25日(土)。わが家に来てから636日目を迎え、昨日の夕刊の見出しに驚きを隠せないモコタロです
予想外な結果になってしまったなぁ 英国は大丈夫かな?
閑話休題
昨日午前11時から、サントリーホール「ブルーローズ」で「ENJOY!ウィークエンド~キュッヒル・クァルテットのシューベルト・アラカルト」を聴きました プログラムはシューベルトの①弦楽四重奏曲第13番イ短調”ロザムンデ”から第1楽章、②弦楽四重奏曲第14番ニ短調”死と乙女”から第2楽章、③弦楽四重奏曲第15番ト長調から第3楽章、第4楽章です このプログラミングは絶妙です 3つの弦楽四重奏曲から聴きどころの楽章を4つ集め、あたかも新しい弦楽四重奏曲を演奏するかのように組み立て直しています
出演は、第1ヴァイオリン=ライナー・キュッヒル、第2ヴァイオリン=ダニエル・フロシャウアー、ヴィオラ=ハインリヒ・コル、チェロ=ロベルト・ノーチです
このシリーズは無料ドリンク券がもらえるのでラッキーです 喉が渇いていたので開演前にホワイエでアイスコーヒーを飲みながらプログラム解説を読みました
自席はC2列12番、センターブロック右通路側です。また前方の席に戻りました やっぱり室内楽は前方の席で聴くのがベストだと思います
この日のプログラムは、すでに「シューベルティアーデ」ⅠとⅡで聴いた曲なので、言ってみれば「復習」です 第1楽章は第13番「ロザムンデ」クァルテットの第1楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」です。キュッヒル氏による美しくも悲しい旋律が心を切なくします
第2楽章は第14番「死と乙女」の第2楽章「アンダンテ・コン・モト」です この曲も悲痛なまでに悲しくも美しい旋律が執拗に繰り返されます まるで葬送行進曲です。明らかに死を意識した音楽です
第3楽章と第4楽章は第15番ト長調の第3楽章「スケルツォ:アレグロ・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「アレグロ・アッサイ」です 第3楽章の各楽器同士の掛け合いは楽しそうです それにしても、どうしてシューベルトという人は、同じメロディーを何度も何度も繰り返し演奏させるのか、と首を傾げてしまいます 第4楽章も基本は明るい曲なのですが、どこか陰りを感じさせます。これはシューベルト特有の曲想なのかも知れません
会場いっぱいの拍手に4人はアンコールに応えました 主旋律が流れてきて、一瞬耳を疑いました 何とチャイコフスキーの「弦楽セレナード」から第2楽章だったのです てっきり、ウィーンにゆかりの音楽かと思っていた私には驚きのアンコールでした
も一度、閑話休題
昨日午後7時から、サントリーホールで読売日響の第559回定期演奏会を聴きました プログラムは①ベルリオーズ「序曲”宗教裁判官”」、②デュティユー「チェロ協奏曲”遥かなる遠い世界”」、③ブルックナー「交響曲第3番ニ短調”ワーグナー”」です ②のチェロ独奏はジャン=ギアン・ケラス、指揮はシルヴァン・カンブルランです
この日のコンマスは長原幸太です。オケは読響の通常スタイル、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという態勢をとります
1曲目のベルリオーズ「序曲『宗教裁判官』作品3」は、未完の同名オペラのための序曲ですが、作品番号が表すように初期の作品です オペラの舞台は中世ドイツで、ある女性が婚約者を秘密法廷から救い出す物語です。このオペラは完成こそしませんでしたが、曲を聴く限り、後の「幻想交響曲」にいくつかの旋律が活かされています この作品で すでにドラマティックな曲作りが聴かれる点で、まさにベルリオーズの管弦楽の原点と言うべき作品です
2曲目のフランスの作曲家デュティユー「遥かなる遠い世界」は、ボードレールの韻文詩集『悪の華』に触発されて作曲されました タイトルは同書第23篇『髪』から採られています。デュティユーは1916年生まれなので今年が生誕100年を迎えました。彼は2013年まで生きていたので ごく最近の人なのですね
この「遥かなる遠い世界」は巨匠ロストロポーヴィチの委嘱により作曲されました 5楽章構成ですが、それぞれの楽章にボードレールの詩のタイトルが記されています。第1楽章「謎」、第2楽章「眼差し」、第3楽章「うねり」、第4楽章「鏡」、第5楽章「賛歌」です。全体は単一楽章のように切れ目なく演奏されます
1967年カナダ・モントリオール生まれのジャン=ギアン・ケラスがカンブルランとともに登場します カンブルランのタクトで第1楽章が厳かに始まります。全体を通して、チェロの静かなメロディーを中心とする、まさに「遥かなる遠い世界」を地でいくような曲想です 第3楽章「うねり」と最後の第5楽章「賛歌」だけがエネルギッシュに演奏されるくらいです
ケラスは弱音を主体として抑制気味にチェロを自由自在に操って美しいメロディーを紡いでいきます ものすごい集中力を見せました
圧倒的な拍手とブラボーに、ケラスは拙い日本語で「どうもありがとうございました。アンコールはプレリュードです」と言って、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番から「プレリュード」を軽快に弾きました 休憩時にロビーの掲示を見ると「アンコール曲 バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番」と書かれていたので「おやおや!」と思ったのですが、誰かが注意したのでしょう。5分後に見ると、その下に「プレリュード」と書き足してありました
休憩後はブルックナー「交響曲第3番ニ短調”ワーグナー”」(第3稿)です 1874年5月9日、ブルックナーは憧れのワーグナーに交響曲第3番を献呈します 彼は表紙の図案について、ワーグナーの名前は豪華に、自分の名前は控えめにと注文したそうです いかにも素朴で控えめな(もっと言えば、気が弱い田舎者の)ブルックナーらしいエピソードです
さて、プログラムの解説を見て、オヤッと思いました そこには「交響曲第3案ニ短調『ワーグナー』(第3稿)と書かれていました。実は、上のチラシには『第2稿』と書かれていたのです 解説によると「第1稿にはワーグナーの作品からの引用が含まれていたが、第2稿では削除され、第3稿ではさらに終楽章の再現部が大幅に削除された」と書かれています。いつの時点でカンブランが第2稿から第3稿に変更したのか分かりませんが、ブルックナー・オタクでない私にとっては、さほど大きな問題ではありません 要はブルックナーの交響曲を生で聴くことに意義があるのです
オケがスタンバイしますが、ワーグナーの交響曲にしては管・打楽器が少ないように思われます フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット=各2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパ二1といった編成です この「交響曲第3番」は後期の交響曲ほど楽器編成が大きくないことに気付かされます
ところが、読響の演奏でこの曲を聴くと、管楽器が上記の編成にも関わらず、とてつもない迫力で迫ってくるのです 弦楽器群の力演と相まって、まるでマーラーの大管弦楽曲を演奏するかのような大迫力です いかに読響の一人一人の演奏者が優れているかが分かります
プログラムに首席フルート奏者の倉田優さんのインタビューが載っていますが、彼女はブルックナーの交響曲第3番の演奏について次のように語っています
「木管のユニゾンも多く、互いに音色やニュアンスを合わせるところが難しいし、面白いです 魅力を感じるのは、オーボエの色が強いとか、フルートが目立ちすぎるとかではなく、木管セクションが一つの楽器の音色を作るようにブレンドすることです 何の楽器が混ざっているのか分からないほどうまく溶け合った時、幸せを感じます」
まさに倉田さんが書かれていたような演奏を、この日の読響は実現しました 素晴らしいオーケストラだと思います
常任指揮者のカンブルランについては、これまで読響との相性がいい指揮者だという認識はありましたが、とりわけ大きな魅力を感じるところはありませんでした しかし、この日の3曲の指揮を見て 聴いて感じたのは、カンブルランは音楽の自然の流れを作るのが非常にうまいということです。演奏する側も演奏し易いのではないかと思います
そういう意味で、今回の定期演奏会は読響メンバーの一人一人の実力と、カンブルランの魅力を再発見したコンサートだったと言えます
さて、上記の写真(読響 マンスリー・オーケストラ6月号)に、読響事務局のMさんが「コンサートホールの今」と題するリポートを書いています。それによると
「サントリーホールは2017年2月6日から8月31日までの約7か月間、休館して大掛かりな修繕に入る 改修ではユニバーサル・デザイン(誰にも使いやすい設計)への対応を広げ、2階の客席へ正面玄関から上がれるエレベーターの新設や、女性用トイレの増設を計画 一方、音響特性は変わらないように配慮し、例えば座席の張り替え布地は現在と同じ特別なオーストリア製のものを発注したという」
と紹介しています 約10年に一度の大規模修繕です。休館は止むを得ません しかし、どうせ修繕するなら、女性用だけでなく男性用トイレも増設してほしいと思います。絶対数が足りません 休憩時間の行列を見れば分かるはずです。トイレ問題ですが、水に流せません