富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

ブログのススメとサイバーテロ

2009年01月15日 | Weblog

韓国で国会を巻き込んでのおお騒動になっているのが
「サーバーテロ」といわれるネット暴力への国家的規制の「法案」審議です。
いわれなき匿名の中傷・誹謗は一人の女優をついに死に追い詰めたと
いわれています。
特定の人に対して、こうした顔のない無責任な中傷はホンマに卑怯な行いで
人として許し難い悪意と暴力でしかありません。

ブログは私たちの国では「Web」上の日記として急速に広がり
いまでは、一人がいくつものブログを「アフィリエイト」などという仕組みを
利用して金銭目当ての ただの商品紹介だけのページをこしらえたり
程度の低いサイトも含めて雨後の竹の子のように毎日どこかでブログが立ち上がり
今ではその数が、天文学的数字になろうとしており、
このサークルのブログもまたその一つでもあります。


今ボクの大切なトモダチのブログに、記事よりも長い
コメントを書き込んだために、余計な思いをさせたようで、彼は休筆しています。
かれもまた、いくつかの誹謗や攻撃を受けて以来
ブログという不特定多数の読者を意識して、ある意味のストレスを抱えながら
ここまで、記事を書き込んでいたようで、最近の彼がふと漏らしていた
「謝罪」と「難しさ」にボクなりの反論を述べてコメントを書き込みました。


それは正直余計なお世話やったかも知れません


ただ、ブログとかネットの配信を勘違いすると
韓国で巻き起こっている「騒動」や事件につながりかねません。
意図や作為で「ブログ」から人心を誘導しようとする動きや
都合のよいことだけを信じ込む不用心さが、ネットの本質をゆがめて
行き過ぎた声を増長させてしまいます。それが顔を見せない「卑怯」だと知っていながらも・・・・
それが、中傷や誹謗につながって実質の被害を与えようものなら
明らかな権力の干渉を招き、大げさにゆうまでもなく守り通さねばならない
「言論の自由」を侵す道をたどってしまいます
ある種の誘導というか、書き手の意志をもてあそび、書き手が読み手に
呼応して、記事を書き込まされることも大いにあり得ることです
それは例え小さなことだとしても「言論」を封じるきっかけになります。

ブログは、自由で中身を問われません
個々の思いを個々のために作っておけばいいのです。
そして、ネットを通して実現できる「楽しい」ものでないとイケません
たとえばこのサークルのブログは、あくまでもサークル会員の皆さんに
向けて発信したもので、書き手のボクには、皆さんしか見えていません。
みんな以外に呼びかけているつもりも全くありません
サークルのブログであって、サークルのネット上の寄り合う場所だと位置づけています。
ただし、見ることは「公開」を原則としている以上誰でも自由ですし
それを拒みもしません。「共感」を寄せていただくことも大いに歓迎しています

ついでに、こうしてあくまでもボクの個人的な思いもたまに載せています。
そのために、いかがわしい書き込みも事実ありますが、
けれどもそれを相手にしませんし、批判されたとしてもボク自身が
匿名の書き込みをしていると同じように彼らもまた「匿名」の書き込みなのですから
それだけでも、どんなやりとりであれ、正当な議論などではありません。
そのことは肝に銘じていなければならない前提なのです
「発信する」という使命感をおうならば、記事を十分に検証し、著作権にも気を払い
情報を確実なものにしなければイケません。
けどそれほどの責任を持てもしませんし、責任を求める対象でもないと
ボクは考えています。・・・無責任なってことではないけど
ボクのゆうことが「絶対」ということではないからです。
ここにある記事そのものがボクの思いであって何かを強制しているものでもなく
何かを誘導してるつもりもありません。
事実ブログという概念を提案したアメリカでは情報を発信するサイトを
日本の「みそもくそも」ごった煮したような「ブログ」呼ばわりされることを大いに嫌っています。
ブログとはきわめて個人的なもんやと理解されているからです
それで、ええんやと思うのです。


たとえば育児日記であれ、写真アルバムであれ、近況報告であれ
それが遠く離れた大事な人との交流の手段であればいいわけで
ブログの読者という種のものは、それをのぞき見しているに過ぎないのです。
ですから、たまたま「検索語」にヒットして出会う「偶然」にはじめから意味を求めたり
その感想に一喜一憂されるのも、それはやがて
「サイバーテロ」を呼び起こす種にもなりかねない「おそれ」すら予想します。
通りすがりの感想はせいぜい共感なのであって、意見や思想ではありません
顔を見ずに、「本音」をいうなどという思いこみは
若い世代の「ケータイ文化」からよく導かれるフレーズですが
本当の気持ちを、手紙やメールだけで伝えるのなら、それは間違っています
書くことは「修正」もきき、何より「修飾」された言葉でつづるものだからデス


本音や議論は面と向かい合って交わす気持ちの交歓でないと
伝わるものではありません。
目の見えない人、耳の聞こえない人、言葉に出来ない人と交流して
意志を伝えるには、同じ空間にいなければ絶対にフェアではないのです


ブログをもったり、立ち上げることをボクは「楽しみ」として
大いにオススメします
ただ、「アクセス数」の多い少ないや、コメントがあろうがなかろうが
そんなこと自体を気にしたり、そのことを目的にした瞬間に
ブログを立ち上げた本旨を忘れてしまいます。
ブログが世界に発信する手段なんて、妄想です。
見なければ見ないですむものですし、見なければならないもんでもありません
メールやメッセージと同じ伝達手段の一つでいいんやと思います
見てもいいし、見なくてもええし
「ええ」とか「悪い」とかの評価をボクは求めません
自分の評価は自分がするもんやということを、信じているからです
ということは、そのまま「匿名」のまま顔を向き合うことなく
他人を評価しません。ちゃんと自分を自分で評価したはる人をボクは
認めます。あれやこれやゆうのはたやすいけど、人の思いは
気持ちをさらして初めて知るもんやと思うのです。

そういうあり方を、具体化する手段として、ネット上に登場したのが
「ブログ」の始まりやったんやとボクは思うんです。
そういう意味で、自分だけの自分なりのブログを立ち上げて
自分のブログを公開する「楽しさ」を感じて欲しいのです


キョータンバチョーマンも・・・わかってもらえましたかな・・・ボクの思い