梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

昔の言葉

2005年06月12日 | 芝居
夜の部の『盟三五大切』、四世鶴屋南北の作の「生世話物(きぜわもの。当時の庶民生活を特にリアルに描いた作品のこと)」です。このような芝居のなかには、当時は当たり前に使われていたけれど、今ではパッと聞いてもその意味がわかりにくい「江戸の言葉」が沢山使われております。
私が出演しております序幕第ニ場「深川大和町の場」で、高麗屋(染五郎)さん扮する六七八右衛門が、座っている畳ごと、若い者(私の役ですね)二人に持ち上げられると、「万歳楽(まんざいらく)万歳楽」と困ったように言います。この言葉、どういう意味なのかと思っておりましたが、当時のおまじないで、地震がおこった時この言葉を唱える風習があったそうなのです。なるほど、畳ごと一気に持ち上げられて、思わずバランスを崩して揺れてしまったわけですから、思わず口に出るのも納得がゆきますね。
それからニ幕目「二軒茶屋五人切の場」、高麗屋(錦吾)さんが「あんな奴に似て、『おたまりこぼし』があるものか」と言うセリフ。『おたまりこぼし』とは何ぞや? と考えてしまいますが、別にそういうモノがあるわけではなく、「たまったものではない」とか「やりきれない」という意味の『お溜まりがない』の「おたまり」に、「起きあがり小法師」をひっかけた洒落言葉なのだそうです。たんに「あんな奴に似てたまるものか」と言ってもいいところを、こういうある意味穿った言い方をするのが、町人文化爛熟の、化政時代の芝居らしいですね。

現在まで、いろいろな人の改訂、変更が加わっているとはいえ、歌舞伎の脚本には当時の風俗、文化がわかる素敵な言葉が沢山あります。それらの意味をおおよそでも理解しておかれますと、お芝居見物もより面白くなるのではないでしょうか。
もちろん演じる側にも、その心構えは必要だと、私は考えます。(頭デッカチになってはいけませんけれどね)。