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最初の武装反乱③  2011年6月4日

2018-02-24 22:35:19 | シリア内戦

ジスル・アッ・シュグールの北に山地があることは知っていたが、この町自体が山の傾斜面にあることを知った。

2011年6月4日ジスル・アッ・シュグールの警察署が占領され、治安本部が攻撃された。翌日軍隊が派遣されたが、暴徒の待ち伏せ攻撃にあい、治安本部への救援が遅れた。この間に、暴徒は治安本部を陥落させてしまった。軍隊は治安本部の救援に遅れただけでなく、その後暴徒に対し無力だった。暴徒によるジスル・アッ・シュグールの占領が続いた。事件の4日目(6月7日)になり、シリア軍最強の第4機甲師団がジスル・アッ・シュグールに到着した。200台の戦車などによって町は完全に包囲され、絶え間ない砲撃にさらされている、と住民の一人がアルジャジーラに語った。

4日目の夜に始まった攻撃ついて、ガーディアンが書いている。

貼り付けられている画像はYouTube動画(アルジャジーラ)から拝借した。

(Syrian from Jisr al-Shughur talks to Al Jazeera  https://www.youtube.com/watch?v=knXAGTFfgwk

 

========《小さな町を戦車がとり囲む》======

 Syrian town empties as government tanks mass outside

https://www.theguardian.com/world/2011/jun/07/government-tanks-mass-outside-syrian-town

                                          the Guardian  2011年6月7日

6月7日の夜、多数の戦車がジスル・アッ・シュグールの町を取り囲んだ。軍隊が集結し、町に対する全面的な攻撃が始まろうとしている。6月4日と5日、暴徒が警察署・治安本部を攻撃し、120名の警察官・治安部隊員が死亡した。大部分の町民はすでにトルコに避難した。3か月続いている反政府運動は武力衝突へ向かって劇的にエスカレートしようとしている。これまで政権は平和な抗議運動を武力を用いて弾圧してきた。政権は40年前の反乱の再来と考え、危機感を抱いている。

41000人の住民が住むジスル・アッ・シュグールから人の姿が消えた。危険が迫っているにもかかわらず、残留している町民もおり、そのひとりが町の様子を伝えてきた。

「病院には誰もおらず、暴徒によって攻撃された情報機関の本部は何もかも略奪され、建物の中には何も残っていない」。

ダマスカスの人権活動家によれば、4日と5日の衝突で58人の市民の死亡が確認されている。調査が進めば、市民の死者数は100人を超えるかもしれない。

ジスル・アッ・シュグールは29年前ハマで起きたことの繰り返しになるかもしれない。ハマの市民はハフェズ・アサド前大統領に挑戦したが、その結果数万人の市民が虐殺された。ハフェズ・アサドの息子であるバシャールは、現在もっと深刻な脅威に直面している。多くの都市や町で3か月近くデモが続いており、アサド王朝の鉄壁の支配を徐々に掘り崩し始めている。軍隊によるジスル・アッ・シュグールの包囲は、全国的な抗議デモの転換点になるだろう。チュニジアで始まった革命はエジプト・リビアに波及し、ついにシリアでも革命が始まった。シリアの場合、チュニジア・エジプトのような平和的な政権移行ではなく、リビアのような流血革命になるかもしれない。

ジスル・アッ・シュグールの反乱の2日目(6月5日)シリアの情報大臣ムハンマド・シャーは次のように述べた。

「住民が武器を取り、治安部隊を攻撃し始めた。何が起きたのか、正確にはわからないが、武力衝突があったことは確かだ」。

事件を目撃した一人が電話でガーディアンに次のように語った。

「治安部隊員の中に立場を変える者たちがいて、政権に忠実な隊員たちが彼らに向かって射撃した。それを見た人々が、離反した隊員の応援に来た。すると政権に忠実な隊員たちは彼らに対しても撃ち始めた。そして両者の間で戦闘が始まった」。

シリア政府は治安部隊から離反者が出たことを認めようとしないが、町内の部隊が主導権を失ったことを認めている。また政府関係者の話によれば、暴徒は治安部隊の武器を奪った。「5トンのダイナマイトが奪われた」と情報省の広報官レーム・ハッダドがBBCに語った。

情報大臣ムハンマド・シャーは次のように述べた。

「このようなことは断じて許されない。軍隊が任務を遂行し、夜が明ける前にジスル・アッ・シュグールの秩序が回復されるだろう」。

トルコ政府によれば、国境を越えて避難した数百人の住民が保護された。彼らの多くが負傷していた。さらに数千人の農民がアレッポ方面や東方の農村に向かって避難した。

 

 

 

ジスル・アッ・シュグールに残留した住民の数はわからない。これについてロンドン在住の亡命者が語った。

{残留者は軍隊を迎え撃つ覚悟だ。今日彼らと話をしたが、彼らは戦うつもりだ」。

まだ断定できないが、この事件は最初の武装反乱となりそうだ。多数の住民が武器を持って戦ったのは今回が初めてである。シリアの多くの都市で毎週デモが起きている。人権団体によれば、現在までの死者数は1000人を超えている。軍や警察からも死者が出ているが、大部分は民主化を求めて抗議する市民である。特に最近2週間死者の数が急増している。これは政権にとってプレッシャーとなっている。政権は抗議運動を次のように説明している。「外国に支援されたスパイと武装したならず者が政権を転覆しようとしている」。

=================-=(ガーディアン終了)

前回まで、4つの記事紹介したが、暴徒の死者について何も書いていなかった。治安部隊と警察から120人の死者が出た戦闘で、暴徒側に死者がいないはずはない。今回のガーディアンの記事により、ようやく暴徒側の死者数が判明した。最初の3日間の市民の死者数は58人以上ということである。確認が遅れており、最終的に100人を超えそうである。

ガーディアンの記事でも、治安本部の攻防については何も書かれていない。戦闘終了後の様子について書かれてるだけであり、戦闘場面については書かれていない。。

「情報機関の本部は何もかも略奪され、建物の中には何も残っていない」。

5つの記事を読んでも、治安本部の攻防の様子は何もわからない。例えば、今回のガーディアンは次のように書いている。「治安部隊員の中に立場を変える者たちがいて、政権に忠実な隊員たちが彼らに向かって射撃した。それを見た人々が、離反した隊員の応援に来た」。離反した隊員が撃ちかえしていたのか、逃げるだけだったのかわからない。応援に来た住民が素手だったはずがなく、武器を持っていたはずであるが、武器の種類について語っていない。暴徒に協力的だった住民は、暴徒が持っていた武器について巧妙に沈黙しているとしか思えない。その場にいた第三者なら戦闘の様子を話すはずだ。

政権が治安本部の占領について発表したくない理由は理解できる。治安部隊の弱さが知られれば、治安部隊に対する襲撃が多発する恐れがある。ただし政権は暴徒が所有した武器について発表している。機関銃とRPG(ロケット推進手りゅう弾)、それにガス・ボンベ爆弾である。ガス・ボンベ爆弾は自家製であり、容器に入ったガスに点火するのである。点火方法は銃で撃ったり、火薬を張り付け、導火線を引き、離れた所で点火する。容器の中にくぎなどの金属片を入れれば、手りゅう弾や砲弾に匹敵する威力があるかもしれない。容器が大きければガスだけでも手りゅう弾に匹敵する殺傷力があるかもしれない。

ガーディアンによれば、暴徒によって5トンのダイナマイトが奪われた、と政府が発表している。暴徒が治安本部占領後に奪取したもののようであるが、ガーディアンはダイナマイトが奪われた場所と時間について書いていない。

市民や反対派からの報告にも、治安本部の戦闘について何も語られていない。治安本部の攻撃に参加した者たちは重大犯罪人なので、事件直後は身を隠しており、戦闘について知る手段がないのかもしれない。治安部隊と警官から120名の死者が出た事件にもかかわらず、肝心な戦闘場面について何もわからない。

 上の記事の3日後(6月10日)のガーディアン・中東がジスル・アッ・シュグールについて触れているが、まとまった記事ではなく、中東各地の事件についてあれこれ並べて書いている。従って、ここでは取り上げないが、その中で、ひとつだけ重要なことが書かれている。ジスル・アッ・シュグールから避難民した住民の話によれば、治安部隊の半数が離反したという。

*Syria, Libya and Middle East unrest - Friday 10 June2011

<https://www.theguardian.com/world/middle-east-live/2011/jun/10/syria-libya-middle-east-unrest-live

この記事に最初に出会っていれば、このことを前提に話を進めることができたのに、と思う。治安部隊の半数が離反したとすれば、彼らは武器を持ったまま反逆した可能性が高く、これに少数の応援部隊が加われば、治安本部を攻め落とすことは可能である。これで謎がだいぶ解けた。治安部隊が2つに割れたのなら、両者は互角である。離反兵側を暴徒が応援したという構図なら、納得できる。離反兵グループは警察署で拳銃とライフルを手に入れている。

暴徒が最初から武器を持っていたか、という問題が決着したわけではないが、その可能性が出てきた。これまで私は暴徒は最初から武器を持っていたと考えてきたが、最後の最後で考えを買えざるを得ない。

新しいシナリオはこうである。

暴徒はガスボンベ爆弾を爆発させて、警察署を襲撃し、最初に2・3人の警官を襲い、彼らから武器を奪った。手に入れた拳銃とガスボンベ爆弾を用いて警察署の占領に成功した。警察署にはピストルのほかにライフルがあった可能性が高い。暴徒はこれらを手に入れた。

第2段階の治安本部の攻撃では暴徒はわき役であり、この事件は治安部隊内の反乱と見るべきである。

すでに述べたように、この事件は戦闘についての証言が皆無に近く、シナリオを推定するしかない、謎の事件である。

 

 

 

 

 


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