富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

引き際

2010年02月04日 | Weblog

「アサショーリュー」の引退は、当然といえば当然で驚きもない。
相撲を国技ととらえて、文科省に法人格を認められ、補助を得て保護されて
何よりも我々の税金が投下されている特別な世界となれば、
一連の行状を看過できない・・・しかし、このたびの不始末は
モンゴル出身の類い希な才能の力士のせいばかりではない
むしろ、多くの海外力士に門戸を開いておきながら、日本的文化を理解広めることなく
格式であり、しきたり、習わしといった相撲文化をちゃんと伝えて
ちゃんと指導すべき相撲協会にこそ責任の所在があって、
そういう意味で、一連の問題では、幹部の「アサシオ」の責任も大いに問われてしかるべきで
いっかど、罪をなすりつけるなら両者に引退勧告をすべきだと思われる
閉鎖的な親方制度自体にも制度疲労が目に余る

今や、かっての相撲人気も凋落の一途をたどっている
そもそも、ここに至った理由は、ある意味「若貴」ブームの影響がおおきい
はじめのミーハー的な人気に乗じて、二人だけがとんとん拍子に出世を果たした。
その後、それが作られたものだとする「八百長疑惑」そのものもうやむやにされ
あげくに、引退後は目も当てられない骨肉を争う家族間の見にくい中傷合戦にはうんざりさせられた。
多くの相撲ファンも、辟易してスポーツなどと呼べる内容でもなく
ファンはそっぽを向いたのだ。ワカタカもまた相撲そのものの醍醐味に傷をつけたことは否めない。
にもかかわらず、ここに至った張本人の一人である「タカノハナ」をまるで
ヒーロー気取りで、「理事」に担ぎ上げて「改革」というのにもまた違和感を大いに感じる
彼は、相撲の再生を担うべき人物では、あり得ない。むしろアサショーリューに連なる
相撲凋落の元凶にも見えてならない。


道義的責任というのは、「罪科」を問う前に生き方として感じる感覚がなければ
リーダーとしての資格はない。まして、道義はちゃんとした政治が形として作り上げ
立法府というものは、その道義を果たすものが、法律を作り上げるところである。
法を作るもの執行するものが、法の網をくぐって、ぬけぬけと法に触れていないという
本末転倒の弁解が、はなはだあほらしい・・・・聞いてもいられない。
これが「政治」で、「豪腕」?・・・政治には金がかかる・・・政党助成金
それすら、ポケットに入ってしまう理屈が、許せない
・・・自分だけがよかったらいい「銭の虫」でしかない。それも税金を平気でむさぼりながら
「オザワ」が、それでも作り笑顔をさらし続けて政治などというのに
この後も関わるということが、政治不信の何ものでもない
政治が毅然としないのなら、税金を払う値打ちもこの国にないと感じてしまう。


ワールドカップイヤーの幕開けの「ベネズエラ」戦の中身もさることながら
代表戦の観客のまばらなことに愕然とした。
にもかかわらず、こうした「テストマッチ」の感想をして
「オカダ」はいいトライアルができて、収穫があったなどと
まだ独りよがりに、つまらないコメントをいう
そうではない・・・・代表は、我々の代表であって
ワールドカップは、我々フットボールファンにとってかけがえのない
最高のイベントであり、そこに行く代表と一体になって楽しみ興奮するものだ。
代表が、まさか「オカダ」の私物でも、「オカダ」にとっての自己満足のおもちゃなどではない
古びた「サッカー論」ばっかりで、何も訴えられない「サッカー」を繰り返して、
わくわくすらさせない試合、楽しそうにも全く見えない・・・せっかく盛り上がった人気を
ここまで「凋落」させていることに気づくなら、
もう一度この国の「サッカー」を再生するために
道ふさぎや、後ずさりせずに、とっとと
「引退」「退場」して欲しい。「オカダ」は決して
日本代表をリードする器では絶対にない。
本番前でもなんでもいい、日本サッカーのために今すぐにでも彼はやめるべきだ。