梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

足もともよろよろと…

2008年01月19日 | 芝居
3回目の『猩々』話です。
酒好きの霊獣、猩々が、酒売り孝風との邂逅にすっかり機嫌を良くしての、盃を重ねながらの舞が、お能、歌舞伎舞踊共通の見せ場となるのですが、このくだりで見られる特殊な足づかいが、<乱(みだれ)>といわれるものでございます。
<乱>とは、お能の『猩々』における小書(こがき)、つまり特殊演出の名称でして、この演出になりますと、本来ならば中の舞というお囃子にあわせて猩々が舞うところが、独特の拍子の囃子に変わり、摺り足が基本のお能の舞には珍しい、つま先立ちの足さばきも交えた、酔態の表現が見られるのです。

なにぶん門外漢ですので詳細には申せませんが、調べてみますと「ヌキ足」とか「流れ足」、「乱れ足」というような足づかいがあるそうで、各流派によって相違があるようです。
歌舞伎舞踊のほうでも、この箇所は振り付けによって各々違いがありまして、師匠が演過去じた坂東流の『寿猩々』と、今月の藤間御宗家の『猩々』でも、全く違う振りになっておりますし、地唄舞を習っている後輩に聞きましても、これまた独自の足づかいがあるとのこと。

お能の演出との関係で申せば、舞台上に大きな酒壷を出すのも、やはり小書にあるもので、流派により<置壷>とか<瓶出>と言われているそうです。坂東流の『寿猩々』では出しません。酒を汲み交わすところは全て中啓を使って表現します。
猩々が2人出るのは<和合>とか<双之舞>という小書。猩々が7人出る演出もあるそうですね。

何故か私、この『猩々』には心惹かれるものがございまして、いろいろと喋りたくなってしまいます。
無類の酒好きという共通点があるからでしょうか?
神でもなく、人でもない、不思議な存在『猩々』…。

「酔いに臥したる枕の夢の 覚むると思えば泉はそのまま 尽きせぬ宿こそめでたけれ」という詞章を聴いていると、なんだかジ~ンときてしまいます。夜通し語り合い、舞を楽しんでいた孝風と猩々。空白々と明ける頃、気がつけば猩々は波間に消え、目覚めた孝風、あれは夢かと思ったものの、猩々から授かった汲めども尽きぬ酒壷はまさに目の前に。やっぱり本当だったんだと海のかなたを見送る…。
そんな光景が、自ずと浮かんできましてね。2人はまた会えるのかなァなんて…。