富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

みんなのチカラ

2009年10月02日 | Weblog

今度の運動会のフードコーナーの開設にあたって
みんなの思いと意欲を感じて、僕自身が大きな元気をもらいましたし
勇気づけられた思いがしています。
それほど大げさに言うわけやないけども、
じっとしてたらじっとしててもええんやけども
何かしてみようとか前向いていく思いには共感が集まって
サークルばかりではなく、サポートしてくれる声とチカラが
外からもたくさん集まり始めました



前回にしても「一日カフェ」にしても
ひとり一人が個別にやったとしても、やれることは限られてしまいます
それぞれに違った個性と思いが寄り集まって
同じ方向にやってみようとするときに、あれやこれやと
思いをぶつけ合ったり、自分の気持ちを伝えあって、行き違ったとしても
一つの方向を見つけて、それぞれの意思をはたかせてやってみようと動くときに
世代を超えてでも共感が集まって、やがてそれが「チカラ」になり
何かを前に推し進めていきます



そうでのうても、「アレがのうなった」、「あんなことが出来ひんわ」
とか、ついつい「さびれ行く」我が町を恨めしくぼやき、とどのつまりが
行政やの町政やのひいては国政までもうらんで、ため息ついてしまいがちです。
「なんもしてくれへん・・・」という何かにすがる今までの我々がそこに見えてきます



ただ、そうして悔やんでいっかど批判ぶっているだけで
「この町ばなれ」も「空洞化」そのものを止められるモノでもありません
「あきらめ」のキモチが充満して、やる気がなえて
その場に腰をおろしては、前に出るものの道をふさぐことになります。
ただ考えるだけでは、幕が開きませんし、やることを積み重ねて
問題が見えて来て、解決するために汗を流せるものかも知れません。
ついつい年を重ねることを「老けていく」と同じ意味にしてしまいます。
年を重ねるということは、苦しいこともその分だけ多いけども
前向きにとらえるのなら
そんだけ「楽しいこと」をたくさん見ることが出来るというぐらいに思うことが出来ます。

自分自身に問題を抱えても、今までと同じように繰り返さずに
うつむいていたりするよりは、何ものかにゆだねずに、「自力」を作り出さねば
歩を進めることは出来ない時代の先っぽに「今」があって
住みにくくなったのは、年を取ったモノばっかりではなく
若い世代にとっても窮屈で苦しい状況に追いやられているのです。
そうしたときに今までのように与えられることを望み
助けばかりを求めていても、助けを求める相手に「ない」ことばかりを
言いくるめられるのが関の山です・・・・
何かをやろうとしても自力だけでは、たいしたことが出来ないのなら
違ったセンスや考え方であり、それぞれの思いと事情をもってたとしても
「違うこと」を認め合い、「同じでない」ことを間違いなどといわないで
それぞれの生き方考えようを理解し一つのテーマを共感できたとき
何かやってみようと自分たちでとにかくまず「始めた」ならば
ようやく重い扉が開いてきそうな気がするのです。
自分にとって苦手なことも人はそれぞれの持ち場でそれぞれの考えと
それぞれなりに蓄えた知恵と得手を持っています。
それぞれを信じたり何よりそこにいる自分の力を信じることが出来たなら・・・

「箱根山、かごに乗る人、乗せる人そのまたわらじを作る人」
世の中には人の顔が違ってる分だけの、人の「チカラ」が存在しています。



今まであったことや今までのありようを変えていくことは簡単にはできません。
変わることにはものすごいエネルギーが必要ですし、
それが何十年も続いてきたことなら頑張らないと持ちこたえることも出来ません。
すぐにもとに戻って「楽をしてしまう」もうひとりの自分がいます
けれども変わろうと思うのなら、変化を待っているだけでは
時間だけが過ぎていきます。
どこかの誰かが大きなチカラを持ってるなんてことを、
それを誇示したりするものを鵜呑みにしたり、
「やってやる」なんていう思い上がりが通じる時代でもないし
そういう言い方考え方が、問題を先送りしてきた原因でもあります。
強くあるべきはひとり一人のチカラであって、大切に尊重すべきは
それぞれのやり方で歩んできた一人一人の人生です。
ええとか悪いとか、貧しいとか裕福とかそんな基準は人それぞれが
自分に対してする評価で、人に下すものでもありません。
それはどう見えても、どう思えても自分とは違っているけれど
違うことを認め合って、気持ちが集まることで、いろんな方向に
小さなチカラが加わって、びくともしないモノがちょっとずつ動いていくことを
僕は信じています。

たとえそれが小さいことであろうとも、しんどいことであろうと
変わっていくきがあるのなら、出来ない自分をあきらめず、自力を信じ
自分のやる気に問いかけて、やってみようという思いがまずはじめにないと
物事が動きません。変わろうと変わろまいと
実のところその結果が問題ではありません。そう出来るだけで
昨日の自分から一歩だけでも前に進みます。そんな感じの前向きな
とにかく「やり始めよう」というみんなの思いが伝わってきました

って書き込みましたが・・・
これってどう今度の取り組みと関係があるんやろ・・・この記事長すぎて
なんやらアツすぎる思いの言葉になりましたが・・・ホンマのとこは
気負わず、あんまり力まずに、自分らが楽しんで、この「バザー」ていうか
「フードコーナー」をやろうとすることで、みんなの「やろう」というキモチとチカラが
みんなに自然と伝わっていくんやろなと思います