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今日の筆洗

2016年09月21日 | Weblog

 江戸の昔に「馬鹿の番付」があった。落語の「野ざらし」のマクラの聞き覚えなので、当てにならぬが、西の大関は「醤油(しょうゆ)三升を飲んで死んだ人」。対する、東の大関は意外にも「釣りをする人」だそうだ▼釣りファンには申し訳ないが、釣れるかどうかも分からず、日がな一日、根気よく釣りをしている人間は大関級のそれと映ったらしい。おかしいのが、その上の横綱。「その釣りをしている人を見ている人」▼約二万三千年前の旧石器時代の方にも釣りをしている人がいて、やはり、その釣りを見ている人がいたかもしれぬ。沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で、世界最古となる釣り針が出土した▼釣りには釣り上げる技術に加え、そこに魚がいるかもしれないという空想力、針に魚がかかるのを待つという忍耐力がいる。人のみが行える釣りという高度な技術が旧石器の昔にもちゃんと存在していたという事実。釣りを「馬鹿の番付」ではなく人類の「知恵の番付」の上位に加えたくなる▼巻き貝でつくった釣り針の大きさは一・四センチでやや厚みがある。あれでは釣果は期待できなかったかもしれぬ▼作家の開高健によると日本人に三つのうそがある。選挙前、恋愛中、もう一つは、魚釣りの後。あの素朴な針を見ると旧石器人も「逃がした魚はこんなに大きかったんだよ」と言ったかも、と「番付」に入りそうな空想をする。