人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

小宮正安著「コンスタンツェ・モーツアルト 『悪妻』伝説の虚実」を読む / 青柳いづみこ エッセイ「ピアノとスポーツ」を読んで思うこと / 中野雄「ストラディバリとグァルネリ」他,本を5冊を買う

2017年08月28日 07時45分39秒 | 日記

28日(月).わが家に来てから今日で1062日目を迎え,トランプ米大統領が25日,人種差別的な取り締まりで有罪となったアリゾナ州の元保安官ジョー・アルパイオに恩赦を与えた いうニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

                   30%台のコアな支持層に向けたメッセージだろうが 残り70%は支持してない

 

                                           

 

昨日の日経朝刊・文化面にピアニストの青柳いづみこさんが「ピアノとスポーツ」というタイトルでエッセイを寄せていました.超訳すると

「東京オリンピックが開かれる2020年には,5年に1度のショパン・コンクールがワルシャワで開かれる   16歳から30歳までの若者が集まるが,書類審査とDVD審査,予備予選を通るのは80人.第3次予選で10人のファイナリストを選び,3人の入賞者が決まる   日本は1970年の内田光子が第2位で最高だった.指導者はどう指導すればよいか悩む   参考になるのはスポーツ界の水泳競技だ.それまでの水泳競技は各選手が所属するスイミング・スクールごとにトレーニングし,対抗意識から情報交換もなかったが,シドニーオリンピックの競泳日本代表のヘッドコーチ上野氏は,コーチ,クラブ間の垣根を取り払い,他のコーチの指導も受けられるようにした   その結果,最近では金を含む複数のメダルを獲得するようになった   日本には複数のピアノ教育団体があり,オーディションやコンクールを実施しているが,指導そのものは個々のレスナーに任されている   『門下』の意識が強く,先生を変えると破門扱いされたのは昔のことだが,今も複数の指導者に師事するのは簡単なことではないときく   ショパン・コンクールはショパンの曲のみで競うので,ショパンにふさわしい演奏をする必要があるが,『ショパンらしい演奏』が曲者で,審査員それぞれが抱くイメージがかなり違う.年度ごとの違いもある   従来は比較的保守的で,あまり逸脱した表現をすると実力があっても落ちてしまうケースが見受けられた.しかし2015年の時は自由なスタイルが主流で,オーソドックスな演奏は点数が出にくかった.このように演奏のコンクールでは審査員の顔ぶれ次第で結果もがらりと変わる   それでも,飛びぬけた実力者は必ず上に行くが,受験生としては傾向と対策も練らなければならない.そのとき,水泳競技方式がモノを言うと思うのだ.門下や学舎にとらわれず,すべての垣根を取り払って自由に情報交換ができる場があればどんなによいだろう

毎年数多くの音大生が卒業していく中で,この世界で生き残るのは大変なことだと思います   演奏家にとって,国内外のコンクールに入賞することは,広く実力が認められ,次のステージに上がる大きなステップになるでしょう   そういう意味で,コンクール,コンクールと言いたくはないものの,コンクールは演奏家の実力を知るための客観的な「必要悪」的な存在になっているように思います   コンサート・リスナーとしては,同じ曲を聴くなら実力のある演奏家の演奏を聴きたいと思うものです   今この瞬間にもショパン・コンクールを目指して練習に励む若者たちがいるのだと思います  「ショパンらしい演奏」を目指して個性を発揮する・・・・口で言うのは簡単ですが,相当難しい課題だと思います

 

                                           

 

小宮正安著「コンスタンツェ・モーツアルト 『悪妻』伝説の虚実」(講談社選書メチエ)を読み終わりました   小宮正安氏は1969年東京生まれ.現在,横浜国立大学教授.専門はヨーロッパ文化史およびドイツ文学.このブログでは「モーツアルトを『造った』男 ー ケッヘルと同時代のウィーン」(講談社現代新書)をご紹介しました

 

     

 

この本は次の8つの章から構成されています

序章  琥珀のなかの「蠅」

第1章 モーツアルト家 vs. ウェーバー家

第3章 コンスタンツェという女性

第4章 「理想のモーツアルト伝」のために

第5章 加速する「悪妻」イメージ

第6章 伝説は覆されたか?

第7章 日出ずる国のコンスタンツェ

終章   彼女を語るとき,ひとは・・・・

「序章」では,モーツアルトの妻コンスタンツェ(1762~1842年)について,音楽学者のアルフレート・アインシュタイン(物理学者のアルベルト・アインシュタインとは別人)が,著書「モーツアルト その性格 その作品」の中で述べている次の言葉を紹介しています

「モーツアルトの妻コンスタンツェ・モーツアルトとは,何者だったのか? 彼女の名声が今なお続いているのは,ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトが彼女を愛し,それによって彼女を永遠の中に連れていってくれたおかげである   それはまるで,琥珀のなかに蠅が閉じ込められたようすと同じなのだ.だからといって,彼女がこうした愛や名声に十分応えていたとは限らない

また,小宮氏は 世界三大悪妻の一人として,ソクラテスの妻クサンティッペ,トルストイの妻ソフィアと並んで,コンスタンツェが挙げられていることを紹介しています.そのうえで,なぜ彼女がそこまで悪く言われるようになってきたのか,コンスタンツェに関する受容史を探ることがこの本の目的だと述べています

第1章では,コンスタンツェ・ウェーバー(旧姓)が作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーの23歳年上の従姉であることを明らかにします   そして,母親のチェチーリアは 出身地マンハイムで下宿屋を営んでいたが,そこにモーツアルトが滞在することになり,最初は姉のアロイジアに熱を上げたが 振られたため,妹のコンスタンツェに鞍替えして結婚に漕ぎつけた旨を紹介します

第2章以降では,なぜコンスタンツェが「悪者扱い」されてきたかについて次の要因を挙げて理由を探ります

 ①歴史に残る超有名人(モーツアルト)と結婚した.しかも才能という点では,宮廷歌手を務めた姉アロイジア・ウェーバーと比べてみると,彼に釣り合わないどころか,釣り合うきっかけさえも見いだせなかった

 ②舅(モーツアルトの父レオポルド)と小姑(同・姉マリア・アンナ)と折り合いが悪かった.軽率さを夫にしばしばたしなめられ,だが一方ではその官能性で夫を魅了した

 ③家計が火の車になる中,夫が急死した.夫の葬儀は極端なまでに簡潔に執り行われ,埋葬場所さえわからなくなった

 ④夫の死後は,大出版社を相手に亡夫の楽譜を高値で売りつけた.「レクイエム」の初演や出版を依頼主を無視して決行し,騒動を巻き起こした

 ⑤デンマークの外交官(ニッセン)と知り合い,ついには彼の妻として「国家顧問官夫人」を名乗るようになった.やがて折り合いの悪かった小姑(マリア・アンナ)の住む街に引っ越し,ニッセンが亡くなった後は彼の著した『モーツアルト伝』の販売に心血を注いだが,ふたたびビジネス上のトラブルを巻き起こした

 ⑥モーツアルト記念祭関係の催しに何かにつけて首を突っ込み,さらには晩年まで衰えぬステージママぶりを発揮して,次男(フランツ・クサヴァ―・モーツアルト)を名誉あるポストに付けようとしたが失敗した

これらの要因について,小宮氏は「嫌われるのは もっともなことだが」と断りながらも,コンスタンツェに同情的なコメントを付しています   たとえば,③のモーツアルトの葬儀・埋葬場所については,「当時は簡素なやり方がごく普通であった」とか,④の楽譜を高く売りつけたことについては,「多額の借金を抱えており 生活のためやむを得ない措置だった」とか,史実を交えて述べています

モーツアルトとの関係において,コンスタンツェの人と成りについて考える時に,一番信頼できる資料はコンスタンツェの2番目の夫ゲオルグ・ニコラウス・ニッセンが著した『モーツアルト伝』であると言われています   今年5月の連休に第一生命日比谷本社で開かれた「ナンネルとモーツアルト 国際モーツアルテウム財団コレクション展」で,この初版本(1828年)が展示されていました   随分古めかしく,保存が大変だろうなと思ったのを覚えています   いずれにしても,コンスタンツェにとって,2番目の夫 ニッセンがモーツアルトを敬愛していたことはラッキーだったと言えます

『モーツアルト伝』を著すに当たり生き証人が隣にいるのですから,ニッセンにとってはこれ程都合の良いことはありません   ただし,モーツアルトが旅に明け暮れていたことから手紙が多く残されていたザルツブルク時代と比べて,コンスタンツェと結婚した後のウィーン時代は極端に手紙が少なくなっていたことから,当時の客観的な様子が分からないのが実態です   ニッセンは当然,すぐそばにいたコンスタンツェに当時の様子を聞いた上で伝記を書いたはずです.ここで気を付けなければならないのは,コンスタンツェは自分の不利になることも正直に話しただろうかということです   誰だって文字として残る書物で自分が悪く書かれるのは避けるでしょう  小宮氏はそのことについても書いています

「終章」の中で小宮氏は次のように述べています

「モーツアルトを愛でるのはよい.後世に生きる私たちは,彼の音楽を,さらにはその人生を楽しめばよい   だからこそ高級そうな知識をふりまわして,あるいはそうした知識をもっていることを鼻にかけて,他人の悪口を言う真似はそろそろ慎んだらどうだろう.コンスタンツェをいかに語るかという姿勢のなかには,それを語っている当人の本性が必ずや滲み出ているのだから

どうやら,これが小宮氏の一番言いたいことだったようです   「残された手紙や,後世の様々な『モーツアルト論』の中で明らかなように,モーツアルトはコンスタンツェを愛していたのだから,それでいいじゃないか」という主張も為されていますが,一方で,モーツアルトからコンスタンツェに向けた手紙は多く残っているのに,その逆の手紙はほとんど残っていないという事実や,それに基づいて,「コンスタンツェはモーツアルトを愛していなかった」という複数の説を読むと,果たしてモーツアルトは本当に幸せだったのだろうか,と考えてしまいます

 

                                             

 

本を4冊買いました   1冊目は中野雄著「ストラディバリとグァルネリ ヴァイオリン千年の夢」(文春新書)です

 

     

 

2冊目は丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」(幻冬舎新書)です

 

     

 

3冊目は米澤穂信著「満願」(新潮文庫)です このブログではお馴染みの著者の作品です

 

     

 

4冊目は誉田哲也著「インデックス」(光文社文庫)です これもこのブログではお馴染みの著者の作品です

 

     

 

5冊目は藤野英人著「投資レジェンドが教える ヤバい会社」(日経ビジネス文庫)です   藤野氏の本は先日「投資家が『お金』よりも大切にしていること」(星海社新書)をご紹介しました

 

     

 

いずれも読み終わり次第このブログでご紹介していきます

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