あいにくの小雨でしたが、南禅寺に参拝してきました。
小学校のとき以来ですから、10数年ぶりということになりますか。『楼門五三桐』でお馴染みの三門に登り、大喜びしていたあのころ…。
再び同じ場所にたち、雨にけぶる京都市内を見渡しますと、やっぱり気分は五右衛門ですよ。他に誰もいなければ、見得のひとつもしようというくらい。紅葉はすっかり散っておりましたが、もう少し早く訪れていたら、さぞや美しい眺めだったことでしょうね。
法堂や方丈のことはすっかり記憶にありませんでした。今回改めて参りまして、法堂では気迫に満ちた竜の天井絵(明治期 今尾景年画伯の筆)、方丈では狩野探幽、元信、永徳による襖絵をじっくり拝見。とりわけ襖絵は、薄曇りの日に、照明もほとんど入れていない薄暗がりの室内を遠くから拝見するものですから、じっと見ているうちに絵がぽわーっと浮かび上がってくるような不思議な錯覚。しんとした空気、ゆったりとした時の流れの中、約400年も前の作品の息づかいが聞こえてくる…。幸せなひとときでした。地の金箔のさびれかたにシビレます。
琵琶湖の水を運ぶ<水路閣>ももちろん見てきました。赤煉瓦の西洋建築が、今でこそそのさびれ具合でお寺と調和していますけど、できた当時はどう見えたのかなァ。お寺の人はなんとも思わなかったのかしら?
坂をのぼって、上からも見てみましたが、お魚さんも一緒に流れてるのでしょうか、「ここで釣りをしないで下さい」の大きな看板が。鮒とか?
懐かしさいっぱいの旅でした。
小学校のとき以来ですから、10数年ぶりということになりますか。『楼門五三桐』でお馴染みの三門に登り、大喜びしていたあのころ…。
再び同じ場所にたち、雨にけぶる京都市内を見渡しますと、やっぱり気分は五右衛門ですよ。他に誰もいなければ、見得のひとつもしようというくらい。紅葉はすっかり散っておりましたが、もう少し早く訪れていたら、さぞや美しい眺めだったことでしょうね。
法堂や方丈のことはすっかり記憶にありませんでした。今回改めて参りまして、法堂では気迫に満ちた竜の天井絵(明治期 今尾景年画伯の筆)、方丈では狩野探幽、元信、永徳による襖絵をじっくり拝見。とりわけ襖絵は、薄曇りの日に、照明もほとんど入れていない薄暗がりの室内を遠くから拝見するものですから、じっと見ているうちに絵がぽわーっと浮かび上がってくるような不思議な錯覚。しんとした空気、ゆったりとした時の流れの中、約400年も前の作品の息づかいが聞こえてくる…。幸せなひとときでした。地の金箔のさびれかたにシビレます。
琵琶湖の水を運ぶ<水路閣>ももちろん見てきました。赤煉瓦の西洋建築が、今でこそそのさびれ具合でお寺と調和していますけど、できた当時はどう見えたのかなァ。お寺の人はなんとも思わなかったのかしら?
坂をのぼって、上からも見てみましたが、お魚さんも一緒に流れてるのでしょうか、「ここで釣りをしないで下さい」の大きな看板が。鮒とか?
懐かしさいっぱいの旅でした。