ファンタジアランドのアイデア

ファンタジアランドは、虚偽の世界です。この国のお話をしますが、真実だとは考えないでください。

好奇心を持ち続ける仕組み  アイデア広場 その1123

2022-12-03 17:10:39 | 日記


 ある専門家に言わせると、文明の発展は人類の好奇心が大きく貢献しているということになります。人類は、好奇心が他の動物より旺盛なのだというのです。その最たるものは、安住の地であるアフリカから、人類がアフリカから出たことにあるようです。人類がアフリカを出てから、5~7万年になります。アフリカを出た人類は比較的少人数で5000人程度といわれています。この集団は、石器や火の使用と好奇心や想像力といった能力を発達させていきました。アフリカを出た人びとは、アフリカ以外の地域で著しい多様性をもたらしました。4万年前にヨーロッパに達した人類のクロマニヨン人は、ネアンデルタール人と出会い、数千年間、両者は居住圏を共有していたのです。最近のゲノム研究で、ヒトのDNAの数%はネアンデルタール人由来のものであると推定されるようになりました。クロマニヨン人が造ったマンモスの牙や皮で造った住居が、ヨーロッパで発見されています。人類がアフリカを出てから、5~7万年になります。アフリカを出た5000人の人類は、世界各地に移動していきます。そして4~6万年の潜伏期を経て、文明が1万年前ぐらいから文明が発祥しました。この潜伏期から文明の初期は、狩猟採集時代といわれています。この時代、好奇心を駆使しながら、急速な発展を遂げたわけです。
 話は、飛躍します。動物福祉の国際基準の先行モデルは、ドイツなどのEUの酪農家で実践されているものです。ドイツの場合、一般的農家では4万5千羽のニワトリを9つ飼育舎に分けて、これらの鶏舎で飼育し、市場に供給しています。餌は、飼料タンクから自動の搬送コンベアに載って鶏舎に届き、ニワトリたちに行き渡る方式を取っています。飼料の成分配合やワクチンとビタミンを添加した給水用の水を、コントロールしています。鶏舎内には、至るところに数十の小さなプラットフォーム(止まり木)があります。この止まり木が、動物福祉では重要視されているようです。好奇心旺盛なニワトリたちは、しょっちゅうプラットフォームに飛び乗って遊ぶのです。ニワトリを遊ばせることも大切ですが、人間には他の狙いがあります。プラットフォームに組み込まれた秤が、ニワトリの重さを測定し、5000羽の平均重量を算出するのです。体重を把握し、餌や照明のコントロールをしていくことになります。人間は、動物の持つ好奇心を利用して、有用な仕組みを構築しています。蛇足ですが、ドイツのニワトリはおよそ25日で性成熟し、それから交尾行動や縄張りの行動が始まります。30日後には十分な重量に育ち、ローストチキンになるべくして、食肉処理施設へ運ばれて人間に貢献しています。
 狩猟採集時代の次に来る農業の時代は、家族的な繋がりができれば幸福でした。そして、集団に貢献し賞賛されれば幸福な時代になったのです。個々人が多くの集団に所属し、緩急の繋がりを構築し、農業生産を高めていきました。農業生産は、人びとが組織的に繋がり、集団から逸脱する行動をとらないことが一つの約束になります。生産が上がり人びとが豊かになると、幸福が訪れます。でも、幸福感は飽和しやすく、日常的な幸福は持続しにくいという傾向があります。農業社会のように安定化を優先すると、現状維持を優先して行うことになります。そこでは、挑戦的姿勢は軽視され、すぐに成果の出る事柄が優先されていくわけです。安定を優先する姿勢は、生産を飛躍的に高め、次のステージに移行することを妨げます。さらに、危機的状況になった場合、集団に大きな被害を及ぼします。人類には、アフリカから果敢に出たという好奇心の遺伝情報があります。安定を望む多数の人びとがいる一方で、危険な事に挑戦する少数の人もいたわけです。一定の飽和状態が訪れたときに、この旺盛な好奇心を発揮しようとする異端者(挑戦者)が出てきます。面白いことに、文明や文化を発展させてきた組織を見ると、先見性のある組織は、好奇心の旺盛な人を大切にしてきました。急激に自然環境や社会環境が変わる事態に備えて、好奇心のある人材を温存してきたともいえます。その好奇心を発揮する場も、ニワトリのプラットフォームのように、社会の組織の中に存在していたようです。
 一般的に好奇心は、拡散型好奇心と追求型好奇心があるとされています。質問ばかりする幼児がいます。「なぜ質問を繰り返すのだろうか」という疑問にぶつかります。これは、拡散型好奇心の典型的事例です。この対極に、1つの疑問を執拗に追求する追求型好奇心があります。拡散型好奇心の旺盛な子どもの中に、しばしばアリの行動をじっと長い間見ている姿があります。この子どもには、追求型好奇心もあることが分かるわけです。拡散型好奇心におぼれてしまうと、単なる物知りに終わってしまいます。好奇心は、人類の発展を支えてきた要素になります。でも、拡散型好奇心だけを伸ばしていくと、問題点を分析することもできず、解決策も見いだせないままに流れていきます。そこで、追求型好奇心を使いながら。問題点を分析し、一定の解決方法を見出す作業も必要になります。拡散型好奇心と追求型好奇心を、ヘーゲル流の「定立・反定立・総合」のやり方で高めていくことが望ましいようです。日頃から拡散型好奇心と追求型好奇心を経験している子どもは、課題に真摯に向き合い、解決の糸口を見出していくようです。拡散型好奇心と追求型好奇心の両方の好奇心がバランスよく発揮される状態が望ましいことが分かります。
 この望ましい好奇心の育成のヒントが、アメリカの大学にあります。アメリカの大学では、先生の授業の良し悪しを学生が評価することがあります。そして、その学生評価が、妥当性かどうかの研究も盛んなのです。先生の授業により、学生がすくすくとその才能を伸ばせれば、世の中にとって福音になります。そこで、ある実験が行われました。俳優の方に講義をしてもらって、その評価を学生にしてもらう試みです。俳優には、ユーモアやジェスチャーをたっぷりまじえておもしろおかしく講義してもらいました。でも、講義の筋道はメチャクチャになるようにしたのです。学生の評価は、興味深いものでした。俳優の講義に対して、学生の評価が全般的に高かったのです。授業方法だけでなく、授業の内容までもが、すばらしいという評価をする学生が多数いました。この多数の学生から、多くの業績が生まれていったという報告もあるようです。
 深く分かることは、大切です。真理の探究が、学問の使命という考えもあります。この真理の探究をする場が、大学だという考えです。でも、世の中常に深いところまで分からなくとも生活はできます。状況によっては、とりあえず浅い分かり方でも良い場合も多いようです。子ども達の勉強を見ていると、大人が無理矢理、全てを分からせようとすると、子どもに重荷になっているような状況が見られます。与えたいものを、少しずつ小出しに与えるくらいで、子どもはモチベーションを高めて取り組む姿勢がみられるようになります。浅い分かり方でも、知識が豊かになると、前とは違う見方や好奇心が現れることがあります。俳優の方の授業は、真理からは離れていました。でも、その真理に向かう方向やモチベーションを高めたことは確かなことのようです。まったく分からなければ、何をどのように勉強してよいかわかりません。100%を分からせてしまえば、子どもはそれ以上勉強しようとはしません。分かることが多すぎても少なすぎても、知的好奇心は湧かないようです。勉強への動機づけは、60%ぐらい分かってもらうのが良いようです。大学における俳優の講義は、多くもなく、少なくもなく、学生の好奇心を引き出すちょうど良いレベルだったのかもしれません。知的好奇心を高めるためには、子どもも親も、そして先生も、つねに余裕を持つことが大切のようです。