富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

情報をネットで知る

2009年10月04日 | Weblog

地デジの問題は、考えれば考えるほど憤りに変わります
そのことは、とりあえず棚上げにしておくとして
実は日本近海に「猛烈な」と称される台風18号が接近しています。
運動会やらあちこちに行事が目白押しで、気になるところですが
どうやら7,8,9日ぐらいにその影響が心配されています。
これらは、今頃ですから、ネットでチェック出来ますので、確認してみてください

 「台風情報」・・・気象庁  ウェザーニュース・台風情報


いずれにしても、もう台風は来ないと高をくくってたのに
結構でかいタイプで、悪いことに秋雨前線が日本近海にあるので
マトモに直撃されたら・・・運動会どころではないかも知れません
・・・情報を集めて警戒だけはしておきましょう

情報化はネットの普及で格段にその量が増え、集めることよりも
今ではむしろ整理したり、自分なりに選択することの方がより大変な作業です。
ネットにつながる環境を持っていれば、こうした情報に触れる機会が
大きくなって、もうあふれ出しているといっていいでしょう。
一方でネットの環境は、随分発展していて、たくさんの情報が
ネット上に公開されており、これを利用しない手はありません。
たとえば若い世代がどこか旅行に出かけるときに
旅行会社などを頼らずに、自分で宿を探して予約するのがほとんどで
居ながらにして、そうした準備が出来るのです
ただ、一方で気をつけないといけないのは、その情報の中身です
十分に検証もされずに、発信されていたり、悪意によってねじ曲げられたり
匿名の中傷や誹謗は後を絶ちません。
その情報を選択するのは私たち自身ですので、「情報を得る」ということにも
今までのように与えられるという受け身の姿勢ばかりでは、立ちゆきません
ただ、これこそが時代の変化であって、「コワイ」などといいはなって
ネットから遠ざかることは、新車を買って汚れるのを嫌って
ガレージにおきっぱなしにしているようなもので
無駄な時間を過ごしてしまいますし、自分が変わることに
ブレーキをかけてしまいます。前向きにトライすることが大切です。

民主党に変わった政権が、今ダイナミックに政治のありようを変えようとしていて
それを説明する各閣僚が今までになく、言葉が明瞭なことに
好意を感じるし、相変わらず旧態依然とした従来の官僚依存で
省益にとらわれた考え方で「財源が」どうのこうの批判しようとしている
自民党の議員の「古さ」が目に余ってしまいます・・・それは
そういう古いやり方からの発想にまだ懲りていないと見えるからです


行き詰まった時代を変えるには、自分たちも変えていかなければならないし
与えられる情報と自ら情報を集めて選び出すということから
自分が必要としていることは自分で見つけ出して、知ることが求められてもいます。
高度な情報化社会というのは、「双方向」といって今までのように一方的に
与えられるモノではなく、むしろ受け手と発信側の区別がありません。
誰かの安否や居所さえネット上で瞬時に得られることもあるでしょうし
自分の意見を発信することがこたつに入りながら
いとも簡単にできるようになってきました。
それには、プライバシー保護の意味での個人の情報を守るというテーマと
相反して自分自身の情報を集める能力や
一方的に操作された情報を見抜くチカラも必要とされます
今のうちに、知りたいことがあるのなら、パソコンの電源を入れて
あれやこれや出来るだけ、ネットの操作に慣れておき
自分なりの「情報」集めの訓練をしておきましょう


みんなのチカラ

2009年10月02日 | Weblog

今度の運動会のフードコーナーの開設にあたって
みんなの思いと意欲を感じて、僕自身が大きな元気をもらいましたし
勇気づけられた思いがしています。
それほど大げさに言うわけやないけども、
じっとしてたらじっとしててもええんやけども
何かしてみようとか前向いていく思いには共感が集まって
サークルばかりではなく、サポートしてくれる声とチカラが
外からもたくさん集まり始めました



前回にしても「一日カフェ」にしても
ひとり一人が個別にやったとしても、やれることは限られてしまいます
それぞれに違った個性と思いが寄り集まって
同じ方向にやってみようとするときに、あれやこれやと
思いをぶつけ合ったり、自分の気持ちを伝えあって、行き違ったとしても
一つの方向を見つけて、それぞれの意思をはたかせてやってみようと動くときに
世代を超えてでも共感が集まって、やがてそれが「チカラ」になり
何かを前に推し進めていきます



そうでのうても、「アレがのうなった」、「あんなことが出来ひんわ」
とか、ついつい「さびれ行く」我が町を恨めしくぼやき、とどのつまりが
行政やの町政やのひいては国政までもうらんで、ため息ついてしまいがちです。
「なんもしてくれへん・・・」という何かにすがる今までの我々がそこに見えてきます



ただ、そうして悔やんでいっかど批判ぶっているだけで
「この町ばなれ」も「空洞化」そのものを止められるモノでもありません
「あきらめ」のキモチが充満して、やる気がなえて
その場に腰をおろしては、前に出るものの道をふさぐことになります。
ただ考えるだけでは、幕が開きませんし、やることを積み重ねて
問題が見えて来て、解決するために汗を流せるものかも知れません。
ついつい年を重ねることを「老けていく」と同じ意味にしてしまいます。
年を重ねるということは、苦しいこともその分だけ多いけども
前向きにとらえるのなら
そんだけ「楽しいこと」をたくさん見ることが出来るというぐらいに思うことが出来ます。

自分自身に問題を抱えても、今までと同じように繰り返さずに
うつむいていたりするよりは、何ものかにゆだねずに、「自力」を作り出さねば
歩を進めることは出来ない時代の先っぽに「今」があって
住みにくくなったのは、年を取ったモノばっかりではなく
若い世代にとっても窮屈で苦しい状況に追いやられているのです。
そうしたときに今までのように与えられることを望み
助けばかりを求めていても、助けを求める相手に「ない」ことばかりを
言いくるめられるのが関の山です・・・・
何かをやろうとしても自力だけでは、たいしたことが出来ないのなら
違ったセンスや考え方であり、それぞれの思いと事情をもってたとしても
「違うこと」を認め合い、「同じでない」ことを間違いなどといわないで
それぞれの生き方考えようを理解し一つのテーマを共感できたとき
何かやってみようと自分たちでとにかくまず「始めた」ならば
ようやく重い扉が開いてきそうな気がするのです。
自分にとって苦手なことも人はそれぞれの持ち場でそれぞれの考えと
それぞれなりに蓄えた知恵と得手を持っています。
それぞれを信じたり何よりそこにいる自分の力を信じることが出来たなら・・・

「箱根山、かごに乗る人、乗せる人そのまたわらじを作る人」
世の中には人の顔が違ってる分だけの、人の「チカラ」が存在しています。



今まであったことや今までのありようを変えていくことは簡単にはできません。
変わることにはものすごいエネルギーが必要ですし、
それが何十年も続いてきたことなら頑張らないと持ちこたえることも出来ません。
すぐにもとに戻って「楽をしてしまう」もうひとりの自分がいます
けれども変わろうと思うのなら、変化を待っているだけでは
時間だけが過ぎていきます。
どこかの誰かが大きなチカラを持ってるなんてことを、
それを誇示したりするものを鵜呑みにしたり、
「やってやる」なんていう思い上がりが通じる時代でもないし
そういう言い方考え方が、問題を先送りしてきた原因でもあります。
強くあるべきはひとり一人のチカラであって、大切に尊重すべきは
それぞれのやり方で歩んできた一人一人の人生です。
ええとか悪いとか、貧しいとか裕福とかそんな基準は人それぞれが
自分に対してする評価で、人に下すものでもありません。
それはどう見えても、どう思えても自分とは違っているけれど
違うことを認め合って、気持ちが集まることで、いろんな方向に
小さなチカラが加わって、びくともしないモノがちょっとずつ動いていくことを
僕は信じています。

たとえそれが小さいことであろうとも、しんどいことであろうと
変わっていくきがあるのなら、出来ない自分をあきらめず、自力を信じ
自分のやる気に問いかけて、やってみようという思いがまずはじめにないと
物事が動きません。変わろうと変わろまいと
実のところその結果が問題ではありません。そう出来るだけで
昨日の自分から一歩だけでも前に進みます。そんな感じの前向きな
とにかく「やり始めよう」というみんなの思いが伝わってきました

って書き込みましたが・・・
これってどう今度の取り組みと関係があるんやろ・・・この記事長すぎて
なんやらアツすぎる思いの言葉になりましたが・・・ホンマのとこは
気負わず、あんまり力まずに、自分らが楽しんで、この「バザー」ていうか
「フードコーナー」をやろうとすることで、みんなの「やろう」というキモチとチカラが
みんなに自然と伝わっていくんやろなと思います