人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

有吉佐和子著「非色」を読む ~ 白人、黒人、プエルトリコ人・・・差別の根源は色ではない:現代社会は1967年当時と変わっているか? / 令和なコトバ「タイパ」

2022年02月16日 07時17分49秒 | 日記

16日(水)。14日付日経夕刊に掲載のライター福光恵さんのコラム「令和なコトバ」が「タイパ」を取り上げていました 「タイパ」とは「タイプ」のタイプミスではなく「タイムパフォーマンス」の略だそうです 「コストパフォーマンス」が「費用対効果」を表すとすれば、「タイパ」は「かけた時間に対する満足度」のことを指すとのこと タイパを上げる方策として一般的になっているのが、ドラマや映画の早送り視聴だそうです 監督が「間の取り方」を含めて製作した映画やドラマを早送りして監督の真の意図が正確に伝わるのだろうか?と真面目なことを考える一方で、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」などは何十分も歌手が動かないから早送りしてもいいかな、などと不謹慎なことを考える自分がいます 「いやー、ヴォータンの早口言葉はタイパ抜群だったね~」とか言っちゃって

ということで、わが家に来てから今日で2594日目を迎え、楽天グループが14日発表した2021年12月期の連結決算は最終損益が1338億円の赤字となり、過去最大の赤字となった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     携帯電話事業もプロ野球も ラクテン的にはいかない その着地点が赤字テンラクだ

 

         

 

昨日の夕食は「キムチ鍋」にしました 材料は豚バラ肉、白菜、平茸、ニラ、水菜、人参、大根、豆腐です。ピザ用チーズを乗せて食べると美味しいです

 

     

     

         

 

有吉佐和子著「非色(ひしょく)」(河出文庫)を読み終わりました 有吉佐和子は1931年和歌山県生まれ。幼少期をインドネシアで過ごす。東京女子大学短期大学部英語科卒。1956年「地唄」で芥川賞候補となり、文壇デビュー 「紀ノ川」「有田川」「日高川」の三部作、「花岡青洲の妻」「恍惚の人」など著書多数。1984年、急性心不全のため逝去

本書はたしか、先日読んだブレイディみかこさんの「ヨーロッパ・コーリング・リターンズ」で紹介されていて、これは是非読まなければならないと思って購入した本です

 

     

 

本書は、1945年8月の敗戦で住居や家族を失い、食料難のなかで生き残るために占領軍の軍人と結婚し、夫の母国アメリカに渡った「戦争花嫁(ウォー・ブライド)」を主人公としてアメリカ社会の実態を描いています

終戦の年に女学校を出て、米兵相手のキャバレーのクロークで働き始めた林笑子は、そこで出会った黒人のトムことトーマス・ジャクソン伍長と結婚するが、夫の帰国でいったん離婚を決意したものの、子供が生まれたことから、日本で世間の好奇に晒され後ろ指さされるよりはまし、と考え娘と共に渡米する しかし、夫がニューヨークで優雅に暮らしていると期待していたのに反し、彼はハーレムの半地下の狭い安アパートに住み、夜間勤務の看護師として働いていた トムは真面目に働いていたが給料は安く、物価は高く、生活はかつかつだった そのため、笑子は日本料理店「ナイトオ」のウエイトレスとして働くことになるが、そこで、渡米する貨物船の中で知り合った3人の女性と再会する 笑子と同じ黒人の夫を持つ竹子、白人と結婚した志満子、上品で容姿端麗な麗子だ。志満子の夫は白人でも「イタ公」と呼ばれるイタリア系アメリカ人で、麗子の夫は黒人からも”最低の人間、アメリカ人じゃない”と蔑まされるプエルトリコ出身者だった 笑子は3人の女性や現地の人々との付き合いを通じて、アメリカには複雑に絡み合った厳然とした差別が存在することを身をもって体験する 白人は黒人を差別し、黒人はプエルトリコ人を差別する。さらに、同じ黒人同士でも、アフリカ系黒人とアメリカ黒人との間にもお互いを蔑む傾向がある さらにユダヤ人に対する差別も存在する。しかし、笑子自身も黒人の夫やその弟を見て「やっぱり二グロは二グロだ。無教養で愚鈍な黒ん坊」と考えていることに気が付く そんな笑子も、自分の子どもの肌が黒いことを思い出し、「肌が黒い娘は自分よりも人間として劣っているわけがない」と考え直す。そして「色ではない」(「非色」はここからきている)、「私は二グロだ!  ハアレムの中で、どうして私だけが日本人であり得るだろう。私も二グロの一人になって、トムを力づけ、メアリイを育て、そしてサムたちの成長を見守るのでなければ、優越意識と劣等感が犇めいている人間の世間を切り開いて生きることなど出来るわけがない。ああ、私は確かに二グロなのだ!そう気づいたとき、私は私の身体の中から不思議な力が湧き出してくるのを感じた」と認識し、前向きに生きることを決意する

私の尊敬する文芸評論家の斎藤美奈子さんが「日本人妻と差別の構造」と題して巻末の「解説」を執筆していますが、いつものように鋭い洞察力で解説しています

「非色(色に非ず)には、多様な意味が込められています。差別の根源は肌の色ではない。では何なのか。笑子は悩み続けますが、最終的にはここに帰結するはずです。『色ではないのだ』『肌の色で中身を決められてたまるものか!』」

有吉佐和子さんは1959年11月から60年8月までの10か月間、28歳でニューヨーク州のサラ・ローレンス大学に留学しています 本書は1967年11月に角川文庫から刊行されましたが、その時の経験が本書に生かされていることは間違いないでしょう 斎藤さんが指摘しているように、本書が出版された1960年代中盤は、アメリカ合衆国で黒人の権利を求める公民権運動がピークに達した時代でした 1963年8月には黒人や黒人差別に反対する人々20万人が結集した「ワシントン大行進」が決行され、キング牧師が歴史に残る有名な演説をしています 例の「私には夢がある~」という演説です 有吉さんは、アメリカの公民権運動が功を奏して黒人差別が無くなることを信じて、これからの社会は「色ではない」「肌の色で中身を決められてたまるものか!」と笑子に言わせたのだと思います

本書の巻末に、編集部のコメントが書かれています 内容は「1967年刊行の本書には、今日からみれば一部不適切と思われる表現があるが、作者に差別的意図のなかったことは自明であり、書かれた時代的背景を鑑み、いまなお残る重要な問題を孕んでいる優れた作品であることを踏まえ、明らかな誤植などの訂正を除き、そのままとした」というものです 「一部不適切と思われる表現」とは、「二グロ」「黒ん坊」「イタ公」などですが、確かにこれらの言葉を使わなければ有吉さんが本当に訴えたいことは伝わらないと思います

また、有吉さんの娘・有吉玉青さんが「復刊によせて」(2020年10月)の最後に「1959年にアメリカ・ニューヨークに留学した母が描いたアメリカが、半世紀の時を経て現代によみがえること嬉しく、感謝するばかりです。アメリカはあれから、変わったのか変わっていないのか・・・」と書いています 現実を見ると2020年のアメリカ・トランプ政権下で、黒人男性が白人警官に窒息死させられたジョージ・フロイド事件をきっかけに「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)」というスローガンを掲げた大規模なデモが行われ、まだなお黒人差別が根強く残っていることを示しました 現在は民主党政権になりましたが、黒人差別や移民差別が無くなったわけではありません 「フェイクと分断」のトランプが大統領再選を狙っていることもあり、アメリカは危ないところにいると思います

本書は今から55年も前に書かれたとは思えないほど、古びていないしリアリティーがあります 410ページを超える大作ですが、読み始めたらあっという間に読み終わりました 強くお薦めします


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