浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

デニス・ソリアーノ&マグダ・タリアフェロによるフォーレ

2007年06月23日 | 提琴弾き
独逸にはブラームスの渋い室内樂がある。仏蘭西ではフォーレの奥深さに敵う作曲家は居ない(と僕は長年思い込んでいる)。そのフォーレの提琴奏鳴曲を、タリアフェロとソリアーノといふ仏蘭西の提琴家との協演で聴いてゐる。瑞々しいこの作品の雰囲気をうまく醸し出した秀演だと僕は思ふ。

ソリアーノといふ提琴家を聴くのは今日で2回目だ。この人はなかなか良い線をいってゐるのだが、大変残念なことに、とても大切な音やフレーズでつまらぬ過ちを犯す。過ちと言ってもちょっとした音程のずれなどで気にしなければ済むことだが、第一印象のマイナスイメージは僕にとっては大きい。ただ、タリアフェロの洋琴は、師匠(コルトー)ばりの低音部の鳴らし方や情熱的だが気品ある弾きぶりが聴きものである。

もう一つ、残念なのは、今まで信頼してきたグリーンドア社の復刻のことだ。第2楽章や僕の好きな第4楽章には、明らかに再生装置の機械的な不具合による回転ムラがある。それも無骨な独逸音楽の感情高ぶる音楽ならそれほど気にはしないが、フォーレの高貴で繊細な音楽ではあってはならないミスである。大手メーカーによる復刻にはいろいろと言いたいこともあるが、チェック体制はしっかりとしてゐるやうで、グリーンドアのやうな幼稚なミスは放置されてゐないはずだ。

マニアの趣味の域を出てゐないのなら、海外のどこかのCDRのやうに、もっと安価で提供すべきだと思ふ。広告でもったいをつけて2500円も払わせるのなら「復刻技術にもそれなりの神経を遣いなさい」と言いたい。プロデューサーは吉野金次と記されてゐるが、終楽章の1分40秒をチェックし直して反省して貰いたいものだ。このやうなデリケートな部分での復刻ミスは断じて許さない。作る側のセンスの問題だと思ふ。

盤は、センスのないSP復刻をする某社のCD GDFS0002。


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