田舎生活実践屋

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ヘロドトスの歴史 アテネの賢者ソロンの一言(2021/8/1)

2021-08-01 16:56:23 | 田舎で読んだ本
オリンピックが近づき、古代ギリシャオリンピックの逸話を確認したくて、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの「歴史」を岩波文庫で購入。
 50年近く前、一度読んだことのある本で、これを機会にもう一度と、少しずつ読んでいる。
 飲み仲間の一人、世話好きのS女史が先日、面白かった本だと、「幸福に生きるためのカウセセリングの知恵」と言う単行本を見せてくれて、パラパラと見てみると、ちょうど読んでいるヘロドトスの歴史の一節に同じ話が出ていると思い出した。
 S女史がどんな話かというので、確か、人間成功したとか金があると言っていても、幸福かどうかは死ぬ間際にしか分からないという話だったと。
 我が家に帰ってから確かめると、下のような一節。

 今のトルコのある小アジアで栄えたサルディスの王のクロイソスが自分が世界一の幸福な人間だと考えて、アテネの賢者と言われるソロンに訊ねた時の問答。

 なお、ソロンは紀元前639~559年の人で、アテネの政治に中小の農民も参画させる改革を行い、アテネの民主主義の第一歩を切り開いたことで名高い。(冒頭 玉川児童百科大辞典 昭和27年発行より)
 日頃の小さい心がけで、金にも権力にも恵まれた成功者よりも幸福な人生を送れることがある、との指摘で、そのとおりと腑に落ちる話。

クロイソスは自分が世界で最も仕合せな人間であるつもりでそう訊ねたのであったが、ソロンは王に露諛う(へつらう)ようなことはなく、自分の真実と信ずるがままに答えていった。
「王よ、アテナイのテロスがさような人物であろうと存じます。」
意外な答えに驚いたクロイソスはむ、意気込んだ口調で訊ねていうに、
「そなたは一体どういう点で、そのテロスなる者が最も仕合せな人間だと考えられるか。」
ソロンがいうに「テロスはまず第一に、繫栄した国に生まれてすぐれた良い子供に恵まれ、その子らにまた皆子供が生まれ、それが一人も欠けずにおりました。さらに我が国の標準からすれば生活も裕福でございましたが、その死際がまた実に見事なものでございました。すなわちアテナイが隣国のエレウシスで戦いました折、テロスは味方の救援に赴き、敵を敗走せしめた後、見事な戦死を遂げたのでございます。アテナイは国費をもって彼をその戦没の地に埋葬し、大いにその名誉を顕彰したのでございます。」・・・・・
 ソロンはこのように幸福の第二位を右の兄弟に与えたのであるが、クロイソスは苛立っていった。
「アテナイの客人よ、そなたが私をそのような庶民の者どもにも及ばぬとしたところを見ると、そなたは私のこの幸福は何の価値もないと、思われるのか。」
 ソロンが答えていうに、
「クロイソス王よ、あなたは私に人間の運命ということについてお訊ねでございますが、私は神と申すものが嫉み深く、人間を困らすことのお好きなのをよく承知いたしております。人間は長い期間の間には、いろいろと見たくないものでも見ねばならず、遭いたくないことにも遭わねばなりません。人間の一生をかりに70年といたしましょう。・・さてこの70年間の合計26,250日の内、一日として同じことが起こるということはございません。さればクロイソス王よ、人間の生涯はすべてこれ偶然なのでございます。
 あなたが莫大な富をお持ちになり、多数の民を統べる王であられることは、私にもよく判っております。しかしながら今お訊ねのことについては、あなたが結構なご生涯を終えられたことを承知いたすまでは、私としましてはまだ何も申し上げられません。どれほど富裕な者であろうとも、万事結構ずくめで一生を終える運に恵まれませぬ限り、その日暮らしの者より幸福であるとは決して申せません。腐る程金があっても不幸なものも沢山おれば、富はなくとも良き運に恵まれる者もまた沢山おります。きわめて富裕ではあるが不幸である人間は、幸運な者に比べてただ二つの利点をもつに過ぎませんが、幸運な者は不幸な金持ちよりも多くの点で恵まれています。なるほど一方は欲望を充足したり、ふりかかった大きな災厄に耐える点では、他方より有力ではございましょう。しかし幸運なものには他方にない次のような利点がございます。なるほど欲望を満足させたり、災厄に耐える点では金持ちと同じ力はございますまい。しかし運が良ければ、そういうことは防げるわけでございます。体に欠陥もなく、病を知らず、不幸な目にもあわず、良い子に恵まれ、容姿も美しい、というわけでございますからね。その上更に良い往生が遂げられたならば、その者こそあなたの求めておいでになる人物、幸福な人間と呼ぶに値する人物でございます。人間死ぬまでは、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません。
 人間の身としてすべてを具足することはできぬことでございます。国に致しましても、必要とするすべてが足りているようなところは一国たりともございませぬ。あれはあるがこれはない、というのが実情で、一番沢山ある国が、最も良い国ということなのでございます。人間にいたしましても同じことで、一人一人の人間で完全に自足しているようなものはおりません。あれがあればこれがないと申すわけで、できるだけ事欠くものが少なくて過ごすことができ、その上結構な死に方のできた人、王よ、さような人こそ幸福の名をもって呼ばれて然るべき人間と私は考えるのでございます。いかなる事柄についても、それがどのようになってゆくのか、その結末を見極めるのが肝心でございます。神様に幸福を垣間見させてもらって末、一転して奈落に突き落とされた人間はいくらでもいるのでございます。
 ソロンのこの話がクロイソスの気に添うはずもなく、現在ある福を捨て置いて、よろずのことの結末を見よ、などという男は馬鹿者に違いないと思い込んだクロイソスは、一顧も与えずにソロンを立ち去らせたのであった。(ヘロドトス 歴史 岩波文庫上 p35)


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