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今日の筆洗

2016年09月26日 | Weblog

 「可能でしょうか」。こういう表現を最近、よく聞くのは気のせいか▼地球外生命体の有無といった固い議論上の使用ではなく、「お待ちいただくのは可能でしょうか」や「約束の時間の変更は可能でしょうか」など、日常会話での「可能でしょうか」の多用である。若い方に特に目立つ▼間違いではないし、丁寧に聞こえなくもないが、引っ掛かる。語感は人にもよるが、普段の会話に事務的でどこか学術めいた雰囲気もある「可能」は堅苦しく、似合わぬ気がする▼「可能でしょうか」の増殖の原因は分からぬが、これと関係あるかもしれぬ。「食べられる」を「食べれる」、「見られる」を「見れる」と表現する例の「ら抜き」である。最近の調査によると、誤りとされてきた「ら抜き」の使用が本来の「食べられる」「見られる」をついに上回ったそうである▼あの「可能でしょうか」。ひょっとして、間違いやすい言葉を使わぬようにお若い方が生み出した技術ではないのかと疑っている▼「食べられる」か「食べれる」かで悩むことも言葉に厳格な方に叱られることもないよう「食べることができる」や「食べることが可能」と言い換える。その習慣で何にでも「可能でしょうか」と付け加えるようになってきたと想像すれば、それは「ら抜き派」の努力や配慮の結果かもしれぬ。そう考えるのは、「可能でしょうか」。