それなら時代遅れになりつつあり現状の宅配制度そのものを見直してはいかがと思っているところで、読んだのが新潮新書「新聞社~破綻したビジネスモデル」。

毎日新聞の元役員が書いているだけになかなか説得力があり迫力があった。
新聞ビジネスについてかなりの部分のベールを剥がしていて面白い。
ただ「本当は、これだけじゃないだろうな」と思わせる部分もたくさんあり、著者が書ききれなかったところもあったに違いない。
そのことは「あとがき」にも書かれており、新聞という公器の一つには、実際のところ人々には見せることのできない「闇部分」が無数に存在することを窺わせる。

それにしても新聞の発行部数と実売部数の違いはいったい何なのだろうか。
無駄な印刷と無駄な配送料と無駄な処理費は「地球環境を大切に」と宣っている日ごろのメディアとは正反対で、実際は何百億円もの資源とエネルギーを破壊している。
新聞とはオピニオンを代表する言論機関ではなく、公告を取るためだけの地球破壊産業にほかならない。

真の民主主義は新聞やテレビ、雑誌までも含めた全てのメディアのビジネス構造が明確になったときに訪れる。
破綻しているのは新聞社だけでなく、メディアが作り出している民主主義も含まれるのではないか。
そんな考えが頭によぎった一冊だった。

~「新聞社 破綻したビジネスモデル」河内孝著 新潮新書~

サダム・フセインは偉かった

2007年12月06日 06時02分51秒 | 書評
世の中変な仕組みになっていて、ホントのことより既成概念の方を大切にする傾向が多分にある。
つまり、事実を言うと叩かれて、皆が事実と思い込んでいることを言うと支持される、と言う現象が発生する。

「サダム・フセインは偉かった」
というのもその一つ。

確かに米軍に取っ捕まるとき地中に隠れてみっともない姿をさらしたのは大減点。
まるで麻原某のような逃げ方はいただけなかったが、サダムの敷いたイラク政治はイラク国内にある種の平和を作り出していた。
イスラム教の国には珍しく女性に自由があり、信仰の自由も存在した。
各領内にキリスト教徒がいたことでもそのことは十分に認められる。

それでもアメリカ様が「残虐な独裁者」といえば「残虐」で「独裁者」になってしまう。
ここにはユダヤが操るメディア操作が介在するのだが、そんなことは関係ない。
みんな「独裁者」だから「残虐」になって「化学兵器も持ってるんだ」になってしまう。
したがって「サダム・フセインは偉かった」なんて口を避けても言えないわけだ。

高山正之氏のコラムは辛口で痛快。
既成概念、つまり思い込みに対して真っ向から対決しているところが最大の魅力。
最近朝日新聞を叩くことが増えてちょっぴりマンネリしているが、それでも実例を挙げて論破して行くコラムは他にない。

私がミャンマーを初めて訪問したとき「インドの王様の墓に行きたい」とガイドのTさんに頼んだのも実は高山正之氏の著書を読んでいたから。
氏の辛口コラムの内容が事実かどうかを確かめたい。
そんな気持ちで無理を言って探してもらって訪問したのだが、ホントのことだったのでビックリした。
以来、高山ファンを続けているというわけだ。

それにしても産経新聞の記者出身者には良い意味で変わった人が多いと思っているのは私だけだろうか。

週刊新潮コラム集。

~「変見自在 サダム・フセインは偉かった」高山正之著 新潮社刊~

ビルマ商人の日本訪問記

2007年11月30日 04時38分32秒 | 書評
ミャンマーへ旅立つ数日前。
出張の合間に神田神保町にあるアジア文庫を訪れた。
「何か面白そうな本はないかいな」
と探して見つけたのが本書「ビルマ商人の日本訪問記」だ。

この本。
ミャンマーのことをあえて「ビルマ」と書いているのは、この日本訪問記が1930年代の話であるからで、当時はミャンマーのことを誰もが「ビルマ」と読んでいたのでそのまま使われているというわけだ。

戦前戦中のミャンマー人の日本訪問記といえばアウンサン将軍以下30名の青年で構成されていた「三十人の志士」の物語が有名だ。
イギリス官憲の目を逃れてバンコク、サイゴンを経由して訪日し、日本や当時我が国の領土であった海南島などで訓練と教育を受ける様はなかなか興味深いものがあった。

「ビンタはミャンマー人には耐えられない屈辱的な習慣だ」
「みそ汁が臭くて食えない」
「集団で風呂に入る習慣はミャンマー人には恥ずかしくて仕方がないものだった」

などなど。
日本人の私たちが「へ~~~~」と感心してしまう内容が目白押しだった。

本書の主人公はアウンサン将軍などと異なり一般の商人。
但し、愛国精神を持っているところはアウンサン将軍らと変わりなく、日本が成功したことと自国が異国民に統治されている現実を比較して何とかしたいという心意気がひしひしと伝わってくる。

残念ながら独立から60年。
本書の発刊から70年が経過するが著者の祖国は未だに混迷の中にある。

もちろん本書の魅力はミャンマー人という同じアジアの民族から見た戦前の日本を眺めることのできることだろう。
習慣の違いや金銭感覚。
飛行機ではなくて船舶の時代にヤンゴンから神戸~東京へやって来るまでの長旅の様子などがよくわかり面白い。
中でも本書を読むまで私は超有名な薬品「タイガーバーム」がミャンマー生まれだったとは知らなかった。
ホントに意外だったのだ。

ともかく戦前のアジアを眺めることのできる良書の一つと言えるだろう。

~「ビルマ商人の日本訪問記」ウ・フラ著 土橋泰子訳 連合出版刊~

ドキュメント戦争広告代理店

2007年11月15日 06時11分22秒 | 書評
第二次世界大戦中に作られた日中戦争の映像は、ほとんどがハリウッド製で、アメリカ国民の戦意を駆り立てるものとして作られたことは現在では常識だ。
「日本兵によるオゾマシイ戦争犯罪」
も、
「日本兵による中国一般市民の殺戮」
も、全てハリウッドで製作された映像だった。

例えば、「オペラハット」や「スミス都へ行く」などの名作映画で著名な名監督フランク・キャプラは、これら反日プロパガンダ作品をメガホンをとった映画製作者としても知られている。

このように映像の訴える主張というものには、底知れぬ力が存在しており、ウソもホントにしてしまう影響力を持っているのだ。
まさに「情報戦」。
日本はその情報戦に巻き込まれ、見事に完敗したというわけだ。

高木徹著「戦争広告代理店」は、現代における情報戦の姿を描き出した傑作ノンフィクションだった。

舞台となったのはボスニア紛争。
旧ユーゴのミロシェビッチ大統領が戦犯扱いされ監獄に収監されたことは記憶に新しいが、元大統領の戦争犯罪について、最後まで国際世論には真っ黒とは言いきれなかった後ろめたさが残った。
その後ろめたさは何が原因だったのか。
本書を読むとそのあたりがよく見えてくるのだ。

事実上の勝者となったボスニア側も、敗者となったセルビア側も、よくよく見れば対した変わりはなかった。
では両者の何が違ったか。
それは国際世論を引きつける力量を持つPR会社を雇えるか雇えないのか。
そこに大きな違いが存在したのだ。

それにしても戦争というものは恐ろしい。
金になるものであれば、そこには正義は存在せず、まるで工業製品を拡販するようにイメージを作り上げて行ってしまう。
たとえウソであったとしても、周囲に「それは正しい」「かわいそうだ」と思わせれば良いのだから。

本書を読むと、機転の利かない政治家や官僚に引きずり回されている日本の将来が心配になってくる。

~「ドキュメント戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争」高木徹著 講談社文庫~

国鉄改革の真実

2007年10月28日 14時47分10秒 | 書評
郵政民営化が一段落して、これで国営で行ってきた巨大事業のほとんどから国が手を引いたことになる。

日本たばこ(元・日本専売公社)やNTT(元・電電公社)の民営化で始まった国営事業のクライマックスはなんといっても国鉄の民営化だった。
私にとって国鉄民営化は大学を卒業してすぐのひよっこだった頃、その最大の社会変化だったいってもいいくらいで、今になって思えば、どうしてあんな大胆なことができたのかと不思議に思うことが多かった。

その疑問に答えてくれているのが中央公論新社刊「国鉄改革の真実」。
著者はJR東海の葛西会長で、国鉄の分割民営化に直接携わった国鉄マンとしての経験が、20年の歳月を経た今、客観的で分かりやすい(経済のメカでは数時音痴の私にはサッと分からない部分んもあったが)ノンフィクションとして描かれている。

それにしてもJR誕生は静かな衝撃だった。

まだまだ若年だった私でも国鉄の慢性的な赤字は「国にとって致命傷」に見えていたのは間違いなく「民営化って悪くないかも」と漠然と感じていた。
運賃は毎年のように値上がりするし、電車は(南海や近鉄、阪急などに比べて)古いし、乗り心地も(京阪や阪急に比べて)悪い。
それに、ストライキで運休することも少なくなく(学校が休みになるので、それはそれで嬉しくないことはなかったが)、テレビで東京の黄色い総武線の電車を見るにつけ、
「なんで電車にスローガンを書いてるんだ? 組合ってこんなことしていいの?」
というのが小学校高学年、中学生、高校生時代の私の印象だった。
おまけに私は私鉄王国関西で生まれ育ったので「国鉄なんか、なくてもエエやん」とさえ考えていた。

それが一夜明けると、とってつけたような「JR」という文字を書いた電車が走り、民営化一年前くらいから駅員さんや車掌さんの愛想がメチャクチャ良くなり、駅の中も私鉄のように店ができたりレストランがオープンしたりし始めた。
やがて初めからJRのエンブレムがはめ込まれた新型電車が導入されてスピードアップ。
ダイヤも効率良くなり、気がつくと南海、阪神、阪急、京阪、近鉄などより運賃も安くて乗り心地も良く、なんといっても早く目的地に到着できる「至極便利な鉄道網」に生まれ変わっていた。

「国の財政を食い物にしていた国鉄は分割民営化されたら毎年多額の税金を納める優良企業に変身した」
というのは国鉄改革にも参加した政治評論家の屋山太郎氏の言葉だ。

全国的な運賃アップもここ20年で1度だけ。
それも消費税が3%から5%に上げられたときで、JRだけは学生時代と社会人になって20年ちょっと経過した今も価格は同じ。
20年で価格の変わっていないのはJRの運賃以外では生卵だけだろう。

そのダメダメだった国鉄をダメダメにした元凶は労働組合と利権に群がる官僚および政治家だった。
本書の大半はその魑魅魍魎がどのような行動をし、どのような裏技を使い民営化を阻止しようとしたのか、あるいは民営化推進派が反対勢力をいかに引き入れるのか、という「政治の世界」で占められている。

権利だけを叫び国鉄という自分の会社を食い物にする組合。
そして各地にまたがる鉄道という利権に群がる運輸官僚と政治家たち。

要は金と金という欲の世界が展開し、「国鉄を良くしよう」「借金を減らそう」などという愛社精神がおざなりされた結果が国鉄清算とJRの誕生に繋がったというわけだ。
JRが国鉄時代からの様々な弊害を抱えつつも超優良企業として今日あるのは、エゴやイデオロギーにこだわらず、ごく普通のことを普通にやった結果だというのがよく分かる。
本書はそういう意味で、日本社会の醜いところと、その醜さを清浄する能力を描いた珍しいノンフィクションと言えるだろう。

なお、巨額な赤字が表に出ていた国鉄分割民営化。
そして巨額な赤字が表に出ていない今回の郵政民営化。
この2つの公営企業解体の違いを解説してくれる読み物はでないだろうか。
是非とも詳しい人に教えを請いたいものだ。

~「国鉄改革の真実」葛西敬之著 中央公論新社刊~


タイガーフォース

2007年10月19日 07時17分24秒 | 書評
「進駐軍の兵隊さんは優しくて、ガムやチョコレートをくれました」

というのは第二次大戦終戦後の一部の事実を切り取っただけに過ぎなくて、実際は婦女暴行や代金踏み倒し、暴力事件が少なくなかった。
それでも報道されなかったのは敗戦国の悲しさで全ての国内メディアがGHQによる「検閲」を受けていたからで、このときの検閲の苦しさが快感になってしまったのか、我がマスメディアは今ではすっかりマゾヒスト(=自虐史観)になった。

実際、アメリカの兵隊は全てが全て優しかったのではなく女であれば誰でも追いかけたようだ。

「急にジープが止まって乗ってた黒人が追っかけてきてんよ。もう、夢中で逃げたし」

と語ってくれたのは私の母だった。
終戦時、母は13歳。
友達と連れ立って堺市内(大阪)を歩いていたら黒人兵士がジープを止めて追いかけてきたという。
友達と必死で逃げたときの恐ろしさは60年経過した今も忘れることはできないようだ。

このようにアメリカ兵がいつも倫理統制がとれている「やさしいへいたいさん」であることは決してない。

そのアメリカ兵の究極の狂気を描いたのが「タイガーフォース 人間と戦争の記録」だ。

ベトナム戦争時のアメリカ軍による民間人への凄絶な殺戮行為を30年ぶりに掘り出したノンフィクション。
綿密な調査に対してピューリッツア賞が授与されている。

イラク戦争の問題が高まってくる中でのベトナム戦争時の悲惨な事実を掘り出すことは、アメリカにとっては痛手でもあり、必要なことでもあったのだろう。
ベトナム戦争時の戦慄すべき虐殺事件はソンミ事件だけではなかったわけで、調べてゆくとまだまだ知られていない事実が吹き出してくるのかもわからない。

無抵抗の納付をM16で撃ち殺す。
縦断で破壊された老人の頭蓋骨の破片が脳漿とともに飛散して自分の軍服に降り注ぐ。
泣いている赤ん坊の首を切り落とす。

タイガーフォースは「もしかしたらイラクでも」と疑いたくなるような恐ろしさを持っているのだ。

なお、ベトナムではベトナム戦争のことを「アメリカ戦争」と呼ぶ。
本書を読み、ベトナム人の立場になったつもりで考えてみると、確かにアメリカ戦争だと何得できるものがある。

~「タイガーホース 人間と戦争の記録」マイケル・サラ&ミッチ・ウェイス著 伊藤延司役 WAVE出版刊~