AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

渚のCHERRY のセンターを、浦野一美が歌う (KC)

2010-06-17 22:37:32 | アイドル・AKB48 興行の手法・人気
AKB48のコンセプトは、歌い継がれるアイドルの名曲 だと思う。
曲作りが、古いアイドルを想起させ、J-POPとは違う。

上手に表現すると、アイドル文化の継承、
批判的に書くと、時代錯誤のクラシック。

AKB48自体が、自分の曲を歌い継ぐことを実践している。
2006年の日本青年館のコンサートを見た時は、知らなかったのだが、後に、DVDが発売された時に、

赤い Normal version
青い Shuffle version

私は、シャッフルとは、曲がコンサートの順番通りに出てこないのかと思い、何故そんなDVDをわざわざ発売するのかと疑問に思い、両方買って見た。(何と愚かで、知識が不足していたことか。
DVDを見て、自分の見たステージが、シャッフル つまり、本来歌うべきメンバーとは、違うメンバーが歌ったコンサートなのだと知った。増田有華の関西弁「小池」を見たことを、記憶していたから判明。 youtubeをリンク  

渚のCHERRYのセンターは、
オリジナルが、チームA 前田敦子
シャッフルが、チームK 小野恵令奈
のちにB2公演で、チームB 渡辺麻友
SKE48のエース、松井珠理奈 が歌ったのも見たことがあり、
そして、極めつけは、チームB 浦野一美

AKB48だけで、歌い継がれていく曲、
私が生きている間に、AKB48が解散となり、AKB48以外のアイドルが「渚のCHERRY」を歌うのを見ることがあるのだろうか。あったら、楽しい。

AKB48のコンセプト、アイドルらしい曲を世に出し続け、歌うメンバーにこだわらず、いろいろなアイドルに歌ってもらいたい なのだと勝手に解釈している。

チームAと、チームKは、「パーティが始まるよ」公演をやっている。この公演で、前田敦子が歌ったパートを、果たして 大島優子が歌っているのだろうか。DVDでチェックしてみたい。

前田敦子のパートを、大島優子が歌う。これがAKB48の醍醐味。(この言葉の使い方あっている? 指原莉乃さん、教えて)

KC
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アイドルは明日いなくなるかもしれない (ナッキー)

2010-06-17 22:11:18 | アイドル論
佐伯美香がチームBメンバーだった頃、「アイドルは明日いなくなるかもしれないのだから、今日の佐伯美香をしっかり、見ておかないと。」と言って、キャン待ち立ち見や、モニター観戦を付き合ってもらいました。テッドさんにとって、私のフレーズは、耳にたこ。
自分は、チームBだったら、何でも見たい人だったので、一人より、テッドさんと二人の方が楽しいかと、思って誘っていただけ。

森紗雪が、学業に専念のため引退 と聞いた時には、
もっと、がんばって、名古屋の公演をもっと見に行けばよかった と反省する一方、
自分なりに努力して名古屋に行って、森紗雪を、何回かは見ることができたので、よかったと思う気持ちが交錯しました。

最初にファンになった時のチームBのメンバーの中にも、
強制的に卒業させられたメンバー
学業に専念するために卒業したメンバー
体調不良でやむなく引退した佐伯美香
運営の都合で、SDN48に移籍してしまった浦野一美(ステージでまだ会えるから、よしとしなければならないでしょう)

ずっと、残って欲しいのに、いなくなってしまったメンバーがいます。
そして、研究生のセレクション。
アイドルを好きになった瞬間に、そのアイドルを別れる日のことを考え、彼女がアイドルでいる間は、一生懸命応援しよう (鑑賞しよう が正確な表現かな) と、毎回毎回、繰り返し繰り返し、思うのです。

研究生と出会った瞬間に、彼女がいなくなることを意識する私は、セレクション強制引退にも、「ついにこの日が来たか」と思う一方で、悲しむという感情はあまり起こらない。好きな研究生なら、「もっと見ておけばよかった。」とは思います。

ナッキー
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研究生セレクション審査について その2 (ナッキー)

2010-06-17 21:47:41 | アイドル論
研究生セレクション審査について という記事を書きました。

セレクション審査をして辞めさせるなら最初から雇うなという意見
ビッグなアイドルを世に出すには、積極的に採用し、向いていない子は早目に辞めさせよ

というのが、両極端の意見のようです。
私は、自分が応援している研究生が、セレクションで辞めてしまう時に、次のように感じます。

辞めてしまうのは残念。
短い間だけど、私を楽しい気持ちにさせてくれて、ありがとう。
ほんの短い間でも、ステージで、オンデマンドで、研究生として出演している彼女を見ることができて、嬉しかった。

私が好きになるタイプのアイドルは、必ずしも大衆の人気を集めるアイドルではないし、大衆の人気を集めるアイドル(天地真理・ピンクレディ・キャンディーズ・松田聖子・小泉今日子・中山美穂・SPEED・前田敦子)に、相対的には魅力を感じない。例外は、山口百恵ですが、彼女は、アイドルとしては、桜田淳子の二番手だったので、山口百恵が大衆の人気を集めたアイドルという感覚はない。 (山口百恵は、大衆の人気を集めた女優であり、歌手ではあるが。)

桜田淳子より、山口百恵
松田聖子より、河合奈保子
小泉今日子より、堀ちえみ
中山美穂より、西村知美
前田敦子より、平嶋夏海

研究生として、AKB48デビューを果たさなければ、知ることができなかった研究生に、魅力的な子がいます。
そういう研究生を、世に送り出し続けることは、やめないで欲しい。

大勢の研究生をステージに立たせれば立たせるほど、私が好きになる研究生が増えていく、研究生の人数を絞られてしまうと、私が好きになる研究生の数は減ってしまう。

では、研究生としてデビューさせた子を、セレクションで辞めさせてしまうのは、よいことなのでしょうか、いけないことなのでしょうか。
私が、研究生本人の立場だったら、あるいは彼女の保護者の立場だったら、どう感じるでしょうか。 自分は、極めて、楽天的な性格なので、
「アイドルになりたかったけど、だめだったか。一瞬アイドルを演じたけど、大成することはできなかったなあ。」
「アイドルを目指して、がんばるだけがんばったけど、その夢はかなわず。アイドルだけが人生ではないのだから、次の夢に向かってがんばって欲しい。」 と思うと想像します。

自分の娘は、人がよすぎて、他人を押しのけてでも、有名になることを目指す芸能界には全く興味がない。父親がこんなにアイドル好きなのに、アイドルを目指すはずもない。よって、単なる想像です。

ナッキー
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セレクション審査に賛成 (KC)

2010-06-17 21:18:14 | アイドル論
こちらの記事に頂いたコメント の感想を書きます。

悟空さんのコメント
お金が発生する舞台に立たせた時点で、
運営は責任をとらなきゃいけない立場のはず。

感想: セレクションで落とすことにより責任をとっている。これ以上ステージに立たせるとお金をいただけません、だから辞めさせます という論理。 私は別に運営の手先として書いているわけではないが、このように解釈している。

悟空さんのコメント
後藤真希のような起爆剤を探しつつ
駄目そうだったら切ればいいやって感じなのかな。
…そう邪推しちゃいます。 

感想: 邪推ではなく、まさに、これが真実。AKB48が今後生き残るためには、新しい人材・起爆剤が必要。私はアイドルファンなので、素晴らしいアイドルが世に出る仕組みとしてセレクション審査に賛成。
 「お金をとる価値のない研究生をステージに立たせてしまうことがありますが、その中の何人かは、皆様に大金を払っていただけるビッグなアイドルになります。将来のビッグなアイドルを発掘するには、研究生を大勢合格させる必要があるんです。その結果、大勢の研究生をセレクションで辞めさせなくてはなりません。」 と、運営はストレートに書けばよいと思う。

杏さんのコメント
運営側には子供を預かっている責任と
大人としての義務を肝に銘じて欲しい
子供に対しては「見世物としての競争」でなく
「教育のための競争」であるべきです。
どのような仕事であれ、仕事は社会の公器です

感想: アイドルは見せ物である。見せ物として通用しないと(運営・大人が)判断する子供は、早く見せ物という職業を辞めさせるべきである。それが大人の責任。
オーディションの段階で、見せ物に向いている子供か、そうでないかを判断するのは、難しい。最初から見せ物に向いている子供は、芸人としては魅力的だろうが、アイドルとしては魅力的ではない。

匿名さんのコメント
私はセレクション審査には賛成です。
ジャニーズJr.のようにいつまでもデビュー出来ずに先輩のバックダンサーをやり続けたり、何の発表もなく辞めていくことを考えたらいいことだと思いますよ。

感想:私も、セレクション審査に賛成。その理由は、匿名さんと同じ。

長年、アイドルというジャンルのファンを続けてきたが、一番の不満は、正式な引退発表がないこと (正式な引退発表があるのは、上位数パーセントの有名アイドルだけ)

昔のアイドルファンは、いつ引退してしまうのかを知るためだけに、ファンクラブに入っていた。
今は、ブログや、プロダクションのHPを読んでいれば、引退が分かることもある。が、必ず分かるわけではない。

セレクション審査という制度を導入したAKB48は、アイドルファンの心情を理解していると、最初に聞いた時に感じた。

アイドルは、いつかは、アイドルを引退するのだから、ファンはその日をきちんと迎えたい。

KC
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認知的不協和から逃げないこと (ししまる)

2010-06-17 20:45:59 | AKB48
認知的不協和という言葉をご存知でしょうか。知らない方のために、簡単に説明します。

これはアメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された社会心理的用語で、人がその内面で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表すものです。で、人はこれを解消するために、自分の態度や行動を変更していくと説きます。

例えば、タバコを吸う人がいて、でも彼はタバコが肺ガンを引き起こすとも知っている。タバコを吸う自分と肺ガンを恐れる自分の二者がいて、その間で不協和・不快感を起こす。これを解消するために最も適切な方法はタバコを止めること。でも禁煙はつらいので、別の方向に「自分の態度や行動を変更していく」。
つまり、タバコを吸う人の中にも健康長寿の人はいる、と考えたり、交通事故で死亡する人の方がずっと多い、と考えたり、タバコが病気を引き起こすのではなくタバコを吸わずにはいられなくする現代社会のストレスこそが問題なのだ、と考えたりしてタバコを吸う自分を認めようとする。

あるいはこういう実験を見聞きしたことはありませんか。教室のような所に十数人の人がいる。被験者以外は全員が実験協力者です。先生のような人が現れて、黒いカードを示し「何色ですか」。被験者以外は全員「白」と答える。最初は驚き違うと主張する被験者も、周りがずっと「白」と言い続けると、ほとんどの人が最後には自分も「白」と言ってしまう。これも認知的不協和を解消しようとする行動です。

世の中至る所こういう状況は転がっていて、ハタから見れば変なことや、後で冷静になれば自分でも変だと気づくことを、渦中にいるとわからなくなってしまう。特に頭の良い、教養のある人がこれにハマると物凄い理屈をつけてその変なことを正当化しようとする。こういうことが国政で起きれば、国家の行く先まで変わってしまう。だから恐ろしい。

さて、AKBが好きな人の中には、あまりにも好きすぎて、AKBがすることなら何でもかんでも好意的に見てあげたい、AKBの周りで起こっていることの全てを素晴らしいものとして積極的に評価してあげたい、というように考える傾向を持つ人もいる。平たく言えばファンの贔屓目ということですが、これはAKBファンである自分とAKBに対して批判を向ける自分とを両立させることがあまりにも苦痛だから起こってしまう、認知的不協和の回避行動です。でも例示したように、そういう行動が愚かであることは明白です。冷静になり、自分の中で起きている認知的不協和から逃げることなく向き合っていただきたい。

やったもの勝ちを許さない、という態度も必要です。

AKBに限らず、世の中の様々なことに対し常々思っていることですが、やったもの勝ちが得をするという状況に我々は馴らされ過ぎているのではないか。「覆水盆に返らず 」という言葉もありますし、やってしまった事を無かった事には出来ない。会社などでも何かトラブルがあった時は、「誰がやった」「何故やった」は後回しで、まず起きてしまったことに対して全社を挙げて最善の対策を取ることが肝要だとされます。もちろんこれは当然の話。ただ、「覆水盆に返らず 」という現実や、起きてしまったことに対しての最善の対応という、大人な対応が当たり前になりすぎて、起きた事そのものを批判する力が社会全体として低下しているように感じます。

AKB選抜総選挙の報道では「如何なるアイドルグループもやらなかったタブーに挑戦した」といった表現を用いたメディアがいくつもありました。でも、タブーに挑戦!ってカッコいいですか。タブーって「禁忌」ですよ。乱暴に言えば、社会秩序・社会道徳の破壊ということです。もちろん扇動的に使われていることぐらいわかります。でも、扇動的だとしても、この表現が好んで選ばれたことに鈍感であってはならない。

選抜総選挙とセットリストベスト100に対して私は、音楽グループとして「前代未聞の珍事」と書きました。もっと言えば音楽の冒涜だと思っています。芸能ビジネスという視点で見れば違う意見もあるかもしれない。でも広く芸能ビジネスというジャンルの中の、音楽という狭いジャンルの中で確かな実績を残したいなら、一般の音楽愛好家が眉を顰めるようなことをしてはならない。そんなことを続ければアイドル音楽は日本の誇る音楽文化ではなくなる。世間に理解されないただのオタク文化になってしまう。芸能ビジネスという大雑把な視点だけで論じていてはAKBを堕落させる。音楽グループとして世界に認められるAKBとなるような視点を持つことが、もっと求められるべきでしょう。

だから、AKBが(運営が)今後も色々な珍事を起こすだろうけど、それをそのまま受け入れてはならない。自分の内面に認知的不協和が起ころうとも、きちんと向き合い、言うべきことは言わなくてはならない。

私だって、AKBが嫌いで言っているわけではありません。

ししまる

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「会いに行ける」コンセプトを疑え! (ししまる)

2010-06-17 20:43:43 | アイドル・AKB48 興行の手法・人気
運営のしていることには、秋元康のしていることには、実は昔から呆れることが多かった。ただ、自分の考えだけが全てではないし、多くの人が支持することなら暫く様子を見ておこうと考えなくもない。だからこれまでは黙っていることの方が多かったのですが、選抜総選挙がらみでもはや受忍限度を超えてしまったので、今回はいろいろ一気に書いています。

で、これはもう根本の話になってしまいますが、「会いに行ける」コンセプトを疑え!という話をします。

AKBが初期の頃、「会いに行けるアイドル」という話を初めて聞いて私が真っ先に思ったことは「アホかっ!」です。凄いとか新しいなんて一切思わなかった。

会いに行けるって、誰が会いに行けるんだ? 秋葉原の小さな劇場から一歩も出ずに、「いつでも会いに来てください」って、馬鹿じゃなかろうかと思いました。

地方のファンは、コンサートツアーなどで自分の住む地域の近くまでアイドルが来てくれるからこそ「会いに行ける」。特に北海道や九州や沖縄のファンは、アイドルが来てくれるのを心待ちにしている。でもAKBは(というか運営は)、初めからそういう遠方のファンを切り捨てている。

「いや、AKBは当初はアキバ発信のアイドルグループとして生まれたのだからそれはそれでアリなのだ」という反論を私個人は受け入れない。だって考えてもみてよ。あのおニャン子を作った秋元康が、秋葉原ドンキのミニ劇場に集うファンとの交流を最大限に尊重するような、こじんまりした牧歌的なアイドルグループを手掛けるワケがない。富と名声が大好きな秋元康なら初めからビッグな頂点を目指していただろうことは、おニャン子時代からの氏の発言の歴史を見ればわかること。そして時はまさにアキバカルチャーブーム。アキバ発信は、そこに乗っかり衆目を集めるための方便だと考えるのが妥当。最初から私はそう思っていました。仮にそれが正しいとすれば、切り捨てられた地方のファンは舐められたものです。そうやって「会いに行ける」コンセプトをバンバン打ち出しテレビや雑誌に取材させ、結果、AKBの看板コンセプトとして定着させた。ずっと1箇所でしかやらないことも、言葉巧みにPRすれば「ブレない」という評価にもつなげられる。

でも私がずっと感じていたのはこんなこと。

そりゃ確かに東京とその近郊は人口は多いしアイドルを応援することに対する抵抗感を持つ人も地方に比べれば圧倒的に少ない。だから集客効率は抜群。客がどんどん集まり始めれば世間の注目も一気に浴びる。でもそれを逆に言えば、地方に出向くなんて効率悪いことはやってられない。ビッグになるには看板コンセプトを如何に早く定着させAKBの名前を如何に早く浸透させるかだけが運営の最大の関心事。来られないファンのことなんか二の次だ。

それでもアイドルという商品は人で出来ている。以前書いた言葉を引用すれば、「本来、人は創造の客体ではなく主体だから、人が表現できる事の範疇はあまりにも広く、売り手が予想だにしない芸術性を受け手側が感じることも多い。だから商業主義でありながら商業主義を軽く突き抜けていく可能性に富んでいる」。そうして運営が意図しない価値をファンが勝手に見出し、たぶん運営が予想していたよりも遥かに突然に、そして遥かに大きく、AKBはブレイクした。

昔は鼻高々に「会いに行ける」コンセプトを自画自賛で語っていた秋元氏も、さすがに最近のインタビューではトーンダウンしていますね。最近観た、ある番組のインタビューでは、「当初は会いに行けるアイドルというものを目指していたわけですが・・・」と、さも今は違うものを目指し始めたかのような言い方をしていました。というのも、インタビュアーが先に劇場公演の凄まじい競争倍率を取り上げ、もはや簡単には会えないAKB人気を以って秋元氏をヨイショする発言をしていたからです。ここで「ひとりでも多くの人に会えるように体制を見直したい」とでも言ってくれれば私も秋元氏を見直すところですが、彼はそんなことは言いません。「会いに行ける」は看板としてキャッチフレーズとして機能すればそれで良い。実態がどうであろうとお構いなし。で、今度は「ファンの思いを反映させるため」との名目で、「競争・対決・序列」コンセプトを得意げに語り始めました。でも秋元氏の言う「ファンの思い」って何なんですかね? 大堀恵がらみで私は、嫌な思いだけしか頭に浮かびませんよ。

例えば「甘い股関節」の一件では、「念願のソロデビュー」と「売れなかったらAKB卒業」というアメとムチが与えられました。でもこの試練って運営が作り出した、無くても良い試練、必然性の無い試練、もっと言えば茶番です。一応は乗っかって、彼女と一緒に泣いたり笑ったり感動したりしていましたけど、最終日にギリギリで1万枚のセールスをクリアすることは初めから決まっていたのでしょう。感動のAKB続投が決まった翌年、早くもSDNへの完全移籍が通告されちゃいました。結局彼女は面白いようにおもちゃにされ慰み者にされたに過ぎません。そしてファンである私も同じように振り回され、つらい思いばかりを味わい続けました。それが私という「ファンの思い」です。

競争を続けている限り、多分ファンの誰にでも何らかの痛みはつきまといます。私が感じた大堀恵ほどじゃなくても、常に、いつ自分の推しメンが転落していくのかをファンは心配しなければなりません。これが今、秋元氏の指揮の下、AKBの運営が繰り広げていることの実態。ファンの思いにまで序列をつけ面白がる。これが秋元氏の姿。

「会いに行ける」「ファンの思いを反映させる」「フォーマットを世界に輸出する」。秋元氏が目新しいコンセプトを自慢げに語り出した時が危険への入り口なのだと、いつも私は思っています。そして状況が変化しても、自らの愛しくかわいいコンセプトを捨てられずにしがみつきだした時こそが危険のピークなのだと考えます。

「会いに行ける」はもはや有名無実。「ファンの思いを反映」も思いのほか風当たりが強い。「フォーマット輸出」に至っては何ら具体的な絵は無く、思い付きを語っただけ。百歩譲ってそれらを不問に付すとしても、もう全国区の、しかも今や貴重な「テレビで会えるアイドル」になったのだから、役に立たないコンセプトは全部捨てて、80年代アイドルみたいにテレビ+全国巡業のふたつの軸足で活動した方がきっと地方の、遠方の、全国のファンは喜ぶ。いずれにせよ、自分の遊びのためにではなく、ファンの幸せのために仕事をしてほしいものです。それがファンから金を取る者の最低限の責務であり道徳です。でもこの男はそうではない。自分の満足が優先順位の一番だ。念願の東京ドーム公演を果たしたら、人気が翳る前に突然解散。秋元康って、自分の名声を保つためなら、そういうことも平気でやりかねない男だと思います。

ししまる
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大島優子センターイベントで感じたこと。 (ししまる)

2010-06-17 20:38:28 | AKB48
またまた書きます。先日の朝の情報バラエティ各番組では、初めて大島優子がセンターで歌ったイベントの様子が印象的に報道されていました。いちばん大きく採り上げていたのは「とくダネ!」でしたが、大島がセンターにいることの、そして前田がセンターにいないことの「違和感」を、来場したファンの声をたくさん交えながら、最も強調して伝えていました。

まあそれはそれとして。

私も「会いたかった」を大島センターで歌ったことに大きな戸惑いを感じました。次の新曲を大島センターにするのなら理解できます。それを目的に選挙をしたのだから何ら問題ない。でもこれまで前田センターで歌ってきた曲の頭をすげ替えるのは尋常ではない。

音楽って、複数ボーカルものは特に、どのパートを誰の声で歌うか、どんなフォーメーションで歌うかまで含めて、総合してその曲が成り立っているものです。それを考えないプロデューサーはいない。つんくがBerryz工房に曲を書く時は常に、メンバー各人の声の個性を掌握し、アイドルとしての見せ方も熟慮した上で、ボーカルパートを割り振っています。一度決めたものは当然ながら不動です。別にBerryz工房じゃなくてもアイドルじゃなくても、基本的にグループものは全てがそう。それは音楽家としての姿勢が当然そうさせるものだし、聴き手もそれをずっと聴いてきているから、その成り立ちの中に音楽が発するメッセージを見出している。また、聴き手ひとりひとりの持つ「思い入れ」を考慮しても、そこは弄っちゃいけないところです。

秋元氏もプロデューサーだから、そのプロデューサーがやったことには何らかの意図がある、と強弁するのは勝手ですが、普通の音楽愛好家はこういう行為を酷く嫌います。セットリストベスト100などと同様、普通の音楽家が決してしないようなことを、良くもまあ次々に平然と出来るものだと思います。

結局、秋元氏は自称作詞家・本性は策士か?、なんてふざけている場合ではなく、本当に、真っ当な音楽愛好家はこういう行為に怒りを感じるものだし、アイドル音楽の地位を不当に下げるものだと断じます。

そういえば1位となりセンターとなった大島優子も以前、サンジャポの総選挙取材に対して「こんなこと、意味あるんですかね?」と言っていました。今回「会いたかった」をセンターで歌った彼女は心から嬉しかったのでしょうか。

冒頭の番組で紹介された、あるファンの声。「自分は前田敦子のファンじゃないけど、この曲はずっと前田センターを見てきたし聴いてきました。違うものを見せられても戸惑うだけです。」 これが音楽を聴く者の、いちばん当たり前な感性であり意見でしょう。

ししまる
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『時代』を作りたいんだ… (ピーナッツ)

2010-06-17 08:42:14 | アイドル・AKB48 興行の手法・人気
秋元さんが、終始一貫、言い続けている言葉…

"俺は、アイドルを作りたいんじゃない。『時代』を作りたいんだ…"

僕は、この言葉に、全てが、集約されていると思っていて…、いい意味でも、悪い意味でも、ブレない人だな…と思っているんだ。
他にも、秋元さん、いろいろと、印象的な発言をしている。
例えば、NHKの「作詞家特集(?)」で、AKB劇場に舞う花吹雪を見ながら…

"なんかね、この1つ1つが、AKBの子たちの『夢のかけら』のような気がしてね…、ね、そう思いませんか?" とか。

たぶん、BSのクイズ番組で…
"僕は、本当は、『役人』になりたかったんです。学生時代から、ずっとね…。 だって、カッコイイじゃないですか?時代を動かすの…って…" とか。

先日のNHKの「仕事学のすすめ(?)」では、勝間和代さんとの対談の4回シリーズだったんだけど…、もうね、秋元さん、1回も、攻め込まれないの。それが、逆に怖かった。だって、全部、即答だもの…。

でもね、6/6の深夜番組の秋元さんを観た人はいるだろうか?
「千原Jrの衝撃番組」(フジ系)の、"たとえ場"のコーナー。
これは、男版「グータン・ヌーボ」みたいな感じのロケ収録で、まぁ、内容はいいか。
とにかく、とある喫茶店で待ち合わせているわけ…。
1番、最初に来たのが、秋元さん…しばらくしてから来たのが、千原Jr…。
で、その時、ビックリしたんだ。意外だった。秋元さん、立って挨拶したからね。そして、数分後に来た、水道橋博士の時も、立った。
秋元さん、50代…。千原Jr、30代…。博士、40代…。
あれって、なかなか出来ないよ。
でも、よくよく、考えてみると、AKBの子も、ああいう姿を見てるんだよね。選抜メンバーは、より多く見てるんだよね。
僕、それだけでも、"選抜に選ばれなきゃ…"って、思っちゃった。

正直、秋元さんって、作詞家なのに、自分の想いを、直に伝えるの…伝え方が、意外に、下手だと思う。正確に言うと、相手を1度、シャットアウトしておいての語りは、上手いけど…ってとこかな。
そして、3人の会は、いつもの秋元さんじゃなく、結構、"なるほど~! そうきたかぁ~!"の連発だった。でも、ムチャクチャ、楽しそうだった。あんな笑顔、見たことない。
僕は、思ったよ。
"この人、まだ、放送作家なんだ~" "この人を、少し、見直した~" "この人は、結構、誤解されるだろうなぁ~"
まぁ、そんなとこです。
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研究生セレクション審査 (ししまる)

2010-06-17 00:00:00 | アイドル・AKB48 興行の手法・人気
研究生セレクション審査という名称はオシャレかもしれないけど、要は篩いにかけて要らないモノを捨てるということ。ティーンの女の子にそれをするのがプロ野球や相撲の世界と同じかと言えば、それは絶対に違う。

研究生って、入ってくる時は多くはローティーンで心はまだまだ子供だろうから、採用する側は、大人として、子供の未来をきちんと見据えた対応をするべき。夢や憧れだけで応募してきた子供達を誰彼構わずバンバン入れて中途半端に夢を見せておいて、後でバンバン篩いにかけてバンバン捨てたりするのは真っ当な人間のすることではない。
相手は子供で自分の人生に責任を持てるような年齢ではない。だから無責任に門戸を開いちゃ駄目だ。採用段階で慎重すぎるぐらい慎重に絞り選んで、いったん採用したなら責任を持って最後まで面倒を見るぐらいの覚悟を持ってほしい。それが出来ないのなら、採用なんてしちゃ駄目だ。皆、二度と戻らない青春を賭けてやって来る。預かるなら、命を賭けて預かれ。


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 良くファンの方から
 「何故、セレクション審査をする必要があるのですか?」
 と聞かれますが
 それは、どんな状況でも全力を尽くすAKBらしさを研究生のうちから培う為です。
 どのような結果が出ようとも、全てそれは自分自身の成長につながることだと思います。
 ファンの皆様もご理解下さいますようお願い申し上げます。
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「ご理解下さい」なんて恥ずかしげもなく言える神経が信じられない。

「研究生のうちから培う」ために運営はどれだけの愛情を彼女達に注いでいるのか。全然見えない。
「どのような結果が出ようとも」それは研究生本人の責任で我々のせいではない、と言っている。
だからこんなものはただの責任逃れ、ご都合主義の文章にしか見えない。

別の記事で私はこう書きました。「秋元氏は自分の手がけたアイドルひとりひとりを、人としてどこまで大切に扱っているのか」と。テレビの取材で前田敦子はこう言いました。「その時は・・・、自分で辞めていくみたいです」と。これこそが「アイドル残酷物語」の第一章です。

コストがかかるので定期的にやめさせる?
可能性のない研究生は、早目にやめてもらって、次の人生を歩んでもらうのも大事?

運営のしていることを認めてしまえば、こういう感想も出てくるのかもしれません。
でもこんな、子供をモノのように扱うやり方で、自分の娘が捨てられでもしたら、親はどう思うでしょうね。だから最初から採用しないのが、いちばんの愛情です。

いたずらに人数を増やしては、「競争社会とそこで脱落しゆく者」までも見せ物にして面白がる。「研究生セレクション審査」なんて洒落た名前をつけて公表している時点でそんな見せ物主義は明白。それで生き残れる強い子はいいでしょう。でも、そうではない弱い子の受けるダメージは測り知れない。

だから運営のしていることは、いちいち疑ってかかるべき。オモテで見せる笑顔がどんなに素敵でも、ウラで理不尽な苦悩を強いられるのなら、そんなアイドルを作り出すフォーマットは我々ファンの力で叩き潰そうではないか。もう、その時が来ているように思います。
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