17日(木).わが家に来てから342日目を迎え,安保法案の行方よりも藁のボールの行方の方が気にかかるモコタロです
夜が明けて,今朝の朝日朝刊の見出しによれば,安保法案はまだ決着していないようです ↓
閑話休題
昨夕,よみうり大手町ホールで「読響アンサンブル・シリーズ」第7回公演を聴きました オール・ハイドン・プログラムで①王立音楽家協会のための行進曲,②チェロ協奏曲第1番ハ長調,③交響曲第101番ニ長調”時計”です.②のチェロ独奏は上村文乃,指揮は下野竜也です
このシリーズは7時半の開演に先立って7時から「プレ・トーク」があります 読売新聞の女性編集委員Sさんが出演者にインタビューするのですが,今回の相手は指揮者・下野竜也です
名前は「しもの・たつや」と読みます.ついでに栃木県の地元紙「下野新聞」は「しもつけ・しんぶん」と読みます.「小さな親切・大きなお世話」でしたか?インタビューの内容は指揮者の人物紹介,演奏曲目の紹介が中心です
下野は日本の指揮者としては珍しく音楽大学ではなく鹿児島大学の出身です.社会が好きで学校の社会の先生になりたかったそうです.途中で,小さい頃からやっていた音楽の道に進むことを決心したとのこと
1曲目のハイドン作曲「王立音楽家協会のための行進曲」が滅多に聞かない曲名であることから,それについて訊かれ,「私のコンサートはあまり演奏されない曲目を上演するので,お客さんが少ないことで有名ですが(笑),今日は満席ということでありがとうございます」と自虐的に自己PRをしていました
やり取りの中で面白いと思ったのは,3曲目に演奏する交響曲第101番”時計”は1794年に完成しましたが,モーツアルトの最後の交響曲第41番”ジュピター”よりも後に作曲されたという事実です
モーツアルトは,妻コンスタンツェとその母親に毒を盛られ,1791年12月5日に死去しています
つまり,交響曲作曲家の系譜はハイドンーモーツアルトーベートーヴェンと言われていますが,そう単純なのもではなく,3人はほぼ同時代に活躍していたので,ハイドンがモーツアルトの後期の交響曲の影響を受けて後期の交響曲を作曲したと言える,ということです
ステージ上は,なぜかティンパ二奏者だけが左奥にスタンバイしていますが,他の楽員は出てきません おかしいな?!と思っていると,ティンパ二奏者が行進曲風のリズムを叩き始め,それに合わせて舞台の左右からオケのメンバー30数名が入場してきました
左から第1ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロ,第2ヴァイオリン,その後ろにコントラバスという対向配置をとります
コンマス・小森谷巧のリードにより「王立音楽家協会のための行進曲」が元気溌剌に演奏されます.しかし,指揮者が登場しません
すると,舞台左袖から両手で読売新聞の社旗を掲げた下野竜也が曲に合わせて行進して入場してきました
下野は社旗を掲げたまま舞台を下り客席の通路を一巡してまた舞台に上がりました.下野一流のサービス精神です
客席はヤンヤの喝さいです.先日も新日本フィルの演奏会でヴァイオリン奏者と一緒にライン・ダンスを踊っていました
オケが縮小して15人ほどのこじんまりした態勢になります.ハイドンの時代にはそれが普通の編成だったのでしょう チェロの演奏台が中央に運ばれ,ソリストを待ちます.拍手の中,上村文乃がスカイ・ブルーの鮮やかなドレスで登場,スタンバイします
下野が背が低いので上村がかなり大柄に見えます.ところで,チェロ協奏曲第1番ハ長調の大きな特徴は,作曲から200年経った1961年に楽譜が発見されたことです
3つの楽章から成りますが,ハイドンらしく明るく歌心に満ちた曲想です.上村は明るい音色を響かせて雄弁にハイドンを歌い上げます
現在スイスのバーゼル音楽院に留学中の彼女の演奏姿を見ていて,若さって素晴らしいな
と思いました.上村はアンコールに応え,バッハの無伴奏組曲第3番から「ジーグ」を快活に演奏しました
15分間の休憩後は交響曲第101番”時計”です.オケが再び拡大します.『時計』という愛称は,第2楽章の規則的なリズムが,時計の振り子を思わせることから付けられたもので,ハイドンの存命中からそのニックネームで呼ばれていたようです 私の世代では,J.B.ハリスのラジオ講座「百万人の英語」のテーマ・ミュージックとして頭にインプットされています
ついでに言えば,旺文社の「大学受験ラジオ講座」のテーマ・ミュージックはブラームスの「大学祝典序曲」でした.ああ,懐かしか~
私はこの曲を聴くに当たって,下野は第2楽章をどのように解釈して演奏するのかに重点を置いて聴くことにしました 第1楽章「アダージョープレスト」が終わり,その第2楽章「アンダンテ」に入りました.意外に思ったのは冒頭からスタッカート気味に速いテンポでグングン押していったことです
「百万人の英語」で聴いたテンポはもっとゆったりしていました.在来線と新幹線の違い,もっと大きく言えば,昭和と平成のスピード感の違いと言ったら良いのでしょうか
しかし,この楽章を通して下野+読響の演奏を聴いていくと,冒頭の速めのテンポは高い計算の上に成り立っていることが分かってきます
ハイドンはこの1つの楽章の中に様々な要素を仕掛けています.音楽の変化は百面相と言っても良いかも知れません.下野は自ら音楽することを楽しみながら,オケから千変万化する音楽を引き出していきます
その流れに乗って,第3楽章も,第4楽章も生き生きとハイドンの魅力を引き出します
実に楽しい痛快な演奏でした.久しぶりにハイドンの素晴らしさを再認識しました 「良い演奏」というのは,その作品を作った作曲家の偉大さを再認識させるような演奏のことを言います
その意味で,この日の下野竜也+読響のハイドンは「良い演奏」の典型でした
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます