シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

世田谷七沢八八幡

2017-09-17 | うんちく・小ネタ

前から知っていた言葉ではあるのですが、今年の北澤八幡の例大祭の朝、

掲げられた高札の中に「世田谷七沢八八幡随一」だったかな、の言葉を見付けて、

での薀蓄編。

 

 調べ始めると、色々な説があることに気がつくのですが、

それは恐らく"沢"も"八幡"も語られる以上に存在するから。

 

因みに、とあるサイトに依ると、七沢とは"代沢、松沢、北沢、引沢、駒沢、深沢、奥沢"。

こう並べると、地域特性も反映している名前に見えますね、北沢は北、深い、奥の方の沢…

駒は源頼朝絡みではないですかね、色んな馬、駒を引用した地名が世田谷には多いです。

すぐにはわかりづらいのがこの辺りで頼朝騎乗の馬が泥濘だったかな、に足を取られて死んだ、という故事から引沢。

この引沢は従い本来は馬引沢。この下の方が下馬、上が…、明らかですね。馬に乗っては危険な湿地帯なので馬を引け(乗るな)となったそうです。

 

でもね、下記に示すように他にも沢は存在する:

廻沢、今の千歳台、ガスタンク付近が世田谷百景の中で廻沢のガスタンクとして出てきますが、実際には 烏山、粕谷、八幡山、船橋、といったかなりのエリアを包括する地名として江戸時代は使われていたようです。

野沢、これは言うまでもないですね。

吉沢、これは二子玉川 → 岡本八幡に近いあたりの交差点名に残っています。

池沢  池尻稲荷は池尻、池沢の鎮守社 池尻から分村。

 

個人的には冒頭の代沢と松沢が消え、池沢と廻沢が入るとバランス良く地域網羅性も高く見えます。

 

 

さて八幡様に話を移すと、世田谷八幡と八幡山の存在が理解を難しくします…

いずれ源氏伝説とリンクし、世田谷の領主吉良家(そして代田七人衆のようにその家臣)との関係性が重要と思われるのですが…

 

北澤八幡宮、随一となっています。

代田八幡神社、今でも七人衆の1人、斎田家が氏子筆頭。

太子堂八幡神社

世田谷八幡、これも源義家創建、吉良家の信仰篤かったとか。

奥沢神社 (古くは八幡)

駒留八幡神社 、上馬の鎮守、10月中旬 に例大祭。他に駒繋神社があります。

八幡山八幡神社

粕谷八幡神社

勝利八幡神社 (上北沢、松沢)

上記3つは近い、以前の廻沢圏。

岡本八幡神社、吉沢ですね。

 

因みにとあるサイト、かなり説得力のある論を展開している、に依りますと:

北澤、代田、太子堂、駒留、世田谷、八幡、勝利、粕谷

だそうで、砦の色彩が強かった当時、吉良家領地の北側に作られていたのだとか。

 

同サイトでの七沢は川筋とリンクしていて、成る程ね、

北澤、馬引沢、廻沢、野沢、深沢、奥沢、吉沢

で確かに世田谷南側も含め、水系が押さえられています。

 

 

 

 

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