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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

第7代 ルキウス・タルクィヌス・スペルブス

2020-06-30 22:33:35 | 世界史

初代国王 ロムルス 在位:紀元前75371

② ヌマ(Numa Pompilius) 

     在位:紀元前715673

③ トゥルス・ホスティリウス(Tullus Hostilius

    在位:紀元前673642

④ アンクス・マルティウス(Ancus Martius)

    在位:紀元前642617

⑤ ルキウス・タルクイヌス・プリスクス(Lucius Tarquinius Priscus )

    在位:紀元前616579

⓺ セルヴィウス・トゥリウス(Servius Tullius

    在位:紀元前575535

⑦ルキウス・タルクィヌス・スペルブス

               (Lucius Tarquinius Superbus)

    在位:紀元前535-509

 

第5代国王タルクィヌス・プリスクスには娘がいたが男子がなく、養子を迎えていた。養子が成人すると娘を彼と結婚させ、養子を自分の後継者とした。ところが娘の結婚後数年してタルクィヌスに2人の息子が誕生した。娘より20年以上年下の弟たちである。一方で、結婚した娘に2人の娘が誕生した。第5代国王タルクィヌスの娘にとって、同時期に年の離れた2人の弟と自分の娘が2人生まれたことになる。娘たちの父親は第6国王セルヴィウスである。一方第5代国王の2人の息子たちは生まれてくるのが遅かったため、彼らが成人した時には第6代国王セルヴィウスの時代になっていた。彼らの父(第5代国王タルクィヌス)が暗殺された時彼らはまだ少年だった。国王が暗殺された直後の混乱の中で、年若い少年が事態を収拾することは困難だった。それに対し、養子セルヴィウス・トゥリウスは将来王になる者として教育されてきたので、適任だった。彼は第6代国王に就任し、事態を収拾した。これは王妃タナクィル(暗殺された国王の妻)の意向だった。第5代国王の息子たちは遅く生まれたためチャンスがなかったが、彼らが成人すると、第6代国王セルヴィウスは2人の娘を彼らと結婚させた。セルヴィウスの計らいによりタルクィヌスの息子たちの問題は円満に解決したはずだが、そうはならなかった。

 

====《リヴィウスのローマ史 第146ー章》======

  Titus Livius   History of Rome

              translated by Canon Roberts

 

第5代国王タルクィヌスの2人の息子の名前はルキウスとアッルンだった。弟のアッルンは性格が優しかった。第6代国王セルヴィウスの2人の娘の名前はどちらもトゥリアだった。2人のトゥリアは性格が異なっていた。激しい性格のトゥリアは優しい性格のアッルン(弟)と結婚した。この偶然はローマにとって幸運だった。天が介入し、性格の激しい男女を結び付けなかったのである。この偶然のおかげで、セルヴィウス・トゥリウスの治世が長く続いた。

勝気(かちき)なトゥリアは優しい性格の夫(アッルン)と結婚したため、自分の欲望と野心を実現しようとしても夫が役に立たず、苛立った。そして自分と違い、姉が不相応に良い夫を得たと考えた。その結果似た者同士がひかれあった。邪悪な性格は邪悪な性格と仲良くなった。不幸な事件を引き起こしたのは女性だった。勝気なトゥリアは姉の夫ルキウスと密会し、自分の夫と姉を容赦なくけなした。そして彼女は言った。

「あなたも私も独身だったらよかったのに。間違った結婚のために、意気地なしのせいで何もできやしない。もし天が私にふさわしい夫を与えてくれたなら、父のように権力を得て、自分の家を王家とするのに」。

向こう見ずな女性の話はルキウスの心を動かした。ルキウス・タルクィヌスと妹トゥリアは2人を殺すことによって、再婚を果たした。トゥリア姉妹の父親である国王セルヴィぅスは、この忌まわしい結婚を認めたくなかったが、あきらめた。

この時から国王は老いを辛く感じるようになり、彼の晩年は不幸になった。彼の妹娘トゥリアは最初の犯罪で満足せず、別の犯罪を計画し始めた。最初の犯罪が無駄に終わることを恐れ、彼女は昼も夜も夫をせき立てた。

「私は普通の夫はいらないの。満足な暮らしができても、他人に仕えるのは嫌なの。私に必要なのは、『自分は国王になる資格がある』と考える男なの。『自分はタルクィヌス・プリスクスの息子だ』と自覚してほしいの。あなたの父は国王になることを願うだけで終わらず、実際に国王になったのです。私はあなたを信じて結婚したのです。あなたが期待通りなら、私はあなたを夫と呼び、王と呼びます。期待外れなら、私は条件を厳しくします。あなたは臆病者で用済みの犯罪人です。どうしてあなたは行動を起こそうとしないの。あなたの父はコリント生まれのギリシャ人だったか、タルクィニア生まれのエトルリア人だったかわからないけれど、ローマの王になった。あなたはローマ人なのだから、ローマの王になるのはそれほど大変ではありません。あなたの父の家の神々、なたの父の肖像、あなたの名前タルクィヌス、これらすべてがあなたを王と宣言しています。もしあなたに勇気がないのなら、希望しても無駄です。人々があなたを王家の血ひく若者と認め、崇めることで満足してはいけません。王になれるかもしれないと期待しても無駄です。物事を実現するのは自分の行動です。行動する気がないなら、タルクィニアへ帰りなさい。コリントへ帰りなさい。あなたの祖父の境遇に戻りなさい。あなたはあなたの弟と同様だと知って、私はがっかりしました。あなたの父の性格を、あなたは受け継いでいません」。

こうような嫌味を言って、彼女は夫ルキウスを批判した。彼女は自分自身にも苛立っていた。彼女の祖母タナクィルは気概があり、自分はエトルリア人だったのに、夫をローマの王にして、夫が死ぬと娘婿を王にした。それに比べ、自分(トゥリア)は王の娘であるのに、王妃になれない。

妻の狂気に影響され、ルキウスは貴族たちに接近し、会話をするようになった。貴族の中でも小元老(タルクィヌス王のおかげで元老となった人々)が喜んで彼を迎えた。ルキウスは彼の父が彼らに与えた恩恵を思い出させ、感謝の気持ちを示してほしいと頼んだ。彼は小元老の家族の若者たちに贈り物をし、彼らの信頼を得た。支持の見返りに、彼は大きな恩恵を約束した。条件を整えてから、ルキウスは国王セルヴィウスを批判し始めた。彼の主張はすべての階級で反響を呼んだ。

機が熟したと判断し、ルキウスは武装した仲間と共に、中央広場にやって来た。広場にいた人々が恐怖の声を上げる中、ルキウスは悠然と元老院に入り、国王の席に座った。そして「元老たちを招集せよ」と命令した。伝令が遣わされ、「陛下がお呼びです」と伝えた。元老たちはすぐ集まってきた。あらかじめ準備していた元老もいれば、逮捕されるのではないかと恐れている元老もいた。

ルキウスは国王セルヴィウスの出生を問題にした。

「セルヴィウスの父は奴隷であり、セルヴィウス自身も奴隷だった。私の父が殺害された後、新国王選挙の手続きがおこなわれず、王妃の意向だけでセルヴィウスが国王になった。選挙を管理する全権者が任命されず、また集会も招集されず、投票もなく、元老院の承認もなかった。これがセルヴィウスが王となった経緯である。彼は正当な王ではない。確かにセルヴィウスは下層の市民に支持された。彼も下層の生まれだったから当然だ。彼は上流階級を憎んでいたので、彼らの土地を取り上げ、卑しい者たちに分配した。これまで税と兵役はすべての市民に平等に課されていたのに、彼はこれらの負担を上流階級だけに負わせた。彼が人口調査をした結果、貧しい者は金持ちの財産をうらやんだ。困窮した貧民を救済しなければならなくなると、彼は金持ちの財産を財源として、施しをばらまいた」。

伝令が息を切らして国王セルヴィウスのところに来て、元老院に来るようにと伝えた。彼が元老院にやって来ると、ルキウス・タルクィヌスが演説していた。王は広間に入るや否や、大声で叫んた。

「何の真似だ、タルクィヌス!元老院を招集するとは、とんでもない奴だ。私が生きているのに、王の席に座るとは、傲慢にもほどがある」。

これに対し、ルキウス・タルクィヌスは尊大に言い返した。

「この席は私の父の席だ。奴隷よりも、王子のほうが王座にふさわしい。セルヴィウス、お前は恥知らずなごまかしによって王家を侮辱してきた。もうたくさんだ」。

ルキウスの演説に対し、賛成と反対の声が、同時に上がった。元老院は割れていた。人々が元老院に集まってきた。暴力によって正当性が決まることになった。

ルキウスは最後の手段に訴えことにした。彼は若く、剛腕だったので、セルヴィウスの腰をつかんで持ち上げ、元老院の外に運び、階段から下へ投げつけた。それから彼は元院に戻り、元老たちの決定を求めた。セルヴィウスの側近と役人たちは逃げてしまった。ひん死の状態だった国王セルヴィウスはルキウスの手下によって殺された。ルキウスの恐ろしい行為は彼の妻トゥリアが計画した、と現在のはローマの人々は考えている。トゥリアは姉と自分の夫を殺しており、最後に自分の父を殺したのである。(彼女は国王セルヴィウスの娘である)。

間もなく、トゥリアが2輪馬車で中央広場にやって来た。群衆の私撰が彼女に集まったが、彼女はたじろぐ様子がなかった。元老院の中にいる夫に声をかけ、国王に対する礼儀をもって挨拶した。これに対し、夫ルキウス・タルクィヌスは群衆の騒ぎの場から去るようにと彼女に言った。彼女は中央広場から東に向かい、ディアナ神殿を通り、エスキリンの丘に行くつもりだったが、御者が急に場所止め、恐怖の表情で前方を指さした。セルヴィウスの死体が横たわっていた。その直後、異常な犯罪が起きた。彼女が殺した夫と姉の亡霊につきまとわれ、トゥリアは平常心を失い、父の死体の上を馬車で通った。その後この場所は「呪われた場所」と呼ばれた。2輪馬車だけでなく、彼女も血で汚れ、彼女と夫の家の神々を怒らせた。2つの家の神々の怒りにより、犯罪で誕生した国王の治世は短期間で終了した。

不幸な最期を遂げたセルヴィウス・トぅリウスの治世は44年間続いた。彼に続く国王が賢く善良であったとしても、彼に匹敵する業績を残すことは困難だろう。正義と法に依拠したローマの王政が彼の死で終わったことを考えると、セルヴィウスの偉大さと栄光がしのばれる。彼の統治は寛容で穏健だったが、次の王がそうであるとは限らない。信頼できる人々によれば、セルヴィウスは権力が乱用される危険を心配しており、そもそも一人の人間が全権力を掌握する制度を廃止しようと考えていた。彼は国民にもっと自由な制度を与えようとしていたが、身内の犯罪によって命を絶たれた。

     【49章】

ルキウス・タルクィヌスの統治が始まった。彼は強引な方法で国王になったので、スペルブス(=傲慢な)と呼ばれた。義父を殺しただけでなく、初代の王ロムルスが埋葬されなかった例を引き合いに、義父の埋葬を禁じた。また彼は主要な貴族たちを殺した。彼らはセルヴィウスの支持者だったからである。暴力によって王座を獲得した彼の行為は先例となったのであり、となり、将来彼が同じ運命をたどるかもしれない。それを恐れて彼は護衛隊に身辺を守らせた。王になる正当な根拠がなかったので、彼は武力に頼るしかなかった。彼は人民によって選ばれたわけでなく、元老院の承認も得ていなかった。さらに彼は市民の信頼を獲得できそうもなかったので、権力を維持するためには恐怖政治しかなかった。彼は人民に恐怖を与えるため、判定人を出席させずに重罪人の裁判をし、死刑を宣告した。その後裁判に判定人を出席させたが、同じことで、彼は自分の一存で、死刑、追放、罰金を宣告した。彼が疑わしいと考えた者や嫌いな者だけでなく、彼がお金を取り上げようとした者が犠牲になった。彼の別の重要な目的は元老の人数を減らすことであり、欠員ができると、補充しなかった。元老の人数を少なくし、元老院の権威を低めようとしたのである。審議権を奪われた元老院は怒る気力もないだろう、と彼は考えた。彼は国家のすべての問題について元老院に相談する伝統を破った。このよように破天荒な行為をする国王はこれまでなかった。彼は宮廷の仲間たちに相談しながら統治した。戦争と平和、条約や同盟の締結と破棄について、人民や元老院の見識者に相談することなく、彼が決定した。彼はラテン人地域の支配を確保することを特に重視した。他国に対する支配と影響力の強化によって、国内の臣民に対する自分の地位が安定するだろう、と彼は考えた。彼はラテン人の町の指導者たちと親交を持っただけでなく、姻戚関係まで築いた。トゥスクルム(ローマの南東の町、下の地図参照)の指導者オクタヴィウス・マミルスに、彼は娘を与えた。マミルスはラテン人の中で最も有力な指導者であり、伝説によればユリシーズと女神キルケ(Circe)の子孫だった。この姻戚関係により、タルクィヌスは女婿マミルスを通じて多くの友人を得た。

                    

        【50章】

タルクィヌスはラテン人の貴族社会の中で大きな影響力を持つようになった。ラテン人共通の問題について彼らに相談したかったので、彼はラテン人の貴族たちに使いを送り、決められた日時にフェレンティナの森に集まるよう、呼びかけた。彼らは呼びかけに応じ、非常に多くの人が夜明けに集合した。ところがタルクィヌス本人は姿を見せず、日が暮れてからやっと到着した。

ーーー(訳注)ーーーーー

後段を読むとわかるが、「フェレンティナの森」はローマにある。しかし、これには疑問がある。

フェレンティナはヘルニキ人の町であり、紀元前4世紀半ばにローマに征服された。以後町の名前と同名の神フェレンティナはラテン人の神となった。第7代国王タルクィヌスの時代にローマに「フェレンティナの森」が既に存在したか、不明。

ヘルニキ人の町フェレンティナの場所はわからない。ヘルニキ族の地域は下の地図参照。

――――――(訳注終了)

集まった人々はルクィヌスを待つ間様々な議題について話し合った。アリチア(ローマの南)から来たトゥルヌス・ヘルドニウスはタルクィヌスが来ていないことを激しく非難した。

「タルクィヌスは自国で暴君と呼ばれている理由がよく分かった。ローマの人々はいつも小声で彼をそう呼んでいる。我々ラテン人の全国家をこのように軽々しく扱うのを見ても、彼が暴君であることがよくわかる。国家の指導者たちを遠くから呼び出しておいて、会議を招集した本人が欠席するとは。彼は我々に対しどこまでやれるか試しているのだ。もし我々が彼の圧力に屈したなら、彼は我々を押しつぶすだろう。彼がラテン人の支配者になろうとしているのは、疑いない。仮にローマの国民が彼に権力を委託したとしても、つまり親族殺人によって権力を奪取したのでないとしても、ラテン人の諸国は外国人に支配権を与えてはならない。ローマの人々は彼に権力を与えたこを後悔している。彼らは殺され、追放され、全財産を奪われているからだ。ラテン人はローマの国民と同じ運命に陥るのではないか」。

もし会議の参加者がアリチアの指導者の助言を受け入れたなら、彼らは祖国に帰っただろう。会議の提案者が約束の時間を破ったのだから、彼らも約束を破って当然だった。だがトゥルヌス自身が反逆と犯罪によりアリチアの権力者となったのだった。人々は彼を警戒していた。トゥルヌスがさらに話を続けていた時、タルクィヌスが到着した。トゥルヌスは話を中断した。出席者全員がローマの国王に向かって挨拶したからである。タルクィヌスの近くにいた出席者たちが彼に向かって助言した。

「遅れた理由を話した方がよいのでは」。

タルクィヌスは遅刻の理由を述べた。

「父親と息子が喧嘩していて、私が仲裁人に選ばれたが、二人を仲直りさせるのに一日かかった。仲直りのよい方法があるので翌日伝えると二人に言った」。

アリチアのトゥルヌスはこの説明に納得せず、反論した。

「喧嘩の原因が何であれ、親子が一日中喧嘩するなど、あり得ない。少し話せば親子の喧嘩はおさまるものだ。息子が父親の言うことを聞かないなら、息子が困るだけだ」。                 

      【51章】

こう言って、トゥルヌスはローマの国王を非難すると、会議の場を去った。タルクィヌスはトゥルヌスの態度を深刻な問題ととらえ、彼を殺害することにした。この殺人によってタルクィヌスはラテン人に恐怖を与えようとした。彼は自国民を押しつぶしたのと同じ手段を用いることにしたのである。しかし他国の人間を死刑にできなかったので、タルクィヌスは虚偽の告発をした。トゥルヌスの敵だったアリチア人のグループを通してトゥルヌスの奴隷にお金を渡し、密かに大量の剣を集めさせた。夜奴隷の部屋に剣が運び込まれた。トゥルヌス以外は自国に帰っていなかったので、タルクィヌスは夜明け前にラテン人の指導者たちを呼び出した。タルクィヌスに重大なことが起きた、と伝えたのである。ラテン人の指導者たちがやって来ると、タルクィヌスは言った。

 

「昨日自分が会議に遅刻した本当の理由は、私に神聖な予言が現れたからだ。予言の内容はあなた方と私にとって救いとなるものだ。私が得た報告によると、トゥルヌスが私を殺そうとしている。それだけでなく、さまざまな町の指導者であるあなた方を殺したうえで、トゥルヌスはラテン人の単独の指導者になろうとしていたのだ。昨日の会議で、彼はそれをしようと思ったのかもしれない。しかし最大の攻撃目標である私がいなかったので、実行を延期したのだ。私の不在のため計画が駄目になり、その苛立ちから、彼は私の悪口を言ったのだ」。

もしタルクィヌスにもたらされた報告が事実であるなら、トゥルヌスは会議の場所に武器を持って現れ、武装したグループを連れてきただろう。タルクィヌスは最後に言った。

「トゥルヌスのもとに大量の剣が集まっている。これが単なる噂か、すぐに明らかになる。みなさん、一緒にトゥルヌスの家に行きましょう」。

ラテン人の指導者たちはトゥルヌスのせっかちで野心的な性格を知っていたので、タルクィヌスの説明を受け入れた。そしてトゥルヌスの昨日の演説を思い出すと、彼らはトゥルヌスへの疑いを深めた。彼らはタルクィヌスの説明をほぼ受け入れていたが、疑いもしていて、大量の剣が実際にあるかどうか確かめたかったので、喜んでトゥルヌスの家に行くことにした。トゥルヌスは眠っていた。タルクィヌスは彼を起こし、逮捕した。主人を愛してい奴隷たちはトゥルヌスを守ろうとしたが、取り押さえられた。家のあちこちに隠されていた剣が発見された。タルクィヌスの話は本当だった。トゥルヌスは鎖につながれた。人々が興奮する中で、ラテン人の会議が始まった。中央に置かれた剣の山を見て、会議の参加者はトゥルヌスを憎み、弁明の機会を与えず、前例のないやり方での死刑を宣告した。トゥルヌスは大きな石を体に縛りつけられ、フェレンチナの泉に投げ込まれた。もちろん彼はおぼれ死んだ。

      【52章】

革新的で残酷なタルクィヌスにふさわしい方法でトゥルヌスが死刑になると、再び会議が開かれた。タルクィヌスはラテン人の指導者たちに、トゥルヌスを残酷なやり方で死刑にしたことについて賛辞を述べてから、次のように話した。

「トゥルス王(ローマの第3代国王、トゥルヌスと一字違いなので注意)とアルバ・ロンガとの条約により、アルバの領土とその植民地はローマの支配下に入った。すべてのラテン人はアルバに起源があるので、ローマとアルバの条約はすべてのラテン人に適用される。このことはトゥルスの時代に決まったことであり、ローマはいつでもその権利を行使できる。しかしながらローマと新たに条約を結びなおす方が双方にとって有利だと思う。そうすればラテン人はローマの繁栄を分かち合うことができる。いつも警戒ばかリしている必要がなくなり、町々が破壊され、畑が荒らされることもなくなります。アンクス王(ローマの第4代国王)以から私の父の時代までの平和を思い出してください」。

条約の更新はローマへの従属を確追認することだったが、ラテン人の指導者たちはタルクィヌスの提案を受け入れた。なぜなら、ラテン同盟の指導者の多くがローマの国王に従っており、彼に逆らった場合どうなるか、たった今トゥルヌスが示したからである。こうして条約が更新されると、条約に従い命令が出された。ラテン人の兵士(老人兵を除く)は、定められた日時に武装してフェレンティナの森に集まることになった。30の町の部隊が集まって来た。部隊の指揮官を兵下たちから切り離し、それぞれの部隊の独立性と軍旗を奪う目的で、タルクィヌスはラテン人の百人隊とローマの百人隊を一つにまとめて中隊とした。ローマ軍の兵士の数は2倍になった。

     【53章】

第7代国王タルクィヌスは国民に対し専制的だったが、有能な将軍だった。軍事的才能において、彼は彼以前の優秀な国王に匹敵したかもしれないが、性格の悪さゆえに対外政策は成果がなかった。彼はウォルスキ族と戦争をした最初の国王だった。これ以後ローマとウォルスキ族との戦争は200年以上続くことになる。

タルクィヌスはウォルスキ人の町ポンプティン・スエッサ(Pomptine Suessa)を占領した。彼は戦利品を売り払い、40タラントの銀を手に入れた。それから彼はユピテル神殿を建設することにし、設計の原案を考えた。この神殿は神々と人間の王にふさわしいものであり、興隆するローマの威厳にふさわしいものでなければならなかった。彼は戦利品を売って得た資金の一部を神殿の建にあてた。

ーーー(訳注)ーーーーー

ポンプティン・スエッサはティレニア海に近い町であるに違いないないが、正確な位置はわかっていない。なおリヴィウスは後段でポンプティン・スエッサをポメチアと言い換えている。

ーーー(訳注終了)ーーー

タルクィヌスは再び戦争を始めたが、この戦争は予想に反し長びいた。相手はローマの東に位置する町ガビー(Gabii)だった。

                                                                    

タルクィヌスはガビーを攻撃したが、城壁に阻まれ、敗北した。再び攻撃しても無駄だとわかったので、彼はローマの伝統的なやり方、つまり嘘をついて敵をだますことにした。彼は戦争をあきらめたと見せかけ、ユピテル神殿の土台の工事や、その他の国内の仕事にとりかかった。た。その一方で、タルクィヌスの3人の息子の中の末の息子セクストゥスがガビーに亡命させた。息子はガビーに行くと、「父の残酷さに耐えられない」と不満を言いふらした。「父の暴力は家庭に向けられるようになった。彼は子供たちをを厄介に感じている。かつて元老院を破壊したように、父は家族を滅ぼそうといる。一人の子孫も残らず、王の後継者も残らないだろう。父は若い時、祖父の残酷な暴力から逃げた。祖父の敵の土地なら安全だったからである。ガビーの皆さん、だまされてはなりません。戦争は終わったように見えますが、まだ終わっていません。あなたたちが予想もしていない時に、父はチャンスを見つけて、あなたたちを攻撃するでしょう」。もしあなたたちの町が私の亡命を受け入れてくれないなら、私はラテン人の他の町を歩き回ります。それでも駄目なら、残酷で自然に反する父親の迫害から子供を守ってくれる人を探し、ウォルスキ人、アエクイ人のところへ行きます。好戦的な市民の支持があるので反省しない暴君に対し、武器を持って立ち上がる気概のある人々に出会うかもしれません」。

もし人々がセクストゥスの言葉に耳を傾けないなら、彼は怒って町を去ってしまいそうだったので、ガビーの人々は彼を暖かく受け入れた。ガビーの人々はセクストゥスに言った。

「あなたの父があなたに残酷であっても、驚くことはありません。彼は自分の臣民と同盟国を同じように扱ってきたのですから。彼は殺人を繰り返してきたので、最後には自分を殺すでしょう」。

ガビーの人々はセクストゥスが来たことを喜んだ。彼らは言った。

「あなたの助力により、戦争はガビーの門で戦われるのでなく、ローマの城壁で戦われることになると信じています」。

     【54章】

セクストゥスはガビイーの国民会議の議場に招かれた。ほとんどの議題について,彼は門外漢だったので、長老たちの意見に賛成した。しかし対ローマの問題については、はっきりと戦争を主張した。彼はローマとガビイーの両方の戦力を知っているので、自分の意見には根拠がある、と述べた。そして付け加えた。

「ローマ王の暴虐は息子にとってさえ耐えがたいのであるから、ローマの臣民が彼を嫌っていることは間違いない」。

セクストゥスはこのように言って、ガビーの指導者たちを戦争へ向かわせた。彼は戦争をしたがっているガビーの若者たちを率いてローマに行き、食糧などを略奪した。セクストゥスの偽善的な言動により、ガビーの人々はうかつにも彼をますます信頼するようになり、彼を軍の司令官にした。ガビーの大部分の人がセクストゥスの秘密の意図を知らないでいるうちに、ローマとガビーの間に戦闘が始まった。ガビー軍が優勢だったので、ガビーの身分が高い者から低い者まで、セクストゥスを信頼した。

「彼は天から送られた指導者だ」と彼らは考えた。

ガビー軍の司令官セクストゥスは後方から命令するのではなく、困難と危険を兵士と共にしので、兵士たちから愛された。彼は略奪した物を気前よく兵士たちに分配したので、「ローマの国王である彼の父より、ガビー軍の司令官である息子の方が優秀な指導者である」と彼らは思った。セクストゥスはは自分の力に自信を持ち、何をやっても成し遂げられると考えた。彼は友人を父のもとへ派遣した。友人はローマに行き国王に伝えた。

「神々はあなたの息子にガビーにおける唯一で絶対的な権力を与えました。父上は私に何をしてほしいですか」

息子の言葉を伝える使者に対し、ローマの国王は何も言わなかった。おそらく国王は息子を信用しなかったのだろう。国王は考え込みながら王宮の庭へ行った。息子の使いは国王の後ろを歩いた。国王は黙って歩きながら、けしの花の背の高く伸びたものを杖で打払った。国王がいつまでたっても返事しないので、息子の友人はうんざりし、自分の任務は失敗したと感じ、ガビーに帰った。彼はセクストゥスに報告した。彼が伝えた言葉とローマの国王の反応について語った。

「国王は機嫌が悪かったか、あなたを嫌っていたか、ただいつものように傲慢だっただけか、分かりませんが、一言も話しませんでした」。

セクストゥスは父の謎めいた沈黙と動作を伝えられると、すぐに父の意図を理解した。セクストゥスはガビーの指導的な物数人の悪口を民衆に広め、彼らを失脚させた。他の指導的な人々は大衆に嫌われていたので没落した。こうしてセクストゥスは指導的な人々を全部取り除いた。多くの人が死刑になり、罪がないため訴追できない人々は、密かに暗殺された。残りの人々は外国への亡命が許されたリ、そうするように強制された。死刑になったり、亡命した人びとの財産は市民に与えられたり、賄賂として使われた。財産の一部を分与された者はセクストゥスに感謝し、彼が社会を破壊していることへの不信の念を弱めた。ガビーは国家の会議や助言たちを失った状態で、一回の戦闘もなく、ローマに降伏した。

      【55章】

ローマの国王タルクィヌスはガビーを獲得すると、アェクイ人と平和協定を結び、エトルリア人と条約を更新した。対外的に満足な成果を得ると、タルクィヌスは国内の問題に関心を向けた。彼はタルペイア山(カピトリーヌの丘南部の頂上)のユピテル神殿を彼の治世と名前を後世に残す記念にしたかった。彼は父が建てた神殿を完成させたかった。ユピテル神殿が建っている地域は全部この神にささげられるべきである、と彼は考え、神殿や礼拝所を俗化することにした。それらのいくつかは、サビーネ人のタティウスウス王がロムルスとの戦争の危機の中で神に建立を誓い、その後実際に建てたものだった。この仕事を始める時、神々が暗示した。「将来ローマは広大な帝国になるだろう」。神々が神殿の俗化を許すか占った時、神々暗の暗示があった。占いの結果は、大部分の神殿は俗化しても問題なかったが、テルミヌス(終末)の神殿の俗化だけは禁止された。他の神々は神殿を去ることを了承したが、テルミヌス神だけは現在の神殿から離れようとしなかった。テルミヌス神は永遠にこの神殿に留まるのであり、神殿の所在地であるカピトリーヌの丘はテルミヌス神によって永遠に守られるのである。これはローマの支配が永遠であるという予言だった。この予言に続き、ローマが後代な帝国になるという神意を表す事件が起きた。新しい神殿の土台工事で地面を掘っていた時、人間の頭が出土した。それは生前の顔の形を留めていた。ローマの予言者によれば、この事件はこの場所が帝国の拠点になり、世界の中心となることを意味した。会議に参加するためにローマに来ていたエトルリア人も同じ意見だった。神殿建設の計画は壮大になった。

タルクィヌスはポメチア(Pometia)を略奪して得た資金を神殿建設に予定していたが、建設費用はその額をはるかに超えてしまった。予定していた金額について、信頼できるローマ人の歴史家ファビウスは「たった40 タラントだった」と書いている。これに対しピソは「銀4万ポンド(ポンドはタラントと同じ重さ)  が割り当てられていた」と述べているが、誤りだろう。なぜなら、当時の都市を略奪しても、このような金額を得ることは到底できないからだ。現在(紀元前1世紀後半)の最も壮大な建物でさえ、これほどの金額を必要としない。


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