武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

「今」

2016-03-08 15:07:52 | 武久の視線
「今」を楽しむ、ために生きてた僕だった、楽しみのために働いていた


しかし、44歳で脳幹出血に倒れ、生死をさ迷った
長い長い夢を見ていた記憶が残る、あのまま目が覚めなかったら、死んでいたのだろう


死ぬのが恐いという感情は無い、死ぬのは、僕にとって夢から目覚めぬことに思った
生まれて来るのも一人なら、死んでゆくのも一人なんだなぁ、とも思った


死は、絶対なるノーマライゼーション

そんなことはどうでもいいのだけど
僕は、楽しむために生きた受傷前の生き方から


「今」やれること、「今」やらなければならないこと、を意識して生きるようになった
機能的にも欲が、殆どそぎ落とされたこともあるのだろうが、、、


僕がやらねばならないこと
 四肢麻痺になった僕を発信する事、見てもらう事、感じてもらう事 



倒れるのは一瞬だった、今は薬をたくさん飲んでいる、でも、、、そん時はそん時、、、
今の僕にできること、今の僕だからできること、今の僕だからやらねばならないこと


今が、これからの過去になり、今が、これからの未来になる


必ず明日が来るとは思っていない、未来に夢や希望があるとも思っていない
大切なのは、今を生きているということ、今、何をやって生きてゆくかということ、だと僕は思う。


(写真 介護ライター 野田明宏)



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