goo blog サービス終了のお知らせ 

とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

国際スパイゾルゲの真実

2008年06月08日 09時54分24秒 | 書評
聞くところによると現在の日本はスパイ天国で、とりわけ中国、韓国からの(友好顔の)産業スパイが暗躍しているという。
もしあなたが勤務している会社に中国人スタッフや韓国人スタッフがいたらスパイの可能性があることを私は否定できない。
あなたも否定できない。
とりわけ家電メーカー、医薬品メーカー、重化学工業、食品会社、などの技術・研究部門にいたら要注意だ。

現在の日本にはスパイ行為を取り締まる法律がない。
法律整備に関する要望は少なくないようだが、スパイ防止法などを作るとなると、やれ「憲法違反」だとか「人権問題が」とか「プライバシーがどうのこうの」と憲法よりも国民の生命や財産のほうが軽いと思い込んでいる左巻きの人びとの攻撃に合い、頓挫する。
したがって、窃盗罪程度ではスパイを抑止することが出来ないので、平和ボケ頭脳満開の日本人にとって「スパイは映画の中の世界」に留まってしまい、結局国力の衰退に繋がっているというわけだ。

そんな日本にもスパイ事件として大きく記憶されているのが「ゾルゲ事件。」
ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲが朝日新聞記者の尾崎秀実らの助けを買えて日本の対ソ姿勢や対米姿勢などを本国へ送信した。
その結果、ノモノハン事件の日本の大敗北はいうに及ばず、後の第二次世界大戦に於けるソ連の条約を無視した対日宣戦でソ連の有利に大いに運んだことは歴史が証明しているところだ。

最近の歴史教科書ではこのゾルゲのスパイ行為と、それに大々的に協力した朝日新聞記者の行為をどの程度教えているのか私は知らない。
なんせ歴史教科書の著者の多くが朝日新聞の愛読者と思われるので、好きな新聞社に不利に働く事件は、たとえ重大な歴史的事件であっても書くことはない。
「自分に都合の悪いことは捻り潰す。」左巻きの人たちの特徴だ。
尤も最近はスパイ行為が一国の存亡に関わることなど、あまり考えないようにしつけられているのかも分からず、そういう意味でも、随分以前にはなるけれどもスパイ行為で絞首刑者を出した朝日新聞と今では思想を同じくするNHKがスパイ・ゾルゲのドキュメンタリーを出版しているのは興味深い。

ゾルゲの生い立ち。
ゾルゲの日本人妻。
ゾルゲの時代の社会思想。
ゾルゲをとりまく日本人協力者たち。
社会主義の理想と現実。
スターリン。

あまり知られていないけれどもゾルゲは現在のロシア社会では伝説的英雄で数々の関連書籍が出版されていることも驚きだった。

ともかく、スパイ(という言葉かな)に抵抗のある日本人にはスパイを知るには最適な一冊だと私は思った。

~「国際スパイゾルゲの真実」NHK取材班 下斗米伸夫著 角川文庫~

人間はどこまでたえられるのか

2008年06月06日 06時36分47秒 | 書評
子供の頃、
「もし男性が妊娠して子供を産んだりしたら、その痛み死んでしまうらしい。つまり、女の人はそれだけ痛みに強いというわけだ」
という話を真剣に聞いたことがある。
人生数十年、肉体的にも精神的にも男として生きてきたが、幸いなことに私はまだ子供を産んだ経験はない。
したがって女性が感じる想像を絶するという苦痛も未だ経験していない。
代わりに、便秘気味の時に硬めのウ○コを産む(ひねり出す)苦しみは経験したことはある。

ともかく「人間はどこまで耐えられるのか」。
ものすごく好奇心をそそられるタイトルの書籍だった。

人間は何度まで耐えられるのか。
人間はどのくらい深くまで海に潜ることが出来るのか。
人間はどのくらい高いところまで生きることができるのか。

表紙と帯を書店で目にした時は、
「トンデモ本の一種かな」
と思ったがまったく違った。
目次をめくっただけで面白そうな内容が目白押しだった。
実際に内容を少し読んでみても、その最初に感じた予感は正しいもので、ごく真面目に人間のフィジカルに耐えられる限界というものをサイエンスしているだけにものすごく面白かったのだった。

本書を読んで最も素晴らしいと感銘を受けたのは、人間はどこまで耐えられるのかという疑問に対して多くの科学者が自らの肉体を犠牲にして実験を試みていることだった。
時には障害が残ったり最悪の場合、死に至るという実験の結果、今日の科学技術が存在するのだと思うと彼らの勇気ある行動に感謝しなければならないと思える。

日本でも、麻酔を世界で初めて実用化した華岡青洲先生なんぞは自らや奥さんを人体実験の材料として幾度も麻酔薬の実験を試み、奥さんはそのために盲いた人になってしまったという悲劇がつとに有名である。
清州先生までいかなくとも、世界中には「何百メートルの水深まで潜れるのか」なんて生死を掛けた実験などに多くの人びとが自分の説を立証するためにチャレンジしていたのだった。

しかし本書の弊害としては、またまたちょっとしたSF小説やドラマ、映画を楽しめなくなるという恐れがあることだ。
というのも「宇宙服を切らずに宇宙空間に放り出されたら本当にはどうなるのか」なんてことに対する非常に冷徹な結論が書かれていたりするのでB級SF映画なんかは楽しめなくなってしまう可能性がある。

~「人間はどこまで耐えられるのか」F・アッシュクロフト著 矢羽野薫訳 河出文庫~


これがホンマのミリメシや!

2008年06月05日 06時29分04秒 | 書評
「ミリメシ」
ミリタリーメシ、つまり軍の食事のことをミリメシと呼ぶのだそうだが、私はちっとも知らなかった。

週刊文春の名物カメラマン「不肖・宮嶋茂樹」の最新刊「これがホンマのミリメシや」は相変わらずのユニークなルポルタージュだった。

この人は本業の写真では「これこそピューリッツア賞」なんて作品は存在していないものの、ペンの力で陸海空の自衛隊のイメージを大いに高めた功績はどの報道写真家も足下に及ばない力強さを持っている。
もっとも、この名物の文章も実際にはゴーストライター、しかも勝谷誠彦という名のあるゴーストライターが書いていることはすでに周知の事実で、そういうことがあったとしてもメチャ、面白いのである。

その昔、日本軍を手段を選ばず無差別に制圧した鬼畜米英の将兵の皆さんは、
「日本人は戦地に米と水を持ち込んでいちいち炊き立てご飯を食べていたのか」
と驚愕したというエピソードを私は耳にしたことがあった。
つまり「ご飯のような、(パンと比べて)よくもこう非効率的な食料を持参していたもんだ」と。

日本が戦争に負けた原因のひとつに兵站技術があり、その中には当然のことながら食料の問題があったことは確かだ。
私がちょくちょく訪問するミャンマーでは先の大戦で17万人にも上る日本軍の将兵が散華されたが、その最大の原因が兵站の不備による食料不足。
信じられないことに、当時の大本営はビルマ方面軍に対して行軍に必要な食料は現地で調達するように指示していたのだという。
これでは日本軍行くとこ草木も生えないイナゴの襲来となんら変わらない状態になってしまう。

結局栄養不足で身体が弱ったところに英印軍ではなくマラリアを媒介するハマダラ蚊の攻撃に遭い、病死するというケースが累々と屍をさらす結果となった。

あれから60年。
今、世界に展開する我が自衛隊は自前で食料を内地から運び、出したゴミは自前で処分。
冷凍食品技術やレトルト技術を活かした様々な食材をはじめ、かなり充実した内容だ。

不肖宮嶋がユニークなのは、自衛隊PKO皆勤賞と言われるその行動力が結果として、自衛隊や他の軍隊の食事を賞味するという一般人にはなかなか体験できないことを経験しているというところだろう。

それにしても、不肖宮嶋シリーズ。
ネタは尽きるどころか無尽蔵にわき出て、読者を楽しませながらさりげなく国際問題、内政問題に触れているところは他の追従を許さない。

~「不肖・宮嶋 戦場でメシを食う!」宮嶋茂樹著 ワールドフォトプレス社刊~

カレーライスの謎

2008年06月01日 21時09分11秒 | 書評
かなり以前のことだけれどもABC朝日放送の深夜番組「探偵ナイトスクープ!」でレトルトカレーの蘊蓄に詳しい二人の一般人が登場し、度肝を抜かれたことがある。

一人は自称「カレーの王様」。
もう一方は「カレーの殿様」。

番組の中では視聴者が耳に(或いは目に)したこともないレトルトカレーが登場。
その個々のカレーの利き味対決をするのだが、最後まで決着がつかず、ただただ二人のカレーに対する思い入れに驚愕するばかりだった。

この「王様」「殿様」に関わらず、日本人のカレー好きは誰もが不思議に思うものがあるだろう。
そしてこの日本のカレーは一歩海外へ出いると、日本食レストラン以外では見ることの出来ない特殊な食べ物であることにも驚きを覚えるのだ。

例えば、私がちょくちょく行くタイのバンコクのタニヤには「日本のカレーが食べられます」との看板をあげている店さえ存在する。
いくら客のほとんどが日本人(駐在員、観光客の隔てなく)ばかりのタニヤといえども日本のカレーが商売になるとは驚くばかりだ。
タイにはグリーンカレーと呼ばれるタイカレーが存在するが、これも日本人の感覚からすると日本のカレーとはほど遠い味付けで、例えばS&Bジャワカレーの味を想像して口に入れると、そのあまりの違いに卒倒しそうになることさえある。

「これは美味い!何という食べ物なのだ?」
とカレーを食べたインド人が日本のカレーに驚愕した、という笑い話が紹介されている食らい、ユニークな食べ物。
それが「日本のカレー」なのだ。

その日本のカレーをカレー産業と消費者とのつながりから見つめたのが水野仁輔著「カレーライスの謎」。

タイトルを見た瞬間「これは面白そう」と思える一冊だった。
だったが、やはり何か物足りなさの残る一冊でもあった。
というのも、書かれている内容が、さして新しいことでもなかったことだった。
上手に色々な蘊蓄テレビ番組で語られているようなカレーについてのエピソードがまとめられているというのが、本書の特長でもあった。

食品としての歴史を知りたいという読者には物足りなさが残るし、いわゆる「プロジェクトX」風の食品開発物語としてもかなり物足りないものが感ぜられる。

新書のページ数では書ききれなかったこともあったことを著者は最後に書いているが、書ききれなかった「カレーの魅力」についても是非とも本にまとめていただきたい。
中途半端では当たったが、そんな気持ちにさせる一冊であった。

~「カレーライスの謎 なぜ日本人の食卓が虜になったのか」水野仁輔著 角川SSC新書

日本文明・世界最強の秘密

2008年05月18日 17時32分51秒 | 書評
20年ほど前、初めて沖縄へ訪問した。その時ここが他の都道府県とは違う街構造を持っていることにすぐ気がついた。

それは街の中心がないこと。

観光地で有名な国際通りはいざ知らず、郊外へ出るとどこが街の中心なのかそのランドスケープが見つからないことに気がついたのだ。
そのランドスケープとは鉄道の駅。
沖縄県には当時鉄道の駅はなく、駅を中心に広がった繁華街、街並みが普通の他の都道府県とは明らかに異なっていた。

増田悦佐著「日本文明・世界最強の秘密」は鉄道インフラに基づく日本の経済優位性を謳った異色の文明論だった。
自動車社会に変質せず、現在もなお世界最高のエネルギー効率で経済活動を営んでいる東京と大阪。世界最大規模のその二大経済都市と各国のインフラ、経済情勢を比較したなかなかおもしろい経済書だった。

確かに、日本という国は鉄道の駅を中心に街が開けている。
海外の立派な鉄道駅と比較すると、機能面ばかり目に付く日本の鉄道施設だが、フランス国鉄の資料にあるとおり、全世界で鉄道を利用する人の6割が日本人という事実を考えると、なるほどと思ってしまう。

大阪や東京ではこの鉄道システムが縦横無尽に走っており、人の移動だけであれば自動車はほとんど必要ない。
地下鉄やJRはまるで横方向に走るエレベーター。
時刻表を見なくとも10分も待たずに次の列車がやってくる。

本書を読んで最も驚いたのは、首都圏や大阪圏、大手私鉄といった日本の鉄道以外はどの国の鉄道も赤字経営で、国からの補助金がなければ運営ができないという事実だった。
あのTGVを走らせるフランス国鉄でさえ補助金で赤字を補填して運営されていたのだ。
日本のJR本州3社は株式上場も果たしている超優良企業であるし、東京メトロも都営地下鉄も黒字運営。大阪市交通局はかつての国鉄と同じで、民営化して合理化すれば即黒字化できる優良企業だ。

この自動車とは比べ物にならないエネルギー効率を持った鉄道網を利用することにより、省エネルギーで最高の経済活動を引き出す東京と大阪。
この二つの都市モデルを他国がまねることは千年事業ほども難しいと本書は述べる。
高齢化社会の中、本当に高齢者が楽に生活できるのも自分の意思で移動のしやすい鉄道網が発達した都市圏だともいう。

なるほど、と思った。
私が訪問した海外の都市など数える程しかないけれども、どの国も都市機能は東京(ちょっと劣るが大阪も)には勝てないと確信している。
百歩譲って台北が東京と大阪に似ているが、ここは純粋に外国と言えるかどうか。

ともかく、反論をしたい部分もあるにはあったが、とっても興味深い目が覚めるような一冊だった。

~「日本文明・世界最強の秘密」増田悦佐著 PHP出版刊~

ディーゼルエンジンの挑戦

2008年05月05日 11時30分01秒 | 書評
NHKの「プロジェクトX」が終わって3年近くが経過するが、未だにビジネスやプロジェクトに関わる成功物語は、私たちを魅了して止むことはない。

この「ディーゼルエンジンの挑戦」は燃費、馬力共に高性能のディーゼルエンジンを生み出した日野自動車の物語だ。

本田技研工業のCVCCエンジン開発の物語や、トヨタ、日産の海外でのビジネス物語は私たち一般人もよく耳にする。
しかし、トラックとなると、耳にする機会は少ないのではないだろうか。
本書では普通自動車のメーカーであった日野自動車がトヨタの傘下になり、普通自動車の開発と生産を断念。
大型車に特化していく過程も若干描かれていて、日本の戦後自動車産業草創期の業界地図が垣間見られ、面白い。

しかし、一番の読みどころはディーゼルエンジンの開発に際して交わされる国境を越えた技術者・研究者の友情だ。

今や世界一となった日本の自動車産業のその活力の源泉には海外の技術や理論を受け入れる柔軟な態勢があったことは、あのNHKのプロジェクトXでも度々目にした光景だった。
それは現在の中国や韓国、インドに見られるような無法で無礼なとも言えるコピー合戦ではないフェアな関係が成立している心地よい「技術競争の世界」。
真の意味でのライバル関係がポジティブに作用して生み出された世界で最も得ぐれた性能を持つ一個のディーゼルエンジンの誕生物語だ。

一般の読者からすると若干専門的すぎる傾向も否定できないが、道行く日野のトラックを見るたびに、
「あのトラックのエンジンにはあの物語が秘められているんだ」
と楽しくなる一冊だった。

~「ディーゼルエンジンの挑戦 世界を凌駕した日本の技術者たちの軌跡」鈴木孝著 三樹書房~

通天閣

2008年04月28日 18時26分43秒 | 書評
子供の頃、父と母によく「じゃんじゃん横丁」へ連れていってもらった。
このじゃんじゃん横丁の中にあった弓道場で弓を使って的を射るのが大好きで、その後、ちかくの食堂へいってちらし寿司ときつねうどんを食べると幼児であった私には大いに満足なのであった。

なぜ、ジャンジャン横丁に行ったのかは覚えていない。
もしかすると天王寺動物園へ行った帰りに寄ったのかもしれず、もしくは通天閣に登った後に立ち寄ったのかも分からない。
なんせ幼児であったので記憶が定かではないのだ。

でも幼児だった私にも鮮明な記憶として残っているのは、40年近く前のジャンジャン横丁を含む新世界はすでに場末た香りがたっぷりの労働者の街であったことだった。

西加奈子の小説「通天閣」はこの新世界界隈を舞台にしている。
二人の主人公はこの街に住み、そして職を得ている。
大阪の人なら誰でもここが「普通の街」とは少し違うところであることを知っている。
そこに住む主人公たちだけに、いわゆる普通の人生は歩んでいない。
そして普通の人生ではないけれども「もしかすると、自分はこの人たちと同じような人生を歩んでいたかも知れない」と考えてしまう切なさがある。

もしかすると、
もしかすると、
もしかすると.....。

二人を通じて垣間見る多くの人間模様と灰色の大阪の街が様々なイメージを抱かせてくれる印象的な物語だった。

~「通天閣」西加奈子著 筑摩書房~

帝都東京・謎の地下鉄網ばなし

2008年04月27日 07時32分53秒 | 書評
東京の地下鉄で一番困るのは「階段が多い」ということだ。

どうして首都の地下鉄なのにエスカレーターがなく、しかも通路にさえ段差があったりして、ちっともバリアフリーでなかったりする。
例えば三田駅で都営浅草線から三田線に乗り換えるのに地下を歩いていると段差や階段があり、
「車いすの人は駕籠を雇わねばなるまい」
と思ってしまう。

この点、大阪市営の地下鉄はだてに税金の浪費をしているだけではなく、ちゃんとエスカレーターや動く歩道を整備していて市民の目をごまかすことは忘れていない。
これが東京のようにエスカレーターもなければエレベーターもないと言う状況であれば、すでに大塩平八郎の乱パート2が発生していたことであろう。

東京の地下鉄の階段はとりわけ夏がかなわない。
バンコクのBTSも開業当時、エスカレーターが少ないのと、年中暑い土地柄が融合し、プラットホームにたどり着いた時はヘトヘトになったものだが、東京の夏はまさにそういう感じ。

どうして東京の地下鉄にはエスカレーターが少ないのか。

その疑問に対する答えが、この本には書いてなかったけど、なんとなく関連付けられそうなことが記されていた。

秋庭俊著「帝都東京・隠された地下網の秘密」を読了。

この本には「戦前に『軍事政権』によって築かれた地下鉄網が東京の地下には総延長400kmも走っていた」という政府による極秘鉄道の存在が描かれている。
なかなか見せる。
「なぜ南北線は丸ノ内線よりも上をクロスしているのか」
とか、
「西新宿の駅はなぜ忽然と開業したのか」
など、
「もともとそこにトンネルがあったとしか思えない」
という仮説からドンドン飛躍し、政府陰謀説が展開されている。
実に面白いのだ。

とりわけ国会議事堂前駅の謎が記されており、その駅を利用したことのない私は???なのだったが、なるほど。
政府の重要施設の下には秘密の地下鉄網が走っていたのか、ということに納得した。

しかし、これだけの雄大な秘密をなぜ政府は今も明らかにしないのだろうか。
そこには「自民党の利益が潜んでいる」のだと著者は別の著作で述べる。
だから「民主党を応援します」とまで述べている。

ということで、なかなか面白い本なのだが、『軍事政権』のひと言で「おや?」と思った私は著者の略歴をチェック。
「朝日出身のお方」なのであった。
ともかく、朝日出身を差し引いてもなかなか面白い一冊であった。

なお、こういうのをトンデモ本というのだと納得したのは言うまでもない。

~「帝都東京・隠された地下網の秘密」秋庭俊著 新潮文庫~

注:日本には軍事政権は存在しません。第二次大戦中でも議会があり、当時のことを「軍事政権」と呼ぶ人には注意が必要です。

日本人はなぜ日本を愛せないのか

2008年04月17日 06時27分42秒 | 書評
一昨年のWBC前後に発行された雑誌正論にシアトル・マリナーズのイチロー選手のインタビューが掲載されていた。
それを読んで驚いたのは、日本のプロ野球から飛び出し海を渡り、アメリカのメジャーリーグで活躍しているスター選手が、実は途方もない愛国者であったことだった。
もちろんこと野球に関しての世界観が中心だったかもわからないが、「日本を愛する」という一見、今の世の中なぜか言ってはならないことをさも当然のように話すイチローに多くの読者は喝采を贈ったに違いない、
雑誌のインタビューもさることながらWBCのその年。
多くの人々のイチローに対するイメージがプラス方向に劇的に変わったのは間違いない。

イチローに限らず誰でも海外から日本を見ると、この国が他の国とはかなり趣を異にする特殊な国であることに気付く。
私のような短期旅行を繰り返す者から見ても祖国の特殊な性格がクッキリと見て取れるのだから、異国に腰を据えて祖国を見つめる日本人からではなおさらであろう。

まず、日本ほど差別の少ない国はない。
日本ほど安心して生活できる国はないし、日本ほど何を言っても逮捕される心配もなければ暴力を振るわれる心配をする必要のない国もない。
平和レベルはそれを享受している国民がボケるほど高い。
また宗教対立など皆無で、もちろん民族対立もしかり。
国民の教育レベルは総じて高く、例えば文字を読めない人は一人もいない(幼児やボケ老人は除く)。
絵画にマンガ、アニメ、高品質の工業製品に農製品、寿司やラーメン、揚げ句は日本で生まれた洋菓子まで、世界に好影響を与えているものも数知れず。

確かに生活費、とりわけ食費や住居が他国に比べて高いという欠点はある。
しかし、それを差し引いても日本は他国と比べて突出してポジティブに特殊なのだ。

ところが日本のおかしなところは、それだけ良い点があるにも関わらず、知識人やマスコミ、政治家などには日本非難を喜々として繰り返すおかしな人たちが少なくないことだ。
「海外は進んでいる」
という言葉が度々飛び出しあたかも日本の常識が「おかしい」と言わんばかりなのだ。

鈴木孝夫著「日本人はなぜ日本を愛せないのか」は、日本人のこの自国文化に対する不理解と海外文化への憧憬について詳しく論説している。
「外国は素晴らしく、日本は駄目だ」
と決めつけようとするその性格は、歴史的背景や外国の文化や技術の取り入れ方に因を持つというのだ。
キーポイントは「容易に渡ることのできない海」というものが日本人が直接外国文化と遭遇することを防ぎ、書物や物品からその良い部分のみを受け取ってきた、蜃気楼効果、浸透膜効果であったことだ、と本書はいう。
しかし21世紀の今日、この海が移動手段と通信手段の高度化で本来持っていた2つの効果を失いつつあるというのだ。
その状況下で今の日本は経済的にも文化的にも世界へ及ぼす影響力でも世界トップになっているにも関わらず、未だにそのことに気付かず自己非難を繰り返しているのだという。

私は地球という限られた空間で全ての人類と全ての動植物が平和に助け合って生きていくためには、海に囲まれた日本がこれまで辿ってきた国のあり方が最も優れた参考書であると考えていた。
そういう意味で、本書は私には大いに共感できる一冊だった。

~「日本人はなぜ日本を愛せないのか」鈴木孝夫著 新潮選書~

北京大学てなもんや留学記

2008年04月12日 09時50分34秒 | 書評
「中国という国には有史以来国民意識は存在せず、その時代その時代で食わせてもらえる実力者に人びとがついていった。それは現代でも変わらないんです。」
という意味合いのことを語っていたのは司馬遼太郎だった。

国民意識のない国というのも極端な表現だが、確かに中国を見る限り共産主義なんていうのは、自己の富を蓄積するための道具のひとつでしなく、国家にルールはなし。
極端な拝金主義と軍国主義で周囲に有無を言わせぬ威圧感をもっている。
そのひとつの表れがチベット問題で、本来なら国際社会から強烈な非難が上がっても当然だが、その国際社会を黙らせるだけのヤクザの親分のような凄みを持っている。

どうやら21世紀は手塚治虫が描いた輝ける時代ではなく、利益最優先で腕力こそ正義というインモラルな暗黒の世紀になるのかもわからない。

貿易商社勤務という経歴を携え40歳前になって、その世界注目の中国北京大学に留学した谷崎光の留学記「北京大学てなもんや留学記」は大学生活というものを通じて中国を内側から見つめた生活感溢れる面白いルポだった。
数年前に読んだこの人のデビュー作「てなもんや商社」がコミカルながらも現実を的確につかみ取り、グイグイ押してくることに魅力を感じていたので、書店でこの本を見つけた時は即買いの決断をした。

日本人留学生の多くは自分の国のこともろくに知らないくせに他国へ留学し、気軽な話題でさえ自国の文化を絡められず、ディベートでは反論はおろか話題にさえ付いていけないものが少なくない。
それを恥とも思わないところが恐ろしいところだが、さすがにこの著者は中国貿易のプロとしての経歴が効いているのか、日本人の目を通して、日本人の価値観をもって、中国人と接し、中国の良いところ、悪いところを冷静に見つめているのだ。
そういうところと、相変わらずのコミカルさを含んでいるところが、魅力的だった。

中国人たちは自分の祖国こそ最も素晴らしい国だと主張する。しかし、
「言論の自由がない中国の大学ではいくら研究や勉学のレベルが上がっても世界レベルに達することはできないだろう」という意味合いの言葉には、なるほどと感心させられるものがあった。
海外、とりわけ米国などに留学した中国人の七割が祖国に帰ってこないという現実を見ても、今の中国の近代化が「張りぼての世界」ということがわかる。
そういえばうちの会社にも中国人社員が一人いるが、帰国したそうな様子はまったく窺えない。

中国のビルは大半が姉歯ビル。
中国の電球は1年間で100個以上「破裂した」。
経済授業で展開される「小日本」の糾弾会。
それでいて個々人はとても親切で人情深い。

冷静に考えてみるとこれほど支離滅裂な国はないかも知れない。
ともかく、著者のようにあちらの世界に一般人と一緒に住む「勇気ある日本人」のレポートは、日経なんかが書いている中国レポート(いわゆる提灯記事)よりよっぽど迫力があって内容が濃いのは間違いない。

~「北京大学てなもんや留学記」谷崎光著 文藝春秋社刊~