仕事に行く途中で聞いたFMの
「α Staion」のDJのMr佐藤がゆうてはったことが
印象深く、しみじみ納得も出来る話なんやけど
この頃の若いもん、いや老若男女を問わず日本語の
言葉が単純化っていうか、もっというと貧困化してるって話です。
例えば電話なら「電話をかける」やし
「工夫を凝らす」であり、「挨拶を交わす」という具合に
本来の日本語ならそれぞれの言葉に続く
動詞にいろんなバリエショーンが、あって
それが何とはなしに日本語の豊かさみたいなモンであり
会話として成り立っていたと思う。
まどろっこしいけれど、「機微」を伝える日本の文化の
エッセンスみたいなモンやろか・・・そんな気がする
こういう、従来の日本語が本当は細やかな感情や
人への思いや自分の意志を伝えてるのに
言葉の持っている配慮っていうか、「考え」や「思慮」を
もうとっくに無視して、気がつくと、
「する」っていうように単純化して
「電話する」「工夫する」「挨拶する」ってすましていることに気付かされます。
このことは、考えること、思いやるってことをしなくなった
原因の一つちゃうんかなって、Mr.佐藤もゆうたはったんやけど
・・・・同感です。
「メールしとくわ」っていう無機的な言いようと
せめて「メールを送っとく」とか「メールに書いとく」って
いう言い方が相手に伝えてる気持ちが違うように思える。
言葉が貧困になると、どんな状況でも
「むかつく!」とか「カワイイ~」っていう具合に
十分考えずに、適当に言い放つ
そうすると聞いてる方は、ホントの真意にふれることも
気持ちが伝わることもない気がしてくる
どんどんすさんだ事件が、今まではありようもなかった
家族の間にさせ、おこってくる現実と
無縁でない気がする。家族の間でさえ
気持ちがつかめなくなって・・・・
遅まきながら、自分や自分の子供達、次の世代に
ゆうとかなあかんことちゃうかなって思う。
「α Staion」のDJのMr佐藤がゆうてはったことが
印象深く、しみじみ納得も出来る話なんやけど
この頃の若いもん、いや老若男女を問わず日本語の
言葉が単純化っていうか、もっというと貧困化してるって話です。
例えば電話なら「電話をかける」やし
「工夫を凝らす」であり、「挨拶を交わす」という具合に
本来の日本語ならそれぞれの言葉に続く
動詞にいろんなバリエショーンが、あって
それが何とはなしに日本語の豊かさみたいなモンであり
会話として成り立っていたと思う。
まどろっこしいけれど、「機微」を伝える日本の文化の
エッセンスみたいなモンやろか・・・そんな気がする
こういう、従来の日本語が本当は細やかな感情や
人への思いや自分の意志を伝えてるのに
言葉の持っている配慮っていうか、「考え」や「思慮」を
もうとっくに無視して、気がつくと、
「する」っていうように単純化して
「電話する」「工夫する」「挨拶する」ってすましていることに気付かされます。
このことは、考えること、思いやるってことをしなくなった
原因の一つちゃうんかなって、Mr.佐藤もゆうたはったんやけど
・・・・同感です。
「メールしとくわ」っていう無機的な言いようと
せめて「メールを送っとく」とか「メールに書いとく」って
いう言い方が相手に伝えてる気持ちが違うように思える。
言葉が貧困になると、どんな状況でも
「むかつく!」とか「カワイイ~」っていう具合に
十分考えずに、適当に言い放つ
そうすると聞いてる方は、ホントの真意にふれることも
気持ちが伝わることもない気がしてくる
どんどんすさんだ事件が、今まではありようもなかった
家族の間にさせ、おこってくる現実と
無縁でない気がする。家族の間でさえ
気持ちがつかめなくなって・・・・
遅まきながら、自分や自分の子供達、次の世代に
ゆうとかなあかんことちゃうかなって思う。
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