富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

・・・凡戦と失望と

2010年02月11日 | フットボール
ワールドカップイヤーの代表の試合となれば
多くのあこがれと、期待と希望と興奮と楽しさにあふれていなければならない。

相手は、アマチュアの香港で東アジア選手権(どんな意味があるんかしらんけど)

これがフットボールなのか・・・
パスの道筋にまで決まりがあるように、局面局面に驚きとひらめきがない
選択肢も一つしかない・体力に乏しい日本型FWがなぜあれほど
守備的に意識してしまうのだろう。彼らはこぞって
観客ではなくベンチのスタッフに向けたプレーを意識しているようにさえ思える。
この程度のオフェンスにアマチュアの彼らにさえ、デフェンスは容易だった。

フットボールの本質はOkadaのいう「システム」とか
コンセプトでは絶対にない・・・一人一人が持つイマジネーションが
その瞬間を作って、それを連ねるひらめきに
驚きと感動と達成感が生まれていく。切り開く個人技の連続で・・・ところが・・・

どこに誰がいて、こういう時にこうして、フォーメーションの崩れだけしか
目に入らないヘッドコーチのせいで、へとへとになって、
楽しいはずの「ゴール」に必死になってことごとく・・・フカシテしまう
これがフットボールなのか・・・これが代表のフットボールなのか
これで、子供たちをわくわくさせているとでも思っているのか
「前半はシュートの意識がない・・・」などと
まだ、そんな使い古された言い回しが薄ら寒い
シュートの意識が欲しいのではない・・・ゴールの興奮とゴールの楽しさに感動したいのだ。
まるでS級ライセンスを取ったものだけが
「サッカー」をわかっており、サッカーとは専門的戦略がわかっていないと
わからないとでもいうのだろうか
僕らはわかる。これがつまらないのか、楽しいかぐらいは
見てるだけでわかる・・・見てるだけでわかるものに
感動を与えられるのが「プロ」なのだと思うし、「代表」の誇りだと思う。

一人一人に決められた役割と・・・コンセプトなどというわかったようでわからない
縛りのために、どのプレーヤーからも何も感じない
こんなシステマチックなクラマー時代の
体育的発想の「教則本サッカー」は
とっくにフランスやドイツ大会で踏みにじられて、粉砕されたはずだ。
なんの楽しみも期待感も観客に与えることもできない「監督」のコメントに
未来をふさがれた思いがする。
期待とわくわくする思いを与えられなくて、「代表」などと呼べない

こんな「凡戦」をわざわざ放映する意味がどこにあるのか
ここまで来てこのありようで、本当にいいのか
とにかく岡田では時間の無駄でしかないし、時計を逆回しにして
フットボールファンをどんどん失うだろう。