人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

バッハ・コレギウム・ジャパンのモーツアルト「レクイエムK.626」「ヴェスペレK.339]を聴く

2013年12月10日 07時01分45秒 | 日記

10日(火)。昨夕、初台の東京オペラシティコンサートホールでバッハ・コレギウム・ジャパン(B.C.J)の第105回定期公演を聴きました プログラムはモーツアルト①証聖者のソウゲン荘厳な晩課”ヴェスペレ”K.339」、②レクイエムK.626です

独唱は、ソプラノ=キャロリン・サンプソン、アルト=マリアンネ・ベアーテ・キーラント、テノール=櫻田亮、バス=クリスティアン・イムラーです

 

          

 

開演10分前に自席に着くと、椅子の上の大きな紙袋が置かれていました。このブログの定期読者Nさんからのミステリー小説の数々です お父上がダブって買われたとのことで、興味があれば進呈するとのメールがあり、ありがたく頂戴することにしたものです 新保裕一著「奪取(上・下)」、大沢在昌著「北の狩人(上・下)」、浅田次郎著「一刀斎夢緑(上・下)」、ジェームズ・ロリンズ著「ナチの亡霊(上・下)」等です。ささやかなお礼を用意していたのですが、とうとう終演に至るまでお会いできませんでした Nさんにはまたの機会にお礼したいと思います

さて、会場はいつもの定期公演とは違い、後部席まで一杯で満員御礼といった状況です 拍手の中、BCJのメンバーが登場し配置に着きます。いつものバッハのカンタータ定期コンサートの時は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左サイドに並ぶのですが、この日のモーツアルトの宗教曲では、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に分かれて向かい合う「対向配置」を採ります これは「マタイ」や「ヨハネ」受難曲を演奏する時の編成です。左サイドにはティンパ二、トランペットが、中央にはバセット・ホルン、ファゴットが、右サイドにはオルガン、トロンボーン、ヴィオローネ(コントラバス?)がスタンバイします

もう一ついつものカンタータの演奏と違うのは、コンマスを寺神戸亮が務め、若松夏美が第2ヴァイオリンのトップに回り、オーボエの三宮正満、チェロの鈴木秀美、フルートの前田りり子、菅きよみの姿がないことです それと、コーラスのメンバーがいつもより多く、ソリスト4人を除いて24人いることです。チェロの武澤秀平(新日本フィル)、ヴィオローネ(コントラバス)の西澤誠治(読売日響)は健在です

白髪の指揮者・鈴木雅明が登場し、1曲目の「ヴェスペレK.339」の演奏に移ります。最初に、テノールの音頭で神への祈りの言葉が男声コーラスで唱えられ1曲目のディクシト・ドミヌスに移ります これを聴いて、もう6年以上も前に聴いたアーノンクール指揮ウィーン・コンツェルト・ムジクスのコンサートでこの曲を同じように演奏したことを思い出しました。たしかNHK音楽祭の一環として演奏したのだと思います。あの時は初めての経験だったので新鮮でした

休憩後はいよいよレクイエムK.626です。この曲は映画「アマデウス」でセンセーショナルに使われたことが記憶に残っています また、奇才・園子音監督映画「ヒミズ」の冒頭、3.11大震災後の瓦礫の山を背景に流れた「ラクリモサ」が鮮やかに蘇ってきます この日は、モーツアルトの作曲したオリジナルに弟子のアイブラーが補足し、さらにもう一人の弟子ジュスマイヤーの手が入った楽譜に、鈴木雅人の息子・鈴木優人が補筆した校訂版によって演奏されました

この曲について鈴木雅人は、モーツアルト没後200年の1991年12月に聖マリア大聖堂でこの曲を指揮した時のことを、プログラムの「巻頭言」に次のように書いています

「私はレクイエムが、こんなにも単純で明るい作品だとは知らなかったのです・・・・なぜか、バッハよりもずっと単純に響きます。他のモーツアルトの作品、つまり慣れ親しんできたピアノソナタや華やかなミサ曲やオペラなど、どの作品とも異なった響き、とても単純で、静謐かつ透明な響き この作品は、死への恐怖や”灰色の人”の伝説などが先に立って、何か暗い神秘的な装いが施されてきましたが、どこにもそのような暗い影はありません。むしろ、バルトが意図した美しさというのは、ここに表れているような、最も単純で明快な、神の創造の業を写し取ったかのような、光が満ち溢れて明らかなもの、まさしく、あの宿題の答えは”永遠の光”だったのかもしれない、と膝を打ったのでした

演奏を振り返ってみると、彼の主張がそこかしこに表れていたことが分かります。全体的に明るく透明感のある演奏で、その軽快なテンポと相まって躍動感溢れる音楽が展開されました 古楽器による演奏は特にリズミカルなテンポが大切だと思いますが、鈴木雅明+BCJのテンポはバッハのみならずモーツアルトにおいても適切だと言えるでしょう

鈴木雅明の解釈による演奏では、いつも慣れ親しんでいる「ラクリモサ」の哀しみにいつまでも浸っている暇もなく、力強い「アーメン」の合唱が間断なく歌われます。モーツアルト研究の歴史から言えば、この形がよりオリジナルに近いのかも知れませんが、何となく「ラクリモサ」の世界にもっと浸っていたい、と思わなくもない複雑な心境です 一方、全体を通して、これほど激しい「レクイエム」を聴いた覚えはありません

4人のソリストはいずれも素晴らしく、特にソプラノのキャロリン・サンプソンとテノールの櫻田亮が絶好調に思えました コーラス陣はいつものように完璧でした。BCJは世界に通用する数少ない日本の音楽集団であることを、あらためて証明したコンサートでした

 

          

 

 

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