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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた

2008年04月06日 15時11分33秒 | 書評
学生の頃、週刊朝日のデキゴトロジーの記事で、
「中学生の時に時代劇が大好きで、以後高校、大学と大好きなテレビも我慢して日本史を猛烈に勉強した大学の講師が改めて時代劇を見てみたら、至るところウソだらけでちっとも楽しめなくなってしまった。」
という話が紹介されていたことがある。
それを読んだ私は、
「ふ~ん、そういう人もいるもんだ」
と感心していたのだが、まさか自分がそういう人になってしまうとは思わなかった。

結論!
時代劇はウソばっかり。

話題のNHK大河ドラマ「篤姫」がまるでホームドラマなことは、それこそあちこちの雑誌に取り上げられ、それがまたまた高視聴率に繋がっているのは知られている。
篤姫がピョンコピョンコ跳ね回るようなお転婆姫で、篤姫ならぬあんみつ姫。
時たま海や山に向かって「バカヤロ~!」的な叫び声をあげるのは、青春ドラマの感さえある。
NHKの大河ドラマがこれだから、他の時代劇は言うに及ばず。
NHKの木曜時代劇もなんだかおかしいし、時々放送されるテレビ大阪の長時間時代劇なんか、サスペンス2時間ドラマとたいして変わらない。
里見浩太朗の「水戸黄門」に至っては、はっきり言ってひょうきん族のコントの様相だ。

時代劇と実際の江戸時代との違いを解説した、ちょっと楽しい時代考証解説本が古川愛哲著「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」。
もっとも、この古川さん自身が映画関係者なの、この本の中身もどれだけ本当なのか疑いたくなる部分も少なくないが、ともかく楽しい。

例えば、帯にも書かれているように鬼平こと長谷川平蔵はワーキンプア。
大奥の管理維持費用は年間600億円。
大工の賃金は現代の価格で約20000円。
エンゲル係数の非常に高い生活に、当たり前の古着の流通などなどなど。
ホントに面白い。
で、最も印象に残ったのは商家の継承システム。
現代や武家と違って女系が一般的だったこと。
武士と違って商家は本当の意味で実力を争う市場経済のまっただ中に立たされているので、店のかじ取りはアホぼんでは勤まらない。
そこでアホぼんの継承を避けるために、優秀な社員を選んで娘の婿にして、息子たちには生活に困らない程度の金を与え隠居させる。
それでもアホぼんが出てきたら座敷牢に閉じこめてしまえ、なんていうルールまであったというのだから驚きだ。
三越百貨店は1673年の創業で現当主は51代目。
このうち男子の継承は12代しかなく、いかに商家が合理的に生き残りを図っていたかが窺える。
ともかく、先に述べたようにどこまで真実なのか疑ってみる必要はあるものの、かなりお勧め、歴史エンターテイメントな一冊だった。

~「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」古川愛哲著 講談社+α文庫刊~


僕は少年通信兵だった

2008年04月03日 07時11分05秒 | 書評
終戦の直前、その当時のほとんどの少年がそうであったように軍国少年だった私の父は海軍少年飛行兵に志願したが年齢が十分でなかったことと、健康に疑い(終戦後すぐに結核であったことが判明)があったため検査で落っこちた。
これを逆手に私が生まれたのは「その時落っこちたからだ」というのが戦後60年も経過した今日でも、たまに口から付いて出るセリフなのだ。
つまり入隊していたら「神風になってすでにこの世にいないぞ」ということを言いたいらしい。

光人社文庫「僕は少年通信兵だった」私の父よりは五つほど年長の18歳の少年が「お国のために」と志願して戦争終盤にベトナムへ渡った体験記である。

光人社文庫は多くの戦争体験を出版しており、本書もそのひとつ。
ビルマ戦線や太平洋戦域での悲惨なものも少なくないが、ベトナムを舞台にしたものは不思議に悲惨さ、陰惨さが少ない。
それは当時のベトナムがフランスの植民地であり、親ドイツのバシー政権の統治のもとにあったからで、戦闘も少なく、食料も豊富で、中で描かれるサイゴン(現ホーチミン市)を中心とするベトナムの風景は平和そのものだ。

戦中のベトナムの風景が描かれている書物を読むたびに思うのは、日本が東南アジアに及ぼしたポジティブな影響だ。
それまでフランス人にへつらうことしか知らなかったベトナム人が同じ顔形をした日本人がフランス人を蹴散らしたのを目にし、顔つきが変わるのだ。
本書も数々の魅力に溢れているのだが、その最も興味をそそった部分が、ベトナム人の日本人に対する好意的な態度と日本の戦況が不利になり始めると独立運動に向けた着実な行動に出始めることだった。

敗戦後の描写も面白い。

ベトナム人と闘わすため占領軍の英仏両軍が日本兵に命じて戦闘をさせるが、日越双方の内通者が事前に打合せをして銃を空に向けて撃ったなんてことは、今伝えられることは、まずない。

ともかく、18歳少年といえば、今の世の中「またまた犯罪か?」という悲しくて情けないことばかり頭に浮かんでくるが、日本が世界を相手に闘ったあの時代、18歳少年は国の誉れであったとこをつくづく感じた。

~「僕は少年通信兵だった 南方戦線で戦った17歳の無線通信士」中江進市郎著 光人社NF文庫~

スーチー女史は善人か

2008年03月27日 22時45分27秒 | 書評
昨年春にヤンゴンを訪れた時、たまたまスーチー女史の自宅前を自動車で通過した。
デモが発生する前のことで周囲は平和そのもの。
家の前には検問所が設けられ、警備を任されている数人の兵士が立っているだけ。
新聞やテレビが伝える物々しさはまったくなく、スーチー女史を監禁しているのか、それともスーチー女史を暴漢から守っているのか分からないような警備だった。

で、ビックリしたのはそこから少し走ったところに新しいアメリカ合衆国大使館が建設されていたことで、
「スーチーさんの家の近所に、アメリカ大使館。これって嫌がらせみたいじゃないか」
と私は思った。

元駐ミャンマー大使の山口洋一氏によると、かつてスーチー女史はアメリカのオルブライト国務長官と毎朝電話で会談。
オバハン同士の密約を話しながらアメリカの指示でスーチー女史は活動していたのだという。

「まさか?」
と思った私もミャンマーへ実際に行ってみて、
「あの噂も、もしかするとホントなのかもわからない」
と思うようになり、ついにスーチーさんの近所にアメリカ大使館が引っ越してくることになるのをこの目で確認するにおよび、
「あの情報もガセではなくて、ホントだったのかもわからない」
としみじみと感じたものだった。

高山正之が週刊新潮に連載しているコラムを集めたのが新潮社刊「スーチー女史は善人か」。
「サダムフセインは偉かった」に続コラム集。

私が初めてミャンマーを訪れたときにインド・ムガール帝国最後の皇帝の墓を訪れた。
「地球の歩き方」にも載っていない。
日経BPのガイドブックにも載っていない。
しかし、このアジア近代史にとってとっても興味のある皇帝の墓が、ミャンマーのヤンゴンにあることを私が知っていたのは高山正之の著書を読んでいたからだった。
一般的なメディアがこんなにも大切な歴史スポットを教えないのに対して、イギリス植民地経営の非道を具体的に伝える高山正之のコラムはかなりなショックを受けるぐらい印象的な内容だった。

実際に日本のメディアはホントのことを伝えない。
日経、読売、朝日、毎日。
どの新聞を読んでみても掲載記事はほとんど同じ。
記者クラブなんてヨイヨイお達者クラブなんかで仕事をしているから、記事の内容が似るのも仕方がない。
まして、日本の記者はサラリーマン。
気軽な身分と来たもんだ。

ということで、メジャー紙唯一のはぐれ者、産経出身の高山正之。
一癖も二癖もあったと記者だったと思えるそのコラムは、私たちの頭の中を奇麗にスカッとさせてくれるのが、魅力的だ。

~「スーチー女史は善人か」高山正之著 新潮社刊~

よみがえれ!国産ジェット

2008年03月26日 06時21分58秒 | 書評
飛行機大好きなのに私はついに国産旅客機YS-11に乗ることはなかった。
しかしMRJに乗ってみたい。

先日MBS毎日放送ラジオを聴いていると、誰だったかパーソナリティーのオッサンが、
「タイへ行った時にローカルエアラインでYS-11に乗ったんです。座席の裏を見たら救命胴衣に『東亜国内航空』って書いてあってメチャクチャ感動しましたわ」
と言っていた。

YS-11は東海道新幹線初代0系列車と同じ実験装置で風洞実験を受けたことが知られていて、年齢は40歳以上。
飛行機としては高齢の部類に入るこの機が現在もなお海外では現役であることを考えると日本の航空機技術は決して低くないということを証明しているといえるだろう。(自衛隊では今も現役)
いや、証明しているどころか今や日本の航空機用部品製造技術が無ければB787もA380も生み出されることはなかった。
そうなると、
「どうして部品ばかりで肝心のヒコーキを作らないの?」
という疑問が起こるのも無理はない。

その疑問に答えるのが三菱重工が満を持して投入する純国産ジェット旅客機MRJ。

杉山勝彦著「よみがえれ!国産ジェット」はそのMRJ誕生に迫った現在の日本における製造業としての航空機産業をレポートした迫真の、そしてガンバレニッポン感が一杯のドキュメンタリーだ。

本書にはワクワク感と驚きが一杯詰まっていた。

本書を読むまでまったく気がつかなかったのだが、MRJ三菱リージョナルジェットは日本史上初の民間企業の民間企業による民間エアラインのためのプロジェクトなのだ。
そういえばYS-11も国主導の旅客機事業であったし、試験機だけ作ってボツになったSTOL飛鳥も国家プロジェクトであった。
役人というのは税金を使って自分の夢を叶えるのが商売のようで(ま、こういうのは商売といわず道楽と言います。普通は)、それを商業ベースに乗っけて国家を富ませようなどという発想は浮かんでこなかったようだ。
そういう意味でMRJは画期的な航空機といえるもので、商業ベースに乗せるために三菱グループはその総力を挙げてマーケティングからセールスからメンテサービスまで乗り出すことになるだろう。

そしてもう一つ、本書を読むまで気がつかなかったのは戦前の日本の航空機開発技術は世界最高峰であったということだった。
考えてみればゼロ戦の登場は画期的で、連合国がその性能を上回る航空機を作るのに数年を要したという事実も今の日本人は私も含めて忘れている。
問題は我が日本がゼロ戦にあぐらを組んで新しい戦闘機を生み出せなかったことに尽きるわけで、それを別にすれば日本には優秀な航空機を生み出す遺伝子が備わっているとも言えるのだ。
そういえば現在の旅客機には当然のように装備されているフラップは艦載機ゼロ戦のために日本が開発した技術だったと記憶する。

アルミより軽く鉄よりも強い炭素繊維技術。
B747やA380の何百回の離着陸にも耐えるゴムタイヤ。
トイレに厨房(ギャレー)。
コックピットの液晶モニタ。
機内エンタテイメントシステム。
立体縫製の座席。

知らない間に機内装備のどれもこれもが日本製になっていた。
これで旅客機そのものが無いのはおかしすぎる、というわけなのだ。

様々なサプライズが存在したが、本書の中で一番印象に残ったのは、東大本郷キャンパスで開かれたセミナーで熱く語った老人の話だった。
「国家を上げて支援をしてくれないと売れないんですよ」と涙ながらに語ったYS-11のセールス担当だったという老人の言葉がグッときた。
ということで、日本人航空ファンとして老人の目が黒いうちにMRJがYS-11のリベンジを果たせる日が来ることを信じたい。
すでに空飛ぶシビック「ホンダジェット」がクリーンヒットを放っていますけどね。

~「よみがえれ!国産ジェット」杉山勝彦著 洋泉社刊~

査察機長

2008年03月13日 06時12分59秒 | 書評
ヒコーキに初めて乗ったのは今から30年近く前、高校生の時だった。
期待に胸膨らませてワクワク気分で伊丹から搭乗したのがジャンボジェットB747。
尾翼についていた鶴のマークが眩しかった。
この頃の私はウブだったというか、御巣鷹以前ということもあったからか、平気で鶴マークのヒコーキに乗ってたのだ。
予断だが、鶴マークのヒコーキは現在、欠けた日の丸のマークに代わっている。
これは欠けたオレンジマークがシンボルだった大阪発祥の某大手スーパーマーケットを連想させる。
会社が傾くのはマークのデザインのせいかもわからない。

で、開港したばかりの成田空港へ向かう機内での私の感想は、
「なんじゃい、ヒコーキって、乗り心地は乗り合いバスと同じか?」
というもので、少しばかり失望したことを記憶している。

似たような乗り心地の乗り物。
乗り合いバスとヒコーキ。
似ているけれども両者はもちろん全然違う。
バスは墜落することはない(転落することはある)けれど、ヒコーキは一旦離陸してしまうと、着陸するか墜落するかの運命しかない。
この点が大きく異なるのだ。
したがって、ヒコーキのパイロットの方がバスの運転手よりも求められる条件が厳しくなるのは当然だ。

査察機長という職業があることを、小説「査察機長」を読んで初めて知った。
機長が職務に的確かどうかを定期的に査定する試験官みたいなもんで、この人にダメを出されると機長は副機長に降格、悪い場合は搭乗禁止になるらしい。

内田幹樹の作品はエッセイを除きそのほとんどが「サスペンス系」。
元ANA機長であった経験を活かしたその表現力はヒコーキファンはもとより、ヒコーキのことなどよくわからない一般読者をも魅了した。
そういう意味では「査察機長」は少しばかり異色の小説だ。

この作品はサスペンス小説ではない。
成田からJFKへ向かう国際線フライトでの査察を通じて、パイロットたちが置かれている日常の心理を巧みに描いている人間ドラマなのだ。
この小説はパイロット経験者、それもエアラインの、さらに機長を経験した者にしか描きえない凄みを備えている。
つまり作家・内田幹樹でしか描きえないドラマとも言えるだろう。

査察機長と二人の機長。
航空機の搭乗員というエリートと思われがちの職業が決して特別なものではないことを、私たち読者は知ることになる。
運行の安全とは何か、人を評価するとはどういうことなのか、会社とは、そして家族とは。
ごく普通のフライトは査察というミッションを通じてスリリングに、しかし心の深いところに響いてくる。

「エアラインの機長の平均寿命は定年退職後3年」

本初の中で作者自身がそう書いたように、作家・内田幹樹は66歳という若さで亡くなった。
その内田が残した最高傑作がこの小説「査察機長」であることは間違いない。

~「査察機長」内田幹樹著 新潮文庫~

通訳捜査官

2008年02月24日 15時31分30秒 | 書評
武家屋敷にて、
「一匹の忍者を見たら三〇人の忍者が潜んでいると思わなければなりません」

なんてセリフのマンガが掲載されていたのは、いしいひさいちのマンガ「101匹忍者大行進」。
ゴキブリを忍者に見立てたこのギャグは私のお気に入りの一つだ。

この忍者やゴキブリをそのまま中国人に当てはめることもできるのが今の日本。
「一人の中国人を見かけたら、三〇人の中国人が潜んでいると思わなければなりません」
と。

警視庁の元通訳捜査官、坂東忠信著「通訳捜査官」は新聞や雑誌では報道されない中国人犯罪に絡む様々な出来事や、その中国人犯罪者の習性、行動、背景などが面白おかしく書かれており、笑いが込み上げてくるが衝撃的な内容でもある。
現在世間を騒がせている餃子事件を見ても分かる通り、私たち日本人と中国人は互いに別の惑星に住んでいるのではないかと疑いたくなるほど、考え方、文化、習慣が異なっている。
死者を出す寸前の食品を加工した加害者の会社が被害者の日本を「被害者が出て売上げが落ちた。どうしてくれる。訴えてやるぞ!」と言うような「まさか」のお国柄。
日本にやってきた中国人がどのような方法でどのような犯罪を犯し、そして捕まったらどのような言い訳をするのか、真面目な日本人には理解も予想もできる筈がないのだ。

この「通訳捜査官」はさぞ心臓に悪い職業なのだろう。
もともと心臓に疾患を抱えていらした著者を実際に退職に持ち込むほどストレスを与える仕事であることは、本書を読むと実に簡単に理解できるのだ。

捕まって死んだフリをする中国人女性。
4階から飛び降りて逃げる超人的な中国人。
密航を出稼ぎ程度の犯罪とも思わない中国人。
万引きを現行犯で捕まったのに「レジは外にあると思ったあるよ」と平静に答える中国人。
などなど。

日本人の常識を超越した様々な言い訳やウソが飛び出す中国人犯罪者の世界。

一つ一つのエピソードはそれぞれ笑えるほど面白いのだが、その背景にあるものを考えると非常に恐ろしいものがある。
事実本書を読み終えて一番最初に考えるのは「中国とは緩やかに断交すべきではないか」と思えてくることだ。
この平気で無法を働く世界の非常識国家が海を隔ててすぐそこにあることを考えることほど、恐ろしいことはない。

楽しみながら中国人犯罪の実態を学べるのが本書の魅力である。
しかし単に楽しんでいるだけではなく、それが事実であることも肝に銘じなければならないほど、今私たちの周りには中国人を中心とする外国人犯罪の危機がある。

~「通訳捜査官 中国人犯罪者との闘い2920日」坂東忠信著 経済界刊~

「阪急電車」

2008年02月20日 20時36分40秒 | 書評
大阪と神戸の間は鉄道が3路線も走っていてとっても便利だ。
海岸側から順に阪神電車、JR神戸線、阪急神戸線が走っている。
この3路線、乗る人の社会的層がまったく異なるという特長があることは多くの関西人の知るところである。

阪神電車は労働者。
JR神戸線は一般人。
阪急神戸線はハイソサエティ。
と言う具合に。

だからといって関西人は首都圏の人たちのように埼玉県を「ださいたま」なんて呼び方をするようなことはない。
つまり阪神電車が海辺の工業地帯近くを走っていて労働者や甲子園球場に向かうタイガースファンが多く利用していることを見下げた心で言っているなんてことは全くない。
親しみを込めて「労働者の路線」と呼んでいるのだ。

尤も、阪急電車のハイソサエティもある意味事実で、この路線の沿線には有名なお嬢様私学高が点在していたり、関西でも屈指の高級住宅街芦屋の、それも一番高級な地域を走っているのがこの路線でもある。
ターミナルになっている梅田の百貨店にしても阪神百貨店は「イカ焼き」と「タイガースコーナー」で有名だが、要はそれだけとも言えなくはなく、一方阪急百貨店は店の本質はどうであれ、関西では東の三越に匹敵する高ブランドでもある。(関西での三越ブランドは阪神百貨店はおろか京阪百貨店以下であることを関東の人に教えると大抵ビックリする。つまり丸井と似たり寄ったり。)

この阪神間を走る阪急電車に西宮北口という乗換駅があり、ここから北に向かって宝塚まで走っている阪急今津線もまた、ある意味上品な住宅街の中を通っている。
沿線には関西学院大学や仁川学園などの大学高校、宝塚市役所、図書館などの官庁関係。
そしてなによりも六甲山の東側の丘に広がる閑静な住宅街があり、終点の宝塚は歌劇ファンの聖地もある。

この阪急今津線が舞台の小説「阪急電車」はグランドホテル形式の傑作ドラマだった。
今津線に乗り合わせる様々な人たちの人生模様が軽快なタッチで、しかしピリッとスパイスの利いた奥深さで描かれており、読み始めたらグイグイ引き込まれてしまい最後まで一気に読み終わってしままった。
ここ最近まれに見ぬ面白い小説であったわけだ。

本の帯に記されているように宝塚から西宮北口までの15分間にこれだけの物語があると思うとなんとなく楽しくなってくる。
著者の観察眼も素晴らしいがそのアイデアにも脱帽だ。
それぞれの小さな物語の続きを読みたいという読者の気持ちにも心憎いような応え方をしていて、満足感があると同時に読後の爽やかさに、さらに先を読みたくなる欲求に駆られてしまう魅力がある。

タイトルに魅かれて買ってしまったが、買って損などまったくなく、むしろ出会えて良かった小説だった。

なお、本書は東京出張の移動中に読んでいたため実際に乗っているのが京急や都営地下鉄であるにも関わらず心の中は「阪急電車今津線」という不可思議にな感覚も経験できて一層面白かった。

~「阪急電車」有川浩著 光文社刊~

なるほど「アラブが見た十字軍」

2008年02月15日 05時54分00秒 | 書評

イスラエルとパレスチナ、アメリカとイラク。
こういう中東のゴタゴタを見るにつけ私たち日本人は「お呼びでない」という感に堪えない。

人権問題や差別などという以前に、この人たちの紛争の原因はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教による「今どき」宗教戦争。
そこへまったく関係のない仏教徒の日本人が割り込んで「戦いはやめようね」と言ったところで往年の植木等ではないが、
「お呼びでない、お呼びでない、こりゃ待った失礼いたしやした~」
となるのが関の山だ。

ところで私たちが歴史で習うキリスト教とイスラム教の戦いで最も有名なのが十字軍。

アメリカのジョージ・ブッシュ君は9.11テロの時「我々は現代の十字軍だ」と言ってイラクに押入って行ったが、もしあのときにこの本「アラブが見た十字軍」を日本人の多くが読んでいたら、自衛隊の派遣はきっととどまることになっただろう。
なぜなら、十字軍はアラブから見ると野蛮人の侵略者以外の何者でもないのだから。

私たち日本人は一般に西洋人の立場で世界史を眺める習慣を身に付けさせられている。
これは戦後歴史教育のたまものと言うよりも、明治維新以来、西洋を手本にして国造りに励んできた結果でもある。
そんなわけで十字軍も西洋の立場から眺めてきたわけで「アラブから見たらどうなのよ」という仮説にはまったくタッチしてこなかった。
そのアラブから見た十字軍とはどんな連中だったかを記したのが本書なのだ。

で、本書によると当時のアラブから見た西洋人は、
・野蛮人
・人食い人種
・科学を知らずオカルト(加持祈祷など)に頼る
・烏合の衆
に要約できる。
決して現代キリスト教の精神に則った正義の軍団ではなく、本国で食いっぱぐれたならず者集団であったらしい。

目から鱗とはこのことで、確かに11世紀から12世紀にかけての西欧はアラブから見ると危険きわまりない未開の原人といった趣であったようだ。

本書の最大の魅力は、このようなアラブの先進性をその後どうしてアラブは維持発展させることができなかったのか。逆に押入ってきた西洋がアラブの技術や芸術を模倣し、発展させ、それがやがて来るルネッサンス、大航海時代に至り繁栄していったのかを分析しているところだ。
そこには世界共通の「驕る平家は久しからず」が存在する。

「アラブが見た十字軍」
この中には現代日本に強烈なメッセージが秘められているような気がしてならない。


思い込みの世界史

2008年01月26日 10時53分24秒 | 書評
日本国内で活動するミャンマー反体制派政治活動家やその支援者からは「トンデモ外交官」とされている元駐ミャンマー大使の山口洋一氏。
私がミャンマーという国に本気で関心を持つきっかけになったのは、この山口元大使が著した「ミャンマーの実像」という一冊の本だった。

スーチーさんと軍事政権しか表に出てこないミャンマー。
そのミャンマーの本当の姿とはどのようなものなのか。

「ミャンマーの実像」はテレビや新聞を通じて知っていた知識とは随分と違ったミャンマー像を描き出しており、正直言って私にはかなりのショックだった。
ホントにこれは事実なのか、とさえ疑った。
一方、国内のメディアは朝日新聞が連発する捏造、偏向記事を代表として信頼度が薄れ始めた時期でもあった。
「これは一度自分の目で確かめなければ」
と私は思った。

タイと違ってミャンマーへの渡航費は今もそうだがタイ旅行の120%~200%割高になる。
「ミャンマーの実像」を読んだ時は全日空が関西空港からヤンゴンのミンガラドン国際空港まで直行便を飛ばしていた頃なので行くには今より便利な筈だったが、航空運賃そのものが非常に割高なのに加えて、ミャンマーに入国する際の強制両替制度などが存在したため計画を立てるだけで実行に移すことがなかなかできななかった。

つまり予算の関係でなかなか足を前に踏み出せずにいたのだった。

その後、ミャンマーとの国境の町タイのメーサイを訪れた時、国境を自由に出入りす少数民族の人たちや、乳飲み子を背負った物ごいの子供たちの姿を目にすることになった。
タイで接したミャンマーという国。
どんな国なんだ、とミャンマーの空気に初めて直接触れた私はミャンマー旅行を決断した。
そして2年後、初めてミャンマーの大地を踏んだのだった。

実際に訪れ自分の目で見たミャンマーは新聞やテレビの情報よりも山口元大使の著作の方が現実であることを示していた。
ただ、訪問回数を重ねるたびに大使は少し政府の人たちの知人を作り過ぎたな、という感をもったことも確かである。
軍人で占められている政府の役人はかなり腐敗していたからだ。
それでもミャンマーはメディアが伝える北朝鮮と同じような国家ではなかった。

この山口元大使の本を発見したのは大阪本町にある紀伊国屋書店。
国際情勢のコーナーで偶然に目に留まって、少々割高だったが読んでみたくなって買い求めたのだった。
この元大使の著作との出会いはある意味運命的でもあった。

ある日、ヤンゴン市内をタクシーで移動していたときガイドで友人でもあるTさんが日本語の勉強を始めた頃の話を教えてくれた。
「私に初めて日本語を教えてくださったのは山口先生なんです」
とTさん。
「へ~、山口って先生が日本からヤンゴンに日本語教師で来ていたんですか。」
「いいえ、山口先生は山口大使の奥様だったんですよ。」

ミャンマーを訪れるたびにお世話になっていうTさんの最初の日本語先生は山口大使夫人だったのだ。
それを知って私は無論驚いた。
しかしそれ以上に、ミャンマーという国に私が来ることになったきっかけを作った一冊の本が妙な形で繋がっていたことに日本とミャンマー、同じ仏教国ならでははの「縁」というものを強く感じたのだった。

「思い込みの世界史」はその山口元大使が退官後に著した世界史の本。
ただ「ミャンマーの実像」と同じく従来の世界史とは視点の違っているところが本書の興味深いところである。
マスメディアが伝える姿とは全く違ったミャンマーの実像を伝えた山口氏の著作だけに、その視点が面白い。
「日本人の習う十字軍はヨーロッパ側から見た姿。ではアラブから見たらどうなるのか」
冒頭に記されていたそういう意味合いの一文にまたまた興味をそそられ買い求めた。
相変わらずミャンマーの軍政に味方しすぎの部分が気にかかるが、トルコの歴史やギリシアとの対立など、普段の日本人が知らない駐在経験のある外交官ならではの情報と視点が学校教育でしか知らない私たちの世界史を見る目を新しくさせてくれるのは間違いない。

~「思い込みの世界史 外交官が描く実像」山口洋一著 勁草書房刊~

新日鉄vsミタル

2008年01月14日 18時12分35秒 | 書評
「愛国心教育をしていない」
などと公の席で言おうものなら「右翼」(カタカナではなく漢字を振られる)のレッテルを貼られるおかしな世の中だ。

どこの国でも自国民に対する愛国心教育はもっとも重要なものとされている。
アメリカ合衆国は学校という学校には星条旗が掲げられ「自由と民主主義」を徹底してたたき込まれる。
日本が愛国心を謳うと文句を垂れる中国は「歴史」さえでっち上げて愛国心を高める努力をしている。もし愛国心に反旗を翻したりすると即銃殺だ。

少なくとも日本人も多くが愛国心を持っている。
サッカーワールドカップでもオリンピックでもワールドベースボールでも自国の選手を応援する。
ところが歴史論で正論を述べたり、自国の価値観で国際問題を論じたりすると「右翼」などと言われるのだ。
昭和一桁世代を親に持つ私の世代は愛国心を誇らしく語ることに抵抗感はないが、一回り年長の団塊の世代になると愛国心を論じることは、これすなわち戦争擁護者になってしまう。(団塊の世代の多くが持っているこのあたりの脳みそのメカニズムに重大な問題があるように思えて仕方がない)

経済についても同じことが言えるだろう。

例えば昭和30年代から40年代中ごろまで続いた高度成長期を支えたのは先述した私たちの父母の世代。
戦争中ティーンエイジであった昭和一桁世代は負けはしたが強固な愛国心を持って破産した国家をしゃがりきになって建て直した。
団塊の世代はその恩恵を受けながら、能力に乏しいながらも数だけ多いので繁栄を享受した。
その繁栄の頂点がバブルという時代であったが、なんといっても中身がないのではじけてしまうとどうしようも無く国家経済が十年以上も停滞することになってしまった。

バブルではじけた脆弱期に入ってきたのが「国際化」。
経済にも国際化が必要で「日本国内の経済システムは世界の潮流に見合わない」という考え方が巾を効かせてきた。
その結果、文化の違う外資がドカドカ入ってきてラーメン屋さんやお酒屋さんを買い占めようと攻撃を仕掛けてくるようになった。

で、そんな事態になって日本人が気付いたのは「企業はまさに愛国心のたまものだった」ということだろう。

ダイヤモンド社刊の「新日鉄vsミタル」はまさしく新日鉄という日本を代表する企業の一つと、どこの馬の骨かは分からないような(語弊はありますが)インド人実業家の攻防戦を描いたドキュメントだ。
インド人実業家・ミタルが欲するのは世界に2つと無い新日鉄の技術力。
金の力にものを言わせてその技術力をわが物にしようとするのが目的だ。
この技術というのが「日本産業の核心」と言えるもの。それを本書は克明に描き出し、企業を金だけで売り買いする現在の世界の経済界に疑問を投げ掛けているのだ。

「会社は誰のもの」
とは最近良く聞く言葉だが、本書を読むと企業は企業に勤めるものと、その企業が持つ文化の源泉である国家のものであることがよくわかる。

なかなか、スリリングなドキュメントだ。

~「新日鉄vsミタル」NHKスペシャル取材班著 ダイヤモンド社刊~