田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

北九州市のガレキ処理の灰見物のち農園(2012/6/25)

2012-06-25 19:35:27 | 3.11東北大震災の頃
(がれき処理後の放射能)
 用事で北九州市役所近くに来たので、北九州市が東北の被災地のガレキの焼却処理を決めた際、市民に直接、焼却灰やスラブの放射能測定をやれるコーナーを市役所のホールに設けたというのを見物に。
 焼却前のガレキ、焼却後の灰、スラブ、焼却時に集塵装置で補足した塵を透明容器に入れて、放射能測定器で希望者に測定させていた。(冒頭の写真)
お昼時で、私の他には誰も市民は来ておらず、係りの方お二人から、測定器の操作方法を聞いてやってみる。
平常時、北九州市役所内は、0.07マイクロシーベルトの放射能があるそうで(自然界の現象・60年近く前の米ソの水爆実験の名残?)、その値と焼却灰その他に放射能測定器を近づけたときの値は変わらず。
 こんな値なら、早く東北のガレキの焼却処分を開始してほしいものと思った次第。

午後は、竹田農園に、次男運転の車で。

(農園のカボチャ棚)
農園のカボチャ、棚を作り、それにツルを登らせて育てる方法を昨年から始め、大成功。
今年も、カボチャ棚を半分まで作り、今日は、ネット張り等の仕上げ。
午後暇そうな次男にやってもらう。
 昨年もやったので、要領よくテキパキ。(下の写真)

 「こういうものを作るのは楽しいね」と次男。
カボチャは既に花が咲き始め、ピンポン玉程の実もなっているので、8月上旬には食べれそう。

(休耕田の枯草運び)
暇なとき運ぼうと、休耕田に山積みの枯草、そろそろ運ばないと、また生えだした草に覆われて、作業が困難になりそう。
時々の雨の中、愛用の組み立て式リヤカーを持ち出して、500メートル程離れた休耕田から枯草運び。(下の写真)

これを秋野菜用に空けた畝に敷き詰める。
畝に草が生えず、ミミズが繁殖して土を柔らかく耕してくれ、土も健康になる等、いいことずくめ。
3往復して半分以上運び終わったところで、残りは来週に。

 今度の日曜、コーラル丸でキス・アジ釣りの予定。

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2 コメント

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0.07マイクロシーベルトとは (○子)
2012-06-26 21:25:51
北九州市役所内の放射線量はその数値ですか。
千葉市のわが家の中とほぼ同じですね。
ちなみに、庭は、政府発表(?)と違って0.1マイクロシーベルトあります。
(ちなみに、政府側発表では0.044とか、どこで測ったんじゃい?!と聞きたいような低い数値)

私は、放射能汚染の聖域を残して欲しかったので、北九州のあたりの受け容れ拒否には内心拍手を送りたい気分でした。
しかし、その数値では「聖域」とは言い切れない。

3.11後、京都の友人が「うちら常に大陸からの放射能に晒されているから、同じ、同じ」被爆した千葉県民のうちらを慰めて(?)くれたものですが、本当だったのですね。

もう、ダメか・・・
逃げ場はないんですね。
それなら、○○しかないんですね。
返信する
自然界の放射能 (takeda)
2012-06-26 22:27:09
○子様 お久しぶりです。

正確な数値は覚えていませんが、人間が核分裂をわが手にしたとき(1945年のアメリカでの核実験成功)よりはるか以前から人間は放射能の中で生存してきたと思いますよ。海岸の砂浜では、ラドンの放射線が高いから、砂浜で歩くと、体にいいぞと、日吉中学校だったと思いますが、理科の授業で習った記憶があります。55年前には、ソ連とアメリカがメガトン級の水爆実験を交互に繰り返して、そのころの小学生の私たちも、今の福島市の皆さんと同じ程度の放射能を浴びていたと思いますよ。子供新聞にもストロンチゥム90が怖いと言った記事がよく出ていました。雨の日は家に居るか、傘をさせなど今治小学校で繰り返し教えられたものです。それから55年、大半の同級生は癌にもならず生き延びていますので、0.07マイクロシーベルト(本当の意味は私は不詳)は無視できる数値だと思います。むしろ、食品の中の農薬とか着色料とか蕨とか日々の過度のストレスに気を付けた方が良いのではと思います。
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