縄文のシンボル 総集編 二部 アイデア広場
第7話 桜町村の進化したイノシシ狩り
狩りの当日、村には心地良い緊張が漂っていました。歓迎の猪狩りです。桜町村の若者達は、太郎や次郎の狩猟能力を知りたいと思いました。それで、二人に小三郎を含めて八人の若者を貸してくれたのです。桜町村の若者も十人です。同じ人数で争うわけです。
まだ太陽が上がらないうちに、桜町の若者は二手に分かれて進んでいきます。猪の住み家に近づいています。猪は夜行性と思われていますが、本当は昼間活動するのです。事前に確認してある巣を風下からゆっくり近づきます。一定の距離に来たとき、
「ウオー、ウオー・・・」
時の声を上げて、犬を放します。
「ブヒー・・ブッビー・・・」
猪の群れは四方八方に分かれて逃げだします。
「出てきたぞ!」
「あの大きな猪を追わせろ」
大物の猪を数匹の犬が追い始めます。
「ワン・・・ウー・ワンワン・・・・」
犬は執拗に追いかけます。一定の距離を置きながら若者も追いかけます。無目的に追っているわけではありません。三方が岩場で囲まれたところに追い込んでいるのです。そこで弓を構えた若者が、矢をつがえて待ち構えています。
「来たぞ、大物だ」
「射程に入った、打て!」
矢は的を外さずに次々に刺さります。でも、すぐには倒れないタフな猪です。犬がまわりを囲み、次々にかみついていきます。猪も弱り始めます。でも、最後の逆襲が怖いことをみんな知っています。細心の注意をしているのです。
「潮時だな」
桜町のリーダーが、石斧を持って猪に近づきます。猪も最後の機会を狙っているようです。若者も当然知っています。石斧を構えて、近づき、柄の届く距離に来たときに、素早く石斧を猪の眉間にたたき込みました。それが猪の最後でした。
「脚を縛れ、脚を上げて、頸動脈を切れ」
矢継ぎ早の指示を出して猪の処理をしていきます。処理した猪を、棒につけて四人で運びます。若者は、笑顔で村に帰ります。
太郎達のグループは、宮畑村の熟年組のやり方を採用しました。猪の巣の風上からゆっくり近づいていきます。匂いを知らせるのですから、猪は、危険な人間の接近を知ります。最もこの段階で、犬も吠えたり、勝手に走ったりしません。ゆっくり近づいていくので、猪のほうもゆっくり風下に移動します。風上から犬や人間の匂いが流れてきます。猪も距離感があるので、余裕があるようです。太郎が笛を出して「スー・・スー・・」と吹きます。人間には聞こえない音です。すると犬はスピードをほんの少し上げていきます。それほど明確に分かるほどのスピードではありません。風上から追うので、猪もそれは分かるようです。しばらくしてから、太郎が「スースー・・」笛を強めに吹きます。犬もこのときから「ワン・・・ワンワン・・」と吠え始めながら、追うようになりました。猪の群れも少し慌てながらも速度を上げます。その時、待機していた次郎が「「ピー・・・ピー・・・」と強く笛を吹きます。風下に待機していた犬の群れが鋭く猪の群れに襲いかかります。猪の群れは、風上と風下の両方向から襲われることになりました。風の流れから外れて、左の方向に急展開していきます。そこは、下り坂の斜面です。猪の群れは急いで斜面をくだります。その時、先頭の猪とその近くの数頭が、落とし穴に落ちました。小三郎から聞いた落とし穴の場所に猪を誘導し、罠にかけたのです。猪に傷を付けることなく、捕らえて、リリースする猪と殺処分する猪を選別しました。
太郎は、口笛で犬を操る熟年組の狩りをうらやましく思っていました。口笛には個人差があります。いわゆる個人の技能です。それを誰でもできる技術に発展させたかったのです。そこで、数匹の犬を同時に操る方法を考えていました。太郎はこの旅でシロとクロを犬笛で訓練することを思いつき、それを実験していたのです。宮畑犬は、狼の血を引いています。狩りには適性のある犬です。普通の縄文犬が、宮畑犬に従うことも、藤橋村や寺地村、長者ヶ原村で見てきました。各村のボス犬がすぐに従ったのは理由があることだったのです。犬笛で操る実験は一応成功したようです。
解体が始まりました。次郎が真っ先にしたことは、血抜きです。最初に膀胱や肛門周辺の処理をして次に取り出した臓器が胆のうでした。熊の胆のうと同じように薬効があります。知る人ぞ知る貴重な薬だったのです。死亡率が高かった縄文時代。特に消化器系の疾病で亡くなることが多かったのです。猪の胆のうは、腹痛や胃腸系の疾病に効き目がありました。この時代では貴重な薬であったことが分かります。宮畑ではこのことを熟知し、猪の胆のうの薬効を高める方法を開発していました。胆のうを乾燥させて使うのです。桜町の若者はまだそれを知らなかったようです。内臓を犬に惜しげもなく与えています。次郎は、胆のうをとってから別の部位を犬に与えました。その時、シロとクロは最初に美味しいところを食べます。桜町の縄文犬はそれを見ているのです。あるところでシロが「ワン・・ワン・・」というと縄文犬が安心して内臓に食いつき始めました。人間には階級差がないのですが、犬にはあったようです。
雪の深い季節になりました。長老には黒百合とヒメサユリという二人の孫がいます。ヒメサユリが急に腹痛を訴え苦しみ始めました。まわりの人達はどうすることもできません。呪術部長が、髪を振り乱してお祓いをしています。でも、効き目はでてきません。祈る部長にも疲れが出て来ているようです。
「次郎、猪の胆のうを!」
「はい、兄さん、これです」
太郎は、長老の家に行って、この薬を飲むようにすすめました。長老は呪術部長を見て、大丈夫かと目で問います。呪術部長は、肯定の合図を力なく送りました。他の手立てはないというシグナルです。長老は、太郎の薬を飲ませることを決断しました。黒百合が胆のうをヒメサユリの口に含ませます。苦さにむせりながらも十分に吸収したようです。
数日後、太郎と次郎にお礼を言っている黒百合とヒメサユリの姿がありました。
「この村では、猪の胆のうを利用しないでいたようです。物産部長に胃腸薬の特効薬として売り出してはどうか提案してみて下さい。作り方などのお手伝いはいつでもできますよ」
「お爺さんに、言っておくわ。不思議なくらい楽になったので驚いた」
「苦さがお腹の力を引き出すようなんだ。利く場合もあるし、利かない場合もあるよ。人には自分で病気を治す力があるようなんだ。この薬は、その人間の治そうとする力を助ける働きをもっていると思う。だから、自分で治そうと思う気持ちがお腹の力を引き出そうとする人には利き、治りたいと思わない人には利かないようだよ」
「そうなんだ」
次の日、物産部長が早速、太郎と次郎のところに来て猪の胆のうの件で相談に来ました。
「太郎、薬の作り方を教えるって本当か」
「はい、次郎がよく知っていますから。次郎、説明してやりなさい」
「部長は、猪の胆のうを物産として売り出したいわけですか」
「もちろん、出来ればすばらしいことだ」
「では、一般手順をお話しします。猪の捕獲、胆のうの取り出し、胆のう乾燥、使いやすさの工夫、保存、販売ルートの開拓、在庫を出来るだけ少なくする工夫などの工程があり、各部署に気の利いた人材を配置することが重要になります。薬の作り方だけでは、交易としての物産には育ちませんよ」
「なるほど」
「もしよければ、若者組の連中と話し合って、原案を作ってみましょうか」
「いいね、ぜひお願いするよ」
若者組を中心に猪の有効利用が始まりました。若い連中はアイデアが次々出てきます。
「猪を捕らえる場合、どうしても傷を付けてしまう。傷を付けないで、胆のうを取り出す方法はないかな!」
「それは、うり坊のときから飼育して一歳くらいで処理すれば、傷はつかないぞ」
「それは良い考えだ」
「猪の何歳くらいの時の胆のうが最も効き目があるのかな!」
「それを調べる価値はあるな。次から胆のうに猪の年齢を付記し、その薬効を買い手に聞く係を儲けよう」
「この村のものが毎年各村をまわり、薬を多く使う村、人などを調べれば、必要な量がわかり、在庫は増えず、利益は多くなると思うな!」
アイデアが出てくれば、それをやってみたくなるのが若者です。原案がまとめられて物産部長に届けられました。物産部長は、熟年の目で冷静な判断を下します。一気にではなく、徐々に事業の範囲を広げていくことを考えていました。その結果、この地域の薬産業は、休みなく発展しました。薬産業と個別販売は、後の「越中富山の薬売り」の基礎を築くことになったのです。
第8話 真脇村のイルカ漁とシャチ狩り
長老から太郎と次郎に相談があると知らされたのは、イルカがやってくる季節でした。真脇村の長老から桜町村の長老に相談があったのです。
「太郎と次郎、お願いがある。真脇村からイルカ漁についての問題が起きていると連絡が入った。できれば、現地に行って様子を見てきてくれ。」
「はい、わかりました。真脇村は長い間、漁撈を主体に生計を立ててきたと聞いています。その村の高い文化を学んできます。」
「よろしく頼む」
次の日、二人は旅立ちました。黒百合とヒメサユリが見送りにきていました。
「早く帰ってきてね、ヒメサユリが待ってるよ、太郎」
「黒百合こそ、次郎を待っているいるくせに」
とヒメサユリ。若者は、顔を赤くしながら手を控えめに握り、真脇村に向かいました。
太郎と次郎は約二日をかけて真脇村に着きました。真脇村の長老と三役を前に太郎が挨拶します。
「私たちは、東北の玄関に当たる福島の宮畑村からやって参りました。太郎と次郎です。この真脇村の優れた文化を学ばせて下さい。お願いします」
「おまえ達二人の噂は、聞いている。寺地村と長者ヶ原村の調停のことは、私たちも感謝している。ところで、今この村でも困ったことが起きている。相談にのって欲しい」
「どんなことですか」
次郎が困惑しながら聞きます。
「詳しいことは、第一線で苦労している若者組のリーダーに聞いてくれ。今日は、歓迎の宴を設けよう」
「ありがとうございます」
長老と三役そして若者組のリーダー十史郎と太郎と次郎での宴会の席。
「こんなに美味しい海の幸は初めてです」
「海は多くのものをわしらに贈ってくれる。でも、略奪するものもいるんだ」
食物部長が深刻な表情で話します。
「北の寒い海には植物プランクトンが豊富だ。その植物プランクトンを食べに、動物性プランクトンや小魚が集まる。これらの魚が活発に活動している間、流氷に守られて小魚が順調に育つんだ。ある程度育った小魚を食べに南の魚が北上する。これらの大きな魚は、夏の間に豊富な小魚を腹一杯食べ、まるまる太り、秋になると産卵のために南に帰る。その肥えた魚を狙ってイルカがこの湾にやってくるんだ。そのイルカを適当に捕獲して我々の生活は成り立っている。」
「すばらしい生活ですね」
「ところがそのイルカが、海のギャングに食い荒らされるようになった。おかげでイルカは激減したうえ、この湾を避けるようになってしまったんだ」
「海のギャングって何ですか」
「シャチだ」
「シャチ?」
「どう猛な海の暴れものさ。自分より大きい鯨でもイルカでも何にでも食いついて殺してしまう。」
「以前と同じようにイルカが訪れる九十九湾にしたいと思っている。でも、シャチがここに現れる限りそれは難しいようだ。それで困っている」
「明日、イルカとシャチの様子を見せていただきたいのですが」
「十史郎、太郎と次郎を船に乗せて様子を見せてあげなさい」
「承知しました、じゃ明日、浜辺の舟で待ってます」
次の日、海は穏やかで、見通しのよい海辺の風景がありました。遠くにイルカの群れを見ることができました。一頭が遅れているようです。すると突然その遅れたイルカに黒い物体が覆い被さるようにぶつかります。イルカは逃げようとしますが、赤い血を出しながら動きをなくします。黒い物体は悠々とそこから去って行きます。この光景を見て太郎は、十史郎に聞きます。
「今のがシャチですか」
「そうだ」
「あれを捕まえることは出来ないのですか」
次郎がシャチの迫力を感じながら尋ねます。
「何度もやったが、刺した銛を振り落として、平然としているんだ。少しくらいの傷や出血ではびくともしない。何度やっても効果がない」
「銛はどんな形をしたものですか」
すると、一・八メートルの木の柄についた銛を見せてくれました。ヤスを大きくしたもので、刃先は鋭く十五センチメートルぐらいありました。でもこれでは刺した後、シャチが暴れればすぐに抜けてしまうと太郎は思いました。
「刺した後、抜けない工夫はしていないのですか」
「そんなことより、たくさんの銛をさして、殺す方法を考えていた」
「次郎、十史郎さんに離頭銛を見せてやりなさい」
次郎は、革袋から離頭銛を取り出します。鹿の角で作った試作品です。松島の里浜村が考案したと聞いたとき、二人で考えながら作ったものでした。原理は銛の先端が獲物に刺されば、刺さった部分だけ食い込んで残り、他の部分は離れて手元に戻り、食い込んだ部分には縄が結んであり、刺さった獲物を間違いなく追跡できるというものです。
「はい兄さん」
「作戦はこうです。この銛を銛用の棒に装着します。先端の銛には縄を結んでおきます。銛を打ち込んだら、縄を手で持って獲物の動きに任せて引っ張らせます。獲物は傷を負いながら二人を乗せた舟を引っ張るのでいずれ疲れます。弱ったところを石斧で急所を叩きます。ためしてみますか」
「そんなに簡単にできるんだろうか。ようし、明日シャチの捕獲に挑戦してみよう」
次の日、若者組の十名が十史郎をリーダーにして海に出ます。十史郎は次郎から貰った離頭銛を、自分の使い慣れた銛の棒に装着しています。舟は四艘。十史郎の舟には、村一番のこぎ手が乗ります。太郎と次郎は見学と言うことで、後方からの船出です。今日もイルカの群れを見ることができました。すると、イルカのむれに黒い物体がゆっくり近づいていきます。
「シャチだ、急げ」
シャチと舟の距離が近づきました。シャチは舟や人間を怖がりません。注意はイルカに向けられています。舟がイルカとシャチの間に入ります。シャチは邪魔されたと感じ、怒りのジャンプをしました。何度か繰り返して威圧行為を繰り返します。次のジャンプをしたときです。十史郎はシャチの柔らかい腹の部位に銛を打ち込みました。シャチは驚いて水中に沈み込みます。銛に結びつけてる縄がずるずると伸びます。伸びきったところで舟も勢いよく引っぱられます。ここからが我慢比べです。シャチもいつもと違うことに気づいたようです。いつもならこれぐらい動けば銛が外れるはずでした。でも外れないばかりか、負担が増えていくのです。勢いが弱くなりました。すると、人間が引っ張るのです。それに逆らって動くとさらに苦痛が増し、動きが鈍くなっていくようです。呼吸が苦しくなり、海面に浮かびます。すると銛が投げられてきます。再度海に潜ろうとしますが、以前の力はなくなっています。
「弱ったら、シャチを舟にひっぱってきてください。殺さないで、しばらく舟に縛っておくのです。シャチは、近くのシャチに知らせています。『ここは危険だと』」
太郎は十史郎に説明します。
シャチの捕獲を終えて真脇村の長老の家で、宴会が行われていました。
「よくあのシャチを捕らえられたな」
「十史郎の銛を扱う能力がすばらしかったとしか言いようがありません。海の動物を熟知しているからでしょう。あの我慢比べは、なかなかできないと聞いています。里浜村でも大型魚の捕獲を離頭銛で行いますが、縄を切られることはよくあるようです。最初からそれが出来るのは、そこにいたるまでの訓練ができていたからこそでしょう。この村の高い漁撈技術のたまものです」
太郎も成功に驚いているようです。しばらく、歓迎の宴が行われ、場が打ち融けた頃、長老が太郎のそばに来ました。
「ところで、二人が桜町村に来た理由は、うすうす気づいている。それを手に入れるのは難しいぞ。」
「ごぞんじでしたか。もちろん、門外不出の『秘密』をそう簡単に教えてくれる分けがありません。それは身に染みて感じています」
「私から言えることは、あの村の住人になり、長老の親族と結婚することだ。門外不出は一子相伝によって守られている。桜町村の長老が、今守っている。それからあとは、その子孫に引き継がれていくだろう。私から言えることは、ここまでだ。これがこの村がおまえ達に贈れる唯一のお礼だと思ってくれ」
「貴重なお話を本当にありがとうございました。お礼の言葉もありません」
太郎は深く頭を下げる。
「堅い話はそれくらいにして、酒だ、酒だ・・・」
次の日、太郎と次郎は真脇村の十史郎と別れの言葉を交わしています。
「世話になったな」
「こちらこそ、シャチは一頭だけでなく二頭、三頭とつないでおいた方が良い、彼らは人間の持たない通信手段を持っているようだ。それが危険信号を発し続ければ、近くに来ないだろう。イルカもその通信手段を持ってる。ここがシャチの来ない安全な場所と分かれば、イルカはここで骨休めを満喫するだろう」
「そんなこともあるのか。我々より海のことを知っているな」
「そうそう、あるところで聞いた話だが、イルカは増えすぎると集団自殺をするそうだ。大量の群れで陸に上がってしまうのだ。そんな意味でも、適当な捕獲は彼らにとっても、海の資源のバランスを取る意味でも良いことだ。イルカの捕獲と資源が枯渇しない持続可能な漁撈は、立派な文化だ。イルカの文化を学べたことは、本当の収穫だった。ありがとう」
太郎は海の文化を理解し、嬉しそうでした。
「また来いよ、次郎、今度は猪狩りを教えてくれ」
笑顔で分かれました。
第9話 抜歯と婚姻関係
太郎と次郎の滞在期間の期限も近づいてきました。でも、目的の『秘密』は分からないままです。太郎とヒメサユリそして次郎と黒百合は、話していて笑顔があふれ出てくる間柄になっていました。その間柄は、別れの期限が近づけば近づくほど濃密になってきました。
「桜町のガードは硬かった。今回はこのまま帰ろう。長老も許してくれるさ」
「兄さん、俺はこの村に残るよ、もう少しがんばってみたいんだ」
「残るって、残るにはあれしかないぞ。いいのか」
次郎は何かを決心したようでした。
約束の桜町村を離れる日が来ました。太郎と次郎は長老に別れの挨拶をすることになっていました。長老と孫の黒百合とヒメサユリもいます。その周りには、村人が太郎と次郎の挨拶を聞こうと集まっていました。太郎と次郎が来ました。その時、次郎は、手を高く掲げました。そこには白い小さな物がありました。それを見て村人は、
「あれは抜歯した歯だ。右上の犬歯を抜いているぞ」
「次郎は桜町村の住人になるぞ」
「この村の住人になる証の抜歯だ」
右上の犬歯を抜くことは、別の村の住人が、そこの村の住人になることを決心したことなのです。村人は歓声をあげます。次郎という有能な人材が、桜町村の住人になるのです。これからの村の繁栄は約束されたようなものです。堅果類の採集、猪などの狩り、そしてそれらに加えて薬の交易で有利に交渉する術をもっているのです。さらにたのもしいことには、近隣の村々から次郎が尊敬され、その能力が高く評価されている点でした。長老も笑みを浮かべ、歓迎をする態度を鷹揚に示した。心の中では
「これは少し困ったことになった!」
「次郎を得ることは、その代償として宮畑村にそれ以上のものを送らなければならないな。何があるだろう?」
縄文時代の人々は、物をもらえばそれ以上のものを返すことで、村全体の自尊心を満足させていたのです。今で言うポトラッチというものです。相応の物が返せないときは、極端な場合、自分の命まで差し出すこともありました。次郎という人材に相応するものは、門外不出の『秘密』しか今のところ思いつかない長老でした。その長老の苦渋を察した黒百合は、
「おじいさん、太郎はヒメサユリが好きなのよ。わかるでしょう」
門外不出の『秘密』を渡すことはできません。
「大切な孫の一人を宮畑にやることで納得してもらうしかない」
長老は決断をしました。
「次郎の申し出を快くこの村は受け入れる。」
長老が、声高らかに宣言しました。村人は再度、歓声を上げます。
「次郎の奥さんになれるかもしれない。」とある娘ッ子は希望を持ちました。
「次郎を受け入れる代わりに、太郎には私の二人の孫のどちらかをやろう。」
村の若者がざわつきます。ある若者は
「ヒメサユリを選ぶなよ」
「長女の黒百合を当然選ぶよ」
自分を納得させる若者もいます。若者の動揺が続きます。ヒメサユリは、太郎に目配せをします。
「ヒメサユリだ」
太郎は迷わず即答します。黒百合は、ほっとします。これで次郎は私のものだ。その確信は、確かにそのとおりになるのですが!
「太郎の希望を叶える、反対のものは意見を述べよ」
次郎の存在は大きく、太郎も村人に好かれていました。
「賛成、さあ祝宴だ、祝宴の準備だ」
「祝宴の用意を」
村人は、祝宴の準備に取りかかりました。盛大な入会の宴と送別の宴が同時に行われたのです。
数日後、太郎とヒメサユリとシロが桜町村を離れる日がやってきました。次郎と黒百合とクロが見送りに来ています。
「兄さん、決してあきらめるなと長老に言ってくれ。」
「うん、俺の希望だけがかなったな。申し訳ない」
「そんなことはないよ。ここでもう少し力をつければ、『秘密』を知ることができるかもしれない」
「無理をするな。人の努力だけでは出来ないこともある。それより黒百合と仲良くやってくれ。」
「兄さんもヒメサユリと仲良くな」
送られて、桜町村を離れます。
第10話 帰り道の出来事
寺地村の付近に二人が来たとき、
「太郎じゃないか」
漁撈に出ていた若者が声をかけます。
「水くさいぞ」
「急いでいたのでな」
「ここを素通りさせては長老に怒られる。長老に挨拶していってくれ。いいだろ」
「この村は居心地がいいからな、みんな元気かい。」
「こちらの娘さんは?」
「桜町村の長老の孫娘、ヒメサユリだ。宮畑に行ったら結婚する」
「おめでとう」
「ありがとう」
長老の住居に入ると、三人の重役と長老が笑顔で迎えてくれました。
「あの節はたいへんお世話になった。おかげで長者ヶ原村とこの村の交易地域が明確になり、交易の利益が以前にもまして増えている。争いもなくなり、みんな充実して自分の仕事に励んでいる。遊びの方もだ」
「良かったです。この地からとれるヒスイは、日本列島のどこの村でもほしがるものですから。特に呪術関係では不可欠の聖具となっています」
「姫川での採取も順調でな、以前より速く各地に供給出来るようになった。採石、原石加工、穴開け、磨きの分業化が進み、村人の技能もヒスイの品質も向上している。費用対効果も良くなり、村人は満足しているよ」
「四国や九州の需要を満たすことも大切ですよ。ヒスイには、神々の至福をまねき災害を抑える働きがあります。日本列島全てにヒスイが広がれば、大地が落ち着くことになります」
「ところで、太郎にヒスイを用意していた。受け取ってくれ。」
「本当ですか、二つも」
太郎はすぐにその一つのヒスイの大玉をヒメサユリの首に掛けてやりました。
二日後、太郎一行は寺地村の人達に見送られ旅立ちました。寺地村を離れて長者ヶ原村の付近に二人が来たとき、
「太郎じゃないか」
狩猟に出ていた若者が声をかけます。
「水くさいぞ」
「急いでいたのでな」
「ここを素通りさせては長老に怒られる。長老に挨拶していってくれ。いいだろ」
「この村は居心地がいいからな、みんな元気かい」
「こちらの娘さんは?」
「桜町村の長老の孫娘、ヒメサユリだ。宮畑に行ったら結婚する」
「おめでとう」
「ありがとう」
長老の住居に入ると、三人の重役と長老が笑顔で迎えてくれました。寺地村と同じような話をして、ここでもヒスイの大玉を二つ貰ってしまいました。
長者ヶ原村を離れて藤橋村の付近に二人が来たとき、
「太郎じゃないか」
狩猟に出ていた若者が声をかけます。
「水くさいぞ」
「急いでいたのでな」
「ここを素通りさせては長老に怒られる。長老に挨拶していってくれ。いいだろ」
「この村は居心地がいいからな、みんな元気かい。」
「こちらの娘さんは?」
「桜町村の長老の孫娘、ヒメサユリだ。宮畑に行ったら結婚する」
「おめでとう」
「ありがとう」
長老の住居に入ると、三人の重役と長老が笑顔で迎えてくれました。長老は、ヒメサユリのヒスイの大玉を凝視しました。
「また思いっ切った大玉を贈ってくれたものだな。太郎、そのヒスイはな「女神の滴」と言われ百年に一つ取れるかとれない石なんだぞ。」
「本当ですか」
「この村でもいくつか用意していたが、それを見ては贈れるヒスイはなくなった」
「いや、十分いただきましたので、他の村に回してください」
「宮畑村がヒスイを希望したとき、真っ先に贈ることを約束しよう。その約束が藤橋村の贈り物だ」
「ありがとうございます」
「それはそうと、トンボそりを使うようになってから、妊婦の安産が増え、出産率が良くなったよ」
「女性が重い物を持って長い距離歩くと骨盤が変形するんです。骨盤の変形は、出産する子どもにも良くないし、妊婦への負担が大きくなります。この負担が、妊婦や新生児の死亡する原因になるんです」
「最初、わしも楽に働く女性の姿を見て、怠け癖がつくのではないかと心配した。でも結果は、村全体に活気が出てきたし、生産力も上昇している」
「宮畑村では早くからそのことに気がついて、女性の労働軽減対策が進んでいたのです。人口の増加が、村の繁栄を約束するものという村の方針があるのです」
「いや、本当にありがとう。今日は祝いをしたいので、ゆっくりくつろいでいってくれ」
「ありがとうございます」
第11話 門外不出の秘密が明らかに
太郎は長老の家にいます。
「門外不出の『秘密』は教えて貰えませんでした。申し訳ありません」
「そう落ち込むな、貴重なヒスイを四つも手に入れて、これ以上の成果を望むのは欲張りというものだ。それにしても、桜町村の長老の孫娘を嫁に出来るとは望外なことだった」
「ヒスイはどうしますか」
物産部長が貴重品の取り扱いを心配しています。
「これだけのヒスイがあれば、どんな交易でも可能です。たとえ、十年分のドングリでも、白滝の黒曜石でも思いのままです」
「まず、呪術部長のおばばにヒスイを。あとは何かの時に使おう」
長老からヒスイの大玉を首にかけられたとき、おばばは心地良い未来を感じたような気
がしました。それは、ヒメサユリの大玉と共振してできた波のような感じのものでした。
六月の夏至の頃、ヒメサユリは、太郎の子を妊娠したことを知りました。長老と呪術部長のおばばが深刻な話をしています。
「この村には確実に悪い兆候が出てきている。悪い兆候を助長する気配とそれを阻止する気配が感じられます」
「もっと確実なことはわからないのか」
「今の私の能力ではここまでです。ただ、冬至のころになればより明確になります」
「待つしかないか」
冬至から一ヶ月後、ヒメサユリは、太郎の子の小太郎を産みました。
「太郎、長老に話したいことがあるので、案内してください」
ヒメサユリは、小太郎を抱いて言いました。
長老の家でヒメサユリが話しています。呪術部長のおばばも真剣にその話に聞き入っています。
「桜町村の長老の血を引く男子が生まれれば、門外不出の『秘密』をその子どもに伝えても良いことになっています。小太郎はその後継者になります。私は今心配しています。それはこの土地が、徐々に神々からの加護を受けにくい場所になりつつあることです」
おばばは、そのとおりだとうなずきます。
「どうしてそんなことがわかる」
「太郎が何のために私の村に来たのか、察しがつけば簡単なことです。おばばが私を見て、ほっとしたことを私も気がつきました。この村に来た瞬間から」
「そうか、分かって来てくれたのか」
「小太郎が大人になるまで待てない、切迫した状況です。この際、前倒しで『秘密』をお話しします。そして、早急に神々の協力を得られる体制を作ってください。桜町村の『秘密』は、地下の神と地上の神と天の神を協調させて、土地の豊饒を加護して貰うものです。そのためには地下と地上と天を結ぶ大きな木を立てなければなりません。地下深くそして天高く木を立てて、地下から地上へ、そして天へと『気』の流れを円滑にするのです。」
「なぜ『気』を流すのだ」
「『気』が地下にたまりすぎれば、地震が起き火山が爆発します。地上に『気』がたまれば、虫の異常な発生で作物は枯れ、動物は少なくなり、魚は捕れなくなります。天に『気』がたまれば、異常気象になり、巨大台風や豪雨が頻繁に起こるようになります。」
「それらの災害が少しずつだが、増えてきて困っている。具体的にどうすればよいのか」
「四本の巨木を東西南北に等間隔で立てます。これは『言うは易く行うは難し』です。」
「確かに難しいが、やらなければ宮畑村が衰退するというのではやらなければならない。巨木というとどれくらいの木になるのかな」
「直径九十センチメートル、高さが六メートル以上の栗の木です。余裕を持たせて九十二センチメートルの六メートル五十センチメートルぐらいあったほうが良いと思います」
「それくらいの木であれば、宮畑村の近くに十数本はある。しかし、あることはあるが、伐って運ぶとなると一大事業になるぞ。おそらく重さは三トン、一人五十キログラムを動かすとして六十人。道のない道を運ぶとなると、百人でも難しい作業だ」
「この四本の巨木を立てる場合、技術的課題が二つあります。その巨木を伐った場所から宮畑村に運ぶこと。もう一つは、四本の柱を立て、その上で四本を安定した状態に保つことです。この二つが門外不出の『秘密』の核心です」
「考えれば、考えるほど出来ないと思ってしまう」
「まず運ぶ方法ですが、コロやテコを使います。そして、これが大事なことですが、木を運ぶときに、全員で引っ張れるように縄を通すことのできる『貫穴』を掘ることです。」
「コロやテコって」
「丸太を三十本ぐらい並べます。その上に巨木を載せて引っ張るのです。それでも動かないときは、テコの力で動かすのです」
「丸太の上を動かすのは分かるような気がするが、テコというのはどんなものかな」
「ここに三・六メートルの棒がありますね。私は二・四メートル、長老は一・二メートルを支点として、どちらが先に押し下げることができるかやってみましょう。」
「用意ドン」
ヒメサユリが長老を持ち上げてしまう。
「テコは何となく分かったが、『貫穴』って」
「直径九十センチメートルの木に直径十五センチメートルの穴を開けるのです。」
「木に穴を開けるなんて、石斧で出来るのか。九十センチメートルの長さのある石斧なんて使ったことがないぞ。それに重くて持てないよ」
「六メートルの木材、余裕を持って約六・五メートルの長さに木を伐ります。十分に乾燥させて三・八メートルと四・二メートルの所に穴を通します。貫穴と言うものです」
「なぜ乾燥させるのだ」
「まず木の精の活動が弱まる秋から冬にかけて、四本の木を伐ります。木を伐採した後は、枝や葉を落とさずに二~三ヶ月放置しておきます」
「なんで枝や葉を付けたままにして放置する必要があるんだ」
「枝や葉は木の蒸散を促し、水分を抜くことを助けます。木の含水量が減るため、乾燥が促進されるのです。伐採した木材を長く放置しておくと、それ以上乾燥しない状態になります。」
「どうして、乾燥をそこまでさせるのかが分からない」
「この状態になると含水量が安定し、木材は変形しない状態になるのです。この状態になったら、枝葉を刈り取ります。一本の丸太にするわけです」
「先ほどからの疑問だが、どんな工夫をして穴を開けるのだ」
「穴の開け方ですが、最初は穴を開ける場所を、石斧で掘ります。穴は直径十五センチメートル程度で、深さは十センチメートル程度掘ります。その後は、そこの穴に砂を少し入れます。その穴に直径十五センチメートルの丸太を入れて転がします。これにはかなりの時間をかけて転がしていきます。
「そんなことで穴が開くのか」
「火をおこす場合、木の棒を木の板に押しつけて手もみで回しますね。それと同じです。もっと慣れると、弓の弦に棒を巻き付けて弓を左右に引くだけで火がおきます。その時火がつく板はへこんでいきますね。同じ原理で、木の棒を穴に立てて砂を少しまいて転がします。砂がヤスリの役割を果たしながら穴を削っていくのです。それが最終的に直径十五センチメートルの『貫穴』になります。」
「そんなこことが可能なのか」
「不思議に思いませんでしたか?あの硬いヒスイにどうして穴を開けたのかを!」
「それがわからない。どうやっても、傷さえ付けられなかったけど」
「あの穴は竹の細い棒を小さな弓の弦に巻いて左右に回して開けるのです。とても根気のいる作業です。当然竹の先に粉のような硬砂をおいて回転させます。それを延々と続けるのです」
「どうして、そんなことがわかるのだ。ヒスイの穴の開け方など絶対の秘密だろう」
「巨木の性質を教えることで、このような情報を桜町村は得ているのです。でも今私たちがやっている巨木の立て方は、寺地村や真脇村とは違う本格的なものです。」
「どんな風に違うのだ」
「巨木を立てる村は、チカモリ村、真脇村、寺地村などがあります。ウッドサークルといわれているものです。これらは円なのです」
「円と四角はどう違うのか」
違いは明らかだが、頭がこんがらかった長老は、何を聞きたいのか、何を言っているのか分からないほど混乱の極地に達していました。
「東西南北は、世の中の全てをカバーしています。それは、地下も地上も天も全てを包含しているのです」
「何となく分かったことにしよう」
「乾燥した木の正確な位置、三・八メートルと四・二メートルmの場所に穴を開ける作業を夏過ぎごろに始めます。もう一つは、四本の巨木を切る場所から村に通じる場所までの間で出来るだけたくさんの薪を取って欲しいのです。」
「どうしてそんなことをする!」
「木を運ぶ道を作るのです。薪を伐れば、土地は見通しが良くなります。雑木林に木がなければ、土地は平らになり運びやすくなります。一年近く村の人達が行ったり、来たりすれば巨木を運びやすい道になります。」
「なるほど、考えているね」
「それから、四本の木を立てる深さ二メートルの穴は、手の空いている人に掘っておいてもらいます。貯蔵穴を掘ったことのある経験者なら、深さ二メートルで直径九十センチメートルの穴の四つぐらいは容易に掘れるでしょう。最も、深さ二メートルの穴は垂直ではなく、柱が立てやすいように工夫が必要です。太郎をリーダーにして作業を行わせて下さい」
「わかった、太郎に一任しよう」
第12話 宮畑村の大団円
巨木が乾燥し、安定した状態になったころ、『貫穴』の作業に入りました。巨木は地面から九十センチメートルの高さがあります。その高さまで、四平方メートルの範囲の面積に土を盛ります。その土の上で直径十五センチメートル丸太を回転させる作業を行うのです。回転させる丸太の上部は、三叉になっています。その三叉の部分に棒を一本渡して固定します。渡した棒の両端を二人で持って回転していきます。回転させる棒を安定させるために二人が回転する人の邪魔にならない範囲で、二本の二股の棒で支えます。四人一組で一時間交替で四組が行います。一時間で四センチメートルほど掘れる作業になります。一本に一つの貫穴を貫き通すのに五日間かかりました。四時間の超過労働は宮畑村の若者にはきつい作業でした。でも、神様達が仲良くするには、やりがいのある作業だと思い働いたようです。結果として、四本に二つの貫穴を開ける作業を四十日で完成することができました。
次は、難問と考えられていた運搬です。運ぶ道はほぼ作られていました。貫穴に縄を通します。藤のツタが丁寧に綯われて三十メートルもの縄が作られました。次に巨木の下に四つ穴を掘り、そこに木を埋めて、埋めた木を支点にして四本のテコの棒を入れます。大きなかけ声と同時にテコの棒を下げます。と同時に巨木が持ち上がり、コロ用に敷かれた丸太の上に移っていきます。もちろん、綱を持った人達がその動きを助けます。
「やったー・・・やったぞ・・・」
大歓声です。
三十本のコロが、巨木を楽々と動かします。引き手の息の合った歌声とともにゆっくり移動を始めます。
「大きな丸太やってきた、こうれでムーラは安泰だ
ヨーイヨーイヨーイヨーイ
後ろのヤーマは遠ざかる、前のムーラは近くなる
ヨーイヨーイヨーイヨーイ
遠くの声は見目麗しい、近くの者は見目麗しい
ヨーイヨーイヨーイヨーイ
カーミ様は仲良しだ、こうれでムーラは安泰だ
ヨーイヨーイヨーイヨーイ
後ろのヤーマは遠ざかる、前のムーラは近くなる
ヨーイヨーイヨーイヨーイ
遠くの声は見目麗しい、近くの者は見目麗しい
ヨーイヨーイヨーイヨーイ・・・・・・」
巨木がコロの前に移動するたびに、後ろのコロを前に運ぶ係、歌をリードしながら引き手を鼓舞する係、村人の気持ちが一つになった瞬間でした。こうして四本の巨木が運ばれてきました。
すでに巨木を差し込む穴は掘られていました。丸太を固定する床面はたたき板や槌で十分に固められています。固める作業が、掘る作業より苦労したとも言えます。三トンの重さを支える床面の強度を高める作業です。このような固める作業を、宮畑の人達はやったことがないのです。でも、それを何ヶ月も前から行ったため、床面は固く、湿気のない状態を保っていました。
しかし、三トンの木を持ち上げて穴に入れる事は出来ません。そのため穴は斜めに掘られていました。地下の垂直部分は二メートルに掘られています。でも、垂直部分までに掘ってある斜めの距離は四メートルです。六メートルの巨木を斜めに入れていきます。地下部分に四メートルが入り二メートルの部分が地上部に出ています。四メートル二十センチメートルの場所に貫穴あり、そこに縄を入れてみんなでここまで引っ張ってきたわけです。今度は引っ張る作業から立てる作業になります。
みんなが力を合わせて十センチメートル以上引き上げます。上げたところに二股の木を入れて支えます。二股で支えたところを起点に更に、十センチメートル以上引き上げ、別の二股で支えます。このようにみんなの力で十センチメートル以上引き上げます。そして二股で支えるという作業を繰り返していくのです。
一本の木が垂直に立てられました。斜面に土が入れられ巨木は地下に二メートル、地上に四メートルという姿を現しました。同じような作業が続きます。対角にもう一本が立ち、次は平行に立てられます。四本の柱が立ったところで、縄がほどかれます。それから、貫穴に長さ二メートル二十センチメートル、直径十四センチメートルの丸太が四本入れられました。緩い隙間には、木が埋め込まれ四本の柱を堅く結びつけ、支え合います。土が入れられて、完成です。
これで神様の意思疎通は完璧です。人間に優しい環境がもたらされると宮畑村の人達は、縄文のシンボルを見上げ続けました。
追伸
桜町村の薬産業は、発展していました。若者のアイデアは、尽きることなく湧き出てきました。一つだけ現代につながるものがあります。桜町村と真脇村で伝書鳩を飼育したのです。真脇村で突然の腹痛を訴えた病人が出たときに、伝書鳩で桜町村に知らせます。すると桜町村は猪の胆のうを五グラム伝書鳩につけて送りました。現代で言うドローンの先駆けです。人間の考えることは、数千年経っても変わらないものですね。
そうそうもう一つ大事なことがありました。次郎と黒百合は当然のように結婚しました。次郎は物産部長にはついたのですが、自分のペースで働いたり遊んだりと幸せに過ごしたようです。
参考文献
縄文のかたちとこころ 小林達雄 毎日新聞社
信州の縄文早期の世界 藤森英二 新泉社
縄文のイエとムラの風景 高田和徳 新泉社
縄文の社会構造をのぞく 堀越正行 新泉社
生と死の考古学 縄文時代の死生観 東洋書店
縄文美術館 小野正文 他 平凡社
桜町遺跡 小矢部市教育委員会 他
イノシシと人間 高橋春成 古今書院
ぼくは猟師になった 千松信也 リトルモア
宮畑遺蹟 齋藤義弘 同成社
第7話 桜町村の進化したイノシシ狩り
狩りの当日、村には心地良い緊張が漂っていました。歓迎の猪狩りです。桜町村の若者達は、太郎や次郎の狩猟能力を知りたいと思いました。それで、二人に小三郎を含めて八人の若者を貸してくれたのです。桜町村の若者も十人です。同じ人数で争うわけです。
まだ太陽が上がらないうちに、桜町の若者は二手に分かれて進んでいきます。猪の住み家に近づいています。猪は夜行性と思われていますが、本当は昼間活動するのです。事前に確認してある巣を風下からゆっくり近づきます。一定の距離に来たとき、
「ウオー、ウオー・・・」
時の声を上げて、犬を放します。
「ブヒー・・ブッビー・・・」
猪の群れは四方八方に分かれて逃げだします。
「出てきたぞ!」
「あの大きな猪を追わせろ」
大物の猪を数匹の犬が追い始めます。
「ワン・・・ウー・ワンワン・・・・」
犬は執拗に追いかけます。一定の距離を置きながら若者も追いかけます。無目的に追っているわけではありません。三方が岩場で囲まれたところに追い込んでいるのです。そこで弓を構えた若者が、矢をつがえて待ち構えています。
「来たぞ、大物だ」
「射程に入った、打て!」
矢は的を外さずに次々に刺さります。でも、すぐには倒れないタフな猪です。犬がまわりを囲み、次々にかみついていきます。猪も弱り始めます。でも、最後の逆襲が怖いことをみんな知っています。細心の注意をしているのです。
「潮時だな」
桜町のリーダーが、石斧を持って猪に近づきます。猪も最後の機会を狙っているようです。若者も当然知っています。石斧を構えて、近づき、柄の届く距離に来たときに、素早く石斧を猪の眉間にたたき込みました。それが猪の最後でした。
「脚を縛れ、脚を上げて、頸動脈を切れ」
矢継ぎ早の指示を出して猪の処理をしていきます。処理した猪を、棒につけて四人で運びます。若者は、笑顔で村に帰ります。
太郎達のグループは、宮畑村の熟年組のやり方を採用しました。猪の巣の風上からゆっくり近づいていきます。匂いを知らせるのですから、猪は、危険な人間の接近を知ります。最もこの段階で、犬も吠えたり、勝手に走ったりしません。ゆっくり近づいていくので、猪のほうもゆっくり風下に移動します。風上から犬や人間の匂いが流れてきます。猪も距離感があるので、余裕があるようです。太郎が笛を出して「スー・・スー・・」と吹きます。人間には聞こえない音です。すると犬はスピードをほんの少し上げていきます。それほど明確に分かるほどのスピードではありません。風上から追うので、猪もそれは分かるようです。しばらくしてから、太郎が「スースー・・」笛を強めに吹きます。犬もこのときから「ワン・・・ワンワン・・」と吠え始めながら、追うようになりました。猪の群れも少し慌てながらも速度を上げます。その時、待機していた次郎が「「ピー・・・ピー・・・」と強く笛を吹きます。風下に待機していた犬の群れが鋭く猪の群れに襲いかかります。猪の群れは、風上と風下の両方向から襲われることになりました。風の流れから外れて、左の方向に急展開していきます。そこは、下り坂の斜面です。猪の群れは急いで斜面をくだります。その時、先頭の猪とその近くの数頭が、落とし穴に落ちました。小三郎から聞いた落とし穴の場所に猪を誘導し、罠にかけたのです。猪に傷を付けることなく、捕らえて、リリースする猪と殺処分する猪を選別しました。
太郎は、口笛で犬を操る熟年組の狩りをうらやましく思っていました。口笛には個人差があります。いわゆる個人の技能です。それを誰でもできる技術に発展させたかったのです。そこで、数匹の犬を同時に操る方法を考えていました。太郎はこの旅でシロとクロを犬笛で訓練することを思いつき、それを実験していたのです。宮畑犬は、狼の血を引いています。狩りには適性のある犬です。普通の縄文犬が、宮畑犬に従うことも、藤橋村や寺地村、長者ヶ原村で見てきました。各村のボス犬がすぐに従ったのは理由があることだったのです。犬笛で操る実験は一応成功したようです。
解体が始まりました。次郎が真っ先にしたことは、血抜きです。最初に膀胱や肛門周辺の処理をして次に取り出した臓器が胆のうでした。熊の胆のうと同じように薬効があります。知る人ぞ知る貴重な薬だったのです。死亡率が高かった縄文時代。特に消化器系の疾病で亡くなることが多かったのです。猪の胆のうは、腹痛や胃腸系の疾病に効き目がありました。この時代では貴重な薬であったことが分かります。宮畑ではこのことを熟知し、猪の胆のうの薬効を高める方法を開発していました。胆のうを乾燥させて使うのです。桜町の若者はまだそれを知らなかったようです。内臓を犬に惜しげもなく与えています。次郎は、胆のうをとってから別の部位を犬に与えました。その時、シロとクロは最初に美味しいところを食べます。桜町の縄文犬はそれを見ているのです。あるところでシロが「ワン・・ワン・・」というと縄文犬が安心して内臓に食いつき始めました。人間には階級差がないのですが、犬にはあったようです。
雪の深い季節になりました。長老には黒百合とヒメサユリという二人の孫がいます。ヒメサユリが急に腹痛を訴え苦しみ始めました。まわりの人達はどうすることもできません。呪術部長が、髪を振り乱してお祓いをしています。でも、効き目はでてきません。祈る部長にも疲れが出て来ているようです。
「次郎、猪の胆のうを!」
「はい、兄さん、これです」
太郎は、長老の家に行って、この薬を飲むようにすすめました。長老は呪術部長を見て、大丈夫かと目で問います。呪術部長は、肯定の合図を力なく送りました。他の手立てはないというシグナルです。長老は、太郎の薬を飲ませることを決断しました。黒百合が胆のうをヒメサユリの口に含ませます。苦さにむせりながらも十分に吸収したようです。
数日後、太郎と次郎にお礼を言っている黒百合とヒメサユリの姿がありました。
「この村では、猪の胆のうを利用しないでいたようです。物産部長に胃腸薬の特効薬として売り出してはどうか提案してみて下さい。作り方などのお手伝いはいつでもできますよ」
「お爺さんに、言っておくわ。不思議なくらい楽になったので驚いた」
「苦さがお腹の力を引き出すようなんだ。利く場合もあるし、利かない場合もあるよ。人には自分で病気を治す力があるようなんだ。この薬は、その人間の治そうとする力を助ける働きをもっていると思う。だから、自分で治そうと思う気持ちがお腹の力を引き出そうとする人には利き、治りたいと思わない人には利かないようだよ」
「そうなんだ」
次の日、物産部長が早速、太郎と次郎のところに来て猪の胆のうの件で相談に来ました。
「太郎、薬の作り方を教えるって本当か」
「はい、次郎がよく知っていますから。次郎、説明してやりなさい」
「部長は、猪の胆のうを物産として売り出したいわけですか」
「もちろん、出来ればすばらしいことだ」
「では、一般手順をお話しします。猪の捕獲、胆のうの取り出し、胆のう乾燥、使いやすさの工夫、保存、販売ルートの開拓、在庫を出来るだけ少なくする工夫などの工程があり、各部署に気の利いた人材を配置することが重要になります。薬の作り方だけでは、交易としての物産には育ちませんよ」
「なるほど」
「もしよければ、若者組の連中と話し合って、原案を作ってみましょうか」
「いいね、ぜひお願いするよ」
若者組を中心に猪の有効利用が始まりました。若い連中はアイデアが次々出てきます。
「猪を捕らえる場合、どうしても傷を付けてしまう。傷を付けないで、胆のうを取り出す方法はないかな!」
「それは、うり坊のときから飼育して一歳くらいで処理すれば、傷はつかないぞ」
「それは良い考えだ」
「猪の何歳くらいの時の胆のうが最も効き目があるのかな!」
「それを調べる価値はあるな。次から胆のうに猪の年齢を付記し、その薬効を買い手に聞く係を儲けよう」
「この村のものが毎年各村をまわり、薬を多く使う村、人などを調べれば、必要な量がわかり、在庫は増えず、利益は多くなると思うな!」
アイデアが出てくれば、それをやってみたくなるのが若者です。原案がまとめられて物産部長に届けられました。物産部長は、熟年の目で冷静な判断を下します。一気にではなく、徐々に事業の範囲を広げていくことを考えていました。その結果、この地域の薬産業は、休みなく発展しました。薬産業と個別販売は、後の「越中富山の薬売り」の基礎を築くことになったのです。
第8話 真脇村のイルカ漁とシャチ狩り
長老から太郎と次郎に相談があると知らされたのは、イルカがやってくる季節でした。真脇村の長老から桜町村の長老に相談があったのです。
「太郎と次郎、お願いがある。真脇村からイルカ漁についての問題が起きていると連絡が入った。できれば、現地に行って様子を見てきてくれ。」
「はい、わかりました。真脇村は長い間、漁撈を主体に生計を立ててきたと聞いています。その村の高い文化を学んできます。」
「よろしく頼む」
次の日、二人は旅立ちました。黒百合とヒメサユリが見送りにきていました。
「早く帰ってきてね、ヒメサユリが待ってるよ、太郎」
「黒百合こそ、次郎を待っているいるくせに」
とヒメサユリ。若者は、顔を赤くしながら手を控えめに握り、真脇村に向かいました。
太郎と次郎は約二日をかけて真脇村に着きました。真脇村の長老と三役を前に太郎が挨拶します。
「私たちは、東北の玄関に当たる福島の宮畑村からやって参りました。太郎と次郎です。この真脇村の優れた文化を学ばせて下さい。お願いします」
「おまえ達二人の噂は、聞いている。寺地村と長者ヶ原村の調停のことは、私たちも感謝している。ところで、今この村でも困ったことが起きている。相談にのって欲しい」
「どんなことですか」
次郎が困惑しながら聞きます。
「詳しいことは、第一線で苦労している若者組のリーダーに聞いてくれ。今日は、歓迎の宴を設けよう」
「ありがとうございます」
長老と三役そして若者組のリーダー十史郎と太郎と次郎での宴会の席。
「こんなに美味しい海の幸は初めてです」
「海は多くのものをわしらに贈ってくれる。でも、略奪するものもいるんだ」
食物部長が深刻な表情で話します。
「北の寒い海には植物プランクトンが豊富だ。その植物プランクトンを食べに、動物性プランクトンや小魚が集まる。これらの魚が活発に活動している間、流氷に守られて小魚が順調に育つんだ。ある程度育った小魚を食べに南の魚が北上する。これらの大きな魚は、夏の間に豊富な小魚を腹一杯食べ、まるまる太り、秋になると産卵のために南に帰る。その肥えた魚を狙ってイルカがこの湾にやってくるんだ。そのイルカを適当に捕獲して我々の生活は成り立っている。」
「すばらしい生活ですね」
「ところがそのイルカが、海のギャングに食い荒らされるようになった。おかげでイルカは激減したうえ、この湾を避けるようになってしまったんだ」
「海のギャングって何ですか」
「シャチだ」
「シャチ?」
「どう猛な海の暴れものさ。自分より大きい鯨でもイルカでも何にでも食いついて殺してしまう。」
「以前と同じようにイルカが訪れる九十九湾にしたいと思っている。でも、シャチがここに現れる限りそれは難しいようだ。それで困っている」
「明日、イルカとシャチの様子を見せていただきたいのですが」
「十史郎、太郎と次郎を船に乗せて様子を見せてあげなさい」
「承知しました、じゃ明日、浜辺の舟で待ってます」
次の日、海は穏やかで、見通しのよい海辺の風景がありました。遠くにイルカの群れを見ることができました。一頭が遅れているようです。すると突然その遅れたイルカに黒い物体が覆い被さるようにぶつかります。イルカは逃げようとしますが、赤い血を出しながら動きをなくします。黒い物体は悠々とそこから去って行きます。この光景を見て太郎は、十史郎に聞きます。
「今のがシャチですか」
「そうだ」
「あれを捕まえることは出来ないのですか」
次郎がシャチの迫力を感じながら尋ねます。
「何度もやったが、刺した銛を振り落として、平然としているんだ。少しくらいの傷や出血ではびくともしない。何度やっても効果がない」
「銛はどんな形をしたものですか」
すると、一・八メートルの木の柄についた銛を見せてくれました。ヤスを大きくしたもので、刃先は鋭く十五センチメートルぐらいありました。でもこれでは刺した後、シャチが暴れればすぐに抜けてしまうと太郎は思いました。
「刺した後、抜けない工夫はしていないのですか」
「そんなことより、たくさんの銛をさして、殺す方法を考えていた」
「次郎、十史郎さんに離頭銛を見せてやりなさい」
次郎は、革袋から離頭銛を取り出します。鹿の角で作った試作品です。松島の里浜村が考案したと聞いたとき、二人で考えながら作ったものでした。原理は銛の先端が獲物に刺されば、刺さった部分だけ食い込んで残り、他の部分は離れて手元に戻り、食い込んだ部分には縄が結んであり、刺さった獲物を間違いなく追跡できるというものです。
「はい兄さん」
「作戦はこうです。この銛を銛用の棒に装着します。先端の銛には縄を結んでおきます。銛を打ち込んだら、縄を手で持って獲物の動きに任せて引っ張らせます。獲物は傷を負いながら二人を乗せた舟を引っ張るのでいずれ疲れます。弱ったところを石斧で急所を叩きます。ためしてみますか」
「そんなに簡単にできるんだろうか。ようし、明日シャチの捕獲に挑戦してみよう」
次の日、若者組の十名が十史郎をリーダーにして海に出ます。十史郎は次郎から貰った離頭銛を、自分の使い慣れた銛の棒に装着しています。舟は四艘。十史郎の舟には、村一番のこぎ手が乗ります。太郎と次郎は見学と言うことで、後方からの船出です。今日もイルカの群れを見ることができました。すると、イルカのむれに黒い物体がゆっくり近づいていきます。
「シャチだ、急げ」
シャチと舟の距離が近づきました。シャチは舟や人間を怖がりません。注意はイルカに向けられています。舟がイルカとシャチの間に入ります。シャチは邪魔されたと感じ、怒りのジャンプをしました。何度か繰り返して威圧行為を繰り返します。次のジャンプをしたときです。十史郎はシャチの柔らかい腹の部位に銛を打ち込みました。シャチは驚いて水中に沈み込みます。銛に結びつけてる縄がずるずると伸びます。伸びきったところで舟も勢いよく引っぱられます。ここからが我慢比べです。シャチもいつもと違うことに気づいたようです。いつもならこれぐらい動けば銛が外れるはずでした。でも外れないばかりか、負担が増えていくのです。勢いが弱くなりました。すると、人間が引っ張るのです。それに逆らって動くとさらに苦痛が増し、動きが鈍くなっていくようです。呼吸が苦しくなり、海面に浮かびます。すると銛が投げられてきます。再度海に潜ろうとしますが、以前の力はなくなっています。
「弱ったら、シャチを舟にひっぱってきてください。殺さないで、しばらく舟に縛っておくのです。シャチは、近くのシャチに知らせています。『ここは危険だと』」
太郎は十史郎に説明します。
シャチの捕獲を終えて真脇村の長老の家で、宴会が行われていました。
「よくあのシャチを捕らえられたな」
「十史郎の銛を扱う能力がすばらしかったとしか言いようがありません。海の動物を熟知しているからでしょう。あの我慢比べは、なかなかできないと聞いています。里浜村でも大型魚の捕獲を離頭銛で行いますが、縄を切られることはよくあるようです。最初からそれが出来るのは、そこにいたるまでの訓練ができていたからこそでしょう。この村の高い漁撈技術のたまものです」
太郎も成功に驚いているようです。しばらく、歓迎の宴が行われ、場が打ち融けた頃、長老が太郎のそばに来ました。
「ところで、二人が桜町村に来た理由は、うすうす気づいている。それを手に入れるのは難しいぞ。」
「ごぞんじでしたか。もちろん、門外不出の『秘密』をそう簡単に教えてくれる分けがありません。それは身に染みて感じています」
「私から言えることは、あの村の住人になり、長老の親族と結婚することだ。門外不出は一子相伝によって守られている。桜町村の長老が、今守っている。それからあとは、その子孫に引き継がれていくだろう。私から言えることは、ここまでだ。これがこの村がおまえ達に贈れる唯一のお礼だと思ってくれ」
「貴重なお話を本当にありがとうございました。お礼の言葉もありません」
太郎は深く頭を下げる。
「堅い話はそれくらいにして、酒だ、酒だ・・・」
次の日、太郎と次郎は真脇村の十史郎と別れの言葉を交わしています。
「世話になったな」
「こちらこそ、シャチは一頭だけでなく二頭、三頭とつないでおいた方が良い、彼らは人間の持たない通信手段を持っているようだ。それが危険信号を発し続ければ、近くに来ないだろう。イルカもその通信手段を持ってる。ここがシャチの来ない安全な場所と分かれば、イルカはここで骨休めを満喫するだろう」
「そんなこともあるのか。我々より海のことを知っているな」
「そうそう、あるところで聞いた話だが、イルカは増えすぎると集団自殺をするそうだ。大量の群れで陸に上がってしまうのだ。そんな意味でも、適当な捕獲は彼らにとっても、海の資源のバランスを取る意味でも良いことだ。イルカの捕獲と資源が枯渇しない持続可能な漁撈は、立派な文化だ。イルカの文化を学べたことは、本当の収穫だった。ありがとう」
太郎は海の文化を理解し、嬉しそうでした。
「また来いよ、次郎、今度は猪狩りを教えてくれ」
笑顔で分かれました。
第9話 抜歯と婚姻関係
太郎と次郎の滞在期間の期限も近づいてきました。でも、目的の『秘密』は分からないままです。太郎とヒメサユリそして次郎と黒百合は、話していて笑顔があふれ出てくる間柄になっていました。その間柄は、別れの期限が近づけば近づくほど濃密になってきました。
「桜町のガードは硬かった。今回はこのまま帰ろう。長老も許してくれるさ」
「兄さん、俺はこの村に残るよ、もう少しがんばってみたいんだ」
「残るって、残るにはあれしかないぞ。いいのか」
次郎は何かを決心したようでした。
約束の桜町村を離れる日が来ました。太郎と次郎は長老に別れの挨拶をすることになっていました。長老と孫の黒百合とヒメサユリもいます。その周りには、村人が太郎と次郎の挨拶を聞こうと集まっていました。太郎と次郎が来ました。その時、次郎は、手を高く掲げました。そこには白い小さな物がありました。それを見て村人は、
「あれは抜歯した歯だ。右上の犬歯を抜いているぞ」
「次郎は桜町村の住人になるぞ」
「この村の住人になる証の抜歯だ」
右上の犬歯を抜くことは、別の村の住人が、そこの村の住人になることを決心したことなのです。村人は歓声をあげます。次郎という有能な人材が、桜町村の住人になるのです。これからの村の繁栄は約束されたようなものです。堅果類の採集、猪などの狩り、そしてそれらに加えて薬の交易で有利に交渉する術をもっているのです。さらにたのもしいことには、近隣の村々から次郎が尊敬され、その能力が高く評価されている点でした。長老も笑みを浮かべ、歓迎をする態度を鷹揚に示した。心の中では
「これは少し困ったことになった!」
「次郎を得ることは、その代償として宮畑村にそれ以上のものを送らなければならないな。何があるだろう?」
縄文時代の人々は、物をもらえばそれ以上のものを返すことで、村全体の自尊心を満足させていたのです。今で言うポトラッチというものです。相応の物が返せないときは、極端な場合、自分の命まで差し出すこともありました。次郎という人材に相応するものは、門外不出の『秘密』しか今のところ思いつかない長老でした。その長老の苦渋を察した黒百合は、
「おじいさん、太郎はヒメサユリが好きなのよ。わかるでしょう」
門外不出の『秘密』を渡すことはできません。
「大切な孫の一人を宮畑にやることで納得してもらうしかない」
長老は決断をしました。
「次郎の申し出を快くこの村は受け入れる。」
長老が、声高らかに宣言しました。村人は再度、歓声を上げます。
「次郎の奥さんになれるかもしれない。」とある娘ッ子は希望を持ちました。
「次郎を受け入れる代わりに、太郎には私の二人の孫のどちらかをやろう。」
村の若者がざわつきます。ある若者は
「ヒメサユリを選ぶなよ」
「長女の黒百合を当然選ぶよ」
自分を納得させる若者もいます。若者の動揺が続きます。ヒメサユリは、太郎に目配せをします。
「ヒメサユリだ」
太郎は迷わず即答します。黒百合は、ほっとします。これで次郎は私のものだ。その確信は、確かにそのとおりになるのですが!
「太郎の希望を叶える、反対のものは意見を述べよ」
次郎の存在は大きく、太郎も村人に好かれていました。
「賛成、さあ祝宴だ、祝宴の準備だ」
「祝宴の用意を」
村人は、祝宴の準備に取りかかりました。盛大な入会の宴と送別の宴が同時に行われたのです。
数日後、太郎とヒメサユリとシロが桜町村を離れる日がやってきました。次郎と黒百合とクロが見送りに来ています。
「兄さん、決してあきらめるなと長老に言ってくれ。」
「うん、俺の希望だけがかなったな。申し訳ない」
「そんなことはないよ。ここでもう少し力をつければ、『秘密』を知ることができるかもしれない」
「無理をするな。人の努力だけでは出来ないこともある。それより黒百合と仲良くやってくれ。」
「兄さんもヒメサユリと仲良くな」
送られて、桜町村を離れます。
第10話 帰り道の出来事
寺地村の付近に二人が来たとき、
「太郎じゃないか」
漁撈に出ていた若者が声をかけます。
「水くさいぞ」
「急いでいたのでな」
「ここを素通りさせては長老に怒られる。長老に挨拶していってくれ。いいだろ」
「この村は居心地がいいからな、みんな元気かい。」
「こちらの娘さんは?」
「桜町村の長老の孫娘、ヒメサユリだ。宮畑に行ったら結婚する」
「おめでとう」
「ありがとう」
長老の住居に入ると、三人の重役と長老が笑顔で迎えてくれました。
「あの節はたいへんお世話になった。おかげで長者ヶ原村とこの村の交易地域が明確になり、交易の利益が以前にもまして増えている。争いもなくなり、みんな充実して自分の仕事に励んでいる。遊びの方もだ」
「良かったです。この地からとれるヒスイは、日本列島のどこの村でもほしがるものですから。特に呪術関係では不可欠の聖具となっています」
「姫川での採取も順調でな、以前より速く各地に供給出来るようになった。採石、原石加工、穴開け、磨きの分業化が進み、村人の技能もヒスイの品質も向上している。費用対効果も良くなり、村人は満足しているよ」
「四国や九州の需要を満たすことも大切ですよ。ヒスイには、神々の至福をまねき災害を抑える働きがあります。日本列島全てにヒスイが広がれば、大地が落ち着くことになります」
「ところで、太郎にヒスイを用意していた。受け取ってくれ。」
「本当ですか、二つも」
太郎はすぐにその一つのヒスイの大玉をヒメサユリの首に掛けてやりました。
二日後、太郎一行は寺地村の人達に見送られ旅立ちました。寺地村を離れて長者ヶ原村の付近に二人が来たとき、
「太郎じゃないか」
狩猟に出ていた若者が声をかけます。
「水くさいぞ」
「急いでいたのでな」
「ここを素通りさせては長老に怒られる。長老に挨拶していってくれ。いいだろ」
「この村は居心地がいいからな、みんな元気かい」
「こちらの娘さんは?」
「桜町村の長老の孫娘、ヒメサユリだ。宮畑に行ったら結婚する」
「おめでとう」
「ありがとう」
長老の住居に入ると、三人の重役と長老が笑顔で迎えてくれました。寺地村と同じような話をして、ここでもヒスイの大玉を二つ貰ってしまいました。
長者ヶ原村を離れて藤橋村の付近に二人が来たとき、
「太郎じゃないか」
狩猟に出ていた若者が声をかけます。
「水くさいぞ」
「急いでいたのでな」
「ここを素通りさせては長老に怒られる。長老に挨拶していってくれ。いいだろ」
「この村は居心地がいいからな、みんな元気かい。」
「こちらの娘さんは?」
「桜町村の長老の孫娘、ヒメサユリだ。宮畑に行ったら結婚する」
「おめでとう」
「ありがとう」
長老の住居に入ると、三人の重役と長老が笑顔で迎えてくれました。長老は、ヒメサユリのヒスイの大玉を凝視しました。
「また思いっ切った大玉を贈ってくれたものだな。太郎、そのヒスイはな「女神の滴」と言われ百年に一つ取れるかとれない石なんだぞ。」
「本当ですか」
「この村でもいくつか用意していたが、それを見ては贈れるヒスイはなくなった」
「いや、十分いただきましたので、他の村に回してください」
「宮畑村がヒスイを希望したとき、真っ先に贈ることを約束しよう。その約束が藤橋村の贈り物だ」
「ありがとうございます」
「それはそうと、トンボそりを使うようになってから、妊婦の安産が増え、出産率が良くなったよ」
「女性が重い物を持って長い距離歩くと骨盤が変形するんです。骨盤の変形は、出産する子どもにも良くないし、妊婦への負担が大きくなります。この負担が、妊婦や新生児の死亡する原因になるんです」
「最初、わしも楽に働く女性の姿を見て、怠け癖がつくのではないかと心配した。でも結果は、村全体に活気が出てきたし、生産力も上昇している」
「宮畑村では早くからそのことに気がついて、女性の労働軽減対策が進んでいたのです。人口の増加が、村の繁栄を約束するものという村の方針があるのです」
「いや、本当にありがとう。今日は祝いをしたいので、ゆっくりくつろいでいってくれ」
「ありがとうございます」
第11話 門外不出の秘密が明らかに
太郎は長老の家にいます。
「門外不出の『秘密』は教えて貰えませんでした。申し訳ありません」
「そう落ち込むな、貴重なヒスイを四つも手に入れて、これ以上の成果を望むのは欲張りというものだ。それにしても、桜町村の長老の孫娘を嫁に出来るとは望外なことだった」
「ヒスイはどうしますか」
物産部長が貴重品の取り扱いを心配しています。
「これだけのヒスイがあれば、どんな交易でも可能です。たとえ、十年分のドングリでも、白滝の黒曜石でも思いのままです」
「まず、呪術部長のおばばにヒスイを。あとは何かの時に使おう」
長老からヒスイの大玉を首にかけられたとき、おばばは心地良い未来を感じたような気
がしました。それは、ヒメサユリの大玉と共振してできた波のような感じのものでした。
六月の夏至の頃、ヒメサユリは、太郎の子を妊娠したことを知りました。長老と呪術部長のおばばが深刻な話をしています。
「この村には確実に悪い兆候が出てきている。悪い兆候を助長する気配とそれを阻止する気配が感じられます」
「もっと確実なことはわからないのか」
「今の私の能力ではここまでです。ただ、冬至のころになればより明確になります」
「待つしかないか」
冬至から一ヶ月後、ヒメサユリは、太郎の子の小太郎を産みました。
「太郎、長老に話したいことがあるので、案内してください」
ヒメサユリは、小太郎を抱いて言いました。
長老の家でヒメサユリが話しています。呪術部長のおばばも真剣にその話に聞き入っています。
「桜町村の長老の血を引く男子が生まれれば、門外不出の『秘密』をその子どもに伝えても良いことになっています。小太郎はその後継者になります。私は今心配しています。それはこの土地が、徐々に神々からの加護を受けにくい場所になりつつあることです」
おばばは、そのとおりだとうなずきます。
「どうしてそんなことがわかる」
「太郎が何のために私の村に来たのか、察しがつけば簡単なことです。おばばが私を見て、ほっとしたことを私も気がつきました。この村に来た瞬間から」
「そうか、分かって来てくれたのか」
「小太郎が大人になるまで待てない、切迫した状況です。この際、前倒しで『秘密』をお話しします。そして、早急に神々の協力を得られる体制を作ってください。桜町村の『秘密』は、地下の神と地上の神と天の神を協調させて、土地の豊饒を加護して貰うものです。そのためには地下と地上と天を結ぶ大きな木を立てなければなりません。地下深くそして天高く木を立てて、地下から地上へ、そして天へと『気』の流れを円滑にするのです。」
「なぜ『気』を流すのだ」
「『気』が地下にたまりすぎれば、地震が起き火山が爆発します。地上に『気』がたまれば、虫の異常な発生で作物は枯れ、動物は少なくなり、魚は捕れなくなります。天に『気』がたまれば、異常気象になり、巨大台風や豪雨が頻繁に起こるようになります。」
「それらの災害が少しずつだが、増えてきて困っている。具体的にどうすればよいのか」
「四本の巨木を東西南北に等間隔で立てます。これは『言うは易く行うは難し』です。」
「確かに難しいが、やらなければ宮畑村が衰退するというのではやらなければならない。巨木というとどれくらいの木になるのかな」
「直径九十センチメートル、高さが六メートル以上の栗の木です。余裕を持たせて九十二センチメートルの六メートル五十センチメートルぐらいあったほうが良いと思います」
「それくらいの木であれば、宮畑村の近くに十数本はある。しかし、あることはあるが、伐って運ぶとなると一大事業になるぞ。おそらく重さは三トン、一人五十キログラムを動かすとして六十人。道のない道を運ぶとなると、百人でも難しい作業だ」
「この四本の巨木を立てる場合、技術的課題が二つあります。その巨木を伐った場所から宮畑村に運ぶこと。もう一つは、四本の柱を立て、その上で四本を安定した状態に保つことです。この二つが門外不出の『秘密』の核心です」
「考えれば、考えるほど出来ないと思ってしまう」
「まず運ぶ方法ですが、コロやテコを使います。そして、これが大事なことですが、木を運ぶときに、全員で引っ張れるように縄を通すことのできる『貫穴』を掘ることです。」
「コロやテコって」
「丸太を三十本ぐらい並べます。その上に巨木を載せて引っ張るのです。それでも動かないときは、テコの力で動かすのです」
「丸太の上を動かすのは分かるような気がするが、テコというのはどんなものかな」
「ここに三・六メートルの棒がありますね。私は二・四メートル、長老は一・二メートルを支点として、どちらが先に押し下げることができるかやってみましょう。」
「用意ドン」
ヒメサユリが長老を持ち上げてしまう。
「テコは何となく分かったが、『貫穴』って」
「直径九十センチメートルの木に直径十五センチメートルの穴を開けるのです。」
「木に穴を開けるなんて、石斧で出来るのか。九十センチメートルの長さのある石斧なんて使ったことがないぞ。それに重くて持てないよ」
「六メートルの木材、余裕を持って約六・五メートルの長さに木を伐ります。十分に乾燥させて三・八メートルと四・二メートルの所に穴を通します。貫穴と言うものです」
「なぜ乾燥させるのだ」
「まず木の精の活動が弱まる秋から冬にかけて、四本の木を伐ります。木を伐採した後は、枝や葉を落とさずに二~三ヶ月放置しておきます」
「なんで枝や葉を付けたままにして放置する必要があるんだ」
「枝や葉は木の蒸散を促し、水分を抜くことを助けます。木の含水量が減るため、乾燥が促進されるのです。伐採した木材を長く放置しておくと、それ以上乾燥しない状態になります。」
「どうして、乾燥をそこまでさせるのかが分からない」
「この状態になると含水量が安定し、木材は変形しない状態になるのです。この状態になったら、枝葉を刈り取ります。一本の丸太にするわけです」
「先ほどからの疑問だが、どんな工夫をして穴を開けるのだ」
「穴の開け方ですが、最初は穴を開ける場所を、石斧で掘ります。穴は直径十五センチメートル程度で、深さは十センチメートル程度掘ります。その後は、そこの穴に砂を少し入れます。その穴に直径十五センチメートルの丸太を入れて転がします。これにはかなりの時間をかけて転がしていきます。
「そんなことで穴が開くのか」
「火をおこす場合、木の棒を木の板に押しつけて手もみで回しますね。それと同じです。もっと慣れると、弓の弦に棒を巻き付けて弓を左右に引くだけで火がおきます。その時火がつく板はへこんでいきますね。同じ原理で、木の棒を穴に立てて砂を少しまいて転がします。砂がヤスリの役割を果たしながら穴を削っていくのです。それが最終的に直径十五センチメートルの『貫穴』になります。」
「そんなこことが可能なのか」
「不思議に思いませんでしたか?あの硬いヒスイにどうして穴を開けたのかを!」
「それがわからない。どうやっても、傷さえ付けられなかったけど」
「あの穴は竹の細い棒を小さな弓の弦に巻いて左右に回して開けるのです。とても根気のいる作業です。当然竹の先に粉のような硬砂をおいて回転させます。それを延々と続けるのです」
「どうして、そんなことがわかるのだ。ヒスイの穴の開け方など絶対の秘密だろう」
「巨木の性質を教えることで、このような情報を桜町村は得ているのです。でも今私たちがやっている巨木の立て方は、寺地村や真脇村とは違う本格的なものです。」
「どんな風に違うのだ」
「巨木を立てる村は、チカモリ村、真脇村、寺地村などがあります。ウッドサークルといわれているものです。これらは円なのです」
「円と四角はどう違うのか」
違いは明らかだが、頭がこんがらかった長老は、何を聞きたいのか、何を言っているのか分からないほど混乱の極地に達していました。
「東西南北は、世の中の全てをカバーしています。それは、地下も地上も天も全てを包含しているのです」
「何となく分かったことにしよう」
「乾燥した木の正確な位置、三・八メートルと四・二メートルmの場所に穴を開ける作業を夏過ぎごろに始めます。もう一つは、四本の巨木を切る場所から村に通じる場所までの間で出来るだけたくさんの薪を取って欲しいのです。」
「どうしてそんなことをする!」
「木を運ぶ道を作るのです。薪を伐れば、土地は見通しが良くなります。雑木林に木がなければ、土地は平らになり運びやすくなります。一年近く村の人達が行ったり、来たりすれば巨木を運びやすい道になります。」
「なるほど、考えているね」
「それから、四本の木を立てる深さ二メートルの穴は、手の空いている人に掘っておいてもらいます。貯蔵穴を掘ったことのある経験者なら、深さ二メートルで直径九十センチメートルの穴の四つぐらいは容易に掘れるでしょう。最も、深さ二メートルの穴は垂直ではなく、柱が立てやすいように工夫が必要です。太郎をリーダーにして作業を行わせて下さい」
「わかった、太郎に一任しよう」
第12話 宮畑村の大団円
巨木が乾燥し、安定した状態になったころ、『貫穴』の作業に入りました。巨木は地面から九十センチメートルの高さがあります。その高さまで、四平方メートルの範囲の面積に土を盛ります。その土の上で直径十五センチメートル丸太を回転させる作業を行うのです。回転させる丸太の上部は、三叉になっています。その三叉の部分に棒を一本渡して固定します。渡した棒の両端を二人で持って回転していきます。回転させる棒を安定させるために二人が回転する人の邪魔にならない範囲で、二本の二股の棒で支えます。四人一組で一時間交替で四組が行います。一時間で四センチメートルほど掘れる作業になります。一本に一つの貫穴を貫き通すのに五日間かかりました。四時間の超過労働は宮畑村の若者にはきつい作業でした。でも、神様達が仲良くするには、やりがいのある作業だと思い働いたようです。結果として、四本に二つの貫穴を開ける作業を四十日で完成することができました。
次は、難問と考えられていた運搬です。運ぶ道はほぼ作られていました。貫穴に縄を通します。藤のツタが丁寧に綯われて三十メートルもの縄が作られました。次に巨木の下に四つ穴を掘り、そこに木を埋めて、埋めた木を支点にして四本のテコの棒を入れます。大きなかけ声と同時にテコの棒を下げます。と同時に巨木が持ち上がり、コロ用に敷かれた丸太の上に移っていきます。もちろん、綱を持った人達がその動きを助けます。
「やったー・・・やったぞ・・・」
大歓声です。
三十本のコロが、巨木を楽々と動かします。引き手の息の合った歌声とともにゆっくり移動を始めます。
「大きな丸太やってきた、こうれでムーラは安泰だ
ヨーイヨーイヨーイヨーイ
後ろのヤーマは遠ざかる、前のムーラは近くなる
ヨーイヨーイヨーイヨーイ
遠くの声は見目麗しい、近くの者は見目麗しい
ヨーイヨーイヨーイヨーイ
カーミ様は仲良しだ、こうれでムーラは安泰だ
ヨーイヨーイヨーイヨーイ
後ろのヤーマは遠ざかる、前のムーラは近くなる
ヨーイヨーイヨーイヨーイ
遠くの声は見目麗しい、近くの者は見目麗しい
ヨーイヨーイヨーイヨーイ・・・・・・」
巨木がコロの前に移動するたびに、後ろのコロを前に運ぶ係、歌をリードしながら引き手を鼓舞する係、村人の気持ちが一つになった瞬間でした。こうして四本の巨木が運ばれてきました。
すでに巨木を差し込む穴は掘られていました。丸太を固定する床面はたたき板や槌で十分に固められています。固める作業が、掘る作業より苦労したとも言えます。三トンの重さを支える床面の強度を高める作業です。このような固める作業を、宮畑の人達はやったことがないのです。でも、それを何ヶ月も前から行ったため、床面は固く、湿気のない状態を保っていました。
しかし、三トンの木を持ち上げて穴に入れる事は出来ません。そのため穴は斜めに掘られていました。地下の垂直部分は二メートルに掘られています。でも、垂直部分までに掘ってある斜めの距離は四メートルです。六メートルの巨木を斜めに入れていきます。地下部分に四メートルが入り二メートルの部分が地上部に出ています。四メートル二十センチメートルの場所に貫穴あり、そこに縄を入れてみんなでここまで引っ張ってきたわけです。今度は引っ張る作業から立てる作業になります。
みんなが力を合わせて十センチメートル以上引き上げます。上げたところに二股の木を入れて支えます。二股で支えたところを起点に更に、十センチメートル以上引き上げ、別の二股で支えます。このようにみんなの力で十センチメートル以上引き上げます。そして二股で支えるという作業を繰り返していくのです。
一本の木が垂直に立てられました。斜面に土が入れられ巨木は地下に二メートル、地上に四メートルという姿を現しました。同じような作業が続きます。対角にもう一本が立ち、次は平行に立てられます。四本の柱が立ったところで、縄がほどかれます。それから、貫穴に長さ二メートル二十センチメートル、直径十四センチメートルの丸太が四本入れられました。緩い隙間には、木が埋め込まれ四本の柱を堅く結びつけ、支え合います。土が入れられて、完成です。
これで神様の意思疎通は完璧です。人間に優しい環境がもたらされると宮畑村の人達は、縄文のシンボルを見上げ続けました。
追伸
桜町村の薬産業は、発展していました。若者のアイデアは、尽きることなく湧き出てきました。一つだけ現代につながるものがあります。桜町村と真脇村で伝書鳩を飼育したのです。真脇村で突然の腹痛を訴えた病人が出たときに、伝書鳩で桜町村に知らせます。すると桜町村は猪の胆のうを五グラム伝書鳩につけて送りました。現代で言うドローンの先駆けです。人間の考えることは、数千年経っても変わらないものですね。
そうそうもう一つ大事なことがありました。次郎と黒百合は当然のように結婚しました。次郎は物産部長にはついたのですが、自分のペースで働いたり遊んだりと幸せに過ごしたようです。
参考文献
縄文のかたちとこころ 小林達雄 毎日新聞社
信州の縄文早期の世界 藤森英二 新泉社
縄文のイエとムラの風景 高田和徳 新泉社
縄文の社会構造をのぞく 堀越正行 新泉社
生と死の考古学 縄文時代の死生観 東洋書店
縄文美術館 小野正文 他 平凡社
桜町遺跡 小矢部市教育委員会 他
イノシシと人間 高橋春成 古今書院
ぼくは猟師になった 千松信也 リトルモア
宮畑遺蹟 齋藤義弘 同成社