『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

セッション&スクール&瞑想会(九州)

2020-02-09 | 2020年
九州でのスクールの様子。

まずは、今回ご縁いただいたすべての皆様に。
謹んで御礼申し上げます。

大分市、ゆふいん、佐賀県の鳥栖に続き、今回から熊本でのセッションも始まりました。
初めましての方多数でしたが、その後いかがでしょう?
まずは、来ていただいたこと心より御礼申し上げます。
ボクは、育ちが福岡県と熊本県の県境の辺りであったこともあり、熊本はかなり身近に感じます。
約30年振りに訪れた熊本市内は…すっかり様子が変わっていました。
なんというか「街」であり、そこに流れる空気、人、建造物…月日の流れとはこうやって感じるものかと…感慨深い。
先だっての地震の影響も色濃く感じられはしましたが、「街」にはしっかりとした力強い息吹が感じられました。



人間の生理と心理は密接に繋がっていて、それゆえに生理的環境が変化しても心理的環境は変化するし、反対に心理的環境が変化しても生理的環境は変わります。

【セッション】には、大きく2つの方向性があります。
体の側(生理的環境)を主に調整させていただく方向(Tamura Techセッション)と、心の側(心理的環境)を主に調整させていただく方向(コア・セッション)の2つ。
『Tamura Techセッション』は、「体に起きていること」、つまり生理的環境の表現を通して「いま」をみつめるセッションであり、
『コア・セッション』は、「(自覚的な)心に起きていること」を通して、自覚できない自己(セルフ)の深層(コア)の「いま」をみつめるセッションです。
ですので、必然的にアクセスしている領域も異なってくることになります。

大分市、ゆふいん、鳥栖でのセッションは、ここのところで『コア・セッション』のご要望が増えてきました。
それはひいては、その時の主訴が目先の家庭や仕事などの問題であったとしても、
自覚できない心の領域(心理的環境)が、いかに自身の生活のすべてに影響を与えているかを感じ取れるようになってきている…からかもしれません。


【スクール】でやっていることというのは、それらセッションの基礎にあたることです。
この【スクール】では解剖学などの既存の知識はほとんど使いませんし、「これをこうすればこうなる」的なマニュアルチックな伝え方はほとんどしていません。
それは、理解することや覚えることよりも、体感することや体験することを主体としているからです。

現代の日本人というのは、「これをこうやってこうなる」的な、詰め込んで理解することを重視した教育システムの中にどっぷりと浸って育ってきましたよね(もちろん、ボクはそのどっぷり浸ってきた世代です)。
昨今ではこのことの様々な弊害めいたことが囁かれていますが、ボク個人が感じていることの一つは、独創性や、自らが課題を発見しようとする能力がなかなか引き出されていかないことではないかなと、思っています。
集団がある設定された一つの答えを求める、そこには一致団結、相互協力、あちらが分からなければこちらでサポートしようというような、現在の社会の中で大切にされていることの基礎的要素が組み込まれていることは分かりますし、それがいけないとかいららないとか言うつもりはありません。
ただ、セッションやスクールをやっている経験からいえるのは、多くの方が世の中の流れの変化を意識の奥底では感じ取り、これまで浸ってきたシステムに息苦しさを感じ、殻を破りたいと思っていつつ、周りを見、世間を見、それまでの自分の価値観や常識を見、そこから逸脱することを怖れ萎縮してしまう傾向があるなということです。
そしてその背景には、自らが問いを立て、創造的に何かを組み立てていくことがそもそも苦手である方が多いということ。

たとえば、上の写真では、モデルさんを立てボクが「こうやる」というデモンストレーション的なことをやっているものです。
でも、これがすべてではないし、そもそも最初から「ボクの真似をする必要はない」と言っています。
いわば叩き台、やっていることの〝キモ〟さえつかめていれば、形はおろか、方法にすらこだわる必要はありません。
形も方法も無数にあるのですから、こうしたところで新たな形を生み出していかれたらいいな、と思っています。
…とはいえ、やはりそれは難しいことなのだな…という認識もボクの中で生まれていないワケではないので、全12回が終わったあとは、それに対応したクラスを設けることになるでしょう。


そして、【瞑想】。
現在、鳥栖、そして大分で開催させていただいている瞑想会。
次回は、熊本でも開催予定になっています。

ここでの瞑想に、何か(自己変革、神秘体験など…)を期待している方には、申し訳ありません。
ここでの瞑想は、そういう期待に応えるものではありません。

瞑想を、「特別な何か」と思い込んでいる方には、申し訳ありません。
ここでの瞑想は、最初から「特別などない」という態度表明をしています。

瞑想で、深さや透明度、ある境地を得たいと目論んでいる方には、申し訳ありません。
ここでの瞑想は、どちらかといえばそうした「求める姿勢」を、たおやかにスルーしていく瞑想です。

肩の力を抜いて、どうぞ気楽に、ご参加くださいね。




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