梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

打つや太鼓の

2006年03月02日 | 芝居
午前十時半から、国立劇場の研修室で、十八期生の発表会の舞踊の演目『越後獅子』のお稽古に立ち会わせていただきました。私と、弟弟子との二人で後見をさせていただきますので、仕事の段取りを、ご指導の藤間勘十郎先生、藤間弘先生にお伺いしながら、研修生の踊りを拝見させていただきました。それほど大変なことはございませんが、発表会の舞台では、何が起こるかわからないので、いざというときにはフォローをできるように、一幕のあいだはしっかりと彼らの踊りを見守ってまいります。

さて、長唄舞踊の『越後獅子』は、皆様にもお馴染みの風俗舞踊。越後の国から出稼ぎに来た、獅子頭をかぶって曲芸をする<角兵衛>をモチーフにしたものですが、短時間で、曲も華やか、しかも登場人数を比較的自由に変えることができますので、研修生の発表会には度々登場する定番演目です。
私もこの曲には思い出がございます。養成所を卒業して最初の<稚魚の会>で、同期たちと一緒にこの踊りを勉強させていただきました。現在の中村吉二郎、中村蝶之介、市川段一郎、それから卒業後間もなく辞めてしまった人との五人立ちの演出。振付・監修は花柳壽楽先生、ご指導は花柳泰輔先生、花柳錦吾先生でした。まだ本名の段階で、いきなり同期だけで一幕を任せていただけた関係者各位のお心遣いに感謝しながら、ともかくも一生懸命、仲間とともに勤めましたが、なにしろ超初心者、お稽古の段階では、振り数の多さに汗を滝のように流し(ほとんどが私から出たんですが)、夏の研修室を熱気でいっぱいにする日々でした。
出の太鼓の扱いや、手踊りもそれぞれ難かしゅうございましたが、後半の布さらしは格別でした。手の動きと足拍子をいっぺんに覚えられなくて…。ドカジャカになるたんびに、先生から怒られた怒られた。軽やかにさらしを操りながら、飄々と踊るのが目標でしたが、目が血走っちゃうくらい、いっぱいいっぱいでした。
でも四日間の本番では、緊張もいたしましたが、楽しさ喜びもそれにまさるもので、かの布さらしでは、狭い小劇場の舞台で、五人がいっせいにさらしを振ると、客席から歓声があがって、とても嬉しかったのを覚えております。
そういえば舞台稽古の日、さらしを振りながら<海老反り>するところで、「どうだ!」とばかりに思いっきり反ったら、ダメ出しの時壽楽先生から「そこまで反らなくても…」と言われてしまい、恥ずかしかったですね…。

もう一つの思い出は、一期後輩の十五期生の、一回目の発表会のときのこと。
この時も舞踊の発表で、やはり藤間宗家の指導で『越後獅子』がでたのですが、私は違う発表演目でのお手伝いをすることになておりまして、直接には関係しておりませんでした。お稽古場で、たまたまこの踊りの稽古の様子を拝見したときも、(へえ~、今度はみんなでセリ上がりで登場か。カッコいいな~)なんてのんきに思ったぐらいだったんです。
それがその翌日、つまり発表会の<総稽古>の日の昼間、私が出演しておりました歌舞伎座に電話があって、「研修生の一人が怪我してしまい、舞踊には出られくなってしまったので、代わりに踊ってくださいませんか」…………!?
ビックリいたしましたが、ともかくも自分の出番を終えて国立へ直行、いそぎご宗家から振りをうつしていただき、うろ覚えのままでしたがとにかく<総ざらい>を終わらし、その後改めてお稽古お稽古、お稽古。十五期生とともに何度も合わせ(なにしろ明後日は本番なんですもの!)て覚えました。
翌日の<舞台稽古>では、まさか自分が乗るとは思わなかった大ゼリの、しかも真ん中に居座って登場というありさま。本当に夢のような事態が、三日のうちにあれよあれよと襲ってきましたが、とにかく無事本番まで勤められたのは、奇跡みたいなことでした。
ところがお客様はそんな幕内の事情はご存じないわけで、十五期生の出し物に、たしか一年前卒業したハズの研修生が出てきて大汗を流しているのが不審だったのでしょう。
『あの真ん中にいた人は、留年したんですか?』
という問い合わせが、後日養成課にあったとのこと、トホホ……。

写真は昨日撮った近所の梅です。「梅一輪 一輪ほどの暖かさ』なんて句がございましたが、東京はまだまだ寒い日が続きますね。