富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

期待と期待はずれ

2009年12月21日 | Weblog

世の中というものは、期待すると期待が外れ
期待していなかった思わぬええことは、・・・・これは案の定起こったりしません・・・
なんやかんやで、民主党の政権に変わって3ヶ月
近頃特に鼻につくのが、わかったような政権批判で、
立場が入れ替わって、イシハラなにがしとかコイズミなにがしの
相も変わらぬ親がかりの七光り当選組の2世・3世議員を先頭に
見るに堪えない同じ穴の2世のイシバに至っては、
あの目つきが中身を物語っていっそう気味が悪い
やたら、声を張り上げてやかましいし、いっかどわかったように、
調子こいて、どこかの聞きかじりの言葉を連呼する
あげくの果てに、自分らがやってきたようにやってたらええねん
とまでゆうてる。それはとっくに破綻して、我々が否定した話やのに
ようよう考えたら、ここに至る閉塞感は、物事を自分らで
考えたり、責任を持とうともしなかった自公政権が
生み出したものに他ならず、いけしゃーしゃーと責任投げ出しといて
おまえらがよぉいえたもんやとあきれ、
特にイシハラなどというすねかじりに至っては
聞きかじりの話の講釈はいっかどゆうけども、どこにいても
なんの役にも立たなかったと承知している
誰がゆうてもええんやろけど
おまえらだけはいえへんやろと思うのは・・・僕だけでしょうか

50年もの月日が経って、政策などは、官僚任せにしとけばよくて
歌舞伎の役者のように、政治を世襲化して、権威ぶり
政治家の家に生まれたもんだけが「政治家」と呼ばれているうちに
ここまで来てしまっているわけで、それは選挙する側にも
応分の責任はあるのは百も承知だけど
たかだか3ヶ月で行き詰まった政治の50年を取り返せるかっていうと
染みついた慣習のような状況を変えていくというのは、エネルギーがいって
それはそんなにかんたんな話ではないと思う。
歌舞伎といえば・・・
事業仕分けのあとで、歌舞伎の団十郎までが歌舞伎への補助を削るなと
官邸まで出向いていたニュースを見たけども、このご時世で
あんたらの豊かな暮らしぶり見ていて、「補助」がまだ必要か
そんならどんだけ、苦しいの?って僕には正直思えたけど・・・

けれども一方で、世にはびこるこうした今までの体質を
根こそぎに取り崩そうと思えば、よっぽど
信念を堅く突き進まないといけない覚悟が必要なのに、声高の
昔の顔に気後れしている、「ええとこの子」がかいま見える民主党の連中も
ずいぶん頼りなく思えるのは、たぶん僕だけではない



ただ、ダイナミックに変わったのだし選択肢がなかったとはいえ
「変わる」ことを選択した以上
やる方のせいだけにせず、やる方まかせではなく、
こっちの見る側も物差し変えて考えも見方も、やり方も変えたうえで
自ら変革した上で「期待」と「期待はずれ」を
それこそ「仕分け」して見るべきやと僕は考える・・・・
何となく、「期待」をもって
民主党の方に「かた」を持ちたいとは思うんやけども・・・

1,500万毎月もらっておいて、知らなかったという人が
「1円でも削る」など言う言葉には全くリアリティというものがなく
そういう資質こそリーダーとして疑うし
自民党政治を変えるなどと言う政党の幹事長の有り様は
どう見ても自民党のにおいがぷんぷんして、傲慢やし、
政治はきれい事ではないなどと開き直ることこそ、「悪」だと断言できる。
金集めと力頼みが「ダーティ」過ぎる
さらに、亀井などというものを我々は決して支持などしていない。
彼らの小党は選挙で国民の支持は受けてはいないのに、
なぜそれほどに横柄にも横やりを入れ、かびた論理を振りかざし
政権がそれほどに受け入れる必要があるのだろうか
社民党を含めて、そこの論理を受け入れようとすること自体が
マニフェストを逸脱することも思い知らねばならない気がする
肝心かなめの部分が、それこそ壊さねばならない古くさ~い本質で
ハトヤマもオザワもカメイにフクシマなどというのは
正直我々が支持している本質とは全く逆のものと思う。
そこに頼ることが間違っているし、そこが表立つのが間違っている。
彼らも今日の閉塞感を作り出してきた一員の中にいるのである
そこのところを、レンホーもエダノも
多くの民主党を代表すべき連中が、ちゃんと仕分けして
退場させるべきは退場させ
政治を解体して再生しないと、何をしたいのか全く見えてはこない
政界の再編は一方で同時に進めないと実は政権交代の意味もない
我々は積極的に支持したわけではない
少なくとも自民党とそれに連なるものを否定して
次にかけているのであって、この政権がだめなら元に戻るというような
そんな話ではない。そこんとこを全く鈍感な自民党や
コーメートー、あるいは民主党に潜む旧来型の人間が
誤解している



政権にたいして、期待はずれと断じるのには、まだまだ早すぎて感じる
踊るマスコミはレベルが低くて依然として物事を従来の目で見て、
これまでの枠から政治を語りすぎているし
実際、政権交代後に政治がよく見えてきた効果は明らかにあるとは感じる
かといって、逼迫した一人一人の暮らしに余力がないこの時代に
期待をもって、ただ待っている時間など国民側にはない
もっとメッセージというか、ちゃんとした新しいやり方と考え方を
早く伝えて、やると言ったことをやってみないと
期待はずれなどという悠長なことゆうてる場合やない国民は
政治と言うものそのものをこの国から否定すると思う。

戦争しかけた当事者の国の大統領にノーベル平和賞は
ないやろという理不尽さにぞっとした上に
行き場を失ってしまいそう