浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

ブルーノ・ワルター作曲提琴奏鳴曲イ長調

2009年06月28日 | もう一つの顔
戦後、一時期人気の高かった亜米利加の指揮者、ブルーノ・ワルターは1901年から1912年まで維納で作曲に真剣に取り組んでゐた。丁度、マーラーが維納で活躍してゐた時期と重なる。今日は、気分転換にワルターの珍曲を面白半分で聴いてみることにした。

アレグロ・コン・エスプレッシオーネの第1楽章は維納風のパッセージが顔をのぞかせる。分かりやすい主題が登場したかと思ふとサロン音楽風に展開する。「運命の動機」が終始付きまとう割には軽い展開だ。洋琴伴奏もあまり工夫された様子が無い。

アンダンテ・セリオーソの第2楽章はラテン音楽が登場する。1910年の維納にラテン音楽を模倣した提琴奏鳴曲はおそらく存在してゐなかっただらう。半音階下降形のタンゴは特に展開するわけでもなく断片的に登場するだけだ。ますます分からない。

モデラートの終楽章は単旋律と単純な洋琴伴奏による主題提示と退屈な展開がだらだらと続くやうな印象を受ける。終楽章の後半には美しい響きが聞こえて来る。しかし、全体を通して何かを感じ心が動くところまでには至らない。提琴と洋琴の対話もなく、どこか散漫な印象だ。

プフィッツナー、R・シュトラウス、ツェムリンスキーらと親しく交流しながら、友人たちは作曲家として成功していくのをワルターはどのやうな面持ちで見てゐたのだらうか。師、マーラーの真似をしてよく爪を噛んでゐたと言ふが(評論屋の作り話かも知れない)、ひょっとしたら友人達へのジェラシーの表れだったのかも知れない。妄想は広がる。

存命中から忘れられた作曲家であった理由がなんとなく理解できるCDである。師のマーラーはワルターよりもメンゲルベルクを高く評価したといふが、その理由が指揮者としての一面だけではなかったことも知ることができ、大いに納得がいった。

いろんな意味で、今日の34分間は無駄ではなかった。演奏は、ヴィタ・ヴァラーチェの提琴、イシュマエル・ヴァラーチェの洋琴伴奏。

盤は、米國VAI Audioによるデジタル録音CD VAIAー1155。


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