ポール・デュカスの「ラモーの主題による変奏曲・間奏曲とフィナーレ」といふ洋琴独奏曲のレコヲドがある。デュカスは、自身による自作品の大量破棄により現存する作品は十数曲のみといふ変わり者だ。理由はデュカスの完璧主義にあるといふのが定説だが、完璧を期すあまり未だに1曲も発表してゐない僕に比べれば、まだまだ慎重さが足りない。この曲は1902年頃の作品だが、貴重な十数曲の中の4曲が洋琴作品である。
冒頭にはラモーの愛らしいテーマが奏されるが、第1変奏ではペダルをふんだんに使用した仏蘭西近代音楽に豹変し驚かされる。シンフォニックな第2変奏と繊細な第3・第4変奏が続き、ここでSPの第1面を終える。第2面の中では第9変奏と第10変奏が印象的だ。第3面と4面には間奏曲や終曲が収められてゐるやうだが、終曲はラモーの明るい雰囲気が戻り、とても聴きやすい。
この難曲をさらりと弾いてのける才女は、フルトヴェングラーとのモーツァルトで有名になったイヴォンヌ・ルフェビュールである。9歳でどこぞのピアノ競技会で1等賞をとり巴里音楽院に入院、13歳でまたまた1等になり、巴里エコールノルマルの教授になったのは若干20歳のときだった。エコールノルマルを立ち上げたのは、あのアルフレッド・コルトーであり、コルトーとの関係も深い。1948年からフルトヴェングラーと各地でツアーを組み協奏曲を弾いてゐる。
このレコヲドはルフェビュール30歳の1935年頃の録音である。
盤は、英國Pavilion RecordsによるSP復刻CD GEMMCD9495。
冒頭にはラモーの愛らしいテーマが奏されるが、第1変奏ではペダルをふんだんに使用した仏蘭西近代音楽に豹変し驚かされる。シンフォニックな第2変奏と繊細な第3・第4変奏が続き、ここでSPの第1面を終える。第2面の中では第9変奏と第10変奏が印象的だ。第3面と4面には間奏曲や終曲が収められてゐるやうだが、終曲はラモーの明るい雰囲気が戻り、とても聴きやすい。
この難曲をさらりと弾いてのける才女は、フルトヴェングラーとのモーツァルトで有名になったイヴォンヌ・ルフェビュールである。9歳でどこぞのピアノ競技会で1等賞をとり巴里音楽院に入院、13歳でまたまた1等になり、巴里エコールノルマルの教授になったのは若干20歳のときだった。エコールノルマルを立ち上げたのは、あのアルフレッド・コルトーであり、コルトーとの関係も深い。1948年からフルトヴェングラーと各地でツアーを組み協奏曲を弾いてゐる。
このレコヲドはルフェビュール30歳の1935年頃の録音である。
盤は、英國Pavilion RecordsによるSP復刻CD GEMMCD9495。