日体大体操部時代は、仲間で後の五輪金メダリスト、「山下跳び」の山下治広さんより、種目によっては上とも言われたらしい。けががなければ、そちらで名を残していたはずだ。妥協のないアクションシーンにその運動能力を生かし、若くして二枚目の俳優として成功する千葉真一さんである▼幾度か枠の向こうに跳んだ人でもあるだろう。『仁義なき戦い』が大ヒットした後、シリーズ二作目の主役に抜てきされながら、撮影直前に凶暴、凶悪な人物の役に代われと告げられる▼夜を徹して抵抗し、悩み、最後に全力で演じる道を選んだ。強烈な大友勝利の役は、シリーズを通じて、主人公をしのぐほどの強烈な印象を残す。大作『日本暗殺秘録』では、大物政治家を暗殺した実在の人物小沼正を演じた。中島貞夫監督の家に泊まり込み、がらにない役のために、教えを求めた▼恩赦で出てきた小沼には「本当にあの通りの気持ちでした」と言われたそうだ。怒り、内面の葛藤、情念。「アクション俳優」という枠に収まらない演技で印象深い場面を残し、活躍してきた千葉さんが亡くなった。新型コロナウイルスによる肺炎である。八十二歳▼芸名「JJサニー千葉」のJJは、ジャスティス(正義)とジャパンという。大きなものを背負い、世界からも認められた人だ▼映画と向き合ったまま死んでいきたい。著書にあった。
二十人ほどの学生アルバイトを雇い、半分に分ける。一方は看守役、もう片方は囚人役。その役になりきってもらい、模擬刑務所の中で生活させる▼映画にもなった米国の有名な心理学実験は一九七一年八月に行われた。「スタンフォード監獄実験」という。どうなったか。ごっこにもかかわらず、看守役は囚人役に次第に支配的になり、精神的虐待や暴力まで使うようになった。実験は中止になった▼人を支配できる役割を与えると残酷な行為も平気になっていく。実験の信ぴょう性には以前から疑問も出ているが、人間にはそんな悲しい側面が確かにあるかもしれない。名古屋市の入管施設に収容されていたスリランカ人女性が病死した問題に考え込む▼女性は診療を求め続けたが、職員は詐病と決めつけた。体調不良で飲み物をこぼした女性に対し、ひどい言葉を使う。問題を伝える記事にやりきれぬ思いとなる▼人権意識も持ち合わせているはずの現代人とその無情な行為がうまく結びつかぬ。不法滞在の外国人を預かる入管という特殊な空間。その中に職員を冷酷にする何かが潜んではいないか▼今後の対策として医療体制の整備を図ると聞く。それだけでは再発防止にはなるまい。問題の背景を探り、職員の徹底的な意識改革を図るのは当然のことで、あんな実験はうそっぱちなのだと証明できる場所へとつくり替えたい。
「猫のノミ取り」「耳のあか取り」など江戸時代には現在では考えられぬ珍商売がいくつもあったそうだが、これもそうだろう。「作り雨」▼「飴(あめ)」の間違いではなく「雨」。雨を作る。『雨のことば辞典』(講談社学術文庫)にあった。もちろん、今の人工降雨の技術などあるはずもなく、夏の暑い盛りにただ、屋根に上って庭へジョウロで水をまく。客の方は夕立を見た気分になり、いっときの清涼感を味わったそうだ。風情におあしをだしたのだろうが、今ではなかなかやっていけぬ商売である▼「作り雨」が必要かもしれない。帰省や旅行を楽しみにしている方には意地悪く聞こえるだろうが、作り雨で雨、しかも大雨が降っているのだと想像し、やはり、外出は控えるべきなのだろう。このお盆の夏季休暇期間である▼新型コロナウイルスの感染拡大は深刻で東京ではもはや「制御不能の状況」という。その勢いは地方にも向かっている。コロナという目に見えない雨が今、極めて強まっている▼腰の定まらぬ政府のやり方に腹を立て、逆らうように外出をためらわぬ方もいる。五輪が開催できたのだからと気を緩めたくもなる。気持ちは分かるが、この大雨の中、外へ出て行くのは危険と考えたい▼<ままよ、このまま濡(ぬ)れていこ>。江戸端唄「夕立のあまり」にそんな文句があったが、「ままよ」の帰省は勧められぬ。
ギリシャ神話では火を天界から盗んで、人間に授けたのはプロメテウスである▼文明、技術の源ともいえる「火」をくれたばかりではない。プロメテウスはゼウスに命じられ、人間そのものをこしらえた神さまでもある▼イソップにこんな話がある。プロメテウスは人間をつくり終えると二つの袋を首に掛けさせた。一つは他人の欠点を入れる袋。これは体の前に掛けた。もう一つは自分の悪いところを入れる袋でこっちは背中に。だから人は他人の欠点はいやでも目に入るが、自分の問題や悪いところは見えにくくなった▼その報告書は背中にあった大きな袋をぐるりと回し、目の前に突きつけているのだろう。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の評価報告書である。温暖化の原因を「人間活動の影響であることは疑う余地がない」と断じた。それは間違いなく人間が引き起こしたのだと▼従来の表現から踏み込んでいる。無論、人間社会が排出する温室効果ガスが原因であることは分かっていた。が、その袋が背中にあった人間はどこかでそれを認めたがらず、なにかの拍子に温暖化も解決するのではと思い込もうとしていなかったか。それを「人間のせい」であると断定し、人間が改善するしかないと訴えているのがこの報告書である▼取り組みを一層、加速したい。今、体の前に回った袋から目をそらすまい。