田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

特許を放棄した日米の発明家(2013/4/19)

2013-04-20 00:21:24 | 一本釣りの歴史
「一本釣り渡世」という本が、1996年に筑摩書房から出版されている。千葉の有名な一本釣り漁師の石橋宗吉氏の口述を記録した本。その中に、今では大抵の釣り船の船尾に設置されている、二枚帆(スパンカー)を戦前5年間の試行錯誤の末、完成させた下りがある。

「勝浦港の手前にある測候所の風力計に目がいって、あっと思った。毎日のように通っていながらそれまで気がつかなかったのだが、測候所の屋根でいつも風上を指している風力計の矢が、二枚羽でできていると気が付いたのだ。二枚羽なら矢じりは風上を向く。そうだったのか。ようやく2枚帆の理屈にたどり着いた。・・ここまで5年かかった。・・・私はスパンカーを仲間の船に付けさせた。銚子のシート屋はカタログを作って売り出した。
 戦後になるが、サバのハネ釣りの勉強に勝浦へ来られた各地の漁師がスパンカーの作り方も学んで帰られた。北海道から見えた船頭のグループは、この艫帆を装着すれば漁獲は3倍に伸びるだろうと喜ばれた。スパンカーの講習に宮崎県まで出向いたこともある。このことは裏をかえせば、全国の一本釣りの操業船がいかに風にたいして船位を安定させることに悩まされていたかだ。このようにしてスパンカーは全国に広まった。お役にたててこんな嬉しいことはない。
 特許をとったのかとよく聞かれるが、無学な漁師のすることでそんな才覚のあろうはずがない。」


 スパンカーは、船が常に風上を向いているようにハンドルの役目を果たす。そのため、エンジンの強弱だけで、風が吹いても潮にほぼ乗って静止している状態に船を操作でき、一本釣りで底が取れるようになる。大変な発明だが、漁師がこれで喜んでくれるのが嬉しいと石橋宗吉氏は特許を敢えてとらなかったとのこと。こういう漁師が居たと言うことは、日本人として誇らしい。


 ベンジャミン・フランクリンはアメリカの独立当時の指導者で、フランクリンの自伝は、アメリカでは青年が社会に出るときの必読の書とのこと。私も中学生の時、担任の先生からいい本だと教えてもらい、高校生になってから、本屋で文庫本を見つけて、何度か読んだ。また読みたくなり、今、ほぼ20年ぶりに読んでいる。フラクリンは、科学者でもあり、雷は電気と証明したことでも有名。自伝に、次の一節。

「1742年に私はオーブン・ストーブを発明した。このストーブは、新しい空気が入って来る時に温まる仕掛けになっているので、従来のものより暖房にもよく、同時に燃料も節約になった。・・・私はその需要をいっそう盛んにするためパンフレットを書いて公にした。・・・このパンフレットは非常な効果をあげた。トマス知事はこの中で説明されているストーブの構造がひどく気に入って、数年の期間中専売特許を与えようといってきた。しかし、私はこういう場合につねづね自分には重要と思われる一つの主義があったので、これをことわった。つまり、われわれは他人の発明から多大の利益を受けているのだから、自分がなにか発明した場合にも、そのため人の役にたつのを喜ぶべきで、それを決して惜しむことがあってはならないという考えである。・・・このストーブは、当ペンシルバニアでも、近くの植民地でも、非常に多くの家庭で用いられ、人々は薪の使用がごく少なくてすんできたし、いま現にその通りなのである。」岩波文庫版188ページ

千葉の一本釣り漁師の石橋宗吉氏もベンジャミン・フランクリンも、特許をとれば莫大な金が稼げるにもかかわらず、発明を公開して、特許を取らなかった。自分の工夫が人の役にたつのが嬉しいとの理由。海で釣りをする漁船のスパンカーや、フランクリンストーブとも言われている現在の薪ストーブを目にするたびに、偉人の徳とその恩恵に思わず手を合わせてしまいます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 竹田家本宅の春(2012/4/17) | トップ | 久しぶりにコーラル丸でアジ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

一本釣りの歴史」カテゴリの最新記事