温故知新~温新知故?

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日本はなぜ左側通行なの?

2014-02-26 22:46:49 | その他
今ドイツの本社の仲間とゲストエンジニアとして一緒に働いているんだけど(余談だけど彼はオランダ人、もう一人はポーランド人、2人共ドイツ語はあまり得意でないようだ。今勤めている会社はドイツの会社だけど、このように人種は多彩、公用語は英語だ)、一人が質問をした「日本はなぜ左側通行なの?」、私は答えられなくて、戦争に負けた時、アメリカに強制されたんじゃないとか何とかいい加減なことを言った。でも、これは確かなことではないので調べるよとその場をしのいだ。そこで調べたら以下の様なサイトが見つかった。
左側通行の原則|(裕)の学科教室
では、なぜ日本は左側通行の国なのでしょうか?二つの説があります。
「昔、日本の武士は右利きだったから、刀を抜きやすいように腰の左に差した。武士同士がすれ違う時に、刀のさやが当たるとトラブルの原因になっていたため、当たらないように道の左側を歩くようになった。」という説。
「明治時代に政府が交通法規を定めるにあたって、イギリスの法規を元に作ったから」という説です。
こちらの説の方が有力です。

皆が疑問に思うらしくいくつかのサイトが見つかった、それぞれ、事実かどうかはともかく興味深い話題がある。
日本が左側通行の理由・・無料で家庭教師紹介のビップル

人間の心臓は左側にあるから、右手で心臓を守ろうとする本能が働く。だから人類は「右利き」になった。日本の武士も右利きだったから、刀を抜きやすいように腰の左に差した。武士同士がすれ違う時に、刀のさやが当たらないように道の左側を歩くようになった。馬の乗り降りも、左側からすれば刀が邪魔にならない。こうして日本では人も馬もかごも大八車も左側通行になったという説は説得力がある。左側通行の慣習を法律にしたのは、明治初期の陸軍大将西郷隆盛と言われている。この法律は戦後の昭和24年まで存在した。明治初期の陸軍はフランス式の右側通行を採用したので、これを機に日本も右側通行にしようと考えたが、慣習にこだわる人々の反対であきらめたそうだ。

実は、大陸でも18世紀末に「ある人物」が登場するまでは左側通行だったのだ。七年戦争当時の貴族の生活を描いたスタンリー・キューブリック監督、ライアン・オニール主演の映画「バリー・リンドン」(英 1975年)に、プロシアの首都ベルリンで馬車がすれ違うシーンが出てくる。確かに左側を走っている。

すらるど 「日本の道路はなんで左側通行なんだろう?」:海外の反応
日本は帯刀をする侍の国だったので、左側通行は暗黙のルールとして存在していたが、公式になったのは鉄道が導入された1872年だった。
時の政府は鉄道システムを導入する際に手本とする国の候補をアメリカ、フランス、イギリスの3か国に絞っていたが最終的にイギリスに決定し、こうして左側通行がルールになったのだった
馬車鉄道や電気トラムも日本の鉄道と同じく左側通行となり、1900年ごろには自動車が見られるようになり、1902年に東京の警察によって初めて歩行者は左側を歩くようにと通達があった。
そして1924年、遂に左側通行が正式な法律となったのだ。

当然ウィキペディアにも説明がある。
対面交通 - Wikipedia
通行区分採用の理由には様々な説がある。日本の左側通行については、江戸時代頃から武士などが左腰に差している刀が触れ合うことを避けて自然と左側通行になっていたという説や、明治政府がイギリスの制度に範をとったためとする説などがある。一方、欧州大陸諸国の右側通行については、馬車の馭者は右手で鞭を振るうので、対向する馬車に鞭を当てないために自然と右側通行になったという説や、フランス革命の際に教会の定めた左側通行に対抗して右側通行にし、その後、ナポレオンがヨーロッパ各地を占領していったことで普及した説がある。しかし、どの説も決め手に欠け、なぜ右側通行・左側通行になったのかはっきりとわかっていない。
日本では、自動車と歩行者が同じく左側通行だったが、自動車の交通量の増大に伴い交通事故の危険性が増加したことから、第二次世界大戦後に自動車と歩行者の対面交通が採用された。その際、歩行者の通行区分を右側通行に変更した。しかしながら、鉄道駅構内では人が左側通行をすることを前提に設計されてきたため、一般道路で歩行者の右側通行が採用されて以降も左側通行が採用されている場合が多い。

それじゃ、なんで他の多くの国は右側通行かも調べたら、なんと以下の様な説明を発見。大した理由でないんですね。
でも他のヨーロッパ諸国は右側通行なのに、なぜイギリスだけは左側通行なのかという疑問も出てきますね。
これについては、「ナポレオン説」が有力です。
フランスのナポレオン1世が、軍隊の通行は車両(馬車など)も含め右側通行にするように命令したのが右側通行の始まりだそうです。

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では、「右側通行」という、人間の習性を無視したルールは一体だれが決めたのだろうか。いろいろな説があるが、どうもナポレオン・ボナパルト犯人説が有力だ。彼が左ぎっちょだったからではない。パリの士官学校で学んだナポレオンは、学業はいまいちだったが(卒業成績は58名中42番)、砲兵士官として着任してから名を上げた。大砲の活用に優れており、その戦術が巧みだったといわれている。当時の常識に反して、敵の左翼を集中攻撃する戦法で連勝した。騎兵も歩兵も軍隊全体が右寄りに動いて勝利をもたらした結果、戦闘以外の時も右側を歩くようになった。かくして、ナポレオンが制圧した大陸各国は右側通行に変わってしまった、という説だ。

左側通行だけで、なかなか面白い話題がいっぱいだ。これを尋ねてくれた彼に感謝だ。!