富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

コレカラのハナシ:個人的なもう一つの考え方として

2011年01月28日 | Weblog

この間の常会で、この区の連絡網がFAXを中心にしたネットワークに なっていくハナシを聞いて、少し違和感を感じてしまいました。
たぶん「今だけ」のハナシを切り取って考えれば、現行の情報センターのFAX機を利用して
連絡を取り合うやり方は、コレまでの慣れもあるので、これからも続けることが便利なように見えますが、
現行の機器は、その使用年数から遠くない時期に寿命がきてしまうでしょう。
かといって、故障すれば今後は修理などおぼつかないし、交換がすることはできなくなります。
また、使い続けるにしても現行機種が古いタイプで、それほど手に入らなくなった感熱紙を
今後どのように手配していくかの段取りが 難しくなるでしょう
・・・「コメリ」に売ってあるというのは、ごく一部の量でしかありませんし、
情報センターが閉じる時期を待って、普通紙にシフトして、やがては店頭から姿を消し去ってしまうことでしょう。
壊れたFAX機は、新たに買い替える負担を個人に求めることになるし
区が調達しないならば、感熱紙は個人の負担になります。
それと、今までは「情報センター」という無償のメンテナンスがあってこそ、トラブルに対処してきましたけれども、
器械は必ず故障するし、トラブルはつきものと考えるとき
今後こうして大がかりな通信網という形をとった場合のメンテナンスのコストを
どんな形でとるのか、あるいはそれは個人の問題としてとらえることで、一方的な負担でいいのか
買い替えやその後のメンテナンス、カートリッジの交換などのコストがかかることが負担になる人は決して少なくありません。

世の中の進歩は秒単位で変化していき、手を変え品を変えて新しい考え方のツール(道具)が開発されて 多くの人の興味をひいています。
ipad(アイパッド)の登場はセンセーショナルでしたし、iphone(アイフォン)をはじめとするスマートフォンは
携帯電話の概念を突き抜けて、持ち運べるパソコン並の機能を備えていて
多くの支持をうけ、もはやパソコンの出荷をうわまって、まもなくケータイの標準として世界中を席巻することでしょう。
一方パソコンの方はといえば、Windows7の発売は結局「ブーム」にまでは至りませんでしたし、
この新しいWindowsはパソコンの需要そのものを 大きく拡大することはありませんでした。
多くの人たちは、従来のパソコンよりも、もっと新しい技術や機器に魅力を感じているのです。
実際インターネットの利用も、パソコンが主流だとも言い切れないほど様々な方法が存在します。
むしろパソコンを買い替える人よりは、発想を変えて、この際同じ以上の機能を備えたスマートフォンを買い求める人がおり
もっと手軽に、もっとわかりやすくと思う人は、パソコンなどという考えに縛られずに、
いっそこの新しいツールに乗り換える人の方が多くなったのが実情でしょう。
机の上のインターネットから、制約もなく、どこでもネットができるスマートフォンが好まれるのも
コレカラの形がそこに見えているからなのです。

実際パソコンを使うこと自体がまどろっこしく感じる人もいるほどで
いちいち机の上でキーボードたたいて、こうして「ブログ」で発信するあり方よりも、今時は「ツイッター」とよばれる
一言に近い短い語りかけを、ケータイでライブ(生)にやりとりしている方が人気になっています。
「本」ですら、電子書籍に移行し始めて「書いたもの」をデータ化しなければ
認知されないほどの時代が来ようとしているのです。文字は人が書いたものから
パソコン上の「データ」として、存在し始めています。

発売時はビジネスマンの道具だった「携帯電話」は、今では年齢層を問わずに
たとえば一人暮らしの所在を遠く離れた家族が知るために高齢の方も持つほどに普及しています。
年甲斐もなく手にした「携帯電話」ですが、「コーシャ」の電話を使うよりはるかに
ケータイを使っていることに気がつきます。
それは、たとえば相手の状況を思いやるなどと言うことをついつい忘れて
時をかまわずに電話してみたり、送ったメールの返信が遅れるだけで、待つこともできないほど
自分自身の「時間」を極端に短くもしてしまいました。
ただ、気がついてみれば、アナログなはずの昔人間の自分ですら
いつの間にか以前よりずっと、「紙」の情報を必要としないでいることも事実です。
印刷するのは、年賀状や暑中見舞いという人も少なくありません・・・

FAXが時代遅れとは言いませんが、FAXをベースにするとやっぱり、情報を印刷していったん「紙」にします。
それをFAX機でスキャンして送信するという手順に変わりがありません。
前述の通り、現行の有線のFAX機が継続使用できるという前提で
FAXに依存する方法は、やがて機器の故障で新にFAX機を購入するコストを個人が負うことになります。
それに加えて、送信する側もプリンタで印刷する手間が省略できそうにありません。
インターネットの普及でFAXそのものが、もう旧来の機器になった今、
やがてFAXを買い求めることも、ちょうど動かなくなったワープロを家電店に探しに行っても、
どこにもないような状況と同じ目にもなることでしょう。
そして、それでも個人個人が、連絡網にだけしか使わない新しいFAX機を購入しなければならないとなれば
それが本当にいい方法なのかという疑問も感じていました。
一人暮らしの高齢者にとって、便利と言うよりも
負担を強いることになりかねない危惧も感じざるを得ません。
なぜなら相変わらず、一方的な「受け手」という立場でしかなく、
発信する側にたつということはなかなかできそうにもありません。
お年寄りは聞いたことより書いたものを見る方が確かという理屈は、つまり「受け手」としてだけとらえた考えであり
もう少し便利に使う手立てを封じ込んで思えてなりません。
見ていようがいよまいが、確認まではとらずに、送信側が送るだけというのが
どこか引っかかってしまうのです。高齢化の現状に果たして即しているのだろうかと・・・
使い方も用紙のサポートもないのなら、なおさらそれを「便利」というのは
本当はどうしたいかを聞き取らないと「実情」とそぐわない気もしてきます。

僕自身は、今の時点で区以外の情報を紙で受け取るということはありませんし
「印刷」というのは「PDF」というファイルであって、紙に印刷しないという意識が、当たり前にもなりました。
なぜかしら、FAXによる結構大がかりな通信網という前提でハナシが進んだことを
僕自身はどうしても結局「新たな負担増」ととらえて考えたのです。
それはFAXという機器が、とても「コレカラ」の機器ではなくて間もなく「ムカシ」の器械になるからです。
もう一つの考え方として、「コレカラ」他の用途に使いそうもないと考えるのです。

せいぜい組単位でいままでのようなやりとりを器械が壊れるまでの間は続けて
つぶれた時点で、そのときにあったありようで新たに連絡網を考える というような程度で考えてもいました。
ケーブルテレビ化によって、「情報端末」という機器が設置されながら
こうした従来の「紙を利用する」以外の有効な使い方が説明されていない状況こそが問題なのですが・・・

時代そのものは明らかにスマートフォンという、より進化した携帯電話の普及を機に大きく変化しようとしています。
誰にしても今あるあり方から近未来を想定することは困難ですが、
ただ、こうした地域社会にあって暮らしていく中での情報を
どうすることが個人にとって、負担が少なく便利なのかを考えていくのなら
今までのFAXを唯一の手段とするのではなく、高齢、若年を問わずに
普及が進んだ「ケータイ」を利用して細やかな情報のやりとりと伝達をしていこうとする試みや、
インターネットの効率的な利用であるとか、公民館のパブリックステーション化(無料でつなぐ無線LAN基地)
それこそ「情報端末機」の「声の情報」とそして録音や再生機能の利用、
それに慣れていこうとする試行錯誤、あるいは個人の負荷がかかるけど
時代を大きく逆行する旧来の手渡しで、顔を見合えるコミュニケーションの復活とか
様々な試みが今後必要となるのではないかと思います。

・・・それよりもハナシは変わるけど・・・
「香川」の骨折と離脱が悔しい・・・宿敵オーストラリアには絶対勝たねばならないというのに・・・